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菊花の褥

<オープニング>

●菊花の褥
「……ああ、なんだって此の世はこんなに退屈なんだ……」
 陽に透ければ金にも見える、緩く波打つ薄茶の髪をくるくると己が指先で弄びながら、社殿の床に寝そべっていた男はふわぁと暢気にあくびをした。
 退屈だなんて、若様の意地悪、と拗ねたように唇を尖らせた女が、肌蹴られたままの彼の胸に軽く爪を立てる。名残の熱を帯びた身を起こした女はしどけなく乱れた巫女装束を手早く整えて、やはり熱に潤んだままの瞳で男を見遣った。
「わたくし、そろそろ行かなくては。……ねぇ若様、次はいつ会ってくださる?」
「私の気が向いたら、かな」
「……もう!」
 神楽巫女が足音高く去っていけば、男は再度大きなあくびをした。
 ――ああ、何もかもが退屈だ。
 裕福な呉服屋に生まれた男は甘く整った顔立ちにも恵まれて、金子にも女にも何ひとつ不自由する事なく生きてきた。放蕩息子を溺愛する両親に甘やかされ、生家が花街と懇意にしていることもあり、賭場にも芸妓遊びにも成人前にはとうに飽いていた。
 清楚な神楽巫女を誑かして神社の社殿で情事に耽るこの遊びも、初めこそその背徳感が堪らなく愉しかったが――もう飽いた。
 だが、何度目かもわからぬあくびを洩らし、男がごろりと仰向けになった、その時。
 虚空からどろりとした黒い影が滴り落ちてきた。
 何気なく伸べた男の手に触れて、影は妖しく刃を煌かす太刀に変幻する。
『さあ、妾を揮うて人を殺めよ』
『命を啜れば啜るほどそなたは強うなる。いずれはアマツカグラの王となることすら夢ではないぞえ』
 太刀から聴こえるのは蠱惑的な女の声。甘く耳朶を擽るそれに、男は「へぇ」と口の端を擡げた。
 ――少しは、退屈しのぎになりそうだ。

 社殿を出た男の瞳を射たのは昼下がりの陽の光。
 髪と同じ薄茶色の瞳を細めた男が陽射しに太刀を翳してみれば、曇りひとつない刃に菊に似た花の紋様が薄らと赤紫に煌いた。
「……これも何かの縁かな」
 己の機嫌が更に上向くのを感じれば、男の耳に軽い足音が聴こえてくる。
 朱塗りが掠れて剥げかけた鳥居の向こう、誰かが参道を歩いて此方にやってくる音だ。
 街はずれの林に埋もれ、護る神職もいないこの神社に詣でる者は殆どいない。
 けれど男は、花街の娘達の間でこの神社が『秘密の片恋を成就させてくれる神社』として密やかに語り継がれていることを知っていた。茶屋や置屋の下働きの娘、そして時には舞妓や芸妓までもが、誰にも行き先を告げず人目を忍んでひっそりこの神社に詣でにくることも。
 神社を囲む木立に隠れて様子を窺えば、現れたのは何度か座敷で顔を見た舞妓の少女だった。
 無論今は舞妓のなりではなく、普通の町娘の出で立ちだったが。
「やあ」
「菊の若様……!」
 掛けた声に振り返った少女の頬がぱあっと紅潮する様を見れば、彼女が誰への片恋の願を掛けに来たかなど考えるまでもなかった。逢いたかったよとこの上なく甘い微笑みを浮かべると同時に男が刃を一閃すれば、血飛沫とともにきらきらと明るい赤紫色に煌く花が溢れだす。
 松葉菊。
 螺鈿めいた光沢を持つ赤紫の細い花弁を日輪のごとく咲き誇らせる、菊に似た姿の花。
 斬り伏せられた少女はあっという間に松葉菊の花と緑の葉に覆われ、地面へ封じられた。
 陽にきらきら輝く松葉菊の花々と地を這うように広がる緑の茎葉、それごと地面へ刃を突き立て、菊花の褥に封じられた少女へとどめを刺せば、生まれてこの方感じたことのない、ぞくぞくするような愉悦と高揚が男の背筋を翔け昇る。
「……ああ、いいね。気に入ったよ」
 少なくとも、この神社の境内を松葉菊で埋め尽くすまでは――退屈せずにすみそうだ。
 血の滴る太刀を手に陶然と瞳を細めた男の名は、キクヤといった。

●菊花の刃
「――今やもうその神社の境内、社殿の正面の地は半ば松葉菊に覆われちまってるんでさァ」
 紡いだ言葉の終わり、灰吹きにこつりと鳴らした煙管の音。
 その一拍で、喋る武器を手にした男・キクヤが既に幾人もの娘を殺めていることを誰もが理解した。
 誰にも知られず神社を訪れた娘達は、誰にも知られず殺められ、菊花の褥――松葉菊で覆われた地面の下に誰にも知られず埋もれたまま。
 霊峰天舞の代理者が一人、幾夜寝覚・ハイジ(c25301)の口から語られたのは、アマツカグラにて喋る武器のマスカレイドが現れたという話。
 霊峰天舞の地の底、『大地の扉』に戦神斧が刺さったままになっている影響なのか、扉の亀裂から漏れだしてきたモノが喋る武器となり、アマツカグラの民をそそのかしてその手を凶行に染めていく。
「到底見過ごせることじゃありませんや」
 為すべきことは、ひとつだ。

 様々な処を遊び歩いているキクヤを捕捉できるのは、彼が人を殺めるため訪れる件の神社のみ。
 彼は神社を囲む林の木立に身を潜め、獲物が神社の境内に入ってくるのを待っている。
 詣でる者は殆どなく、訪れるのは誰にも行き先を告げず人目を忍んでやってくる花街の娘くらいで、彼が獲物とするのもその娘。複数の人間や、普段この神社を訪れることのないような風体の人間が境内に現れれば、キクヤはその日の人斬りを諦めひそりと姿を消すだろう。
 つまり、彼と戦うためには、彼が獲物を斬らんと姿を現した処を押さえる必要がある。
「叶うなら、囮を立てるのが無難でさァ」
 片恋の願掛けにやってくる、花街の娘。
 それを装える者がいるならキクヤを誘き出すのは容易いこと。
 囮以外は鳥居より外側に身を潜め、囮を斬らんとキクヤが姿を現した処で戦いに持ち込めばいい。戦いの最中に誰かがやってくる可能性は皆無ではないが、訪れるのは人目を忍ぶ娘ばかり。騒ぎに気づけば鳥居までやってくることなく参道を引き返していくはずだ。
「けれど――もし囮になれる御方がいなけりゃ、本物の花街の娘さんが神社に詣でるのを利用させてもらうしかないってェのが厄介なことで」
 神社付近に誰かがいると気づけば、娘は鳥居をくぐることなく引き返す。
 ゆえに、事前に声を掛けて事情を明かすことは叶わず、何も知らぬまま境内に入った娘へキクヤが襲いかかるのを待つしかない。
 娘を無傷で護るのは酷く困難で、キクヤの放つ松葉菊咲く斬撃を浴びれば武芸の心得のない娘はひとたまりもないが――菊花の褥に封じられた娘にキクヤがとどめを刺すのさえ阻止できれば、娘の命が奪われるという事態だけは避けられる。
「だが、アタシらですら受ければ厳しい威力の斬撃だ。娘さんに浴びせずにすむならそれに越したことはありませんや」
 出来る限り、自分達の中から囮を立てる方向で臨むべきだろう。

 仮面憑きは喋る武器たる太刀のみで、キクヤはマスカレイドではない。
 彼が太刀を手放せば太刀のみを破壊することもできるが、恐らくキクヤは退屈しのぎをさせてくれる気に入りの玩具を手放しはすまい。見た目は彼が太刀を握っているだけに見えるのだが、喋る武器は棘の力でキクヤを『取り込んで』しまっており、彼自身が望まねば武装解除は叶わぬ状態なのだ。一体化していると考えても良い。
 棘の力を持つ喋る武器を手にする限り、キクヤは死ぬまで戦うだろう。
 世のすべてに飽いて、倦みきってしまった男。
「……致し方ないってことも、世の中にはあるもんでさァ」
 嘆息とともに言の葉を零し、世界の瞳の代理者は話を締めくくった。


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参加者
水鏡の虹・ロータス(c01059)
奏燿花・ルィン(c01263)
風を抱く・カラ(c02671)
黒鳳・ヴァレリー(c04916)
静謐の花筐・サクラ(c06102)
蓮泉の水精・ニンフ(c13873)
棘喰・ガーラルド(c29038)
嫉妬の移動爆弾・クレア(c31055)

<リプレイ>

●菊花の社
 朱の剥げかけた鳥居の奥、訪れる者もない神社の境内に、螺鈿めいた赤紫の光がきらきら踊る。松葉に似た細い葉と赤紫の硬質な光沢を持つ菊に似た花に半ば覆われた地表でもなく、その奥に佇む弊殿でもなく、更にその奥で瑞垣に囲まれた本殿を見やって、静謐の花筐・サクラ(c06102)は柘榴の瞳を細めた。
 ――カミは気まぐれで不公平、信じる者すら救わない。
 神社に祀られているものなんて石塊か刀か鏡の類、そんなものに願って何になるの。
 胸中で呟くと同時、視界の端で見慣れた手がひらりと踊る。
 隠密服を着込み、神社を囲む林に身を隠した奏燿花・ルィン(c01263)に手招きされ、サクラも急ぎ彼の傍へ身を潜めた。樹々の影に紛らすのは黒地に梅花咲く小紋、帯は羽根も整った文庫結びと、霊峰天舞に生まれ育った彼女のなりは堂に入ったものだけど――あくまで己は囮の予備。
 神社に願掛けをする気持ちも色恋沙汰も理解できない自分より、当初の予定通り人目を忍ぶようにひとり鳥居を潜っていく蓮泉の水精・ニンフ(c13873)の方が、きっとそれらしく見えるだろう。
 しばらく逢えずにいる黒髪の誰かを想えば、ニンフの頬がほんのり染まる。
 花街の下働きの娘に扮した彼女がきょろきょろと辺りを見回す様はいかにも内緒の願掛けに来た娘らしく、そっと歩を進めた彼女が賽銭箱の前で手を合わせれば、瑞垣の角に立つ石灯籠の向こう、木立の合間に妖しい刃の煌き。
「そら――釣れたよ!!」
 鳥居より僅か外側で風を抱く・カラ(c02671)が声を張ったのと皆の胸にニンフの警鐘が響いたのがほぼ同時、顔見知りでなければ声を掛ける必要もないとばかりに一気に獲物へと距離を詰めた男の前に、赤銅の髪躍らせた女が飛び込んだ。
「……ふうん、そのお嬢さんは餌だったわけか」
「極上だったろ?」
 片恋の願をかける娘を斬り伏せんとした、花の紋煌く刃が深い太刀傷を負わせたのはカラの半身。鎖骨を叩き割った傷の内側からぞわりと松葉菊の花葉が這いだすおぞましい感触にも構わず、女は太刀ごとその使い手へ喰らいついた。
「そないな花、押し返してまうんよ!」
「花は悪かないが趣味が悪ィぜその生え方!」
 虎牙が男の腕に制約を刻みこんだ次の瞬間、カラの胸元から淡桃色の輝きを溢れさせるようにして水鏡の虹・ロータス(c01059)の癒しの花が咲き誇る。続け様にルィンの魔力で展開された水晶結界が強固な護りを敷いた。
 世界樹の花の薫風追うように男へ襲いかかったのは黒き烈風、先程まで木陰に沈んでいた喪服と黒の騎士槍を花々の煌きの上に躍らせ、幾多の残像纏った黒鳳・ヴァレリー(c04916)が鍔に仮面を現す太刀をしたたかに弾くが、
「手に吸いついとる……っちゅーか、柄から滲みでた棘が根を張っとるて感じやなコレ」
 世界の瞳の代理者が語っていた『一体化』の感覚をその手に覚えて眉を寄せた。使い手たるこの青年――キクヤ自身が望まねば、腕ごと叩き斬って切り離すことも出来はしまい。
 刹那、花々の煌きを遮る深い紫が世界を覆った。
「……愉しい?」
「君達が退屈を紛らせてくれるなら、少しはね」
 巨顎化した棘の腕でキクヤを喰らわんとしながら、サクラは情の覗かぬ柘榴の双眸で相手のそれを見据える。彼が戯言を吐いた、その直後。
 ぱん、と一拍高らかに、キクヤの退路を断つ位置で棘喰・ガーラルド(c29038)が手を打った。
「おめでとう。退屈から解放されるよ?」
 退屈は無味無臭の毒薬とはよくいったもの。
 若い頃にはそれこそ飽きるほどにそれを感じ、今棘の環でこの場を世界から切り離した男もまた、薄い笑みを引く唇で戯言を紡ぐ。ひらり着物を靡かせたニンフもキクヤを包囲するよう回り込み、袂に隠していた鞭を手に取った。
「ずっと、会いたかった……キクヤ様」
 なんてね、と笑って宙に撓らせた鞭が青年の脚を鋭く打ち砕き、その体勢を崩したところへ、距離を取って潜伏していた小さな影が凄まじい勢いで飛び込んでくる。
「おのれリア充め!! この嫉妬戦士が成敗してくれる!!」
「え!? 違うよただの演技だからね!!」
 一瞬焦ったニンフだったが、嫉妬の移動爆弾・クレア(c31055)がまっすぐ襲いかかった相手は己が分身に羽交い締めさせたキクヤだ。
 けれどもし、囮を演じてた時は恋人のことを考えてました――と明かしていたならば、齢八才にして嫉妬魂を究めつつある少女の荒らぶる嫉妬の爪は此方に炸裂していた。ような気がする。
「楽しいお嬢さん達だ。確かに退屈はしなさそうだね」
 包囲を破って逃走する面倒より、今ここでの退屈しのぎの誘惑が勝ったか。
 くつりと笑って瞼を閉じた男が、縛めを祓って刃を揮う。
 素人同然の太刀筋――だのに黒き騎士槍で斬撃を受けたヴァレリーはその威力に一層険しく眉をしかめた。地を踏みしめる靴の下に生い茂るのは松葉菊。華美な光沢を湛えたその花が抱く言葉のひとつに、怠惰というものがあったと思いだす。
 享楽のぬるま湯に揺蕩って生きてきただろう男に、誂えたかのような花。
 だが、社の正面を半ば覆い尽くすほどの花で彼は一体何人の娘の命を啜り、今までにどれほどの力を蓄えたというのか。

●菊花の刃
 花街が遠くない割には鄙びた神社に降る、松葉菊の花を煌かす陽射しはこの上なく穏やかなもの。
 けれど制約や虚無の力が注がれるたびにキクヤの手で閃く太刀が、妖しげな赤紫の剣閃を踊らせ時に月を描き、円月の構えをも示してみせる。
「美人さんに囁かれてくらっとくるとはな」
 イイオンナには棘があるのかねぇ、と菊花の刃に瞳を留めながら、陽光をくるり掴みとるよう翻した右手でルィンはキクヤの頭部めがけて戦闘光輪を放つ。唸りをあげて風を裂く輪の下から奔るのは地を打ったガーラルドの仕込み杖から伸びた紫の棘、
「そんな年増に振り回されて。今はいいだろうけど、どうせそのうちに飽きるよ?」
「だろうね。それまでにまた退屈しのぎが見つかればいいけど」
 挑発するでもなく、ごく当たり前の道理を語るようなガーラルドの声音に女の性を持つらしい太刀は黙したまま。ただ痛苦の棘に貫かれたキクヤが応えて緩く笑んだ。
 途端にその顔面に叩き込まれたのはニンフが放った猛毒の針、
「こんな人はいくらイケメンで金持ちで口説きが上手くても大嫌いね! 全ての女性の敵なの!!」
「そう? 芸妓の姐さん達は大層可愛がってくれたし、巫女さん達もそりゃもう悦んでくれたけどね」
「くっ……! どこまでリア充をひけらかせば気が済むのですか!!」
 此方もごく当たり前のような声音で返すキクヤに更なる嫉妬を炸裂させて、クレアは分身に羽交い締めさせた男へ鋭い爪撃を抉り込む。
「順風満帆、何も不自由なさすぎて飽いてもうたわけか……典型的なぼんやなぁ」
「金も女も殺戮の愉悦も、降ってくるものを寝そべって受けとるだけならそりゃ飽きるよね」
 刃と矛や牙を交わすたびにヴァレリーとカラが感じ取るのは、キクヤが根底に抱く人生への倦怠感。だが二十代半ばと思しき彼より長く生きて、彼より広い世界を見てきた二人には、彼が飽いたものがどれだけちっぽけなものなのかも容易に察せられた。
 けれど、それをどう伝えればいいのだろう。
「……よく、わからないわ」
 正義感とも使命感とも縁遠く、キクヤに興味も持たぬサクラは語るべき言葉も抱く感慨もなく、ただ棘の腕を揮い虚無の牙で噛み砕く。
「わからなくて結構。私も何故こんなに此の世が退屈なのかわからないしね」
 彼もまた、然したる感情を覗かせぬ彼女への興味は薄いようだった。
 花舞う斬撃が揮われれば、他の仲間達より少なくとも二割は耐久力の低いクレアの身体へ一気に松葉菊が広がっていく。けれど少女は痛打に怯むことなく地を蹴った。
「クレア!」
「一旦下がれ!!」
 咄嗟にカラが声を響かせルィンが水晶結界を展開せんとするが、それよりも速くクレアは、己が心の命ずるままに大技狙いの爪撃を繰りだした。
 しかし、思うがままになるばかりとはいかないのが戦いの常だ。
 大振りした爪を刃が防いだ瞬間、爪に凝った蒼炎の如きオーラの爆発が反撃となって少女を襲う。
 願いが必ず成就するものではないと識るからこそ、その身に嫉妬の炎を滾らせる少女は――己が嫉妬に灼きつくされるようにして力尽きた。
 僅かに瞳を薄めたガーラルドが放った破魔の棘が太刀の構えを突き崩したのが次の瞬間のこと。少女に下がるなり仲間の癒しを待つなりする気があれば、充分間に合ったはずだった。
 キクヤの瞳に愉悦が燈る。
「こんなに小さい女の子を殺すのは、初めてだな」
 まるで焚火で焼いた芋を突いて確かめるような気軽さで揮われる、クレアへのとどめの刃。
 だが、黒漆艶めく長銃がその刃を弾き返した。
「そんな趣味悪ィ『初めて』なんざ、何の自慢にもならないぜ?」
 少女の盾となったのは救命を最優先すると決意していたルィン、同時に追尾の印を叩きつけられた太刀めがけ、続けて打ち込まれたのは靴先に妖精の輝き宿らすロータスの蹴り。命を軽んじる者へ湧きあがるはずの激情もこの日ばかりは何故かなく、静かな哀しみ満ちる心で揮われた一撃は冴え渡るばかり。
 飽くほどの享楽と自由に恵まれてきた人生を羨ましくは思うけど。
「――……お前、可哀想な奴やねんな」
「…………」
 胸と瞳に黄昏を抱く彼に見つめられ、キクヤが瞳を瞠った。
 憐れまれたのは、生まれてはじめてのことだったのだろう。
 驕りも放蕩も甘やかされて許されるばかりのぬるま湯しか知らぬだろう男へ、ヴァレリーも憐れみの眼差しを向けた。
 此の世が退屈なんやのうて、あんたが退屈やからそう見えるだけなんやけど、
「あんたが掴むべきはその太刀やのうて別のもんやないんかな」
「……別のものって、たとえば、何?」
 ここで明確に示せるものがあったなら、何かが変わったろうか。
 けれどヴァレリーに咄嗟に返せる言葉はなく、カラも彼自身の意志を促すことしかできなかった。
「――人は自分の往く道を自分で選ぶものだよ」
 与えられるものを享受するばかりでなく、己自身で足掻いて道を拓けば飽く暇もないだろう。
「退屈を言い訳にするのはやめにして、刀を真に望むのかは今自分で決めなよ」
「言い訳にしてるかはわからないし、真に望むものはこれじゃないと思うけど」
 退屈を紛らすものがないと、死んでしまいそうなんだ。
 往くべき方角すら判らぬ男が少しばかり泣きそうな笑顔で太刀の柄を握りなおしたから――カラも覚悟を決めた。
 禍々しい赤紫の月を描く刃と猛々しい虎王の力を秘めた牙が交差する。
「――わかるよ。退屈は人を殺すよね」
「けどそれなら、退屈しのぎの対価は払ってもらうぜ」
 僅かな溜息ひとつ。
 深い赤煌く宝玉抱いた杖からガーラルドが迸らせた棘も、ルィンの右手に操られるまま翔ける戦闘光輪も、倦怠の毒に呑まれた男へ弥増す苛烈さで襲いかかった。

●菊花の褥
 黄金の金子の煌きを見なれた男は、朝に咲く花に結ばれる朝露の煌きを識ることなく逝くのだろう。
 美酒も美女もつきぬ座敷の宴に飽いたとうそぶく男は、夏の朝になけなしの酒を皆で分け合って、蓮の葉を通じて飲むあの清冽さを識らずに逝くのだろう。
 ささやかな変化や幸せに一喜一憂する、瑞々しいこの歓びを。
「お前は感じたこと、あらへんのやな」
「見方を変えればいくらでも世界は広がるし、色もつくもんや」
「……羨ましいね」
 涙の代わりのようにロータスの妖精が降らせる光の粉の中、斬撃から生まれ腕を締め上げんとする松葉菊を螺旋の勢いで引きちぎったヴァレリーが、その威のまま乱れ突きを放つ。
 矛に、言葉にこめた想いは間違いなく伝わっていると感じられた。
 だからこそ、彼が見方を変えるすべそのものを識らぬのだと理解できて臍を噬む。
 螺旋の矛が花紋煌く刃に罅を生む頃には、キクヤの限界も見て取れた。何人斬って力を得たかは知らないし、実のところ彼に興味もないが、それでもガーラルドは彼に贈る言葉を持っていた。
「君を、退屈から解放してあげる」
 松葉菊咲き乱れる地面から、紫煌く無数の棘が大きなアザミの花の如く咲き誇る。
 太刀を握ったまま全身を貫かれた男へ、なあ、とロータスが声をかけた。
「死という名の、飽いても逃げられへん無の世界で――お前はどうするんやろう」
 貧困街に生まれた彼は、飢えという名の死と常に隣り合わせで生きてきた。
「ああ、そうか……。じゃあ、彼女にも付きあってもらうよ」
 裕福な商家に生まれた彼は、初めて死を実感し、娘達に戯れで死を与えた刀を改めて握りしめた。
「――追わせてあげるよ、間違いなくね」
 彼が最期にようやく悟った命の重み。
 何もかもすべて負う覚悟でカラが男に埋めた牙が終わりを与えた、瞬間。
『冗談ではないぞえ! そこまで付きおうてなぞおられぬわ!!』
 初めてエンドブレイカー達の前で意志を露にした喋る太刀が、ずるりとキクヤの手から抜け出した。けれどその挙動を見逃す者など誰もいない。
「こいつは元凶ね! あ、でもキクヤさんもキクヤさんで悪かったよ!」
「浅はかな……所詮はくだらない紛いものだね」
 鋭く宙を裂いたニンフの鞭が飛翔で逃走せんとした太刀を叩き落とし、ガーラルドが鉄板を仕込んだ靴で容赦なくそれを踏みつける。声にならぬ叫びをあげたロータスが、妖精の力をこめた靴で幾度も幾度も砕いた。
 全てが影に還って、消えてなくなるまで。

 春陽を浴びて煌く松葉菊。
 境内に広がるその花葉の下を掘り起こせば、幾人もの遺骸が現れた。手水舎の水を借りて娘達を清めてやりながら、ガーラルドとカラは重い息をつく。
「花街へ連れ帰って、親御さんたちの元へ帰れるようにしてあげたいけど……」
「……何て説明しようか」
 犠牲者は一人や二人ではなかった。
 幾人もの遺骸を運べば騒ぎになるだろう。どう説明すべきかは誰も考えていなかった。突然遺骸を連れていくよりは、花を摘もうとしたら遺骸が埋まっているのを見つけた、とでも報せるべきか。
「キクヤは……菊の中で眠らせるのがええかな」
 瞳をめぐらせるロータス。
 掘り起こした花とともに、林の中の、目立たぬ場所にでも。
 彼を世界へと還すつもりだったクレアは、明日には回復するだろうが、今はまだ到底儀式を行える状態ではない。動くことも儘ならぬ少女を抱きかかえたルィンが、何処か沈んだ様子のサクラの頭にぽん、と手を置いた。
「さて、帰ろうぜ」
「……ええ」
 娘達へ真摯に黙祷を捧げるニンフと同じようにできずにいたサクラが、小さく頷く。
 全てが終わるまでの人払いを担い、鳥居に背を凭せて佇んでいたヴァレリーは、皆の足音を聴けばそれまでゆるり燻らせていた煙管を下ろした。
「……苦い、なぁ」
 穏やかな陽射しが降りそそぐ。
 淡い煙を溶かしていく春陽へ、長い長い溜息も落として溶かした。



マスター:藍鳶カナン 紹介ページ
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いまいち
参加者:8人
作成日:2014/03/27
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