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苺ショコラと秘密の箱舟

<オープニング>

●苺ショコラと秘密の箱舟
 黒い天鵞絨みたいな夜空に甘い蜂蜜色に輝く月がかかる夜。
 深い水の香を含んだ艶めかしい夜風を辿り、眠るように静かな夜の街を歩けばきっと、夜の運河の水面でやわらかに光る、秘密の箱舟に出逢えるはず。
 優美なゴンドラに綺麗な宝石箱を乗せたような舟。
 朝靄みたいにふんわり淡いミルク色をした硝子を流麗な金彩が彩るその箱には、煌びやかに輝く宝石ではなくて、芳醇なカカオの香りと蕩ける甘味、そして大人の苦味と華やかな酸味が口のなかで溶けて蕩けて、飛びきり煌びやかな香りと味わいのハーモニーを奏でてくれる極上のチョコレートが詰まっている。
 ――アルカ・ディ・スカートラ。
 魔法の呪文みたいなそれが秘密の箱舟の名前。
 綺麗な硝子の箱に宝石ではなく極上のチョコレートを抱えたその箱舟は、移動型のショコラトリー、つまり運河を渡る船のチョコレート屋さんなのだ。

 ――アルカ・ディ・スカートラ。
 月の夜にだけ気紛れに街の運河を渡る秘密の箱舟。
 その名を呼んで運河の岸から舟に乗ったなら、いざ、硝子の箱のなかへ!
 淡いミルク色をした硝子を流麗な金彩が彩るその綺麗な箱のなかは、まるでアンティークの調度で揃えられた、暖かで居心地の好い応接間。
 天鵞絨張りのソファにゆったり腰をおろし、美しいデミタスカップに注がれたホットショコラをゆっくり味わうのも素敵だし、優美な猫脚をもつマホガニーのテーブルに並べられている透明な硝子の宝箱みたいなショーケースを開き、ケースに整然と並べられた九十九種類のプレートショコラのなかから好きなものを選び取るのも堪らないときめきをくれるはず。
 たとえば、濃厚な苦味に年代もののウイスキーの風味を利かせた大人のショコラ。
 たとえば、南国の花のようなカカオの香りに華やかな酸味が際立つ、エキゾチックなショコラ。
 金色ピンセットで一枚一枚それらを摘まみ、お店のミニチュアみたいな硝子の箱に詰めていくのは大人の女性や紳士にも人気が高い。
 けれど、もっと瑞々しい遊び心を持つ子供達や、乙女心を忘れない女性達には、お店の奥にある硝子の塔のほうが人気者。それは見上げるほど大きな透明な硝子の筒を金色に輝く真鍮の金具や装飾が彩る、何処か錬金術士の実験器具をも連想させるしろもので、硝子の筒には小さなショコラの卵がいっぱい詰まっている。
 硝子の塔いっぱいのショコラの卵――親指の先ほどの大きさのチョコレートボールは、何が入っているかわからない秘密の卵。
 お店のミニチュアみたいな硝子の箱を硝子の塔の下に置き、金色のレバーを引けば、ざらざらと箱いっぱいにチョコレートボールが落ちてくるけれど、そのショコラの卵に何が入っているのかは食べてみなければわからない。
 たとえば、蕩けるようなミルククリーム。
 たとえば、かりっと香ばしいアーモンド。
 たとえば、飛びきり甘酸っぱいパッションフルーツのジュレ。
 何種類あるかもわからないチョコレートボールの外見はみんな同じで、これには何が入っているんだろう、どんな味がするんだろう、と思いきりわくわくさせてくれるところが人気の秘密。
 けれど、そのなかに唯ひとつだけ、外見が違うショコラの卵がある。
 綺麗な薔薇色をした苺のショコラ。
 一日にたった一粒だけ硝子の塔から出てくる、とっておきのショコラの卵。
「きゃあ! 見て見て、苺のショコラが出てきた……!!」
 その一日にたった一粒の幸運を引き当てた、名前も知らない少女を店の片隅からじっと見つめて、成人したばかりと思しき娘が唇を引き結んだ。
 ずるい。私だって苺のショコラが欲しかったのに。
 ――いいわ。あの子も捕まえて殺して、そうして苺のショコラをもらっちゃおっと。

●さきがけ
 綺麗な薔薇色をした苺のショコラ。
 一日にたった一粒だけ硝子の塔から出てくる、とっておきのショコラの卵。
 その幸運に焦がれて焦がれて、ついに棘に手を伸ばしてしまった娘・クレオはもう戻れない。
「マスカレイドになっちまう前に一度でも苺のショコラを手にできれば良かったんだろうが、もうダメだ」
 最初はただの羨望だったろうクレオの感情は、棘によって嫉妬と独占欲に染めかえられ、日に日に膨らんでいく。
 完全なマスカレイドとなってしまった今ではもう、たとえ自分が苺のショコラを手にすることができたとしても、また別の日に自分以外の誰かが苺のショコラを手にしたなら、クレオはその相手を殺して苺のショコラを奪うだろう。
「だから、もし今夜あんたの時間をもらえるなら――付き合ってくれ」
 夜の酒場に居合わせた同胞達を見つめ、砂鷲の魔想紋章士・ナルセイン(cn0172)がそう告げた。
 ――アルカ・ディ・スカートラ。
 月の夜にだけ気紛れに水神祭都アクエリオの街の運河を渡る舟。
 煌びやかな香りと味わいのハーモニーを奏でてくれる極上のチョコレートを抱く、秘密の箱舟へ。
 そこで一日にたった一粒の幸運を引き当てクレオの気を惹いて、ひとけのない路地裏へ誘き出し、最早ひとには戻れぬ彼女に終わりを与えよう。

 苺のショコラを引き当てた一般人がクレオに殺されるエンディングを確実に阻止するためには、
「やっぱり俺達が苺のショコラを引き当てて囮になるのが一番だと思うね」
 苺のショコラを引き当て、声を上げ大いに喜んでみせれば確実にクレオのターゲットになれる――そう断言して、ナルセインは話を続けた。
 本来ならば一日にたった一粒の幸運が誰の手に渡るかは運任せ。
 だが、これは知る人ぞ知る秘密らしいんだが、と前置いて、冒険商人を本業とする男はアルカ・ディ・スカートラの硝子の塔の秘密を明かす。
「あれにはラッドシティとの交易で渡って来た機械仕掛けが仕込まれてる。必要な時にはほかの客に気づかれないよう店員が操作して、好きな時に苺のショコラを出せるようになってるって話だ」
 たとえば、誕生日の我が子にどうしても苺のショコラを当ててあげたいだとか。
 たとえば、悲しい出来事があった友人を勇気づけてあげたいだとか。
 そんな理由で熱心に頼み込まれた時に、こっそり店員が機械仕掛けを操作してくれるという。
「交渉は俺に任せてくれ。俺が自分で当てて囮になってもいいんだが、やっぱりここは子供か女性が自然だと思うんでね。誰か引き受けてくれりゃありがたい」

 苺のショコラを手にした相手がアルカ・ディ・スカートラを出たらこっそり後をつけ、ひとけのない夜道で襲いかかるのがクレオの常套手段であるという。
 ならば、囮となった者が戦い易い広さのある路地裏にでも彼女を誘き出せばいい。クレオは標的に意識を集中しているだろうから、囮以外の者が囮とクレオの後をつけていくのは難しくないはずだ。
「彼女の武器は鞭。そして、硝子の箱で罠のように標的を捕える能力も使ってくる」
 綺麗な箱だぜ――と、ナルセインは微かな感傷を隠すよう目蓋を伏せ、淡く笑った。
 淡いミルク色をした硝子を流麗な金彩が彩る、アルカ・ディ・スカートラそのものの箱。
 余程好きらしい。小さくそう呟いて、男は仕切り直すように芝居がかった声をあげた。
「さあ御照覧。一日にたった一粒の幸運が悲劇の種になる」
 きっちり悲劇の芽を摘み取って、ちゃんとまっさらな幸運に戻してこよう。
 そう続け、冒険商人は話を締めくくった。


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参加者
奏燿花・ルィン(c01263)
白薔薇詩篇・ノシュアト(c02822)
陽凰姫・ゼルディア(c07051)
霧氷の蒼剣士・ポウ(c07468)
ダンシングブレード・エリーシャ(c15180)
慈悲なる葉陰・エティエンヌ(c25992)
馥郁・アデュラリア(c35985)

NPC:砂鷲の魔想紋章士・ナルセイン(cn0172)

<リプレイ>

●苺ショコラと秘密の箱舟
 ――アルカ・ディ・スカートラ!
 黒の天鵞絨めく闇空に蜂蜜色の月がかかる夜、今夜の月より甘い秘密を抱いた箱舟が呼び名の呪文に応えて接岸する。
 優美なゴンドラの上には淡いミルク色の硝子を流麗な金彩が彩る、宝石箱を思わすショコラトリー。
 夢の宝石箱に足を踏み入れれば慈悲なる葉陰・エティエンヌ(c25992)は秘密のサロンに招かれた心地になれた。洗練された所作でさりげなく帽子と黒檀のステッキを預かってくれる店員、靴越しに感じる蔦花模様の絨毯の柔らかさ、暖かみのある葡萄酒色の天鵞絨を張るソファに、優美な猫足とマホガニーの古艶を備えたテーブル。
「まあ……素敵ですわ」
「本当に魔法の世界に来たみたいですねー」
 唇だけでなく心も綻ぶよう、知らず素で零れたエティエンヌの女言葉。
 けれど彼の女性的な容貌ゆえかダンシングブレード・エリーシャ(c15180)はその口調に違和感を覚える様子もなく、秘密の空間を満たす浪漫と甘やかに漂う香りに瞳を輝かせた。
 ――さあ、まず何から楽しもう!
 硝子の宝箱を思わすショーケースを早速開いてみる無邪気なエリーシャの姿に瞳を細めながら、馥郁・アデュラリア(c35985)はひっそり店員と交渉する砂鷲の魔想紋章士・ナルセイン(cn0172)が嘯く浪漫譚に耳を傾ける。
 籠の鳥のごとき日々を送っていた歌姫と、心鎖すような鳥籠を開いて夢と光溢れる世界へ彼女を連れ出した磊落な魔法剣士。夢色の廃墟で夜明けを迎えた二人の逸話が苺のショコラにどのように繋がるのか期待を寄せつつ、銀のトレイで運ばれてきたデミタスカップの持ち手をそっと摘まむ。
「ほんとに、すてき」
 浪漫にか、甘やかな白に蕩けるホットショコラの香りにか、アデュラリアが吐息の笑みを転がせば、甘さをふわりと混ぜる夜風とともに、秘密の箱舟が新たな客を迎え入れた。
 ねぇ、もし初めての甘さを口にできたら。
 ――それだけで秘密の魔法を識った気分になれるかしら?
 綺麗な宝石箱を思わす店の外観に気後れしかけた霧氷の蒼剣士・ポウ(c07468)の緊張を、優しく楽しげに耳を擽る白薔薇詩篇・ノシュアト(c02822)の囁きが和らげてくれる。
 微笑みとともに差し伸べられたポウの手を取り、岸から乗り込んだ船上のショコラトリーはたちまちノシュアトを虜にした。何が当たるか運任せというのがショコラの卵の醍醐味となれば、まず挑むは硝子の宝箱めくショーケースに整然と並ぶプレートショコラ。
「あらん、どれも素敵で迷っちゃう♪ ね、ポウちゃんにひとつ選んでいい?」
「嬉しいな、忘れられない味になりそうだ」
「今夜の思い出になるかしら。そうだ、どなたかノシュアトちゃんにも思い出を選んでくれる?」
「まあ、可愛らしい方。わたくしで良ければ今夜の同席の記念に」
 少女のようにはしゃぐノシュアトに誘われた風を装うのはアデュラリア、肩を並べて仲良くケースを覗き、試食の幸せにくすくす笑み交わす。
 深煎りカカオの濃厚さに甘い花の香が余韻を引くショコラ、アデュラリアがその一枚をノシュアトへ贈れば、この夜そのものみたいねと声を弾ませた彼女は、ポウのために今夜の空よりも深い闇色の一枚を選びとる。
 飛びきりビターな色のそれをぱきりと齧れば、意外に軽快な苦味の奥から甘いマロンリキュールの香りと味わいが溢れくる。思わずポウが相好を崩したその時、再び秘密の扉が開いた。
「わ、美味しそう……!」
「成程、確かにこれは食べられる宝石だな」
 新たに来店した男女に一瞬店員の瞳が煌いたのは、優しい月あかりと深く豊かな夜の彩、互いに映え合う装いの陽凰姫・ゼルディア(c07051)と奏燿花・ルィン(c01263)の姿が目を惹いたから――だけではなくて、二人が某浪漫譚の歌姫と魔法剣士だと察したから。
 自分達がどう語られたのかはまだ識らぬまま、ゼルディアもまずプレートショコラと御対面。好みで選ぶのもいいけど99種類の中から偶然に出逢うのもきっと素敵とルィンに囁いて。
「てことで、私26番!」
「それなら俺は37番だな」
 26番は鮮やかな酸味にキャラメル思わす濃厚な甘味が蕩け、
 37番は華やかな苦味に陶然と甘いシェリー酒の風味が踊る。
「ふふ、どちらも心躍る味わいのようですよ」
 二人へ物腰柔らかに語りかけたエティエンヌが己の舌で確かめずともその味を知るのは、先程から魔法に浸る心地で店員の説明に聞き入っていたから。
 極上のハーモニーを奏でる、ショコラの魔法。
 熱い珈琲に合わせたいアーモンドプラリネ入りや、濃厚なガナッシュ入り。硝子の箱へ秋の夜長に恋しくなりそうなショコラを詰めてもらえば、一緒に味わいたいひとの面影が浮かぶ。
 気難しい婚約者もきっと微笑みを見せてくれるはず――と笑顔でエティエンヌが席を立てば、ふと視界に入った店の奥、その婚約者にも劣らぬ気難しい顔で硝子の塔と相対する娘が瞳に留まった。
 意を決して引かれるレバー。箱を満たすショコラ色に零れる溜息。
 二十歳ばかりと見えるその娘に気づけばアデュラリアも皆へ目配せを送り、
「ナルセイン様、一緒に硝子の塔を引いてくれる?」
 浪漫と偵察を兼ねて――と悪戯な囁きで態とらしく付け足しつつ願えば、だからあんたは侮れないと愉しげに囁き返した男の指が、女のおとがいへ淡くかすめるよう触れる。
「あんたとならきっと、極上の期待にぷるぷるしちまうね」
 見上げるように大きな硝子の筒は本当に、魔法の塔として物語に登場しそうな佇まい。
 秘密の機械仕掛けを知っていても魔法にかかってしまいそうで、どんな卵が当たるか楽しみですと声も胸も弾ませてエリーシャは硝子の塔に挑む。
 金色のレバーを引けば重い手応えとともにざらざら零れてくるショコラの卵。
 三つほど頬張ってみれば、秘密の中身は甘い胡桃シロップに酸味の強いドライパイナップルと、
「……! 林檎のマシュマロ入りなんてあるんですねー!」
「へえ、面白いな! ノシュアトも一緒にやろうぜ、俺から贈るよ」
「あらん、嬉しい♪ 素敵な魔法でいっぱいにしましょ♪」
 瞳を輝かせたポウも心は少年に返ったよう、少女めく無邪気さ湛えたノシュアトがやってきたなら、一緒に金色のレバーで硝子の塔の扉を開く。
 硝子の箱へ数え切れない魔法が満ちたなら、それはまさしく小さなアルカ・ディ・スカートラ。
 宝石箱に白薔薇のリボンをかけ、ポウは今夜限りの彼の姫君へすべての魔法を贈る。
 あのリボンもきっと魔法ね、流石はポウ先生だ、なんてひっそり囁き交わしながら、アデュラリアも乙女心を擽ってやまない塔の前に立つ。二人で金色のレバーを引く瞬間も、ショコラの卵が溢れくる感触も堪らないときめきの宝庫。
 ほら、とナルセインが差し出した一粒を味わえば、
「お腹の巨獣さんも、ぷるぷるしちゃいそう」
 女の頬を緩ませたのは、甘く蕩けるライチのリキュール。
 華やかに秘めやかに、睦言めく囁きと触れあいのホントもウソも、とろりと甘くて苦い魔法の中。
 誰より深い魔法の淵でルィンが、囮たるゼルディアを標的に印象付けるべく注ぐのは、芳醇にして豊潤なエクストラダークの苦味も蕩かす極上の蜜の甘さ。
 抱き寄せられ、頬に跳ねたミルクのホットショコラを彼の指に掬いとられた娘は、その指先をぺろり舐めて見せる男に負けじと甘く彼の袖を引きつつ、やはり蜜の甘さを燈して上目使い。
「ね、硝子の塔にも挑戦したいんだけど……」
 一緒してくれるよね? と熱っぽく訴える瞳で見上げられれば、
「俺がゼルディアのお願いに弱いの、知ってるだろ?」
 娘の頬を掌で包み、間近で破顔してみせたルィンが、彼女を硝子の塔の許へ連れだした。
 弾む声とともに引かれるレバー、硝子の中で弾むショコラの卵達。
 数多のショコラ色に混じって薔薇色が転がりこんできたなら、
「きゃー! 苺のショコラが当たっちゃったー!!」
「やったなゼルディア!」
 満面に笑みを咲かせて歓声あげた娘と抱き合ったルィンが、そのまま彼女を持ち上げるようにしてくるりと一回り。偶然めぐりあったその幸せを我がことのように歓ぶノシュアトやアデュラリアを始め、他の客達からも次々祝福を浴びるゼルディアに拍手を贈りながら、エティエンヌは瞬きも忘れて食い入るように彼女を見つめる娘を意識に留めた。
 翠玉の瞳が視界の片隅に捉えるその娘こそ、苺のショコラに焦がれ棘を手にした娘。
 ――クレオ嬢はこの光景、何度目にしたのでしょうね。

●苺ショコラと硝子の夢筐
 歌姫が苺のショコラを引き当てたなら魔法剣士はその幸せをもっと確かなものにすべく、想い出の在り処で一世一代の求婚をするつもりだって言うんでね――。
 偶然逢った旧友に声をかけられたといった態で別れたルィンが、その旧友が交渉に使ったそんな創り話を聴かされてるとはまだ知らず、夜の運河のほとりでひとりになったゼルディアは、眠るように静かな街を軽やかに往く。
 幸運を手にした娘と、幸運に焦がれ棘を手にした娘と、棘を滅する力を手にした者達の鬼ごっこ。
 密やかな道行きの果て、幸運な歌姫が袋小路へ足を踏み入れたなら、ひそりその後をつけていた娘の指先に硝子の煌きが閃いた。――瞬間、
「クレオ!!」
 更に後方から鋭く夜を裂いたポウの声が仮面の娘に大きな隙を生む。
 彼の傍から翔けた妖精が反射的に振り返ったクレオの頬へと抱きつけば、妖精を追い越す勢いで馳せたルィンが囮のゼルディアと仮面の娘の間に割り込んだ。
「そんな、一人になったんじゃなかったの……!?」
「悪いな、待ち合わせしててね」
「そう。私、貴女を待っていたのよ――クレオさん」
 硝子の煌き散らすよう揮われる黒漆の銃身、至近で爆ぜた銃声の余韻ごと、瞬時に立ち上がった美しい硝子の箱が彼も歌姫も閉じ込めたけれど、泪月に潤む扇がゼルディアを颶風に乗せ、裡から言の葉届けるように硝子を破った。
「ナルセインちゃん、一緒にクレオちゃんへ……捧げましょ!」
「あんたほど優しくは無理だろうが、了解!」
 朝靄めく硝子の煌きも孕みながら仮面の娘を打ち据える風、煌きに瞳細めた笑みも魔力に変え、甘やかに紡がれるノシュアトの子守唄が蕩ける眠りへの誘惑でクレオの力を鈍らせる。
「このままその仮面、打ち砕かせてもらいますねー!」
 紋章から馳せた黒鉄兵団を追うのは、揃いの三つ編みを夜風に躍らすエリーシャとデモンの分身。一糸乱れぬ挟み撃ちの連撃が激しく腹部と臓腑を抉れば、堪らず身を折る仮面の娘。その手の鞭が鮮やかな焔を宿すより速く、無慈悲な短鞭がその顔を上向かせた。
 巻き付く勢いで撓り、締め付ける如き強さで喉に先を食い込ませる乗馬鞭。
「夜歩きのお嬢さん、ご機嫌はいかが?」
「麗しい――なんて言うと思ったら大間違いなんだから!」
 常の紳士的な笑みを嗜虐のそれに塗り替えたエティエンヌに制約を刻まれ自制を奪われ、悔しさも屈辱も露わにクレオが叫ぶ。けれど一粒零れた涙は別の感情によるものに思えて、アデュラリアは柔く言の葉を継いだ。
 恋焦がれるそれは他人の幸運。奪っても決して貴女のそれにはならないけれど、
「それでも、すき?」
「好き……!」
 心乱されながらも迸った彼女の本音。
 淡く笑んだ女の手から舞ったマジックマッシュが、朝靄めく煙で甘くクレオの力を削いでいく。
 鮮やかに燃え盛る焔の鞭、淡やかなミルク色と金に煌く硝子箱の罠。
 自制なくした娘が繰り出す技は狙いを定められず、闇雲に捉えた標的の周囲に広がることもない。袋小路に誘い込まれた娘を皆と囲い込む位置取りで、エリーシャは琴剣の弦に指を踊らせた。
「幾千の魔剣の舞曲、いきます!」
 戦いのたび口にするこの言葉が少女にとっては魔法の呪文。
 焔の鞭の一閃を耐え凌いで奏でた音色に導かれるよう、霊魔の剣が嵐の如く舞い踊ってクレオの身も棘も斬り裂けば、続け様にエティエンヌの牙持つ蔓草が奔る。
 瑞々しい緑も勢いよく繁茂するその様も、何処となく初夏の葡萄を思わせて。
「幸運を受け取る機会を永遠に失うことには、同情いたしますわ」
 残念です。傷へ食い込む緑に縛られた娘に彼はそう笑んだけれど、大丈夫、まだ機会はあるわと微笑んだゼルディアが己の宝石箱を開いて見せた。
「この苺のショコラは贈り物――貴女のよ、クレオさん」
「私、の……!」
 ありがとう。
 そう笑み返し、手を伸ばせば良かった。
 なのに棘の衝動に呑まれた娘は、硝子箱の罠でもって贈り物を奪わんとした。
 悲しい。
 棘に彼女の心が歪められたのが悲しい。
 ――ショコラの卵から孵るのが、夢や希望だけなら良かったのに……!
 狙い乱れた硝子はゼルディアでなくルィンを世界から切り離す。クレオの心を棘に攫われた心地で迸る歌姫の即興歌が風と焔を躍らせる。焔にひときわ輝く硝子の箱を見上げれば、深く胸に萌した想いを現すよう、ルィンの右手の上で戦闘光輪がいっそう強い輝きを帯びた。
「なぁ、クレオ、あんたの欲しかったのは、本当は違うものじゃなかったのか!?」
「やっぱそう思うよな! 本当はそれじゃなくて、別のものが欲しかったんだろ、クレオ!!」
 眩い光輪が硝子を破ってクレオに届けば、装飾の翼馬が羽ばたくかの如く揮われたポウの月剣が膨れ上がる月光で娘を圧倒する。
 ショコラの魔法。
 それに焦がれる者は、心に染みついた寂しさ報われなさをとろりと塗り替えてくれる何かを求めているようにも思えるから。
 例えば、苺が舞い降りた歌姫に大はしゃぎでバニラの香り蕩ける雪色ショコラを贈ったノシュアトの笑顔だとか、迷いも照れもなく歌姫と抱擁しあったアデュラリアの歓喜だとか――そんな、何か。
「そんなの……!」
 涙まじりのクレオの叫び。
「もし自覚できていたなら、きっと違っていたわよね」
 甘さも切なさも抱いてそう笑んだのはアデュラリア。想いの源も理由も自覚できぬままに焦がれる様はまさに恋のひとつのかたち。恋の葬送に氷の刃揮えば、やはり朝靄めいて煌く魔法の霜が生みだされた。
 硝子の箱を創る娘が氷の棺に包まれゆく光景が、切ない夢のようにノシュアトの胸に沁みる。
 ねぇクレオちゃん。
 ノシュアトちゃんは、ショコラの卵が苺でなくミルククリームだって幸せよ。
「何であれ貴女が手にした一粒こそが……素敵な魔法だったんじゃないかしら」
 白薔薇リボンの宝石箱を抱いたノシュアトの言葉にクレオが微かに瞠目した瞬間、密やかな歌声に震えた仮面が罅割れる。端から霧散していくそれと静かな子守唄に誘われるように、苺のショコラに恋焦がれた娘はゆうるりと、その瞳を閉じた。

 永遠の眠りについた娘の手をルィンが胸元で組ませてやり、その中にゼルディアが苺のショコラを忍ばせる。終わりを迎えた彼女にはもう幸運ではないかもしれないけれど。
 ――棘の解けた貴女に今度こそ、解けない魔法をあげるね。



マスター:藍鳶カナン 紹介ページ
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参加者:7人
作成日:2014/10/17
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