ステータス画面

アッシュ・ローズ

<オープニング>

●アッシュ・ローズ
 短くも色濃く艶やかな夏の夜闇が、深く清麗な群青に透きとおっていく。
 空と砂漠の境界を熾火めいた光がなぞればやがて空の涯に杏色が、そして鮮やかな柘榴の色が燈り、世界を暁の光で染めあげていく。
 だが、彩鮮やかな暁の光があらわにする世界は――灰の薔薇色だ。
 瑞々しく咲き誇っていたはずの桃色の薔薇が砂で褪せた様を思わす、灰薔薇色。
 艶めかしい稜線描く砂丘が何処までも連なる灰薔薇色の砂漠、その片隅に同じ灰薔薇色の砂岩で造られた、古いカスバ。
 カスバ――幾つかの意味を持つ言葉だが、この辺りでは単純に砦を指す言葉だ。
 とうの昔に打ち捨てられた古いカスバの一角にある礼拝堂、東の壁を大きく切りとった窓に片膝を立てる形で腰かけて、成人したばかりと見える若き青年は灰薔薇色の世界を眺めて苦笑した。
「……姫」
 貴女の前では百万の薔薇も色褪せる。
 けれど、貴女を喪ってしまえば世界そのものが色褪せてしまう。
 灰薔薇色の砂漠、灰薔薇色のカスバ。それらは己がすべてを捧げた姫を喪った己自身のようで、苦々しくも何処か愛おしい。
 苦笑に自嘲を重ねた青年――ハーメドは中でも特に、この礼拝堂を気に入っていた。
 往時は壮麗なモザイクタイルやモザイクガラスで彩られていたのだろうが、それらはカスバが打ち捨てられる際に持ち去られたらしい。だが剥きだしの砂岩に刻まれた精緻な彫刻は風砂に晒されて崩れかけ、退廃的な美しさを得た。
 幾何学模様で表された神名が消えてしまっているところもいい。
 崇めるべき名を改めてここに刻もう。
「――シャルムーン姫。貴女の、名を」
 誓いを捧げるように掲げた杯を傾ける。
 杯から口腔へと流れるのは咽返るほど甘く香る薔薇酒。成人の歳を迎えたばかりの初夏に覚えたこの濃厚で官能的な酒はハーメドを虜にした。
 深く色濃く甘やかに蕩ける酒の、濃密な香りに溺れゆく。
 酒精に酔っているのか圧倒的な薔薇の香りに酔っているのかも解らぬその酩酊感は、ハーメドが彼の姫を想う時の恍惚に酷く似ていた。最早世界の何処にもいない姫を崇めて焦がれて追い求め、灼けつくような狂おしさも何時しか快感にすり替わる。
 この想いが信仰なのか恋情なのかもう解らない。
 この想いが憧憬なのか妄執なのかもう解らない。
 肩についた白い仮面を撫でる。
 この力を得て、狂おしさは加速した。
 否、狂おしいだけでなく、何処か狂ってしまったのか。

 遥かな伝説の彼方からこの国へ還ってきた姫。
 ならば、黄泉路からも還ってきてくれるはず。

 甘美な妄想に憑りつかれた彼は部下に命じて近隣の村から少女達を攫わせた。
 気絶させた少女達は噴水のある中庭に纏めて、夜が明けきると同時に首を刎ねろと部下に命じた。
 鮮血で噴水を染め、褪せた灰薔薇色の世界を鮮やかに塗り替えて。
 そうすれば、貴女は還ってくるだろうか。
 穢れなき乙女達で駄目なら屈強な青年達を。
 それで駄目なら無垢な赤子達を、賢明なる老師達を。
 老いも若きも男も女も、それでも足りぬなら街を丸ごと、国を丸ごと。
 なおも足りぬなら、世界のすべてを捧げよう。

 焦がれて焦がれてやまぬ姫。
 その艶やかな髪のひとすじ、甘やかな吐息のひとかけらに、この手が届くなら。
 ――この世界すべてと引き換えたって構わない。

●さきぶれ
「――なんて、欲張り」
 甘やかな秘密を囁くような声音で件のマスカレイドをそう語って、扉の狩猟者・アンジュ(cn0037)は薔薇色に金彩踊るミントティーグラスに口をつけた。
 熱い滴は薔薇酒ではなく濃密な香り溢れるミントティー。けれどもそれは砂漠の民のウイスキーとも呼ばれ、彼女が夢の迎え酒とも呼ぶ異国情緒に満ちた不思議な茶。
 濃くて熱い緑茶の清しさに惜しみなく落とした砂糖の甘さが濃密に蕩けて、鮮烈で圧倒的なミントの香りが押し寄せる。熱い茶に燈された熱が引くとともにすうっと昇るミントの清涼感は昂揚とかさなる恍惚感にも似て、もう一度その快感を味わうために再びグラスに手を伸ばす。
 砂月楼閣シャルムーンでは愛飲している者も多いだろう熱いその茶を皆に勧め、アンジュは小さな笑みを燈した。
 望んで望んで手を伸ばし、求めて求めて足掻き続ける。
 彼の、ハーメドのその生き様がアンジュには好ましい。
 終焉を砕く血脈に生まれたこの娘も、自ら望んで望んで手を伸ばし、求めて求めて唯がむしゃらに鍛錬に打ち込んで、そうしてエンドブレイカーとしての力を掴みとったからだ。
 どうかお願い力を貸して、と暁色の娘が同朋達に願う。
「アンジュと一緒に――ハーメドを倒しに行こう?」

 砂月楼閣の各地でいまだ事件を起こし続けるシャルムーン姫の狂信者達。
 狂おしいほどシャルムーン姫に焦がれるハーメドと部下達もその一派に数えられるだろう。
「今から出ればね夜が明けきる前に灰薔薇色の砂漠のカスバに着けるよ。んでも『夜が明けきると同時に少女達の首を刎ねろ』って話だから、結構ぎりぎりかも」
 だからまず――速攻でカスバの中庭を制圧するべきだと思う。
 暁色の娘はそう告げて、酒場のテーブルに簡単なカスバの見取り図を広げた。

 遥か昔に打ち捨てられて、砦を囲む城壁は完全に、砦自体もあちこち崩れている現在のカスバは、方向音痴のアンジュでも迷いようがないほどに単純な構造の部分だけが残っているらしい。
「城壁がないからそのまま砦に突っ込めるのね。普通に突っ込むなら西側に開いた入口からかなぁ。中に入ればすぐ四方を建物に囲まれた中庭にでるよ。今もまだ大きな噴水が水を噴き上げてる広い中庭で、噴水の周りに寝かされた女の子達をハーメドの部下達が取り囲んでる」
 部下達は全部で十二名。
 いずれはマスカレイド化される運命だったろうが今はまだ普通の人間で、エンドブレイカーにとれば雑魚程度の力量しか持たぬ者達だ。
「簡単な作戦を立ててみんなで速攻かければ数十秒で全員倒せると思う」
 攫われてきた少女達は全員気絶させられており、ハーメドの部下達は『夜が明けきるまで』絶対に少女達に手は出さないから、戦いの間に少女達のことを気にかける必要はない。
「んでもそれは、『礼拝堂にいるハーメドに気づかれる前に部下全員を倒す』って前提での話」
 中庭と礼拝堂は離れており、中庭の噴水はかなり大きな水音を響かせているため、速攻で部下達全員を倒せればハーメドに気づかれることはないだろう。
 だが、戦闘が長引いたり、部下に逃走や何度も大声をあげる隙を与えてしまったなら話は別だ。
「騒ぎに気づいたハーメドが中庭に駆けつけてきたらアウト。彼は多分ね『シャルムーン姫に捧げる儀式を台無しにされた』って逆上して、アンジュ達だけじゃなく少女達も殺そうとすると思う」
 だから、全力全開の速攻で。
 今のエンドブレイカー達の力量なら、彼に気づかれる前に部下全員を倒すのもそう難しくない。

 そして、中庭の速攻制圧はあくまで前哨戦だ。

「そのまま東に伸びてる回廊の先にある礼拝堂に急行して、そこでハーメドと戦うの。それが本番」
 灼けつく渇望のまま魔獣戦士の力を揮い、狂おしい渇仰のまま月剣を揮うハーメドは――強い。
 この想いが信仰なのか恋情なのかもう解らない。
 この想いが憧憬なのか妄執なのかもう解らない。
 募るその狂おしさが、そのまま力となったかのように。
「強いから、絶対に絶対に、油断しないで」
 ぴんと張りつめた声音でそう告げて、暁色の娘は再びミントティーに口をつけた。
 微かな吐息をついて、笑みを燈す。
「あのね、無事に終えられたなら、また逢おうね」

 何処か愛おしいその狂おしさを、きっと誰かと語り合いたくなると思うから。


マスターからのコメントを見る
参加者
絶対自由・クローディア(c00038)
眩暈の尾・ラツ(c01725)
戯咲歌・ハルネス(c02136)
陽凰姫・ゼルディア(c07051)
勿忘草・ヴリーズィ(c10269)
刺青華・リリ(c11948)
菩提樹の灰・ジィリオ(c35020)

NPC:扉の狩猟者・アンジュ(cn0037)

<リプレイ>

●ブルー・ローズ
 深い闇の帳が群青に透きとおり、淡い薄群青の靄めくあえかな光満ち始める夏夜の明け初めに、彼らは砂漠のカスバを急襲した。
 砦内の影を渇いた砂風より疾く駆け、再び光を得た視界に水の煌き捉えた刹那、一瞬の惑いもなく二手に分かれた彼らは中庭の噴水周りに陣取る男達へ左右から襲いかかる。
 反射的な驚きの声は噴水に掻き消された。
 急襲された、という事態を把握されるより速く四人の男を無力化し、返る反撃も掠り傷とばかりに、襲撃者達は勢いを殺すことなく残る八人を制圧する。
 男の脚を貫いていた刺青華・リリ(c11948)の氷翼が水飛沫に翻ったと同時、迸った清浄な輝きが展開した巨大な魔法陣が男達を叩き伏せるように中庭の石畳へと封じ、剣に触れる間も与えず男の腕を叩き折った三日月の弓へと命の輝きそのものの矢を番え、絶対自由・クローディア(c00038)は鋭く爆ぜた幾つもの輝きで男達の心を塗り潰す。
「――!」
 主へ報せんと東を振り返った男の、今にも張り上げんとした声も意識も眩暈の尾・ラツ(c01725)が放った光の円刃が一瞬のうちに刈り取って、やはり東の回廊へ駆け出さんとした男の背には瞬時に距離を殺した戯咲歌・ハルネス(c02136)の紫煙樹の苗木が突き立てられた。
 中庭突入から制圧まで三十秒足らず。
 最後の男を呑み込んだ大樹の紫の木陰を駆け抜け、彼らは迷わず礼拝堂を目指した。
 攫われてきた少女達の保護も、無力化した男達を捕縛し然るべきところへ引き渡すのも、すべては礼拝堂にいるマスカレイド――ハーメドを倒した後だ。
 等間隔に落ちる柱の影を駆ければ揮った虹羽で高めた力がすうっと消える。
 だが勿忘草・ヴリーズィ(c10269)の心は澄み渡るように凪いでいく。これは前哨戦の終わりにして本番の始まり。柱の回廊の果てに聳える扉を開け放てば、静謐に満ちた礼拝堂の、最奥の窓辺から腰を浮かした青年と眼が合った。
「――世界はあげない。勝手に引き換えられたら困るもの」
「ええ、引き換えになんてさせてあげない。欠片も残さずあたしの手に掴むんだもの」
 踏み込んだ礼拝堂に凛と響いたヴリーズィの言葉、挑むように青年を見据えたリリの不敵な言葉。それだけあれば青年の方も誰何は不要だった。肝心なものを忘れてた、と弾けるように笑った彼が娘達の翼に魔力が満ちるより速く左手の酒杯を投げつける。
「そう、エンドブレイカーだ。姫を弑した不届き者の血と命を捧げなくては――!」
 濃密な薔薇の香と滴が散った瞬間にはもう、窓辺を蹴った青年の右手の刃に月光が凝っていた。
 褐色の肌に砂色の髪、靭さと敏捷さが見て取れる細身の躯を持つ青年はさながら砂漠のガゼル、対して彼の刃と自然界にはありえぬ目も眩むような月光の許へ飛び込んだのは、淡い光に撓やかな肢体と肉桂色の髪を躍らせた若鹿のごとき少女。
 ――私は、この狂人を愛おしいだなんて微塵も感じない。
 膨大な質量すら感じさせる月光に抱き潰されそうになりながら、菩提樹の灰・ジィリオ(c35020)は到底見過ごせぬ棘と行為に手を染める青年へ旋風の壁成す烈しい棍撃を叩きつけた。
 己までも真珠粒程までに圧縮せんとした強大な月光が爆ぜれば、陽凰姫・ゼルディア(c07051)も彼の狂妄を断ち切る力を手繰る。或は、狂恋か。
 恋焦がれるものを手に入れんと望むなら己は何を差し出せるだろう。
 時間か身体か他への欲か。
「自分で代償を支払わず他者を犠牲に望むのは、狂信者というより……ただ歪んだ男ね」
「自分で代償を支払わず?」
 馬鹿言うな、と続けた唇が笑みに歪んだ。
「俺の血の最後の一滴、魂の最後のひとかけらまで、もうとっくに全部あの方のものなんだよ!」
「だからって、ここにいる誰も貴方の妄執に差し出しやしないわ!」
 焦がれた姫にすべて明け渡したハーメドの叫び、荒ぶ嵐にも似たそれを貫くゼルディアの即興歌が砂岩の床を砕く。迸った紅蓮の焔の先を見通すのは青き炎宿したクローディアの瞳、逃れ得ぬ鋭さで翔けた矢が青年の足と膝を射抜けばその剣筋が鈍り、月の刃がぎらつきを増した。
 彼の苛立ちを――或は、募る狂気を表すかのように。
「薄紙一枚?」
「薄氷、いや、薄硝子ってとこでしょうかね!」
 濃密な薔薇の香掬った扇の風で翔けた扉の狩猟者・アンジュ(cn0037)と密かな笑み交わし、鏡に映る蝶の舞めく螺鈿の煌き閃かせたラツの刃が斬撃を叩き込む。儀式魔法陣の光に桜色の煌きの軌跡を引いて、ハルネスはその芯に紫の苗木を突き刺した。
「なら私のそれは、織布だね」
 二人の言葉が意味するものを察して淡く笑めば、ハーメドの鳩尾を苗床にした大樹の根がたちまち彼の骨肉を侵して制約を注ぐ。代わりに吸い上げるのは行き場のない妄執か、枯れてなお美しく咲き誇る花のごとき姫への想いか。
 大切なひとへの想いなら、負けない。
 己に言い聞かせるようにして魔力を高め、ヴリーズィが背に咲かせるのは真白な翼。
 途端に舞い溢れた虹色の羽が礼拝堂に夢幻の光景を描くけれど、柔らかな虹の夢が標的の胸に映すのは甘やかなものとは程遠い、心の傷を抉り出す幻覚だ。
「貴様らが、姫を……! ――……!!」
 嗚呼、永き棘の呪縛から解放された真実の姫の最期をハーメドが知る由もない。
 曖昧な伝聞で知ったにすぎなかったろうその最期は、幻に惑わされた青年自身の心でむごたらしく改竄されてその胸に刻みつけられた。
 魔獣の腕が露になった途端轟いたのは、慟哭とも咆哮ともつかぬ叫び。
 鼓膜も胸も震わす彼の狂気に疼くのが刺青なのかその上に刻まれた傷なのか判らない。己もまた狂おしいのか狂っているのか解らない。故郷を喪った、あの日から。
「けれど、そんなことどうだっていいの」
 薄ら笑んで、リリもまた渇いた花咲く翼を咲かせた。

●ブラッディ・ローズ
 偃月の刃に渇仰を、魔獣の腕に渇望を漲らせ、彼我の血を撒きちらす狂乱の涯てに焦がれた姫の面影を求めて力を揮う彼は、最早ガゼルというより獅子だった。
 それも既に築かれた王国に君臨する獅子でなく、力でそれを奪い取らんと貪欲に瞳をぎらつかせる若獅子だ。王国の姫を求め、世界に抗う獣が暁色の娘の血を盛大にしぶかせれば、クローディアの裡で獣を狩る者の性が目を覚ます。
「求めずには居られない。だから求める。率直で、いいね」
 刹那、自浄を持つ彼の攻勢を精密射撃で鈍らせ続けた娘の弓が牙となった。
 血濡れた刃でラツが刻みこむ紅蓮の斬撃痕、それに一条の暁光重ねるようなハルネスの剣閃が青年の殺意を斬り捨てた隙を逃さず、ハーメドに肉薄した娘が三日月の牙を突き立てる。
 新たに溢れた血臭の中、僅かに鼻先掠めた濃密な花の香。
 薔薇、と胸で言葉が形作られた途端、誰かの面影が鮮明に灼きついた。
 どうして。
 この敵の砂除けの外套も衣服もその腹も喰い破れるのに、どうして大地の扉は喰い破れないの。
 弥増す飢えと渇き。食欲にも似たこの感情の名に気づいたのは、彼に逢えなくなってから。
 ――私はなんて、馬鹿なの……!
「今のクローディアちゃん、すごく綺麗」
「ほんと……震えるくらい、鮮やかね」
 彼女と入れ替わりに後衛に下がったアンジュが半身を血に染めながら笑みを燈せば、ゼルディアも眩しげに瞳を細めた。けれど零れた笑みも吐息も娘は即座に歌の糧と成す。
 魂の芯から迸った旋律は華奢なゼルディアの体内で力強く響き膨れ上がり、昇りつめるよう溢れて聖典の朗誦でなく勇壮な行軍歌で礼拝堂を満たした。裡から外から響き合い、暁色の娘だけでなく彼女自身の痛手をも忘れさせる、めくるめくような――恍惚。
 天に届くかのごとき歌舞を成した時の、狂わんばかりのこの快感。それはこの肌身で識るけれど、神を想う信仰心や人を想うその心はゼルディアにはまだ遠い。
 それとも私は、怖いの……?
 ――恋心。
 甘くて苦く美しくて醜いその想いの名を噛みしめれば、ジィリオの胸中に柔らかな水と夕焼けの彩が咲いた。募る片恋の行くさきは、同い年の少女。告げた想いは好意的に受けとめられたけれど、同じ想いを返してもらえるか否かはいまだ相手の戸惑いの中。
 少女と少女。
 手放しで祝福されるとは限らないと思えば、その負い目が己から更に踏み出すことも躊躇わせる。
 皆の前では吐き出せぬ、恋焦がれる想いは増すばかり。狂おしい想いを声高に、誇らしげに表せる眼の前の男が羨ましくないと言えば嘘になる。けれど。
「ジィリオ! 大丈夫!?」
「――問題、ないわ」
 狂える渇きで威を増す、月の斬撃。
 此方も冴え増す棍の旋風で幾らか威は削いだが、それでもハーメドの猛撃は少女の身体を深々と斬り裂いた。だがまだ彼女が後に退くには足りない。傷が生む熱も痛みも素知らぬ風に、ジィリオは青年が纏った幻の月を冷たい紫の彩で突き破り、飾り気ないその棍で彼を床に叩きつけた。
 跳ね起きた彼が魔獣の腕を揮うより先に翻る、リリの扇。
 風雅な花の舞を透かして降る癒しの月光がジィリオを包み、間近なハーメドの影を色濃くする様に呪術士たる出自の娘は双眸を薄めた。
 ねえ、月が狂気を招くと言ったのは、誰だったかしら?
「――血で贖え、命で贖え! 貴様らの贖罪を捧げれば、きっと、姫は……!!」
 叫喚を迸らせる口から、何時しか声だけでなく鮮血も溢れ始めた。
 渇いた礼拝堂をどろりと湿らせ咽返るほどの臭いで満たしてゆく、彼我の血潮。流れすぎたそれを補わんとしてか、或は姫への渇きと飢えに衝き動かされてか、彼の攻め手が魔獣の腕に絞られる。
 望みのまま獰猛に凶暴に喰らう魔獣。けれど、此方から畳みかけるにも丁度良い。
「誰も、何もあげない。わたしは貴方より欲張りだから。――単純な理屈でしょ?」
「――……!!」
 揺るぎない声音で紡ぐヴリーズィ。皆と立ち続けるためならこの翼で彼の心を抉るのも厭わない。
 美しくも残酷な虹羽の嵐に獣の咆哮が轟くのと同時、ゼルディアの歌とは異なる即興歌が響いた。
 疾風と迸った焔は紅にして呉藍。燃える血潮の色。
 生を、苦さえも悦びと歌い上げる大好きなひとの声に、暁色の娘が泣きそうな顔で笑う。
 狂える獣の爪がハルネスを抉った。
 獣腕に喰らいつかれた腹の中、血肉を咀嚼せんと躍る爪。狂気も露わなその感触は、何故だろう、あの月夜、翼持つ孤独な少女に血潮を吸いあげられた感触と酷く近しい。
 月の少女と獣の青年。掛け替えのない存在を喪って、まっすぐ翔けるすべを見失った二人。
「遺していく側と遺される側……」
 どちらがより、さみしいだろう。
 想い零れた途端、呉藍の力を借りた暁色の風が吹き寄せた。
 草原も海原も綯い交ぜに己を包み嵐のごとく織り上げられる癒しに寂寥を遠ざけられ、ハルネスは息つくように笑む。
 ――君を喪ってしまったら、きっと、私は。

●アッシュ・ローズ
 薄紙、薄氷、或は織布、薄硝子。
 靭くも儚いそれらが、決定的に、けれど危うい脆さで彼方と此方を隔てている。
 脇腹を喰い破られたクローディアに替わって青年の懐に飛び込んだリリの熱孕む翼が凛冽な氷へ変じ、透徹な一撫でで魔獣の腕を冷たく縛める。なのに彼と娘達、双方の瞳に燃える貪欲な輝きは変わらず、その熱に覚えた愉悦のままにラツも笑んだ。
 きっと大した違いはない。
 僅かな差異という薄硝子の上を歩む己が足取りの危うさを自覚しながら、それでもラツは此方側へ踏み止まる。襲い来た魔獣の爪の威を守護魔法陣の瞬きと儚き翅舞う刃で削いで、なおも裂かれた胸から散った血の紅さに心を眩ませた。
 色褪せてなお甘い薔薇、胸焦がす痛みを燻らせながら溺れる濃密な花と血の酩酊は時に官能をも擽って、ひとを魅せ、狂気に堕とすに足るものだと――この胸の焼痕も識っている。
「叶うなら、違う形でお会いしたかった」
「……! どんな形だってんだ!!」
 淡い恍惚滲む笑みだけで応え、激しく明滅した儀式魔法陣ごと彼の爪と己が刃で斬り結ぶ。
 形が異なれば、この出逢いはなかった。
「たった一人と世界を引き換えられる……そんな想いこそが純粋なのかしら」
「さあね、解らないわ」
 焼け爛れそうな熱孕む剣戟と己の温度差に惑いつつ、ゼルディアが紡いだ即興歌が疾風と吹雪と化して渦巻いた。眼前の敵を呑んで轟と唸るそれの中に彼女の声を捉え、ジィリオが小さく呟く。
 純粋かどうかは知らないが、実のところその想いに共感できないでもなかった。
 同族嫌悪。浮かんだ言葉は振り捨てて。
 渦巻く吹雪に重ねられる棍の暴風。唯ひとりを焦がれて望んで何もかもを捧げんとした青年を呑む嵐に、大切な存在を胸いっぱいに抱えた娘の嵐が続く。
 気が遠くなるほど恋焦がれたひと、心許せる絆を育んだ仲間達。
 大地の底で未来へ手を伸ばすひと、彼自身の物語に触れたいと願うひと。
 そして――欲張り、と愛しく届いた親友の声にふわりと笑み返す。
 大切なひと達への想いを募らせ重ねて高めた力を、ヴリーズィは一気にハーメドへと叩きつけた。
 東の窓から射し始めた光を受けて、虹色に発光した無数の羽が礼拝堂を埋め尽くす。眩さに思わず瞳を閉じた青年の心も目も眩むような痛みに埋め尽くされたろう。焦がれて焦がれた姫の、終焉。
「さあ、貴方の姫君に逢いに往きなさい」
「いってらっしゃい、貴方の焦がれたお姫様はこの先よ」
 恋を語る乙女のごとく陶然と笑み、リリが恐ろしいほど清らに輝く羽を撃ち込んだ。
「さよなら、私の大嫌いでよく似たマスカレイド」
 羽の輝きが展開する清浄なる魔力の結界。だが棘を削られながらも彼は聖なる魔法陣に抗った。
「――そんなに似て、ねぇよ!!」
 呪術士の娘が焦がれて望んだのは求道の涯とマスカレイドを滅ぼす未来に至る力。
 けれど、青年が焦がれた姫に望むものはもっと刹那的なものだった。
 その艶やかな髪のひとすじ、甘やかな吐息のひとかけらに、この手が届くなら――。
「限りある人生で、それほどの相手に出逢えた君は幸せ者だ」
 溢した響きはハルネス自身意外に思うほど穏やかだった。だが、目元を和らげつつも青年を穿った苗木は峻烈にして苛烈。出逢いと想いを誇ったまま死ねるのも、きっと幸せなことだ。
 紫煙樹が瞬く間に彼を呑んでゆく。
 それでもまだ潰えぬハーメドの魂の叫びがクローディアの心に鮮烈な共鳴を呼ぶ。

 会いたい。声が聞きたい。

 命潰えるその瞬間まで、狂おしく灼けつく渇望が消えぬなら。
「牙を突き立てあおうか。――最期まで」
 きっとそれが相応しいと思ったから、クローディアは三日月の牙を手に紫の大樹の懐へ翔けた。
 鳩尾に喰らいつく魔獣の腕をあえて受け、腕を捕えて己が牙でその肩の仮面を喰い破る。
 棘も命も燃やし尽くしたハーメドが頽れれば、窓から鮮やかな光が射しこめた。
 暁の光があらわにする、灰薔薇色の砂漠の地。
 けれど色褪せた世界は、それでもなお美しかった。



マスター:藍鳶カナン 紹介ページ
この作品に投票する(ログインが必要です)
楽しい 笑える 泣ける カッコいい 怖すぎ
知的 ハートフル ロマンティック せつない えっち
いまいち
参加者:7人
作成日:2014/08/26
  • 得票数:
  • 泣ける1 
  • 怖すぎ1 
  • ロマンティック8 
冒険結果:成功!
  • 生死不明:
  • なし
   あなたが購入した「2、3、4人ピンナップ」あるいは「2、3、4バトルピンナップ」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
 マスターより許可を得たピンナップ作品は、このページのトップに展示されます。
   シナリオの参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。