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スイートレインの揺籠

<オープニング>

●夏空の街ラーラマーレ
 世界で一番青い夏空から、とびきり淡くて優しくて、このうえなく甘やかな雨が降る。
 眩いほどの夏空の青にふうわり浮かぶ、淡い淡い羽毛みたいな儚い薄雲から降る優しい霧雨は、静かに澄ませた耳にさぁんと届く雨音も幻みたいに儚く、肌に触れればその瞬間にもさぁらり乾いてゆく、夢のように淡い雨。
 けれど傘もいらぬほど淡い淡いその雨が、普段は眩い夏陽に鮮やかに輝き映えるラーラマーレの街並みをふうわり淡く柔らかにけぶらせる。滴るような街路樹の緑はひときわ深く瑞々しく、輝く陽に眩く照り映えていた真白な街並みは朝靄のように柔く霞んで、夏の雨の日特有の、切ないように胸に迫る濃い水と緑の匂いが、吐息が触れるほど間近で息づき始めるよう。
 淡く優しく、夢の霞か霧のようで、それでいて確かに息づく甘やかな雨。
 傘もいらぬというなら、その甘さ優しさを直に享受しなければもったいない。

 いつも眩く輝いている街並みが優しい霧雨の紗に包まれる様を、ゆうるり眺めながら散策しようか。夢のような雨にもっともっと潤され、心地好さに震えているような夏空色の運河にゴンドラを浮かべ、舟縁に柔らかにもたれて、限りなく淡い雨が水面にいくつも描く柔い波紋を眺めてみようか。
 それとも。
 眩い夕陽のように熟したオレンジ実る街路樹の木陰に、古い貴族の邸宅を改修した宿の、美しい噴水と優しいシュロの木陰が彩るパティオに、夏空の街で暮らすために借りたコテージの庭に。
 そんなお気に入りの場所に吊るした、ハンモックチェアに揺られようか。
 夏空の街のハンモックチェア――ハンギングチェアとも呼ばれるそれは、軽やかな籐で大きな卵を編んで、それをななめにくりぬいたような姿をしている。くりぬかれた籐編みのたまごは大樹の枝や優美な錬鉄製のスタンドに吊るし、中に柔らかなクッションを敷き詰めたそのたまごのなかへ、まるで揺籠におさまるよう、鳥籠に抱かれるように身を沈めれば、こころもからだも優しく柔らかな揺らぎに包まれる。
 風通しがよく、それゆえ淡い淡い雨をも通す鳥籠のようで揺籠みたいな椅子に深く沈めば。
 淡いあくびのように自然と口をついた、疲れた、という己の言葉に、識らぬうちにこころやからだの奥に澱のごとく沈んでいた疲労に気づくこともあるだろう。
 傍らに感じた温もりに吐息のように溢れた、大好き、という己の言葉に、識らぬまに辿りついていた恋の淵の深さに思わず瞳を瞬くこともあるだろう。
 けれどそれらも、幻みたいな水音と夢のような雨の紗に優しく潤されて融けてゆく。

 ――スイート・スイートレイン。
 舌に甘いわけではないけれど、心に柔く甘やかに触れる雨。
 火照った心を、識らず張りつめていた心を、淡く優しくゆるめて、甘やかに潤してくれる雨。


●スイートレインの揺籠
 ――ね、あなたにもあの、スイートレインのエンディングが視えた?
 眩い朝の光と賑やかな活気に満ちた、夏空の街ラーラマーレの朝の市。
 鮮やかな赤と黄のパプリカに緑鮮やかなズッキーニ、そしてミントティー用らしい大きなキャンドルみたいな砂糖の塊を買い込んでいた夏空の狩猟者・アンジュ(cn0037)と行き逢えば、楽しげに瞳を煌かせた彼女がそう訊いてきた。
 幸せな内緒話を明かすようなその口振りに笑み零し、もちろん、と秘密めかした声音で返す。
 世界で一番青い夏空から、とびきり淡くて優しくて、このうえなく甘やかな雨が降る。
 ――それはこの日の昼下がりにラーラマーレへやってくる、夏空と星霊クラウダからの贈り物。
 すごく、すごく楽しみ。
 ひそやかに声を弾ませる彼女の様子に、こちらの心まで弾むよう。
 さあ、優しいスイートレインに包まれる夏の昼下がりを、どんなふうに過ごそうか。
 いつも眩い夏陽に輝いている街が夢のような紗にけぶる中を散策するのも、淡やかな昼下がりの雨の心地好さに震える水面に浮かべたゴンドラに揺られるのも、きっと時を忘れるような夢心地。
 もちろん、鳥籠のようで揺籠みたいなハンギングチェアにも心惹かれるけれど――。
「ね、それならミントティーもどう?」
 ゆるり廻らせた思いを見透かしたように、暁色の娘が瞳を覗いて悪戯に笑んだ。
 夏空の街のミントティーは爽やかなハーブティーではなくて、珠のように丸めた緑茶とフレッシュな生のミントをたっぷり使って入れた濃厚な茶に、砂糖もたっぷり溶かした、飛びきり熱くて苦くて甘い、何処か蕩けるように官能的でエキゾチックなもの。
 淡く優しく甘やかな雨に抱かれて、鳥籠のようで揺籠みたいなハンギングチェアに気だるく心地好く沈んで、傍らのティーテーブルに手を伸ばして熱いミントティーを味わったなら。
 飛びきり熱くて苦くて甘くて、けれどそれゆえに、熱に浮かされるようにふうわり昇る清涼感が、雨に甘く優しく潤されて融けた心もふうわり浮かびあがらせてくれるはず。
 雨の優しさに溺れながら、優しい光の紗の波間に浮かぶ。
「あのね、そんなふうにスイートレインを楽しめたなら、また逢おうね」
 世界で一番青い夏空から、とびきり淡くて優しくて、このうえなく甘やかな雨が降る。
 そんな今日の昼下がりをあなたがどんなふうにすごしたか、きっと聞かせて欲しいと思うから。
 朝の市での別れ際、暁色の娘はそう笑って手を振った。

 ――スイート・スイートレイン。
 舌に甘いわけではないけれど、心に柔く甘やかに触れる雨。
 火照った心を、識らず張りつめていた心を、淡く優しくゆるめて、甘やかに潤してくれる雨。


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参加者
NPC:夏空の狩猟者・アンジュ(cn0037)

<リプレイ>

●アクアスプレー
 世界で一番青い夏空から、とびきり淡くて優しくて、このうえなく甘やかな雨が降る。
 振り仰ぐ夏空は眩いほどの青。揺蕩う雲は羽毛よりも淡く透けて、優しい霧雨は頬に触れた途端にふうわり消えるのに、ナナミが瞳を閉じれば、切ないくらいに胸に迫る濃い水と緑の匂いが、吐息が触れるほど間近で確かに息づき始めた。
 瑞々しく息づく世界の優しさに、胸を洗われ心を潤されていくかのよう。
 水面を震わすように目蓋を開けば、瞳に映るのは滴るような街路樹の緑も眩く輝く白の街並みも、優しい霧雨に柔くけぶらせた夏空の街。甘い雨息づく世界をさあ往こう。
 ――偶には、こんなひとときも悪くない。
 滴る緑の息吹まで聴こえそうな街路樹の木陰、潜りこんだ籐編みのたまごの裡で恋人達は、淡い霧雨より柔い幸せ色の吐息を溢す。揺籠より甘い揺らぎのたびに、誰より間近で感じる愛しいひとの温もりが互いの肌へ融け込んでいく心地。
 夜色けぶる睫は柔く伏せられ、けれど花の唇は今にも咲き初めそう。
 幸福な揺らぎに抱かれてそうっと見惚れていた彼女の横顔が、細波寄せるよう自然にラウンドへと向いた。蕩けそうな赤の瞳に見つめられれば胸奥で鼓動が跳ねる。
 濡れているよ、なんて見え透いた言い訳ささやいて、アカツキが潤う絹糸めく光を湛えた彼の金の髪を撫でれば、梳くようなその指先の甘さに新緑の双眸和ませ、陽だまりで撫でられた仔犬みたいに瞳を細めたラウンドも笑みを漏らした。
 お返し、と彼が夜色に触れる柔さも髪越しに感じる掌の温もりも甘やかで、
「偶にはこんな特別も、いいでしょう?」
「偶にじゃなくても、構わないのだけど」
 悪戯に嘯いた彼女が指先へすり寄せた頬の温もりが、眩暈がしそうなほどに甘い微熱をラウンドの胸の芯へと燈す。優しい微熱の波が互いに寄せ合うよう。蕩ける心地好さにアカツキが微笑み咲き綻ばせれば、淡い雨音にふわぁとあくびが溶けた。
 ――参ったな、まだ眠るには早い時間なのに。
 ――大丈夫、アカツキさんが眠るまで見守ってるから。
 愛しいひとの囁きが、誰より傍で柔らかな寝息へと変わる――しあわせ。
 雨の日に柔い眠りの波が寄せてくるのはいつものことだけど、これほど優しく柔らかな雨となれば、寄せる波もこのうえなく蕩ける甘やかさ。
 夏空色の運河から流れくる風もひときわ柔らかに潤う庭へとハンモックチェアを設えて、敷きつめたクッションに身を沈めれば知らず溢れる吐息の笑み。緩んだ紅の瞳が映した姫君へ、リューウェンは自然と手を伸ばす。紡がれるのは眼差しそのままの声音。
「どうか一緒に、夢の中へ」
「うぅ……妾が断れないってわかって言ってらっしゃるでしょう」
 ――リュー殿のいけず!
 柔い雨音よりも優しい声にふるふるしつつも、ラヴィスローズは迷わず彼の腕の中へ飛び込んだ。抱きとめてくれた胸も腕も暖かで、
「……このままで眠るのはダメだろうか?」
「……夢の中でもぎゅってしてくれる?」
 夢のような雨より甘い言の葉そそがれたなら、姫君は悪戯に笑む彼の耳許へ唇を寄せ、耳も心も甘やかに擽るおねだりを――した、瞬間。
『くえっ!』
 勢いよく雛っこ達に飛び込まれ、一拍置いて二人の笑みが弾けた。
 独り占めはダメだということだなと苦笑するリューウェンに、『くえくえっ』と頷く相棒ペンギン。揺籠の隙間を埋めるよう相棒家族が収まれば、ひときわ優しく水の匂いが満ちた。
 彼の温もりに抱かれて雛っこ達の温もりを抱きしめて、瞳を閉じればゆうるりラヴィスローズの心もほどけてゆく。零れかけたひとしずくの想いも、今はそうっと雨に溶かした。
 ――だいすき。
 明るく透きとおった森の緑に跳ねる朝露思わす銀彩。けれど涼やかなミントティーグラスに揺れる琥珀色の滴は熱く蕩ける甘さでクローディアを潤した。じわり滲む苦さに柔い吐息を溢す。
 胸の芯に芽吹いた初めての気持ち、その苦さによく似てる。
 空腹みたいなその感情が美味よりも苦味を連れてくる。このお茶のように飲み込めるものだったら良かったのに。
「一度溢れたら、止まらないのね」
「ん……識らなかった頃にはもう戻れない」
 籐編みのたまごの裡で肩を寄せ、夏空の狩猟者・アンジュ(cn0037)がとろりと笑んだ。
 お互い根っから狩猟者だね。命と心が生きるため、欲しくて堪らないものを狩りに行く。
 ――手を伸ばさなければ、胸が潰れてしまいそう。
 雨音に溶ける囁きにふわり浮かびあがるようクローディアも笑んだなら、今日はひと休み。強張りも怖がりも柔い紗にくるまれ、ゆうるりほぐされていく心地には覚えがあった。
 この雨みたいな桜色のストール、本当に嬉しかった。
 ――ありがとう。

●ウィステリアミスト
 籐編みのたまごを満たす柔らかさに沈み、足が浮けば優しい揺らぎのなか。迷子になった気持ちもゆらゆら漂いだすかのよう。
 ――不思議だね。
 眩いはずの景色を朧に霞ませる雨。翳す掌に雨露が珠を結ぶことはないのに、確かに降りそそぐ優しい雨。甘い柔さに攫われそうな心を引き留めるべく、ミントティーに手を伸ばす。
 浴びるように鮮烈な、甘さと苦さと熱さ。
 途端に傍らのアンジュがぎゅうっと抱きついてきたから、ヴリーズィはぽろぽろ溢れだした己の涙に気づいて唇を引き結んだ。甘さが苦さが熱さが心の糖衣を融かし、その芯を露にする。
 未熟さ愚かさ臆病さ。顔色を窺うのも踏み出せないのも――結局は、怖いだけ。
「あのね」
 怖いんだって自覚できたら、次に進む路が見えるの。抱きついたまま囁かれる言葉に頷けばまた涙がぽろぽろ落ちた。乗り越えたいから。ちゃんと向き合うから。
 どうか、今だけは。
 蜜色の小鳥めく少女が跳ねるような足取りで庭へと誘う。
 霧雨にけぶる夏花の庭に置かれた大きな籐編みのたまごはまるで、
「鳥の巣だね」
「じゃあ私は鳥ね!」
 お招きした彼の言葉に輝くような笑み咲かせ、星霊スピカを抱いたアレンカレンはそのままぽふり鳥の巣に収まった。彼女の腕の中の星霊と目が合い、ああ、保護者が厳しい目で見てる――なんて思ってしまうのは、フォシーユの胸に気後れや後ろめたさに似た何かが沈んでいるからか。
 胸底に澱むのは絡むしがらみ、失くした自尊心、癒されざる恐怖。時折頭を擡げるそれが優しさを隔て、心を曝せぬ弱さゆえに壁となる。
 壁を越えるすべも、望みを叶えるすべも、遠くて。
 淡く柔い雨が庭の草花に音もなく跳ねて踊って煙る。ふわりけぶる甘やかな雨の霧、まるでそれが厚い煙硝子の壁であるかのように立ち尽くす彼が霧に消えてしまいそうだったから、アレンカレンは三白眼気味な星霊を膝におろした。
「フォシーユ、来て。一緒に座りましょ?」
 やっぱり、貴方と一緒がいいから。
 まっすぐ咲く笑み、伸ばされる両腕。
 心を鎧う氷の鏡から溶け出た水を彼女の手に掬ってもらえたなら――心眩ます甘やかな白昼夢。けれど触れあう指先は『お嬢さんと使用人』たる世界の殻を壊すことはなく。
 それでも。
 柔い雨が肌を撫でるなか、彼の指先を受けとめたアレンカレンの指先に、自然と綻ぶフォシーユの両頬に、優しい熱がほんのり滲む。
 籐編みのたまごの裡は思わず頬も緩む居心地好さ。
 甘くて熱いミントティーが身体の芯に燈す熱と淡い眩暈みたいに昇る清涼が相俟って、何処までも柔らかな波に揺蕩うような眠りに絡めとられそうになる。
 けれど、傍らで次々ミントティーに落とされる砂糖の塊がシヅマの心を現に引き戻した。
「……ねぇ、そのお砂糖の量はちょっと」
「入れ過ぎとか言うなよ? 甘党なんだ」
 蕩ける熱さとたっぷりの甘さに熱い清涼と苦味、肌に心に彼女の温もりを感じて沈む二人の揺籠。このうえない贅沢にローも存分に頬を緩ませて、柔いひとときにゆったり沈む。
 思い返せば二人の時を刻み始めたのは一年前、この夏空の街でのこと。
 二人で紡ぎ、歩んできた時間は、
「恋人というには物足りんかったかもしれんが――」
「色っぽさが足りなかったってこと?」
 ふわり軽やかな笑みと挟まれる女の戯れも心地好くて、俺にはとてもいい時間だったと男は改めて話を継ぐ。これからもこんな風に、ゆうるり同じ景色を眺めて、
「そんな時間を、ずっとシヅマと重ねていきたいと思っとる」
「ふふ、そうね。私もあなたと一緒にのんびり同じ景色を見ていたいわ」
 返る声には柔い幸福感。やっぱり婉曲じゃ伝わらんかと頭を掻いて、へらり笑ったローはいつもの調子で告げてみた。
「結婚しよう」
 鮮やかな夏空色に金彩踊るミントティーグラス。昇る湯気が霧雨に紛れぬうちに取るそれに鳥籠で憩う金の唄い鳥を映し、熱い滴含めばギルの意識の芯まで眩ませそうな香りが押し寄せてきた。
 鳥籠に降る雨は柔く甘やかで、重ねあう手がひときわ優しい熱を生む。
 熱い滴はアクアレーテをも潤した。苦味も混沌と蕩けそうな甘さをこっくり噛みしめれば、昇る熱に連れられた清涼感が意識の芯まで染み渡る。傍らに深く沈む彼を眺めれば、心の鍵も水の波紋が広がるように緩んで、綺麗な言葉をもう一度、偽りなく届けてくれそうな心地になれた。
 ああ、けれど。
「ここで眠っててもいいかな」
 ふわり溢れたのは、そんな言葉。
 それでも深い湖めいた藍の瞳を映せば、甘い雨にも溶けぬアイスブルーの双眸が和らいで。
「傍で見守ってるよ」
 ――肩を貸そうか、レーテ。
 もし深い眠りに囚われたなら、迎えに行く。
 慈雨より優しく注がれる言葉に柔い微笑み燈し、金の鳥が彼の肩に寄りかかる。甘やかな温もりと重みを感じ、眠り姫の手からグラスを奪えば、ギルの意識も柔い熱と眠りに攫われた。
 目覚めた往く先が、光に満ち溢れる世界であればいい。
 二人で揺蕩う微睡みの波間に、おやすみ、と囁きひとつ。
 波間に届いた囁きに、眠り姫の唇がかすかに綻んだ。目覚めたならきっと伝えにいくから。
 ――誰より尊く、愛しているよ。

●レヨンベール
 飛びきり柔い雨露がエクルベージュの石畳に描いては消える水模様、戯れにそれを追ってみせる彼の歩調に合わせてみたり、運河に抜ける小路にふわりと気紛れに迷い込むアデュラリアの歩調に合わせ返す彼の瞳を、好奇心いっぱいの雛のように覗いてみたり。
 尻尾の『みたい』は置いてきたから、今日はまどろみのデート。
 夢や幻めいた儚い雨に潤され、夏空の街も光含んだ空気もこのうえなく淡い水の紗に揺蕩うよう。もしかして夢かしら、なんてよぎるけれど。
 ――先を紡いでいきたいと思ったから、
 ふと足を止め、けれど指はそっと霧雨の紗を潜り、彼の頬に触れる。甘やかに燈る、ぬくもり。
「ね、わたくしは、きっとずっと現よ」
 優しい雨の淵で掬った秘密を囁く声音はまろく、心地好さげにナルセインが瞳を細めた。
「ようこそ、夢の苗床から現の旅路へ」
 夢から現に咲いた花の頬を、男の指先が柔らかにたどる。
 擽るよう頬を撫でていく雨は優しくて、蕩けるようなミントティーは熱くて甘い。けれど柔い揺らぎに抱かれて寄り添う愛しいひとこそが、ガルデニアに何より甘く優しい熱をくれる。
 瞳を閉じれば感じる優しい雨音に、ロゼリアの胸にいつかの雨町の音色が跳ねたけど、その胸を雨の日特有の切なさを含んだ恋人の匂いでいっぱいにすれば、蘇るのはオーベルジュの初夏の夜、霧雨のなかで舞っていた彼の姿。
 不安と心配と寂しさと、ふかふかのタオルともどかしさ。
 それらを抱いて窓辺で待った夜がまるで女の心から溢れたかのように、男が柔い苦笑を溢した。今自然と彼がそうできたように、いつも彼女に見透かされていたのかもしれない。
 ――雨の日は、さむくって、だから、独りになりたかった。
 甘えるのが苦手で、きっとそれ故に心配をかけて。
 けれど。
「今は、ちゃんと傍に寄れるよ」
 誰より傍で柔く蕩けた月の瞳に、瑠璃の瞳も甘く緩んだ。
 ――あの夜は、腕の中に抱きしめるのがクレルだけじゃなきゃ行っちゃいけないって、そう思って。
 けれど。
「ねぇ、今は私、どんな雨の中へでも、クレルを追っていけるわよ」
 ――だから、おいていかないでね。
 迷いない幸せの響きでロゼリアが紡ぐほんとうの名、ひときわ深く寄り添う温もりを、もっとと求める己の心にガルデニアの眦が緩む。甘さも熱さも、君が良い。
 ――こんなに求めてるんだから、置いてったりなんて、しないよ。
 夏空も湖も望む庭で籐編みのたまごに抱かれ、寄せては返す細波めいた霧雨の夢に揺蕩う。
 水中世界をペンギンになって翔け、星霊クラウダになって夏空を渡り、コテージへと昼寝に戻れば、自分と愛しい君の面差しを併せ持つ子供が腕の中に潜りこんできて――
 甘く身じろぐ、命の熱。
 微睡みから浮かびあがれば、間近で瞬いた金の瞳に、このうえなく幸せそうな自分の顔が映る。
「――ねえ、これも夢かな?」
 夢じゃなければ、君のキスがほしい。
 甘える子供のように囁けば、不意打ちにアンジュの目元が朱に染まった。幾度も瞬きした彼女が、狡い、と蕩けるような笑みを燈す。
「ハルネスさんて、寝起きと寝入りばなが一番素直なんだもの」
 甘く鼻を噛まれる感触に吐息で笑えば、笑みも吐息も唇で柔らかに探るようなキスが降りてきた。
 大好き、と唇で感じる、彼女の言の葉。
 だいすきだよ、アンジュ。
 とびきり淡くて優しくて、このうえなく甘い君のキスが。

 夏らしい光と影に彩られていた庭も今は淡い淡い霧雨の紗に霞む。けれど滴るような梢の緑は深く瑞々しく、実るオレンジの香りも雨の香りとともに肌へ染みこむ心地。
 馴染んだ宿の庭、お気に入りの一角も微睡みに誘われたかのよう。たまごみたいな揺籠で暖かな腕の中にすっぽり収まって、オニクスはふわり甘やかに色も音も吸っていく夢に浮かぶ。
 けれど、肌に感じる温もりも微かに聴こえる鼓動も――夢じゃない。
 優しい世界に、ふたりぽっちみたい。
 薄紗より柔い雨と腕の中の温もりの、幸せな心地好さに吐息を溢して、ヴフマルは目蓋を伏せた。潤う空気と雨の匂いも、地の底では忘れていた気がする。
 胸も心も潤えば、ゆるんだ心からぽつりと音が零れた。
 ――オニクス、さん。
「……どうした?」
「――なんでもない」
 ひときわ深く身を預けるよう身じろぎ、呼ばれた娘が瞳をあげれば、ヴフマルは切ないような安堵に満ちた息を深く漏らし、彼女の肩口に顔を埋める。だけど自分でもよく判らないまま、唇はぽろぽろと愛しい名を零し続け。
 優しい雨のよう絶え間なく、夏の雨のよう潤む熱で。
 何度も、何度も降る名前から、いつしか敬称も消えて。
 肩にかかる重みも降る名前も沁みるような心地で娘はヴフマルの頬に触れ、もう一方の手で彼の手を握る。あたたかな手を握り返せば、ようやくヴフマルは帰りついた心地になれた。
 ――オニクス、ただいま。
 ――おかえり、エルディ。



マスター:藍鳶カナン 紹介ページ
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楽しい 笑える 泣ける カッコいい 怖すぎ
知的 ハートフル ロマンティック せつない えっち
いまいち
参加者:19人
作成日:2014/10/21
  • 得票数:
  • 怖すぎ1 
  • ロマンティック9 
冒険結果:成功!
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