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氷の眩暈

<オープニング>

●氷の眩暈
 春緑の草原にそよぐ苺やオレンジ色のポピーの花、風も輝かせる夏陽を透かす木漏れ日の煌き、深い緑の湖面を華やかに染め上げる紅葉の舞、蒼氷の湖から一斉に飛び立つ白鳥の群れ。
 私の瞳をまっすぐ見つめて語る彼の言葉が、台本に綴られた文字から思い描くよりずっと鮮やかな色彩を奔流のように私の中へ流し込む。
 私の中の氷の鏡がめまぐるしくも鮮やかに彼の世界を映しだす。
「これ以上何を求めるの、私はあなたの描くものすべてを映したのに」
「映すだけじゃ足りないんだスティーリア。僕は、君自身の色が欲しい」
 求められれば眩暈のような感覚に呑み込まれそうになる。
 けれど、私自身の色なんて何処にあるのかわからない。
 私の中にあるのは透明な氷の鏡だけ。
 お願い――もう、溶かさないで。

 あらゆる娯楽が花咲き妍を競う、山斬烈槍ランスブルグは第二階層・鉄壁街。
 中でも特筆すべきは劇場の数で、その数多の劇場を観客の熱狂と拍手で満たして、絢爛たる才を競う役者達も星の数ほど。
 その中で近年台頭のきざしを見せ始めた若手女優のひとり――それがスティーリアだ。
 何物にも染まらぬ透明感を持ち、普段は『たおやかに流れる水のよう』と称される彼女は、ひとたび役に入ればその役柄を鮮やかに演じきって見せた。素顔ならひたすら柔らかな微笑を浮かべたまま感情の起伏ひとつも見せぬのに、役に入れば大軍を率い敢然と馬で戦場を駆ける勇ましき女王から燃えるような恋の果てに狂気に冒されてゆく娼婦まで、あらゆる役を鮮明に舞台へ映しだす。
 そんな彼女は、ある種の脚本家や演出家には喉から手が出るほど欲しい人材だった。
 ある種のとは――役者達を『自分の世界を再現するための駒』としか見ない脚本家や演出家だ。
 透明感、たおやかに流れる水と称されるほどに自分自身の色がなく、それゆえ脚本家や演出家の望みを完璧に映して体現するスティーリアは、役者を駒として扱う彼らからすれば理想的な女優で、それゆえ重宝されて少しずつ名も売れてきた。
 脚本家や演出家の理想と望みをあますことなく舞台へ映しだすこと、それがスティーリアにとっては『演じる』ということだった。
 次の舞台で、彼に出逢うまでは。

 若き脚本家ルーセントの要望はスティーリアを困惑させ、翻弄した。
 自ら演出にも携わる彼の手法は、役者達自身の色や役柄への解釈を色濃く舞台へ反映させ、皆で物語を創りあげるというものだ。
 映すことしか識らぬスティーリアの裡から彼女自身の色を引き出さんと、彼は熱心にスティーリアの稽古に付き合った。何度も、何度もまっすぐ瞳を見つめて彼が語るたび、スティーリアは酩酊にも似た眩暈に呑まれそうになる。
 やめて。
 私の中にあるのは水じゃない、氷の鏡なの。
 感情に波立つことなくつるりと滑らかで、己自身の色がないからこそ外を鮮やかに映せる鏡なの。
 この氷の鏡がなければ私は女優ではいられない。
 なのにどうして、あなたに見つめられるたび、あなたの言葉を聴くたびに氷が震えるの。
 氷の鏡が溶けだしてしまう。溶けだしたなら流れる水でなめらかな鏡面がとろりと揺らいで震えて、映しだすものを歪めてしまう。私は何も、何も演じられなくなってしまう。
 お願い――もう、溶かさないで。
 揺らさ、ないで。

●さきがけ
 終焉を視た男が語る光景は、冴え冴えとした蒼の世界だった。
 月と星のかそけき光が降る夜の舞台は、闘技場も兼ねた円形劇場。
 蒼硝子と銀色の更紗で氷の世界を創りだされた舞台で、たおやかな手から刃のごとき氷と焔を現す仮面の女が男の命を奪う。
 ――演技の相談をしたいの。
 深夜の舞台へ脚本家ルーセントをそう呼び出して、棘の力を得たスティーリアが彼を殺すのだ。
 彼がいれば私は女優ではいられなくなる――そんな想いに怯えて恐れて、スティーリアは棘に手を伸ばした。
 己が感じた眩暈の、ほんとうの名を識らぬまま。
「その眩暈が何なのか気づいていれば、恐らくは違った展開が待っていたろうにな」
 微かな苦みを含んだ蒸留酒の杯を傾けて、砂鷲の魔想紋章士・ナルセイン(cn0172)が呟く言葉が夜の酒場に溶けた。最早スティーリアは完全に棘に呑まれ、元の彼女には戻れない。
 出来ることは、彼女が彼を殺める終焉を覆し、彼女自身に終わりを与えることだけ。
「今から向かえば舞台で彼を待つスティーリアと戦える」
 そこで終わらせられるなら、ある意味彼女も本望だろうさ。瞳を伏せたナルセインが淡く笑んだ。
 この命尽きるまで、舞台の上に。
 ――それこそ星の数ほどの役者達が、切に願ったとおりに。

「脚本家に説明してる暇はない。が、気絶させて宿の一室に寝かせておくくらいなら何とかなるさ」
 彼の足止めは俺の方でどうにかすると告げたナルセインは、あんた達は直接劇場に向かってくれと続けた。深夜の誰もいない円形劇場の舞台で、スティーリアはただひとりで待っている。
「他の役者やスタッフには『独りで稽古したいから邪魔しないで』って言ってあるらしいな。つまり誰に邪魔されることもない。存分に戦ってくれ」
 棘の力を得たスティーリアの武器は、手から現す刃のごとき氷と焔。
 氷剣と炎剣の力を操り、そして変幻する世界を鮮烈に映しだす即興曲を歌いあげる。
「一番強力なのは――歌だろうな。そして、あんた達との戦いとなれば配下を召喚するはずだ」
 氷の一角獣の姿をしたそれは、星霊グランスティードを思わす力で主を援護するだろう。
 手強い相手だが、あんた達なら何とかなるはずだ、と男は同胞達を見回した。
「さあ御照覧、深夜の円形劇場で氷の眩暈に呑まれた女の舞台の幕が開く」
 だが、と続けてナルセインは挑むような笑みを覗かせ、こう締めくくる。

 ――そこから先は、彼女じゃなくあんた達の舞台だ。


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参加者
奏燿花・ルィン(c01263)
魔剣・アモン(c02234)
陽凰姫・ゼルディア(c07051)
冰霄・セラ(c07574)
勿忘草・ヴリーズィ(c10269)
銀翅・サリエラ(c18146)
冱てる音吐・フォシーユ(c23031)
匂紫・シンティア(c33870)

<リプレイ>

●蒼の眩暈
 緞帳の陰でからくも惨劇を生き延びた身は今でも舞台袖に向かおうとすれば足が竦む。それゆえ銀翅・サリエラ(c18146)は客席へと続く通路を進んだ。闇も、この先で演じられるだろう剣戟の音も、胸奥に凍える鉛にも似た怖れを生む。
 けれど――失われると識った上で見過ごすことは、何よりも怖かった。
 闇の通路はさながら産道。仄蒼く射すひかりを目指し昏い通路を抜ければ、冰霄・セラ(c07574)の眼前に冴え冴えとした蒼の世界が広がった。月星の光降る円形劇場の底には凛と煌く蒼硝子と雪を思わす銀色更紗で創られた氷の世界。凍れる世界とそれを体現するよう佇む娘、スティーリアの姿を観客の瞳で見下ろせば、セラの視界の隅で華やかな彩が翻った。
 さあ、俺達で彼女の最期の舞台に彩り添えようか。
 揚々たる奏燿花・ルィン(c01263)の足取りが階段状の客席を花道へと変える。
 羽織る着物に夜風孕ませ客席と舞台の境界ひらりと越えた男は、優雅な所作で一礼してみせた。
「お手をどうぞ、お嬢さん。――なんてな」
「あなた、誰? ルーセントは……?」
 甘い蜜の笑みと仕草に警戒を溶かされ、彼に誘われるまま鏡の娘がその手を取った、瞬間。
「ごきげんようスティーリア。……貴方の待ち人は、来ないよ」
「どういうこと!?」
 上手の舞台袖から掛けられた勿忘草・ヴリーズィ(c10269)の言葉に彼女の声が強張った。
 今夜はわたし達が共演者。
 稽古をしよう? と蜜の甘さを乗せ手を差し伸べるが、いかな蜜の術とて、先の怪しまれて然るべき言葉で強く警戒した相手を誘える程の力はない。反射的に後退った娘の肩口にただびとには視えぬ仮面が現れ、両手に刃のごとき氷と焔が顕現すれば、下手舞台袖から蒼の世界へ足を踏み入れた匂紫・シンティア(c33870)の胸裡を戦慄にも恍惚にも似た何かがぞくりと撫であげる。
 怖れを越えて手を伸ばした者だけが、胸の芯に燈った焔の名を識るだろう。
「さあ歌おう、氷を纏う女王。取り繕おうとも奥で燻る炎は消せない」
 ――私が、そうだったから。
「あなた、たちは……?」
「僕たちは――」
 階段状の客席を降りつつ、冱てる音吐・フォシーユ(c23031)は伏せていた眼差しをゆっくり上げた。白いブーツの爪先で蒼硝子に触れて、高い金の踵をかつりと鳴らす。客席と舞台の境界を越えればそこは氷の世界。終焉を砕く者としての使命と伎芸を持つ者への敬意を矛盾することなく胸に抱き、冱てる刃をすらりと抜き放つ。
「――エンドブレイカー」
「そう……。そういう、ことなのね」
 冷たい煌きにスティーリアがすべてを察した刹那、虚空より忽然と現れた氷の一角獣が蒼の世界に降り立った。だが氷の蹄が硝子を蹴立てるより速く、星鱗鏤める薄瑠璃の紗が硝子の氷上に舞う。
 客席から跳んだセラが蒼き氷塊を蹴ったと見えた次の瞬間、夜風より鮮やかに懐へ飛び込まれた鏡の娘が少女に投げ飛ばされた。主と引き離された一角獣の正面へ回り込み、氷の獣に挑むのは魔剣・アモン(c02234)、
「棘に歪められた世界を、破壊する!」
 氷の鏡が彼の世界でなく彼自身を映しだせたならと思いはすれど、それではやはりスティーリアは女優たりえない。幸福への導を見出せぬ苦悶は高速詠唱に乗せ、漆黒の刃から噴きあげた火炎の斬撃を叩き込む。
 氷の一角獣を透かし、硝子の舞台をもきらめかす焔の耀き。
 眩い刹那の煌きを馳せたヴリーズィの手には蜜の彩に淡青の妖精の煌き融かした扇、瞬時に鏡の娘へ距離を詰め、その胸に虚無を刻めば、視界の隅に月が生まれた。
「希代の名女優たる貴女の最後の舞台に、色を添えさせて」
 蒼の世界を斬り裂いた陽凰姫・ゼルディア(c07051)の月の刃から魔力が迸れば、銀色更紗の雪を星雲の如く煌かせた月光が鏡の娘へ向かう。黄金の光が舞台を染めた瞬間、ゼルディアの眼差しと憂いに瞳を揺らした娘のそれが重なった。
「このままじゃ……名女優になんて、なれない」

●氷の眩暈
 境遇こそ違えど、溶かされる感覚には覚えがある。
 胸裡の氷は心の鎧にして、時の流れごと変化を凍りつかせるもの。
 それゆえ氷の溶け始めは、信じ続けていた自分が別人になっていくような恐怖感をセラに齎した。溶かされれば己を見失ってしまいそうで、温かなものを遠ざけ続けたその結果。
「この手の中には、何も残らなかった」
 ――けれど。
 独白めいた言の葉零した少女が靭やかに閃かせた腕がスティーリアの鳩尾を捉えると同時、その掌から眩い気が注がれ大きく爆ぜた。今のセラの掌中には光があるのだと察して、眦を緩めながらもヴリーズィは鋭く狙い定めた妖精の矢を放つ。
 胸を穿たれた鏡の娘の唇から、悲鳴ではなく歌が迸った。
 円形劇場が生みだす歌声の反響に導かれるよう、蒼硝子の氷が裂けて砕けて迫りあがる。続けて吹雪の雪片が迸る様がフォシーユの胸を鮮烈に震わせた。心へ描きだされた光景は、蒼氷の湖から一斉に飛び立つ白鳥の群れ。
 こんな風に――彼女の舞台を、見てみたかった。
 直撃を受けたセラを追撃せんと力強く嘶いた一角獣が蒼硝子を蹴りつけるも、大きな氷柱にも似た角に己が脇腹を貫かせる形でアモンがその吶喊を食い止める。
「行かせはしない!」
「今夜の舞台にその嘶きは無粋だぜ?」
 即座に閃いたのは儀式魔法陣の輝き、ルィンの斬撃と同時に展開された破魔の陣が嘶きの余韻を霧散させた瞬間、一角獣の角よりも鋭いフォシーユの氷柱群が降り注いだ。氷に形作られた後脚を更に凍結させられた獣が前脚を振りあげんとするが、微かな子守唄が暴れ馬を宥めるよう染み渡る。
 だが歌声とは裏腹に、サリエラの眼差しは氷の一角獣を強く射抜いた。
「奔馬のための子守り唄じゃあ、ないのよ」
 真に対峙すべき相手はスティーリア。
 透徹な獣も鏡の娘も彼女を抑える仲間達の姿も捉え、己が舞台を亡くした娘は再び唄を紡ぎだす。戦いへの震えは、お守り代わりのナイフを握りしめることで押さえつけた。
 徹底した分断と虚無や麻痺の縛め、それらに阻まれ主との間に効果的な連携を生みだせぬまま、集中打を浴び続けた一角獣に罅が奔る。ゼルディアの月光が氷の躯を貫き無数の罅が強く煌けば、漆黒の刃で頭上に円を描いたアモンが戦闘光輪を召喚した。
 光の環が獣に触れた刹那に感じた、確かな手応え。
「――爆ぜろ!」
 鮮烈な光と爆発が氷の一角獣もその仮面も何もかもを粉砕する。
「やめて……!!」
 大きく反響した爆発音と破砕音を掻き消すようにスティーリアの絶叫が迸った。その悲痛な響きはまるで己が鏡の一部を割られたかのよう。
 割れた氷の音も虚無も払いのけんとする氷の斬撃をヴリーズィがその身で受けとめる。
 咲いた氷と血の華の上に扇でふわり花舞わせ、風雅な月光の中なおも血を溢れさせる傷の痛みを感じさせぬように微笑んだ。ひとたび舞台に立てば己も女優、かつて歌劇女優の夢ごと凍らせていた心は優しく溶けだして、夢も花開いたから――わたしは氷の世界も、それを越えた春も識っている。
「――怖くなったんだね」
 安寧のまま凍らせていた鏡が割れれば、自分も相手もすべてを壊してしまいそうで。
「わからない……あなたが何を言っているのか、解らないわ!」
「わからない、か」
 勿忘草の娘の言葉にかぶりを振る鏡の娘。その様がシンティアの胸に疼きを呼んだ。
 彼女が名も知らぬまま抑えこむ眩暈の本質を痛いほどに識っている。
 目も眩まんばかりに燃えあがり、己を灼きつくし灰となっても燻り続ける、
 ――恋心。
 眩暈の名を告げることなくシンティアは、熾火が鮮やかに目覚めるのにも似た激情を誘惑の調べに乗せた。

●水の眩暈
 揺らさないでと心が叫ぶ。
 鏡の娘が幾度も紡ぐ歌より何より、声にならぬその叫びがゼルディアの心に共鳴する。
 技量を磨きあげた者なら相手の望むまま演じるのは容易いことだと己も肌で識る。けれどその先、自分の本当を表そうとすれば、技巧の難度より怖れが厚い氷の壁となって立ち塞がる。
 技の研鑽はゼルディアにとっては呼吸も同じ、なのに氷を溶かす勇気に手を伸ばせば怯えが喉を詰まらせる。
 怖いの。
 ――ほんとうの、わたしを、あらわせば。
 求められるまま応え、飾って魅せて得た皆の笑顔が、裏返ってしまうかもしれない。
「けれど私は、諦めたくない……!」
 叶うなら貴女とも一緒に、勇気に手を伸ばしたかった。
 迸る声は潤みがかっても、その剣が描く月は鮮烈な黄金の輝きを生む。響いた声に誘われるよう溢れだした鏡の娘の歌が狂おしいばかりに鮮やかな花々を咲き乱れさせた。それらは月光の眩惑に散ったけれど、その鮮やかさのままに疾風が吹き荒れる。
 今の歌のように、彼女がすべてを曝けだせていたなら。
 不意に浮かんだ思いに、他人事ではないなとシンティアは笑みに自嘲を滲ませた。歌舞音曲を糧に生きるこの身は、たとえ焔の名を識っても舞台上でしか巧く踊れない。
「……どうにも不器用だね」
「生きるのには不器用なのかもね、私たち」
 戦場たる舞台を見据えたままサリエラも苦く笑う。
 胸に蘇るのはこの身で魅せ、望まれるままにも魅せた舞台での日々。そして――。
 不器用な誰彼をも後押しするよう、勇気の熱を孕んだシンティアの戦歌が豊かに広がれば、なおも足りぬ力をサリエラの凱歌が凛然たる誓いを重ねて押し上げた。終焉を砕く刃のひとつとなれるなら、最後の一音まで歌い切る。
 数多の色と唄に彩られ、戦いという名の歌劇が加速する。
 鏡の娘が焔を揮えば蒼硝子の舞台から噴きあがるのは巨大な火柱、だが灼熱の焔に呑まれても怯まずに、セラは視界をも灼きつくさんとする噴煙の中へ身を躍らせた。
 冰の霄を抱くこの身も心も、もう温もりを怖れない。
 喪失を経てから自ら氷を溶かし始めた少女は噴煙の中で鏡の娘を捉えた刹那、力任せの、けれど流れるような体術で彼女を投げ落とした。
 濃い術力帯びた煙が晴れる。即座に跳ね起きんとした鏡の娘を手助けするよう手を伸べ、ルィンはそのまま細い腰を抱き寄せる。
 舞台で望まれれば本能的に、氷の鏡抱く娘は彼が思い描いた姿をその身に映した。
 凍てつき揺るがぬ氷の瞳、けれど優艶に笑む唇から零れる甘やかな吐息は焔のように熱く――。
 けれど、焔の刃を揮わんとした華奢な手首を捻りあげ、ルィンは彼女の瞳を覗いて笑んだ。
「ひとりの女優としては最高でも、ひとりのオンナとしては不器用だったんだな」
 胸に燈った焔に溶かされ始めた氷はもう元には戻れない。
 揺らぎを隠せぬ氷の瞳。色こそ違えど、よく似た瞳を識っている。
 難解な歌舞はすんなり物にしてみせるのに、自身の想いを表すのには不器用な、
「――ゼルディア!」
 手首を捻ったまま身を入れ替えるよう零距離射撃を叩き込めば、開かれた射線をゼルディアの声と月光が翔けぬけた。
 己を揺らがす何かの正体を難なく理解できるひとなんてそういない。
 解らないからこそ怖くて難しくて、けれど。
「時に水のように、時に氷のようにで良かったじゃない」
 在るがまま手を伸ばせばいつかすべてが手に入ったろう。今その手に、氷も焔も抱くように。
 一瞬祈るように目蓋を伏せて、フォシーユは舞台を馳せた。
 月光の軌跡映す蒼硝子に金の踵が躍る。冱てる刃に小さな星を躍らせ、光の路を一気に翔ける。
 ひととひとの関わりは儘ならないもの、心を凍らせたままならきっと自分も、悲しみや嘆きを識らずにいられただろうけど。
「でも、水鏡も悪くないよ」
「――!!」
 彼女の瞳が見開かれると同時、魔力を高められた氷刃の刺突が極限まで凝った凍気を破砕した。
 まるで、厚い氷の壁を破るかのように。

●光の眩暈
 斬撃に咲く氷華、噴きあがる焔。
 氷も焔も間近で浴びれば前髪から雫が滴り落ちた。
 濡れた淡金をかきあげれば遣る瀬無さを湛えた菩提樹緑の瞳が覗く。
 彼女の揺らぎが切なく胸に沁みるけど、この歌劇に終幕を迎えるためにフォシーユも即興歌を己が唇に乗せた。表現力では役者に敵わずとも、今夜の舞台に描いてみたいものがある。
 蒼の世界に満ちるのは祈りの調べ。
 迸る焔、翔ける風、乱れ咲く花。
 明るい陽光透かす葡萄葉の緑、風に木漏れ日揺らす菩提樹の梢に陽色の小花が咲き溢れ――。
「眩しいな」
 大聖堂を満たす聖歌隊のそれを思わす歌声にそんな情景が視えた気がして、瞳を細めたルィンは焔に黒漆艶めく銃を鏡の娘へつきつけた。焔の熱も紫煙の輝きに変え、
「あんたの揺らぎを喰らったその棘、渡してもらうぜ」
 幾つもの銃声連ねれば、娘の仮面に亀裂が奔る。
 さあ、終わりへ向けて加速しようか。
 胸の芯に燈った焔はどう足掻いても殺せないから。
「いつか私も貴方と同じところへ行く。その時は存分に語り合おう」
 唇の代わりに指先で手首の銀に触れ、シンティアは灰の中からでも幾度も蘇る情念の焔すべてを力ある歌声に変えて、思うさま世界を満たす。
 深淵に触れるような想いは抱かずとも、せめて彼女の心だけでも救いたいと願うのはアモンも同じ。
「そろそろ幕引きといこうか」
「そうだね。……閉幕の時間だよ、スティーリア」
 輝ける彼の戦闘光輪の舞に重ね、空と花の柔波重ねた衣装を翻したヴリーズィが澄んだ空色煌く妖精の矢を撃ち込んだ。貫かれた仮面いっぱいに広がる罅。
「きっと、素直になってよかったんだよ」
「どういう、こと……?」
 知らず濡れた瞳で見つめれば、鏡の娘の瞳が揺れる。
「惑い揺らぐ心のままに語って唄って振舞って、よかったのだと」
 彼が引き出したかったのはきっとそんな姿なのでしょう、とセラが言を継いだ。
 ――揺らぎながらも舞台に立つ今の貴女は、とても美しいから。
 観客の瞳でセラが語ったから、その言葉は素直に彼女へ届いた。
「そう……。そういう、ことなのね」
 序幕に冷たく響いた台詞が暖かに響く。
 氷解。
 きっと今こそ、この言葉を使うのだろう。
 自ら溶かした氷は波立つこともあるけれど、様々な色と光を映してセラの世界を広げてくれた。
 かつて何も残らなかったこの手に、今は万色重ねた光がある。
 そっとスティーリアに触れたセラの掌から注がれた眩い気が、今夜の歌劇に幕を下ろした。

 眩暈の名は識らぬまま、けれど鏡の娘は光に満たされたような顔で永遠の眠りについた。
 芸術振興協会長の地位に就くヴリーズィが少しばかり手を尽くせば、彼女の名前は傷つくことなく、美しいままこの都市に残るだろう。
 もっと遣り切れない想いで彼女に贈るだろうと思っていた最後の舞台化粧を、ゼルディアは切なさを抱きながらも柔らかな眼差しのままに施し終えた。
「……お疲れ様」
「舞台の真ん中に」
 連れていってあげましょう、と紡がれたサリエラの言葉がふうわり反響する。
 蒼硝子と銀色更紗、そして光の中心で眠る舞台女優。
 セラが瞳に焼きつけた舞台の、それが最後の光景となった。



マスター:藍鳶カナン 紹介ページ
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いまいち
参加者:8人
作成日:2014/07/02
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