ステータス画面

七花の湖 〜ローズマリー・アーチ〜

<オープニング>

●七花の湖
 華やかな紅や暖かな黄色を梢に湛えた楓やみずならの木立に囲まれたその地にあるのは、水のほとりの小さな街。辺りの風景を優しく潤ませるその水辺は、泉と言うにはかなり大きく、けれど湖と呼ぶにはいささか小さな水のうみ。
 涼やかな水の香を抱いた風がゆうるり流れるその街は、水のほとりを抱く木立にふんわり隠されるようにして、こぢんまりとした家屋敷が建ちならぶ、心地好い穏やかさに満ちた街だった。
 優しく揺れる木漏れ日にとけて流れるこの街の時間は、限りなくゆるやかなもの。
 穏やかな水辺の風と柔らかな光に抱かれ、咲き零れる花を眺めて休日のひとときをすごしたなら、それだけで七日間の休暇をすごした心地になれる街。――そんな逸話から、楓とみずならの木立に抱かれたこの地は『七花の湖』と呼ばれていた。

 秋の一夜を七花の湖のほとりですごしたね。
 海の泡みたいな白の小花咲くローズマリーの垣根に囲まれ、桜色の星みたいな小花が降るように咲くローズマリーのアーチが迎えてくれるオーベルジュ、ローズマリー・アーチ。
 暖かで何処か家庭的な、優しさのしずくを降り積もらせたようなそこですごした一夜は、七花の湖のいわれ通りに、一日で七日分の休暇をすごした心地。幸せで幸せで、どうしようもなく幸せで、満ちた幸せが涙になって溢れてくるくらい幸せな、一夜で七夜だったよね。
 たとえようもなく幸せな七夜の一夜に貴方と満たされて。
 自分達の街での日常に戻ったその日に。

 どうして世界は崩壊してしまったの。

 洗練された街並みに憧れていた上層が崩落してきて自分達が踏みしめている大地が引き裂かれ、下層へ落ちていく貴方の手を確り掴んだはずなのに、私の手に残ったのはあの日貴方がつけていたローズマリーの指輪だけ。
 どうして私は大きな瓦礫が貴方の頭蓋を砕くところを見てしまったの。
 七夜の一夜に、柔らかなローズマリーの花枝を互いの指へと巻いた、愛しい指輪。
 私の瞳と同じ桜色の小花咲く貴方の指輪。
 桜色の星のようで雫のような花は、まるで私の涙みたい。
 それから探して探して探したのに。秋が冬になっても探し続けたのに。
 どうして私は貴方の遺骸を見つけられなかったの。

 ああ、それなら、貴方のからだの代わりに、貴方の指輪を眠らせる。
 七花の湖のほとりに点在するオーベルジュのひとつ、ローズマリー・アーチ。
 たとえようもなく幸せな七夜の一夜をすごしたあの場所で、貴方に静かな静かな眠りをあげる。
 きっとあの場所もひどいことになっている。
 けれどだからこそ――誰も邪魔をしない眠りをあげられる。

 駆けて駆けて、冬の夜にたどりついた七花の湖のほとり。
 華やかな紅や暖かな黄色の葉はほとんど落ちていて。
 けれど湖を囲む楓やみずならの木立の姿は――七割方、変わりない。
「う、そ……」
 ひどいことになっていると信じていた。
 なのに、七花の湖のほとりで崩壊の爪痕が見られたのは、辺り一帯の三分の一程度。
 海の泡みたいな白の小花咲くローズマリーの垣根。
 桜色の星みたいな小花が降るように咲くローズマリーのアーチ。
 嗚呼、あの日と変わりない姿のオーベルジュ、ローズマリー・アーチにもあかりが燈っている。
 優しさのしずくを降り積もらせたようなそこですごす何人ものひとの気配が伝わってくる。

 どうしてそこにひとがいるの。

 いらない。
 誰も誰も、ローズマリー・アーチにはいらない――!!
 
●さきぶれ
 七花の湖のほとりに点在するオーベルジュのひとつ、ローズマリー・アーチ。
 オーベルジュとはつまり、簡単に言ってしまえば、お泊りもできる美味しい食事処のこと。
「んでも今そこにいるのはね、幸せな休暇をすごすひとじゃなくて、行き場のない被災者さん達」
 優雅な休暇をすごせる者など、今の戦神海峡アクスヘイムにはまだほとんど居るまい。
 けれど――ローズマリーの指輪を握りしめ、マスカレイドとなってしまった桜色の瞳の娘・リヴェラにそれは解らない。たとえ理解したとしても、リヴェラがローズマリー・アーチにいるひとびとを殺しつくす終焉は変わらない。
 どのみちリヴェラは必ず、ただひとつの想いにたどりつく。

 私の最愛のひとは死んでしまったのに。
 どうして他のひとびとは生きているの。

 どうかお願い、力を貸して。
 七花の狩猟者・アンジュ(cn0037)は旅人の酒場に居合わせた同胞達に願う。
 完全なるマスカレイドとなった存在を識ってしまったなら、為すべきことは、いつもと同じ。
「アンジュと一緒に――彼女を終わらせに、行こう?」
 
 銀葉館に苺離宮。
 近隣のオーベルジュへ事情を伝え、ローズマリー・アーチのひとびとを一時避難させてもらえるよう話はついている。
「だからアンジュ達は、誰もいない夜のローズマリー・アーチでリヴェラを迎え撃てばいいと思うの」
 海の泡みたいな白の小花咲くローズマリーの垣根に囲まれ、桜色の星みたいな小花が降るように咲くローズマリーのアーチが迎えてくれるオーベルジュ、ローズマリー・アーチ。
「建物を傷つけると後で被災者さん達が困るだろうから、アーチを潜ってすぐに広がる、庭で戦うのが最善だよね。庭はみんなで戦っても問題ないくらい広いし、垣根に囲まれてるから、彼女が逃げようとしても難しいもの」
 仮面を得たリヴェラは強力なデモニスタの力を得た。
 花を弾丸のごとく撃ちだす力と仮面を持つ、ローズマリーの茂みふたつを支配下に置いた。
 情け容赦ができるほど弱い相手ではないだろう。
 寧ろ、全力で挑まねば此方が危うくなるだろう。
 けれど、できれば奇襲や騙し討ちはしたくない。
「個人的な気持ちとしてはね、夜の庭にあかりを燈して、ここにアンジュ達がいるよって気配をさせて、堂々と彼女を迎え撃ちたいの」
 これは本当に個人的な気持ちにすぎないからね、実際にどうするかはみんなで相談してもらえたら嬉しいな、と小さな笑みでアンジュは続けた。
 同情はできても説得などできはしない。
 完全なマスカレイドとなったリヴェラを元に戻すすべはない。
 彼女は、棘も命も断って、終わらせなければならない存在だ。
 けれど。
「あのね、ちゃんと終わらせることができたら、また逢おうね」

 何時の日か、この夜のことを思い出す時には、きっとひとりではいられないだろうから。


マスターからのコメントを見る
参加者
空追い・ヴフマル(c00536)
戯咲歌・ハルネス(c02136)
漆黒ノ竜・リューウェン(c02487)
ハニーフィンチ・アレンカレン(c03179)
勿忘草・ヴリーズィ(c10269)
爍星・ジェン(c10838)
深淵の華・ジェルゾミーナ(c34864)

NPC:七花の狩猟者・アンジュ(cn0037)

<リプレイ>

●雫の波
 凍れる夜風にローズマリーの垣根が細波めいた音で唄う。
 七花の硝子窓透かして溢れるカンテラの灯りは水底に揺れるひかりにも似て、海の泡思わす白い小花が踊る様を照らしだす。花の細波より優しく楽しげに響く談笑、暖かな寛ぎを齎す珈琲の香りに、馨しく漂う紅茶の香りが広がれば、チョコレートブラウニーやプルーンとナッツのパウンドケーキを切り分けるナイフの音すら幸せに躍った。
 桜色の小花咲き零れるローズマリー・アーチは優しいミモザ色の灯りに照らされて、夜闇にふうわり燈ったあかりの星霊猫が二匹並んで今宵の主賓を誘う。
 ――ここにいるよ。
 冬夜の庭。時ならぬ暖かで幸福な茶会に新たな足音が混じれば、先客達は揃って腰を上げた。
「……どうして」
「やあ、桜色の瞳のお嬢さん。そんな顔してないで、一緒にお茶でもいかがですか?」
 ――この七花の湖に、そんな悲しい顔は似合わないよ。
 濡れた桜色の瞳を瞠り、唇をわななかせた主賓――リヴェラに戯咲歌・ハルネス(c02136)が淡く珈琲の残り香引く手を伸べると同時、空追い・ヴフマル(c00536)が敷物を蹴って跳ぶ。
「途中退席はご遠慮願うっすよ!」
 遥か高みを渡り斬撃ごと降り立ったのは彼女の背後、庭の出入り口たるアーチへの退路を塞いだ刹那、鮮血とともにリヴェラの背に咲いた悪魔の翼の根が彼女の中に融け込んだ。
「どうしてあなた達はそんなに幸せそうにお茶会なんてしているの――!!」
「あぁ……どうしてどうして、どうしてだろうな」
 震える声音に重ねて迸ったのは闇夜を切り裂く破壊の光、次の瞬間には虚空からローズマリーの茂み二つが顕現する。慟哭めいた叫びを受けとめ淡い自嘲の笑み洩らし、爍星・ジェン(c10838)は翻るコートの下から現した月の刃で花枝の茂みを迎え撃った。
 確実に彼女を誘き寄せるための茶会。けれどもリヴェラが棘に冒される前に間に合っていたなら、ときっと誰もが夢想しただろう幸せな茶会の席を後に、男は空色の小花の弾丸を撃ち込まれながらも赤き月蝕で花枝の護りの加護を断つ。
「貴殿の悲しみの深さを量り知る事は出来ないだろうが、全力で相対させて頂く」
 ――どうか、思う存分俺達を気持ちの捌け口に。
 もう一体を迎え撃ったのは漆黒ノ竜・リューウェン(c02487)、硬く木質化した花枝に払われた足の痺れより撃ち込まれた花弾の痛みより、相対した娘の悲しみにこそ痛ましげに眉を寄せ、夜風よりも疾く奔った黒き刃で柔らかな花枝を絡め取った。
 癒しを忘れさせられた枝から爆ぜるように散る細い緑葉、鮮烈で清涼な香り。
 澄み渡る意識と祈りのまま妖精に口づけて、勿忘草・ヴリーズィ(c10269)は紅茶に注ぐ蜜のごとき唄を紡いでいた唇にリヴェラと相対する覚悟を乗せる。
「いらっしゃい。悲しみを、向けておいで」
「全部受けとめてあげるわよ。胸に巣食う悲しみも、あなたを狂わせる痛みをも」
 輝ける矢に姿を変えた妖精が花枝の根を撃ち抜くのと同時、深淵の華・ジェルゾミーナ(c34864)が硝子から解き放ったのは暴食の使徒。膨れ上がるそれが丸呑みにせんばかりの勢いで茂み二つを喰い破れば、細い緑葉と空色の小花が毀れて舞った。
 まるで大切な世界のかけらが毀れて零れ落ちていくかのよう。
 胸を締めつける痛みのありかを識りながら、ハニーフィンチ・アレンカレン(c03179)は想いを堪えて魔道書を手繰る。踊る頁から花枝へ迸るのは記憶を奪う紫の輝き。愛しさゆえの悲しみならそれすら愛おしいのかもしれないけれど。
「――もっと違う形で、貴方に出逢いたかった」
 それは叶わぬ夢だから。どうか今宵、貴方の傷はここへ置いていって。
 抗うように震えた花枝の茂みから、空色の小花の弾丸が爆ぜる勢いで撃ち出された。
「消えて! 私達の静かな夜からどうか消えて!」
「そういうわけにもいかなくてね」
 桜色の瞳の娘に融けた悪魔の翼に煽られ、血潮から馳せた猟犬の群れが猛然と貪り喰らったのは彼女の抑えを担うハルネスとヴフマル。全身を喰い破られながらも揺るがぬ二人の許へ吹き寄せた七花の狩猟者・アンジュ(cn0037)の命の風に背を押され、ハルネスが打ち込んだマジックマッシュの煙が桜色の視界を覆い尽くす。
「ああ……」
 感覚を惑わす幻の中でリヴェラが見たのはきっと、どうしようもなく幸福な七夜の一夜。
 だが戦いはまだ始まったばかり。深い幻覚も彼女の魂すべてを呑むことは叶わず、幸福に染まった桜色の瞳も一瞬で現に塗り替えられた。
「どうして、どうしてあなた達はここにいるの!?」
 再び迸った声が胸に刺さるのを感じつつ、ヴフマルが迷わず跳ぶ。
「貴方も過ごした、二度と過ごせぬ、一日で七日のしあわせを――またここで誰かが過ごせるように」
 俺は今、ここにいる。
 蹴りつけた地から解き放たれれば、耳元で揺れた石の欠片が地の底で聴いた言葉を甦らせた。
 ――皆を、頼む。
 世界に生きるいのちすべてのために、敗北を決定づけられた戦いを気の遠くなるほどの年月抗い続けたひと。彼に託された『皆』にはきっと被災者もリヴェラも含まれているから、彼のためでなく己が望むままに、『皆』を助けてみせる。
 まっすぐな想いごと飛び込めば、彼女の力ある翼が砕け散った。

●雫の涯
 暁色が仕掛けた鋼の牙を予測したように飛び退った茂みを追って靡くは宵闇と銀糸の裾、王狼宿る肩当てに花の弾丸防がれながらリューウェンは、大きな花枝の付根を刃で砕いた。
 弾け飛ぶ空色の小花。その先に立つ娘の指に巻かれた枯れ枝にも、同じ彩宿す乾いた小花。
 桜色の花咲く指輪は彼女の瞳を映し想い人の指に巻かれたもの、ならば――と思い至った瞬間、胸の裡に誰かの瞳の薔薇色が咲き誇る。たとえ己が大切なひとを残して死んだとしても、その瞳には絶えず涙に濡れて欲しいとも恨みを燈して欲しいとも思わない。
 彼女の想い人の気持ちを識るすべはない。けれど。
「俺なら……大切な方の笑顔が一番、いとおしいと思うので」
 彼女を残して逝った彼のためにも、リヴェラに罪を犯させるわけにはいかない。
 最早棘から救うことは叶わぬのだとしても。
「それでも、魂だけでも救ってみせるわよ……!」
 彼女に従うローズマリーが放つ花の銃撃、十字を描くそれがジェンの胸と腕を撃ち抜く様を青き瞳に映せば、ジェルゾミーナは即座に焔の剣を振りかざした。蝶の翅のごとく踊る焔が薔薇の花弁めいて艶めくリボンを煽れば、冬の夜に炎の鳥が舞い降りる。
 浄化はならずとも癒しの炎燈す不死鳥の羽に大きく癒され、ジェンは己が跳躍で痺れを振り払った。
 ――どうしてどうして、どうしてだろうな。
 胸裡で転がす言の葉、耳元に躍った紫の雫の響き。ただひとつと思い定めたはずの愛しい笑顔を眠らせ仲間の命を散らした己は、蜜色の罰に追いつかれてもなお『此方側』にいるというのに。
 双眸に淡い諦念宿らせながらも鮮烈な蹴撃を放つ彼に痛打を浴びた茂み。それを巻き込む勢いでリヴェラに放たれたヴフマルの蹴りは、その心を激しく揺らしながらも周囲の垣根には一切触れない。
 茶会に幸せ満たして余りある量のリューウェンのブラウニーやジェンのパウンドケーキが後できっとそうするように、彼女の大切な思い出たるこの垣根も、この先暫くここで暮らすだろうひとびとの心を癒してくれるはずだから。
 けれど。
「どうして、どうして……!」
 逃走の可能性を僅かでも減じるための暴走が更なる慟哭を誘う様に心が軋む。
 闇雲に躍りかかってきた猟犬の牙をその身に受けながら、ハルネスは花梨の杖から抜き放つ刃で猟犬ごと娘の殺意を斬り払った。この剣戟の涯てに、桜色の瞳に再び幸せ燈すことは叶うだろうか。
 癒しや逃走を忘れさせんと行き渡らせた暴走が、仮面憑き達からの攻撃を誰彼無しに撒く。
 最愛のひとの消えた世界すべてに向けられる、行き場のない哀しみのように。
 ――幸せだったんだね。だからこそ、哀しいね。
 それでも受けとめる覚悟はできていたから、空色の小花に抉られたこめかみから鮮血が溢れても呻きひとつ零さずに、ヴリーズィは朝の歓び咲かせた扇で癒しを喚んだ。
 鳥の歌に誘われて降る月光の中にアレンカレンの羊の星霊が跳ね、すべてを受けとめんと大きなあぎとを開いた暴食の使徒がジェルゾミーナの手から解き放たれる。まるごと喰らい尽くされた茂みの仮面が砕け散り、然程間を置かずして、ジェンの刃が花枝の芯ごともうひとつの仮面を断ち割った。
「どうして私をひとりにするの――!!」
「リヴェラ……!」
 枯れゆく花枝を桜色の瞳に映した娘の叫びがアレンカレンの胸を貫いた。
 眦が震えれば瞳の端にあかりの星霊猫が映る。期せずしてリューウェンと揃いになった、兄の手になる灯火。溢れた涙が唇濡らせば菩提樹緑の瞳の少年が茶会に差し入れてくれたローズマリーの葉とマカダミアナッツ入りのクッキーの、甘さの中に塩を利かせた味が甦った。
 指先で触れる、胸元のリースブローチ。
 私はひとりじゃない。
 なのにどうして、リヴェラにそれを言ってあげられないのだろう。
 華奢な指先添えた魔道書から溢れた光が、彼女の記憶も敵意も奪ってその魔力に枷を嵌める。
 己で己を抱いて身を震わすリヴェラから視線は逸らさずに、けれど自然に寄り添い護るような位置を取ってくれるヴリーズィへ、暁色が声を添えた。
「アンジュはね、リズちゃんが身体で学んで教えてくれた覚悟と責任が、すごく愛しい」
「――……!」
 リヴェラを見据えて揺るがぬショコラの瞳が熱く潤んだ。
 悲劇を砕くため力を揮うことにもう躊躇いはない。けれど心まで捨てたわけじゃない。
 棘を滅するために、それに呑まれたひとを狩る。
 仮面に憑かれたひとびとと幾度も相対して勿忘草の娘が学び取った覚悟と責任を、暁色の娘もまた楽園の黄昏に彼女から学び取った。
 哀しいね。誰へのものか自身でも判らぬ言葉を紡いだ唇で、ヴリーズィは妖精に口づける。
 それでも。
「謝ったり、しないからね!」
 貴方の想いを狩る覚悟と責任も、この胸に抱えてわたしは生きていく。

●雫の夜
 勿忘草色に煌く妖精の矢に深々と胸を貫かれ、桜色の瞳の娘が声にならぬ悲鳴をあげた。
 途端に冬夜の庭に墜ちたのは、夜闇よりなお昏く泥濘よりなお重い暗黒の大瀑布。けれど呼吸すら儘ならぬ闇の中、暁の気配注ぐように傍らを翔けぬけた流水に、ハルネスは柔い笑みを敷いた。
 七花の湖の、水の匂い。
 君と一緒に空白へ思い馳せ、百日紅咲き零れる水辺で飛び方を教わって、ミモザの夜に遥か先の未来へ続く約束を交わし、苺の朝にしあわせ分かち合った、この湖のほとりで得たものは。
 罅だらけの器をも満たし、とめどなく溢れるほどの――しあわせ。
 胸奥から光溢れる心地で黄銅の魔鍵を掲げれば、彼の森梟が楽園の門を開く。
 冬夜の庭に溢れだす楽園の光景、降り注ぐ陽光の中、視界の隅に夢向こうを燈すまぁるいランプを映してヴフマルは宙に身を躍らせた。
 空を識るより遠いあの日に飛びきり大切なひとを喪ったのに、どうして俺は。どうして尚も世界は。
「どうして――」
「それは、世界が、そこで生きる命が愛しいから」
 零れた声に不意に返ったのはアレンカレンの声。胸裡を読んだわけではないだろう、けれどきっと何かが重なった。――ああ、『どうして』をすべて解きほぐしてくれる答えはまだ見つからないけれど。
 ここは、あいつも愛した、いとおしい世界。
 急降下の一撃にしぶくリヴェラの血、そこから此方へ飛びかかってくる猟犬達の牙、そのすべてから目を逸らさず、アレンカレンは眠りの星霊を解き放った。瞳に心にすべてを灼きつけ、忘れない。
 貴方が最後の眠りにつく、その瞬間までも。
 明らかな退路はとうに塞がれ、感情昂らせたまま自制を奪われた娘は他の逃げ道も探せない。
 いざとなれば身体を張る心積もりもあったけど、最早ただ、最後まで彼女を受けとめてあげるだけ。
 狙い定まらぬまま降り注ぐ闇の重圧に歯を喰いしばれば、ジェルゾミーナの掌に強い煌きが燈る。
「吐き出すと良いわ、すべて。全力で止めて、砕いて、終わらせてあげる」
「うん、いくらでも受けとめて――そして、砕いてみせるよ」
 大地からせりあがる巨大な拳がリヴェラを強かに打ち据える。その風圧に抑えられた彼女めがけて翔けるはヴリーズィの妖精の矢、勿忘草色の光は一分の狂いもなく、仮面の真中を射抜いた。
 ――いっそ、あの夜が明けなければよかった……!
 苦悶とともに溢れた娘の言葉が遣り切れなさの波濤となって胸に迫る。明けない夜はないけれど、七花のほとりで迎えたあの苺の朝の幸せは今も胸に燈るけれど。
 リヴェラが朝を望むことは、もうきっとないだろうから。
「ならば、夜の帳で静かな眠りを迎えられるよう……」
「悲しみも痛みも苦しみも、全て私達が連れていくの」
 心からの祈りを魔力へ変え、リューウェンが掌上に召喚したのは輝ける光の環。溢れる涙も拭わず頷いて、アレンカレンも眠りの星霊を喚ぶ。彼の思うままに翔けた戦闘光輪が最早解けぬ棘を裂き、少女の願うままに跳ねた羊が棘に覆われた夢を喰らう。
 これ以上貴方が泣かずに済むよう、愛するひとと安らかに眠れるように。
 七夜の一夜が明けた後のすべてが貴方にとって悪夢だというのなら、その、すべてを。
「どうしてどうして、私のあのひとは死んでしまったの」
「あぁ……どうしてどうして、どうしてだろうな」
 終わりが近い。
 弱々しく溢した娘にジェンが返した声音は、優しい囁きと遣る瀬無い嘆息を綯い交ぜにしたような、深淵の響き。すべてを見届ける前に故郷を追われた己に世界は一縷の望みを与えてくれたけど――眼の前で愛するひとの命砕ける様を見てしまったリヴェラには、希望や幻を信じる余地もない。
 世界は時に優しく、時に非情だ。
 だからこそ。
「君に壊れるものはもう持たせないから。要らないものは、どうかすべて俺達に」
 ――そして、彼を追いかけてくれ。
 彼女の延髄に一撃を落とし、その聴覚を奪う寸前に、世界が彼女に与えなかった優しさを贈る。
「……!」
 桜色の瞳に、大きな揺らぎが見えた。
 ああ、と吐息めいて溢れたハルネスの声音に仄かな安堵が滲んだ。棘に呑まれた娘を狩る戦場となってもやはり七花の湖は変わりない。誰かが誰かをしあわせにする、七花の湖のほとり。
 目蓋を落としても、眼裏には明けを戴く刃の軌跡が映る。
「君も、どうかしあわせに」
 冴ゆる刃で仮面ごと、リヴェラの殺意も悪夢も斬り捨てて、目蓋を開いて彼女の最期を見届ける。
 桜色の瞳の娘が哀しみを手放せたのかは判らなかった。
 それはただ、殺意を斬り捨てる刃の技が見せたものであるのかもしれなかった。
 けれど。
 永遠に鎖される目蓋の奥、桜色の瞳に燈ったものが――願わくば、優しい幸せの光であるように。



マスター:藍鳶カナン 紹介ページ
この作品に投票する(ログインが必要です)
楽しい 笑える 泣ける カッコいい 怖すぎ
知的 ハートフル ロマンティック せつない えっち
いまいち
参加者:7人
作成日:2014/01/21
  • 得票数:
  • 怖すぎ1 
  • せつない15 
冒険結果:成功!
  • 生死不明:
  • なし
   あなたが購入した「2、3、4人ピンナップ」あるいは「2、3、4バトルピンナップ」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
 マスターより許可を得たピンナップ作品は、このページのトップに展示されます。
   シナリオの参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。