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宵夢紀行のカナル・ヴィオレッタ

<オープニング>

●宵夢紀行のカナル・ヴィオレッタ
 凛と張りつめた寒気をふと緩ませるような淡い杏と花葉色の黄昏を越えたなら、世界は再び凍える冬を思い出したかのような彩に染まってゆく。
 幻想的で、それでいて何処か涼やかな菫色は星霊の力が映す空のみでなく、街を流れる運河の水面にもゆるりと流れだした。それは水神祭都ならば何処でも見られるようなありふれた光景だが、宵の菫色を映す様がひときわ美しいと謳われる、カナル・ヴィオレッタのそれは圧巻なのだとか。
 水の流れに菫のリキュールを落としたような、甘やかに潤む色合いもさることながら――この時季、宵のカナル・ヴィオレッタには本物の菫の花が咲き溢れるのだ。
 冬の終わりが近づくこの時季の宵に、カナル・ヴィオレッタの名を冠するこの運河には菫の花を商う花売り達のゴンドラが集う。甘やかに潤む菫色の水面に浮かぶ幾つもの舟に咲き溢れるのは、宵の空を映した菫色や冴ゆる藍色に、明け初めの空を思わす薄紫色や薄桃色、冬の曙光のように清冽な白に、夏の陽のごとく鮮やかな黄といった、様々な色の菫達。
 その多くが匂菫であることから、運河を流れる水の香りと共に菫の香りが辺りを包み込む菫の花市――カナル・ヴィオレッタの菫市は、春を待つ花好き達にとって待望の催しだった。
 さあ、どんな菫を買おうか。
 いかにも菫らしい鮮やかな紫や冴ゆる藍もいいけれど、柔らかな白の花の芯に春暁思わす桃色がほんのり燈る菫にも惹かれずにはいられない。明るい空色の花の芯から光射すような白が放射状に入る花、眩い黄のまぁるい花弁の縁だけが淡い桃色に染まる花、夢見るように薄ら緑がかった白の細い花弁を星のように咲かせた花と、多種多様なところが菫の魅力だ。
 数多の花売り舟に並ぶ菫達はすべて鉢植えで、鉢の役割を担うのは透きとおる硝子のマグカップ。硝子には土代わりに花と同じ色した極小の硝子ビーズが詰められていて、花売り舟が燈すランプのあかりをきらきらと躍らせる。
 硝子ビーズに跳ねる光に照らされる菫の花はひときわ可憐に匂い立つ美姫ぞろい。
 気の向くまま、足の赴くままに幾つもの花売り舟を移り渡って――さあ、極上の菫を探しに行こう。

 幻想的な菫色を深めてゆく宵の運河に燈る数多のあかり、春を待ちわびていた花好きのひとびとが楽しげにさざめく賑わい、そして、星霊の力が映す空にまで馥郁と香る菫の香り。
 それらに惹かれ、何処からか招かれざる客がやってくる。
 蝙蝠の翼でばさりと風を打った四人の乙女――バットハーピー達が、あたし達にもその花を頂戴と、誘惑の調べを唄い始めた。

●さきがけ
「よう、待ってたぜ。――あんた達の手を貸してくれ」
 水神祭都アクエリオの酒場の一角で軽く片手をあげ、砂鷲の魔想紋章士・ナルセイン(cn0172)は同胞達を卓に招いた。
 冒険商人を本業とする男の口から語られたのは、カナル・ヴィオレッタという運河に立つ菫の花市で蝙蝠の翼を持つピュアリィ・バットハーピー達が騒動を起こすエンディング。彼女らはマスカレイドではないが、その誘惑の調べや即興の唄で生み出される風や焔で何人もの被害者が出るとなれば、
「放ってはおけないよな?」
 挑むような、それでいて信を込めた光を銀の瞳に燈し、男は同胞達に愉しげな笑みを向けた。

 カナル・ヴィオレッタに到着できるのは菫の花市が始まる宵の頃、そして招かれざるバットハーピー達が何処から来るかはわからないとなれば、花市の会場、つまり運河で迎え撃つしかない。
 花売り舟の上で待ちうけるにしろ、運河の岸辺で待ちうけるにしろ、空から来るバットハーピー達を一般人を気遣いながら迎撃するという少々厄介なことになるわけだが、
「もしあんた達の中にゴンドラ乗りがいるなら自前の舟を出してもらえるとありがたいね。何せ場所が運河だ、舟がなきゃ動きづらいが――自分のゴンドラを出してもいいってヤツがいるなら、菫の花市から離れた場所までハーピー達を誘導して戦える」
 数多の舟が行き交う運河、カナル・ヴィオレッタ。
 ゆったりと幅広く大きなその運河に交通の便を頼り切っているため、周辺にあるのは狭く入り組んだ路地ばかり。足で動くには非常に不便な場所だが、水上を自在に翔けられるゴンドラがあれば話は簡単だ。
「相手は理性に欠けるピュアリィだ、『花が欲しけりゃまず俺達を倒すんだな!』とか挑発しながら舟で突っ走れば深く考えずについてくるぜ」
 大きな運河ゆえ、菫の花市から少し離れればすぐに誰もいないだだっ広い水面に出る。
 恐らくバットハーピー達は此方をなめてかかって滞空したまま歌で攻撃してくるだろうから、
「こっちも思う存分遠距離攻撃をぶっ放してやろうぜ。痛い目を見りゃ早々に逃げ出すはずだ」
 銀の瞳を細めてナルセインはそう告げた。
 空中にいる敵には大ダメージを与えられるというのが戦いの摂理だ。相手が此方をなめている間に痛打を浴びせ、とっとと逃げ帰ってもらおうというわけである。
 マスカレイドではないから、命まで奪う必要はないだろう。

 余程油断しなけりゃ手早く片がつくと思うと続け、男は銀の眼差しを緩めてみせた。
「無事に撃退できれば、折角だ、俺達も菫の花市を楽しませてもらったって罰は当たらんだろうさ」
 俺自身は菫を買うつもりはないんだが、この市にはかなり興味があるんでね、と冒険商人が笑う。
 数多の花売り舟で売られているのは、硝子のマグカップに植えられた多種多様な菫達。
 一株に咲いているのは一、二輪。
 けれど一輪のみでも花は馥郁と香り、次々と蕾をつけて春の半ばまで楽しませてくれるという。
 幾つもの花売り舟の中には温かな紅茶を売っているゴンドラもあるから、熱が恋しくなったらそれを買い求めるのもいいだろう。菫と揃いの硝子のマグカップに注がれた茶には菫のコンフィチュールが落とされるというから、花から香るひんやりとした菫の香りと、杯から香る温かな菫の香りが楽しめるというわけだ。
 そうして数多の花売り舟をめぐり、極上の菫にめぐり逢えたなら――連れて帰ってやればいい。
 硝子ビーズと液体肥料で育てられた菫は、花が終わった後に肥沃な土へ植えかえてやったなら、その次の春にはより見事な花を咲かせてくれるはず。
「さあ御照覧、菫の花市に招かれざる客がやってくる」
 とっとと撃退して、俺達も宵に咲く夢を堪能してこようぜ。
 何処か芝居がかった声音でそう告げて、男は話を締めくくった。


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参加者
斧の城塞騎士・フラン(c00997)
花紺青・ユウ(c01588)
漆黒ノ竜・リューウェン(c02487)
風を抱く・カラ(c02671)
勿忘草・ヴリーズィ(c10269)
皎漣・コヒーレント(c12616)
アップルバスカー・マニート(c13989)

NPC:砂鷲の魔想紋章士・ナルセイン(cn0172)

<リプレイ>

●宵夢飛翔のカナル・ヴィオレッタ
 淡い杏と花葉色の残照がゆうるり透きとおる世界に甘やかな菫の滴が注がれれば、宵の彩揺れる運河に菫の花を商う花売り達のゴンドラが集う。
 花売り舟が燈すあかりと色とりどりの菫の花が宵の水面に数多咲き溢れ、春の萌し待ちわびていたひとびとで賑わえば、澄んだ水の香に混じり菫の香が世界へ馥郁と溢れだし、蝙蝠の翼で宵空渡る招かれざる客をも呼び寄せた。
「ちょうだい!」
「あたし達にもその花をちょうだい!」
 カナル・ヴィオレッタは広大な運河だが、その周辺の街の路地は狭く入り組んだものばかり。
 雑然とした狭い路地を足で駆けて空中の敵を誘き寄せるという手段は現実的でなく、舟がなければ花売り舟の上か運河の岸辺で迎撃するしかなかったのだが――今、カナル・ヴィオレッタの水面にはエンドブレイカーが操るゴンドラが四艘浮かぶ。
「残念だね、わたし達を倒さないと菫はあなた達のものにはならないよ!」
 甘い蜜の誘惑を乗せた笑顔で宵空のバットハーピー達を振り仰ぎ、勿忘草・ヴリーズィ(c10269)が櫂を繰れば一気にゴンドラが加速した。菫の宵に冷たい水面の風、ひんやり薫る花の香。鮮やかに流れだす世界を舟上で感じつつ、風を抱く・カラ(c02671)も不敵な笑みで空を仰ぐ。
「可憐な美姫を攫うにはまず花守を倒してごらん!」
「花守? 番人がいるのね!」
「やっつけなきゃ!」
 挑発が蝙蝠の乙女達を惹きつける様に斧の城塞騎士・フラン(c00997)も笑み、可憐な菫の花々とその香り溢れる数多の花売り舟の合間を己がゴンドラですり抜ける。
「ピュアリィに追われてるんだ、悪いが道を空けてくれ!」
「誰もいない処まで誘き出すから、安心して」
 続けてやはり己が舟の櫂を取った皎漣・コヒーレント(c12616)が声を掛けたなら、事態を把握した花売り舟やそこに集う客を乗せたゴンドラがすぐさま運河の両岸へ寄ってくれた。即座に加速すれば菫の宵に燈るあかりが光の帯の如く棚引きだす。
「あなた達にあげる花なんてないわ! 私達が立ってる間は菫には指一本触れさせない!」
 水面を飛ぶように翔けだしたフランの舟で声を張るのはアップルバスカー・マニート(c13989)、
「勝負よ、ついてらっしゃい!」
 舌噛むなよと笑み混じりに届いたフランの声に頷き、ひらひら手を振りあっかんべえとしてやれば、
「あの女生意気!」
「生意気だわ!」
 翼で宵空翔ける乙女達が力ある歌声を響かせた。空と水の狭間を一気に花が満たし焔が迸れば、その熱に煽られたように力を増した誘惑の歌がマニートとフランの心を揺らし闘志を鈍らせる。移動と同時の遠距離攻撃が可能なのが飛翔する者の強みだ。
 挑発は皆のそれを参考に、と考えていた漆黒ノ竜・リューウェン(c02487)が、コヒーレントの舟で大真面目に考え込んだ。
「流石マニート殿……俺にあの挑発は難易度が高いだろうか」
「リューウェン、こう言ってやれ!」
 逡巡したところに届くのは何処か愉しげな砂鷲の魔想紋章士・ナルセイン(cn0172)の声。続けて入れ知恵された台詞にリューウェンは吹きかけたが、背に腹は代えられない。
「菫の花は貴殿らのように品のない女性でなく、真珠の如く可憐な女性にこそ似合うものだ……!」
「な、なんですってー!?」
 頬を赤らめつつ何度か詰まりながら挑発すれば、乙女の歌声が響くと同時に水面が大きく波打ち、砕けた波濤の飛沫とともに強烈な風が吹き寄せた。
 だが反撃は彼女らを花市から充分に引き離してから。
「安心してよなるるん、私は戦闘以外は超不器用だけど、ゴンドラ操舵だけは例外だから!」
「ああ、頼りにしてる!」
 今宵の乗客に強気な笑みを披露し、花紺青・ユウ(c01588)も舟の櫂を繰り荒れた水面を翔ける。大波に舳先を乗り上げればこのまま空まで翔けていけそうな心地。
「私達を倒せるものなら倒してみるといいよ。悔しかったらついてくれば?」
 高揚のまま満面に咲かせた笑みで挑発し、期待の眼差し向ければナルセインも強気に笑み返す。
 自信たっぷりに空を仰いだ男は、
「あんた達が勝てば菫の花だけじゃなく――俺も含め、ここにいる男みんなくれてやるぜ!」
「本当!?」
「ちょ、ナルセイン!」
「ナルセイン殿、それは……!」
 思いきり敵を煽ってコヒーレントとリューウェンを動揺させた。
「成程、スーパーグレートだ」
「やっぱりルセはずるいんだよ……!」
 誘惑の歌が男性陣に降りそそぐ様に色々得心しつつ、花も男も欲しけりゃ早く追いかけておいでと更にカラがハーピー達を煽れば、ちょっぴり憤然としたヴリーズィの舟が花市の外へ飛び出した。
 後は広々とした運河をまっすぐ翔け、誰もいない水面を目指すだけ。
 菫の香はあっという間に遠ざかり、夜気混じりの水の香のみを含んだ風が吹きつける。自分で櫂を繰るのとは異なる風の感触にリューウェンは瞳を細めた。暁色の娘もこんな心地だったのだろうかと思い起こすのは、桃色ペリカンを追って己が舟で水面を翔けた昨年の春。
「花を手にしたければ、広い処まで競争だよ」
 乗客の様子にコヒーレントも微かに笑んで、空から追ってくる乙女達を仰いで更に舟を加速させる。菫の香も舟達のあかりも街あかりも遠い、湖の如く広々とした水面で皆と舟を揃えて停めたなら、
「ふふん、よくここまで追ってきたな! 花が欲しくば見事我らを倒すがいい!!」
「きゃー!!??」
 蝶めく両刃斧を揮ったフランが、ここまで溜めた鬱屈すべてを晴らすように怒涛の如き気刃の嵐を空へ噴きあげた。闘志の鈍りも感じさせぬ嵐が二度の波濤となってハーピー二体を呑めば、穂先に白銀の流紋奔るカラの槍から馳せた麒麟の角が気刃で翼をずたずたにされた乙女の脇腹を貫き、
「痛ぁい! んもう、こんなのやってらんないー!!」
 あっという間に一体を撃退する。
「さ、この調子でどんどん行くよ!」
「承知!」
 続けて空へ翔けあがったのはリューウェンの戦闘光輪、風薙ぐ彼の手の動きに併せ分裂した光の輪は乙女達のこめかみを掠め彼の狙い通り制約を刻んだが、
「じゃ、一人ずつ落とせばいいのよ!」
「花も男もお持ち帰りね!」
 たちまち響き渡った歌に彼の警戒心が薄れた瞬間、即興の歌で生まれた焔が水面を舐め、重なる歌が幾重もの疾風と大きく揺るがせた水面の波濤でリューウェンに襲いかかった。
「こっちだって防御なんかさせないよ!」
「待って、火力重視で速攻撃退を目指したほうがいいと思うの……!」
 妖精を放ったヴリーズィの声より速く、力を溜めながら揮ったユウの大剣から生み出された竜巻が蝙蝠の乙女を縛る。宵に淡い光の螺旋描くヴリーズィの妖精の粉が乙女達へと強力な眠りの魔法を掛けたなら、
「花も男も今日はいい……おうち帰る〜」
 眠気で墜落しかけた一体が目をこすりつつ逃げ去った。
 だが、
「操船よりも攻撃を優先したほうがいいのかな」
「ちょっと花で痛い思いを……ってのじゃ足りないかしら!」
 転覆するほどの波ではないと判断したコヒーレントが描いた紋章から広がる狂気は残る乙女達に呪詛を刻んで、マニートが大きく開花させた南国の夏花から連射された種子弾が皮膜の翼を貫くが、ハーピー達を撃退するには及ばない。
 敵が此方をなめている間に痛打を浴びせろ――というのが情報屋の言だった。
 状態異常狙いや威力の軽い攻撃で時間をかければ、撃退する前に相手を本気にさせてしまう。
「こうなったらその舟で対決よ!」
「させるか!!」
「どの舟もタダ乗りはごめんだよ!」
 冒険商人が紋章がリューウェンを癒す様を視界の端に捉えつつ、フランとカラが急降下してくる敵を其々の舟から迎え撃つ。数多の気刃が乗船を許すいとまを与えず一体を退けたが、
「遠目より間近で見たほうがいい男……!」
 残る一体は麒麟の蹄を喰らいつつも、吐息が触れんばかりの距離でコヒーレントの眼前に降りた。
「コヒさん!」
「コヒー!!」
 即座に宵を裂いたのはユウが招来した光の雨の如き数多の剣、眩い光が二度爆ぜた次の瞬間、ヴリーズィの妖精が眠りの粉を振りまいたが、飛翔していた敵が降りれば与えられる痛手も減る。
 だが、乙女の唇が歌を紡ぎだすよりコヒーレントが速かった。
 敵を突き放すようにして左の指先で紋章を描きだせば、彼と乙女の間に忽然と鳩の群れが溢れ、妖しく輝く鏡が生まれくる。悲鳴をあげたハーピーはそれでも誘惑の歌を響かせたが、
「――!」
 彼がそれを堪えきったなら、鏡の輝きが力を反射した。
「きょ、今日のところは勘弁してあげるんだからー!」
 真っ向から反撃を浴びた乙女が宵空に消えゆく姿を見遣れば、知らずコヒーレントの口から吐息が零れ落ちる。
「……今のは流石に、驚いたね」

●宵夢紀行のカナル・ヴィオレッタ
 甘やかに潤む菫色が空も水も染める世界で、硝子のマグカップに熱い残照の滴が注がれる。
 花売り舟のひとつで買い求めた紅茶に落とすのは、菫色揺れる水面をぎゅっと凝縮させたみたいな菫のコンフィチュール。深層の姫君思わす高貴な香りが紅茶の熱で華やかに咲いたなら、皆揃って綻ばせた笑顔でお疲れ様と杯を掲げた。
 夕暮れに宵が蕩ける茶を飲めば、ユウの身体の芯からも熱と花の香咲く心地。
「いい香り。このあったかい雰囲気というか空気でいっそう紅茶が美味しいよね」
「ほんとよね。幸せ」
 温かに咲く香りに頬を緩めたマニートが次いでぽつりと零せば、
「冬に買った菫砂糖も、きっとこんな風に良い香りのお菓子になるはずだったのよね……」
「どんな風になったのさ」
「俺も是非お聴きしたく」
「そ、その話はまた今度ね……!」
 悪戯っぽく瞳を煌かせたカラと神妙な顔つきで頷いたリューウェンが興味を示す。遠慮なく爆笑する冒険商人に釣られて小さく吹きだし、考えたんだけど、とカラは彼を見上げて告げた。
「名の響きが好きだから、これからもあんたをナルセインと呼びたい」
 愛称の親しさを込めてそう呼ぶことを許してくれる?
「勿論。あんたが考えて選んでくれたのが極上だ」
 訊けば嬉しげに男が笑ったから、ほっと息をついてカラも杯を口に運ぶ。
 凛と冷えこむ宵風にひんやり香る菫の香りも、熱い紅茶で華やかに咲き誇る菫の香りも心を歓びで染めてくれる。
「……春が溢れ出す先触れみたいだ」
「ああ、春がくるまであと少しだね」
 柔らかにカラが吐息を洩らす様にゆるりと笑み深め、コヒーレントも優しい熱と香りに眦を緩めれば、温かな硝子のマグを掌で包み込んだフランが、緩く目蓋を伏せて吐息で笑んだ。
「ふふ、もう充分春だとも」
 心に身体に満ちていく、幸せと春花の香。
 甘やかなのに仄かに青く、ひんやり奥深い菫の香も、熱い紅茶で八重の花の如くふくよかに咲く。陶然と吐息を零し、ひときわ優しげな皆の表情を見回せば、ヴリーズィにも優しい笑みが咲いた。
「花って不思議だね」
 見目だけでなく香りでも、ひとを幸せにしてくれる。

「――じゃあ、皆も良い一日を」
 菫に染まる世界に大切なひとの姿を見出せば、コヒーレントは皆へ微笑して紅茶の舟を後にした。
 花市の主役は勿論菫の花、紡ぐゆびさき・リラ(c14504)が夢見た変わり種の硝子のマグカップは見つからなかったけれど、硝子の杯でふんわり花を咲かせる、淡く透ける白花の芯にほんのり翠が燈る菫に出逢えば、二人見合わせた顔にも笑みが燈った。
「ね、菫のコンフィチュールも手に入るなら」
 春の日向で花を抱えて、お茶にしましょう?
「それはとても――素敵だね」
 以前よりもずっと近くで囁く声にコヒーレントの目元が和む。
 特別なこの距離も、貴女の手の中で咲く花も、大切に愛おしんでいこう。
「そういえばセインさんは菫買わないのね」
「世話してやる余裕がないんでね」
「なんだ、ナルセインが買う菫を見たかったのに」
 私は夜色の菫が欲しいの、と幾つもの花売り舟を見回すマニートに、私は鮮やかな紫がいいな、と微笑してフランも出逢いを求める旅に出る。
 紫の花弁をふわふわと八重に咲かせた菫にめぐり逢えば、愛おしげに硝子を撫でてお買い上げ。
 ――夜が菫みたいに思えたなら、夜が怖くて堪らなくなることもないと思うの。
 独白のように呟き、夜色咲く菫を手にしたマニートは、同じ色の髪の男を見上げて小首を傾げた。
「夜をセインさんだと思えば怖くないかしら」
「一度試してみるのをお勧めするね」
 問われた男が面白がるように笑う。
「この菫欲しい……!」
 空色の花の芯から白の光咲く菫に出逢ったユウはもう夢中。
 飾れば殺風景な私の部屋も少しはマシになるかなと弾む彼女の声に微笑し、俺もツリーハウスに花を飾りたいのだが、とリューウェンは冒険商人を振り返った。
「そのうち食器棚か飾り棚もお願いしたいが、良ければここでも目利きをお願いしても?」
 花の目利きは不慣れだが、俺の感性でいいならと笑った男は、真珠や淡桃色の菫で迷った末に、深い紅の菫を選び出す。
「あんたの瞳の色だ」
 誰かさんもきっと歓ぶさ、と続けられた彼の言葉が面映ゆく、けれど胸に幸せをも燈した。
 春萌す菫の香がいつになく自分を素直にしてくれる。
 気負いなく誘った相手が舟に乗りこめば、ヴリーズィは菫色の水面に舟を滑らせ数多の花売り舟の合間を渡る。様々な花の彩を見つけるたびに胸を弾ませて、短い水の旅の終わりに出逢ったのは、冴ゆる藍色の菫と、白花の芯に桃色が燈る菫。
 二つに惹かれるのは我儘かなと思いつつ、今宵の乗客に言葉を向けた。
「両方買って片方ルセにあげる」
 ――どちらがいいか、教えて?
 あんたは少し自分の希望を押しつける癖があるな、と冒険商人は囁いた。彼が菫を買わないのは物理的に世話が難しいからだ。
「けど、あんたがこの菫を預かって世話してくれるなら――歓んで」
 一拍置いて瞳を緩め、男は藍色の菫に触れる。

 菫の水面に柔らかな澪を描いて漕ぎ寄せた舟の名は笹葉丸。
 自然な所作で乗り込んだカラを迎え入れれば櫂の手応えすら愛おしく、見遣ればやはり愛おしげな眼差しで世界を見遣る彼女の横顔に、蜻蛉・セイイチロウ(c08752)は胸に温もり燈して笑う。
「溢れる想いが景色を染めても――もう、困りませんか?」
「うん、困らない」
 何の気負いもなく頷けば、カラの胸にも温かな光の泉が湧いた。
 水上の花市には数多の彩咲けど、迷わず選びとったのは宵空咲かせた紫の匂菫。
 心へ鮮やかに刻まれた、世界の色。
 漕ぎ手を見れば何時の間にかその手には藍色の匂菫が咲いていた。カラの視線に気づけば彼は、泡沫のうちからひそり咲いたような菫を抱いて願いを告げる。
「あなたの窓辺に白壁に、共に、育んでくださいますか」
 考えるまでもなく和らいだ目元と溢れた笑みが彼への答え。

 宵紫と藍の菫は紙粘土細工にも似た白壁に映え、めぐる春のたび零れた種は乾いた地面を旅して――いつかきっと、見知らぬ場所まで辿りつくね。



マスター:藍鳶カナン 紹介ページ
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いまいち
参加者:7人
作成日:2014/03/08
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