ステータス画面

幽世の宮

<オープニング>

●幽世の宮
 晩秋にもかかわらず深い千歳緑に覆われた山々を、ゆうるり湧きだした朝靄が彩っていた。
 爽涼たる冷たい早朝の空気を胸に満たし、広大な鎮守の森に抱かれた神社の鳥居を目指す。
 清らなせせらぎの響きにふと足をとめ、橋を越えた先に見えた石造りの鳥居を見上げたなら、丁度鳥居の彼方から昇り始めた陽のひかりに瞳を射られた。
 ――これが、橘の御来光。
 然程信心深くない男も思わず手を合わせた。音に聞く橘宮の早朝参拝、そのために旅籠を早めに出てきた甲斐があったというものだ。
 軽く一礼して鳥居を潜り、大きな橘の木陰にしつらえられた手水舎で手と口を浄めたなら――さあ、何処から宮をめぐろうか。
 橘宮。
 大きな鎮守の森の中に、火那山津見神を祀る本殿や壮麗な神楽殿を始め、八百万の神々を祀る様々な社が点在するこの神社は――もちろん、厳めしく仰々しい正式な名もきちんとあるのだが――橘宮という愛称で親しまれていた。
 冬にも緑枯れぬことから常世の象徴ともされる、橘の木が多く植えられていることがその由来。
 ここでは参拝客に振舞われる神酒も橘の実で造った橘酒だ。
 まずは橘酒を味わおうか、それとも本殿前の拝殿に詣でるのが先か、神楽殿の見物が先か。
 それとも、武雄尊と華玖那幸姫を祀る社を探して、夫婦円満を願おうか。
 気の向くまま歩を進め、郷里で待つ妻を想って小さく笑みを綻ばせた、その時。
「もし……。そこの殿方、よろしければ幽世の宮へ詣でませんか」
 深い朝靄たちこめる鎮守の森から姿を現した巫女に呼びとめられた。
 幽世の宮とは、橘宮の鎮守の森の奥深くに建つ社の名だ。
 小さいながらもその美しさで名高く、けれども鎮守の森の奥深く、獣道同然の路を辿っていかねば行きつけぬ社とあって、参拝客が滅多に訪れぬ場所とも聞く。
 慣れぬ者なら間違いなく道に迷ってしまうだろう。しかし、巫女の案内があれば問題あるまい。
 巫女に導かれ、男は軽い気持ちで朝靄たちこめる森へ足を踏み入れた。

 幽世の宮は確かに美しい社だった。
 だが、優艶な笑みを湛えた巫女が振り返り、鈴の音を思わす声音で歌い始めれば、男はもう社など目に入らなかった。蠱惑的な音律の繰り返しが男の意識を絡めとり霞をかけて、色情を煽ってゆく。

 情欲をあらわにした男に組み敷かれ、巫女は歓喜に身を震わせた。
 ああ、ああ、やはり彼だけじゃなかった!
 誘惑にたやすく絡めとられて堕ちる男はあのひとだけじゃない。これはきっと世の普遍、何処にでもありふれた良くある話で、仕方のないことなのだ。
 くすくす、くす。
「もう……しょうがないのね、男のひとは」
 愉しげに笑み零し、甘やかな喘ぎまじりで囁いて、巫女装束をはだけて柔肌をまさぐらんとする男を白い腕で抱き寄せる。しょうがないひと。しょうがない男たち。
 ――しょうがないから、その命ごと、あなたの魂を浄めてあげる。
 抱き寄せた男の背を柔く撫であげた巫女の手に、神々しい輝きを湛えた鏡が顕れた。
 すべてを滅するひかりが、世界を満たす。

●さきそめ
 艶やかな漆黒の髪と甘く濡れたような栃の実色の瞳が可憐な娘、シズクは、何処にでもいるようなありふれた神楽巫女だった。巫女としての務めも修業もそれなりにこなすが、それは通りいっぺんの行儀見習い程度のもの。時がくれば巫女を辞し、許婚に嫁ぐ。それがシズクに約束された道だった。――けれど、彼女の人生はある日を境に急転する。
 許婚が死んだ。
 親の決めた許婚とはいえ、幼い頃から互いに想いあい、睦まじく過ごした相手だった。
 不慮の事故や病による死であればシズクは深い嘆きに身を浸すだけだっただろう。
 だが、小鳥のように愛らしく、けれど淫らに誘惑のしらべをさえずるピュアリィにたぶらかされた彼が自ら望んで女妖たちに連れさられたのだという事実が、シズクの心を斬り裂いた。

「斬り裂かれ血を流す心で彼女が力を求めたのは、許婚を殺めたピュアリィへの復讐のためでした」
 微かに瞳を伏せた扇の神楽巫女・ナミネが、棘に手を伸ばしたシズクの末路を語る。
 彼女の許婚と散々絡みあって睦みあい、戯れに殺して捨てたピュアリィたち。初歩の術を操るのがやっとだったシズクは、棘の力を得て高位の神楽巫女の術をも操れるようになり、その術をもって女妖たちを殺しつくした。
 だが――ひとたび棘に身を堕としてしまえば、復讐を遂げてなお悪行を重ねずにはいられない。
 体の隅々にまで満ちた棘は心を蝕み、ゆうるり醸成した狂気で完全にシズクを呑み込んだ。
「力を増して、誘惑のしらべをも操る力を得た彼女は……朝靄の濃い早朝に男性の参拝客を幽世の宮へと誘い、人目につかぬそこで男性を誘惑した果てに殺すようになったのです。……そう、彼女の許婚が、ピュアリィにそうされたように」
 殺めた男の骸は森の奥深くに埋め、シズクは凶行を繰り返す。
 何度も、何度も。
 最早その命を断つことでしか、彼女を止めるすべはない。

 霊峰天舞の代理者たるナミネが視た終焉。そこで命を奪われる男の終焉を確実に防ぐには――。
「彼がシズクと逢うのを阻止し、どなたかがシズクに誘われる囮になって頂くのが一番かと思います。異国の装束では彼女に警戒させてしまうかもしれませんから……僭越ながらこちらでアマツカグラの衣装を用意させて頂きました」
 よろしければお使いください、と何枚もの着物や小物を広げてみせて、ナミネは話を戻す。
 橘宮の鳥居を潜ればすぐ見える手水舎で、件の男を見つけることができるという。
 特別なことをする必要はない。彼に聴こえるよう、
『何処から行こうか?』
『橘酒をもらいたいわ。早く行かなきゃなくなってしまうもの』
 とでも語り合って見せれば、男も終焉の光景とは異なる、橘酒のほうへ向かうだろう。
 あとは囮となる者が終焉どおりの場所へ向かって、他の男性参拝客が訪れぬうちにシズクと遭遇すればよい。
 シズクが狙うのは連れのいない男性参拝客。
 子供や少年は眼中にないようだが、青年より上であれば歳は問わないようだ。
 もし囮になれる者がいなければ、終焉のとおり、被害者の男が誘われるよう仕向けるしかない。
「囮の方が一人で歩き、他の方々は他人を装える距離をとっていれば、辺りが無人でなくとも彼女は囮の方を幽世の宮へ誘いに出てくるはずです」
 他の参拝客の目につく可能性を考えれば、その場で戦うわけにはいかない。
 巫女がマスカレイドとなったと知れれば、橘宮には悪評が立ち、人々にいらぬ不安を呼ぶからだ。標的が自ら人目につかぬ場所へ案内してくれるというのだから、それに乗らぬ手はあるまい。
 囮はシズクに導かれ、他の面々はひっそりと二人を追って。
 森の中では戦いの障害となるものが多いから、幽世の宮へ辿りついたところで戦いを挑めばいい。鎮守の森の奥深くにある社だが、宮の前は開けており、戦うのに十分な広さの空間がある。
「彼女は配下を持ちませんが、決して侮れない力を持っています」
 だが、負けるわけにはいかない。逃がすわけにもいかない。
 よろしくお願いいたします、と深く頭を下げて、霊峰天舞の代理者は話を締めくくった。


マスターからのコメントを見る
参加者
奏燿花・ルィン(c01263)
陽凰姫・ゼルディア(c07051)
霧氷の蒼剣士・ポウ(c07468)
光明の虎・リム(c11279)
暁の朱梟・シュリ(c19933)
手折られた花・ジョシュア(c22256)
星寂・コウセイ(c27006)
鳴けど飛ばず・チャイカ(c28448)

<リプレイ>

●朝靄の宮
 深い千歳緑の山間からゆうるり湧きだした朝靄の冷たさ、深々たる鎮守の森の樹々の香りに胸を洗われ、清らなせせらぎの響きと鳥居の彼方から昇り始めた陽のひかりに心を洗われるよう。
 荘厳な石造りの鳥居を潜ればそこは、深い千歳緑の鎮守の森の中に開けた神域だ。
 雪駄で踏む玉砂利の音を心地好く聴きながら、霧氷の蒼剣士・ポウ(c07468)は大きな橘の木陰に設えられた手水舎に瞳を向けた。
 引廻し合羽に振分荷物、如何にも旅の道中といった姿の男が柄杓に受けた水で手を清めている。間違いないね、と血色の瞳を細めた手折られた花・ジョシュア(c22256)と頷き合い、二人で何気ない風に手水舎へと歩み寄った。
 盃をくいと傾ける仕草をして見せつつ、態とらしくない程度に男の耳にも入る声量で、
「まずは橘酒で一献、かしらね。有難いお酒だもの、歳が足りずとも神様も片目を瞑ってくださるわ」
「早く行かないと無くなってしまうって話だしね、先にもらいに行こうか」
 こんな風に、と片目を瞑るポウの口から出た女言葉に、ジョシュアが軽くくつりと喉を鳴らして応じて見せる。もちろん両者とも呑む気も呑ませる気もないけれど、
「あの……」
 件の男が気遣わしげに声をかけてきた。
「不躾で申し訳ないが、神酒とはいえ、成人前の方に勧めるのは如何なものかと……」
「あ、あら、やっぱりそうよね!」
「残念、しょうがないね」
 慌てた様子でポウが取り繕い、ジョシュアが小さく肩を竦めた。どのみち演技だ。橘酒の話が男の耳に届いたならそれでいい。
 ああ良かった、と二人に会釈した男が終焉とは別の方角へ向かっていく。
 ――拗ねるなジョシュア! もし橘花の御守りとかあれば後で買ってやるから!
 実際に彼が拗ねているかどうかはともかく、暁の朱梟・シュリ(c19933)は友の背中に胸の裡でそう呼びかけた。けれど俺は呑む、とこっそり付け加えたのは秘密。
 絹を撫でるよう朝靄を流す風が通れば、松葉色に十字絣の袖の上から腕をさする。心が冷えても、今は何処かの旅空にいる別の友が見立ててくれた着物が温めてくれる。
 そんなシュリの様子に何かを感じたらしい星寂・コウセイ(c27006)が一滴ほどの自嘲を滲ませ口の端を上げた。互いに霊峰天舞生まれと見えるが、故郷に苦い記憶があるのも同じらしい。
「……少し話しながら行くか」
「それもいいな」
 久方ぶりに袖を通した着物。男物のその懐に椿咲く簪を潜めたコウセイがそう促せば、シュリも淡く笑って頷いた。数人ごとに分かれたほうがより自然に参拝客を装えるだろう。
 愛用の帽子はお留守番。
 今日の俺は故郷に恋人を残してきた参拝客だから、と鳴けど飛ばず・チャイカ(c28448)はひそりと笑んで、霊峰天舞の旅人らしい菅笠を小脇に抱えて手水舎の柄杓を取った。
 龍の水口から御影石の水盤に注がれる清水は、手を清めれば痛いほど冷たく、口をすすげばその冷たさが胸澄み渡るように心地好い。
 ――成程、模範的な参拝客だ。
 仮面の巫女を釣りだす囮となるチャイカの様子に得心しつつ、奏燿花・ルィン(c01263)もその彼と他人を装いながら手と口を清めた。清しい吐息をついて見渡す光景は、先程よりも心なしか清浄だ。
 朝靄が揺蕩う玉砂利の神苑、鎮守の森の奥から迫る千歳緑の山々、その彼方に蒼く霞む峰。
「年明けてからでもまたのんびり来たいよな」
「……うん。来れたらいいな」
 己が胸にまで深い朝靄が立ち込める心地でいた陽凰姫・ゼルディア(c07051)は、ルィンの言葉とふと見上げた橘の梢に小さく笑んだ。朝靄越しにも鮮やかな黄に色づく、橘の実。
 行こうぜ、と彼が翻したいつもの羽織の中に覗く桐文様に眦緩め、茜地に白の鳳凰円文が品良く散る借り物の小袖をそっと押さえた。瑞鳥が住むと謳われる木。
 手遊びのように指先でくるり菅笠を回す囮のチャイカが、漫ろ歩きの風情で終焉に語られた方角へ一人で足を向ける。辺りには其々自然な距離を取る仲間達。
 鷹の眼差しでも朝靄立ち込める森を見通すことは叶わない。けれど、森から姿を現してチャイカを呼びとめた巫女の姿は、光明の虎・リム(c11279)の瞳にはっきり捉えられた。
 清楚な巫女装束、可憐な容姿。
 常日頃は黙々と修行に励む少年も男として生物的に気にならずにはいられない。
 ――綺麗なお姉さんに全く興味ない奴はどうかしてる……と、思う、けど。
 仄かに匂い立つ色香に棘が滲むとなれば、話は別だ。
「もし……。そこの殿方、よろしければ幽世の宮へ詣でませんか」
 話に聴いたとおりの漆黒の髪、甘く濡れたような栃の実色の瞳。
 そして、只人には視えぬ肩の仮面。
「連れて行ってくれるの? 嬉しいね」
 哂うそれが視えているよとはおくびにも出さず、緩く笑んだチャイカは仲間の目に光る足跡を残して一歩を踏み出した。
 ――さて。寂しい者同士、慰め合いっこと洒落込もうか。

●幽世の宮
 鎮守の森は深く、更にはゆうるり揺蕩う朝靄が木々の合間を埋める。ひときわ静謐な森の奥深くへ踏み入るほどに、まるで世界に二人きりのような心地になってゆく。
 白衣に緋袴、馴染みの薄い異邦の装束。
 その立ち姿、揺れる髪の色、誘う声色も違うのに――ふとした拍子にかつて隣を歩いていたひとを重ねてしまう己の胸に滲む罪悪感。本当、慰め合いだね。淡く苦い笑みをチャイカが声なく洩らせばその瞬間、ふわり朝靄の紗を分けるように視界が開けた。
 美しい社があった。
 だが、優艶な笑みで振り返った巫女の唇から歌声が零れ落ちれば、確かに彼女から眼が離せなくなった。シズク。彼女の名前そのままに滴り落ちて、あっという間に理性を握り潰さんとする、強力な誘惑のしらべ。
 削られる気力の底で理性を保ちながらも、チャイカはゆるり彼女へ手を伸ばしてみる。
 後から追ってくる仲間達の気配を探りながらの時間稼ぎ。
「もう……しょうがないのね、男のひとは」
 蕩けるように笑んだ巫女からも迎え入れるよう伸ばされる手。その手がするりとチャイカの胸元へ滑り込もうとした、刹那。
 二人の間に華やかな羽織が翻った。
「よぅ、それ以上はいけねぇな」
 天狗が舞い降りるかのごとき勢いで割って入ったルィンが長い銃身を一閃、緋袴の裾を強く払うと同時に幽世の宮へ銃声を響かせる。
「……っ!」
 脇腹から血を噴き、足を挫いたかのように顔を顰めた巫女が反射的に身を翻さんとしたが、
「行けジョシュア! って、あれ!?」
「ちょっと此処借りるよ」
 黒から朱へ明けるシュリの棍が風を裂いた。友を一本釣りの要領で敵の退路へ――のつもりが、己を投げ飛ばさんとした棍先を足掛かりにジョシュアは自身の足で跳躍する。
 一気に飛び込んだ死角から銀の鋏を幾度も突き入れ、白衣と朝靄に咲かせる大輪の血華。
「君が誘ったんでしょ。最後まで相手をしてみせてよ、ねェ?」
「そうだ逃げるな! ピュアリィを倒した時のように、君が信じている力で戦えっ!!」
 社を背にさせる形で巫女を追い込む二人の意を汲んで、瞬時に回り込んだポウの氷の斬撃が更に巫女の動きを鈍らせる。中空に迷わず魔力の軌跡を描くチャイカの姿にシズクが眼を瞠った。
「誘惑のしらべが……効いてないの?」
「ごめん、人前で睦み合う趣味は、ちょっとないんだ」
 言葉だけは申し訳なさげに告げたチャイカの紋章から溢れるのは純白の鳩の群れ。それが視界を埋め尽くす寸前、彼女がこのうえなく嬉しそうに笑ったと見えたのは――気のせいだろうか。
 気のせいじゃないわ。
 そう確信したのは、恐らくゼルディアのみ。
 最初から戦場にいたチャイカはともかく、彼らを追ってきた側は遠距離技を揮うために一拍の間を必要とする。だが前衛陣の与えた麻痺がその一拍を埋めた。
 巫女の手に顕れた神鏡が何も生まぬまま消える。
 ――ねえ、やっぱりそうなんでしょう?
 心のみで紡いだ声が潤んで思えるのは何故だろう。生じた隙を逃さずゼルディアは、心をシズクへ歌を彼女が笑顔を見せたチャイカへ向ける。
「止めるぞ、それが力を持った者の責務だ!」
「俺達、エンドブレイカーだものな」
 最早棘から逃れられぬ巫女は悲しみの連鎖を紡ぎ続けるのみ。
 華やかで勇壮な行軍歌でチャイカの気力を底上げするゼルディアの唄声に自身も勢いづけられる心地でコウセイが放つカードは、連鎖を断つ星の刃。凛冽なその煌きに鼓舞されるようにしてリムが揮った象牙の騎士槍は、朝の光を裂く幾つもの巨大な影槍を仮面の巫女へと撃ち込んだ。
 けれど、朝靄を光輝かせるような唄声にいまだ昏い夜の哀しみが滲む気がして、ルィンは僅か一瞬瞳を伏せる。心は金の唄姫に添わせつつ、
「なぁ、最期までつきあってくれるだろ?」
 逃がすわけにはいかぬ巫女の意識を惹くよう笑んで、黒漆艶めく斬撃で幻の薔薇を咲き誇らせた。
 召喚された神鏡が、今度こそ浄化の光と眩い輝きを迸らせる。
 自ら棘に手を伸ばし、幾度も重ねた悪行で棘を増幅させた巫女の術はそのすべてが猛威だった。
 紫の閃光めいた棘でシュリが切り開いた巫女の胸へ即座にジョシュアが銀の切っ先を突き入れる。紅色にぎらりと煌くそれが更なる紅に濡れた、次の瞬間。
 神々しい焔宿した霊符が彼の両肩で凄まじく爆ぜた。
「あっは。こりゃ凄いね」
 けらり笑って見せたが、肩から腰までをたちまち朱に染めたその二撃は、皆に比べ頑健とは言えぬ彼にとってはかなりの打撃。チャイカの紋章から迸った癒しの輝きが彼を包む様を視界に捉えつつ、剣を抜き放ったコウセイが一気に巫女との距離を殺す。
「死者と一緒になるには貴様も死者になるしかないのだよ小娘」
「幸せになれると信じて、祝言の日が来るのを指折り数えてた小娘はもう死んだのよ!」
 己に意識を惹きつけるべく放った言葉。迸るよう返った叫び。
 ――嗚呼、貴様の魂は……愛しい男と一緒に死んだのだな。
 痛ましさに眉を寄せ、けれどそれゆえ剣筋は冴えを増す。
 鮮烈な輝きを纏った刃が、その護りごと巫女の身体を斬り裂いた。

●白花の宮
 鎮守の森の千歳緑を透かして朝の光が射し込める。
 薄れては森から流れくる朝靄が淡い金に輝く様はこのうえなく清らかだというのに、血に濡れ大きく裂けた巫女装束から覗く白い肌と紅く生々しい傷口の対比が淫靡で艶めかしくて眼が離せない。
 だがそれも彼女の歌声の作用ゆえと識るから、シュリは強く奥歯を噛みしめた。
 遠い記憶と傷ついた友の面影が胸を刺す。
「……簡単に誘惑して傷つける尻軽女は嫌いだ」
「ここに命を賭して妹が取り返してくれた剣があるんでね、デレ顔してらんねぇっての!」
 手に滑らせるのは一角獣抱く氷の刃。奔る朱線で戦士の貌を取り戻し、ポウは招くよう伸べられた彼女の腕を斬り払う。
 そう、奪われた剣は取り戻せても、失われた妹の命はもう戻らない。
 だから掛け替えのないものは失わないようにするしかなかったのだ。
 けれどそれは――何と難しいことなのだろう。
 彼女にも、自分にも。
 叩きつけられた霊符に体内から発火せんばかりの霊気を注がれても、間髪いれず涼やかな煌きを展開させたコウセイの水晶結界に護られた彼は怯まず前に立ち続ける。
 垣間見えたシズクの笑顔に晴れやかさが挿したのは、やっぱり気のせいじゃない。
 祈るような心地で唄いあげるゼルディアの即興歌。翔けた疾風は巫女の身守り符に弾かれたが、続けて迸った火焔の輝きがリムの騎士槍の影を色濃く際立たせた。
 朝の光も靄も貫いて奔った漆黒の影槍が身守り符を突き破る。
「やった……!」
「さあ、畳みかけようか」
 漆黒の影槍に胸から背までも貫かれた彼女へ続け様に襲いかかったのは朝の光の中へと一斉に羽ばたいた純白の鳩、光と朝靄に舞う羽毛に紛らせて、もうひとつ、とチャイカが紋章に触れれば、飛び出した玩具の手が巫女の腕を掴んだ。
 瞬間、シュリの手から迸った棘が華奢な肩を貫き、巫女の裡からその力を支配して抑えつける。
 仮面に罅が奔る様にジョシュアが笑む。
「復讐、果たしたんでしょう? いつまで舞台に居るつもりさ、早く彼の所に逝きなよ」
 結局復讐なんてただの自己満足。
 付け足したのは、胸の裡を焦燥で爛れさせるような復讐に囚われた記憶があるからこその言葉。
 けれど、抉った巫女の肌から返り血を浴びると同時、
「自己満足すらできなかった!!」
 彼女の絶叫そのものの激しい光が神鏡から迸った。
 シズクが棘に手を伸ばしたのは心から大事で大切な人を奪った相手への憎悪ゆえ。けれど、その根幹にあるものがわかる気がして、ルィンは幻の薔薇散らす一閃とともに踏み込んだ。
 どんな男でも魅力的な女性にくらっとくるのは仕方ない。
 問題は、くらっときたその後だ。
「なぁ、本当にぶつけたかった想いは違うんだろ?」
「――!」
 栃の実色の瞳がすがるようにルィンを見た。
 だからゼルディアにはすべてがわかった。シズクの心を斬り裂いた悲劇そのものを砕きたかった。
 ――男ってしょうのない人だから許してあげて。
「けれどきっと、抗えない術の下、彼は絶対シズクさんを想っていたわ」
 私だけを見て。
 置いていかないで。
 好きなひとを想えば想うほど、相手を絡めとる棘を希ってしまう。
 幾重にも絡めて縛りつけ、視界すべて奪い尽くしたいほどに。――わたしも、きっと。
 深淵まで共鳴しあう心がゼルディアの魂の底から誰も識らない歌を生む。
 終焉へ繋ぐ刹那のための旋律が世界を満たす。
 ――男ってしょうがない。そんな思いを幾度も幾度も繰り返して。
「それを撥ね退けてくれる人を待ってたんでしょう?」
 潤み始めた緑の瞳とまっすぐ合った栃の実色の瞳、その眦から涙が溢れだす。
「――……」
 仮面が砕け散る音に遮られ、彼女が最期に零した言葉は聴き取れなかった。
 けれどシズクは、柔らかな微笑を湛えて永遠の眠りについた。

「愛する者が行方不明になったなら、俺は、生きている事を信じて疑わない」
「……うん。俺も、故郷の親友を終わり無く待ってる」
 棘を求め罪に手を染め、死んだ。そう知らせるより、シズクを愛しているだろう家族のため、彼女は何処かで生きていると希望を残してやりたい。揺るぎないポウの言葉に頷いて、シュリは社脇の橘の木陰に横たえられた遺骸の傍らに膝をついた。
 鎮守の森は想像以上に広大で、何処か奥深くに埋められたという情報だけでは過去の被害者達は見つけられそうにない。そして、彼らが今も身元を確認できる状態だとは限らない。
 なら、彼女の罪ごと綺麗な花に。
 深々とゼルディアの魂鎮めの唄が染み渡る中、社の陰でコウセイが小さく手を合わせる。向こうで愛しい人に逢えたらいいな、とルィンが言葉を手向ける。
 ごめんな、と囁いたシュリがそっと遺骸に手を翳した。
 終わりを迎えた娘は、朝露の雫をまぁるく結んだ、一輪の白薔薇となって朝の光を受けとめた。



マスター:藍鳶カナン 紹介ページ
この作品に投票する(ログインが必要です)
楽しい 笑える 泣ける カッコいい 怖すぎ
知的 ハートフル ロマンティック せつない えっち
いまいち
参加者:8人
作成日:2014/12/05
  • 得票数:
  • せつない8 
冒険結果:成功!
  • 生死不明:
  • なし
   あなたが購入した「2、3、4人ピンナップ」あるいは「2、3、4バトルピンナップ」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
 マスターより許可を得たピンナップ作品は、このページのトップに展示されます。
   シナリオの参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。