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茜の星に繭の姫

   

<オープニング>

●茜の星に繭の姫
 ――トラットゥーラ。
 ――トラットゥーラ、私の可愛い絹の姫。
 外は厳格な戒律が支配する、君には過酷にすぎる世界。だからずっとずっと、私が作った繭の中で微睡んでおいで。暖かで柔らかで、優しい真珠色したこの繭で、私だけが君を護ってあげられる。
 ――はい、兄さま。
 戒律に反する禁忌の子、ハーフエルフとして誕生したトラットゥーラは、相当な難産の果てに自分を産み落として死んだ母の親戚だという『兄さま』に匿われ、彼の屋敷の奥深く、床も壁も天井もすべて柔らかな真珠色の絹で覆った部屋で、繭に包みこむようにして育てられた。
 愛された。慈しまれた。
 外の世界に触れられずとも、常に『兄さま』が優しく慈しんでくれたから、辛いことは何もなかった。

 だけど、嗚呼、あの日のことをどうやって表現したらいいのだろう。
 戒律が消えたのだと連れ出された外の世界は春だった。
 書物でしか知らなかった、遠い遠い別の世界のものだと思っていた春だった。
 暖かな光と風が頬を髪を撫で、柔くて小さくて薄くてすべらかな何かが頬や指をくすぐっていった。
 桜だった。
 風に誘われた桜の花びらが一斉に舞って世界を覆いつくす。それでもなお溢れるように桜花を咲き誇らせた樹々が何処までも続いていく。薄桃色の花霞に包まれた世界。何処までも、何処までも。
 繭の中から光と風が弾け、一気に外へ吹きぬけた心地だった。
 真珠色の繭の中だけだった世界が何処までも何処までも広がっていく。たくさんのことを識った。
 大きな戦い、マスカレイド、エンドブレイカー。長い永い、戒律の時代からの解放。
 毎日毎日桜を見にいって、ある日、ふわふわ浮き立ち、舞い上がるような心地で言った。
 ――ねえ、兄さま。世界は広いのね。何処までも何処までも、行けるのね。

 途端、『兄さま』の形相が一変した。
 涯てなく無限に広がったはずのトラットゥーラの世界はあっという間にもとの繭の中に収縮した。
 ぎゅうっと縮こまってしまった繭の世界に彼女は閉じ込められた。息もできないほどの強さで彼女を抱きしめる『兄さま』の腕は、寄る辺ないこどもを庇護するものでなく、狂おしいほど恋焦がれる女のすべてを力尽くで奪うものに変わった。
 ――トラットゥーラ、二度と君を逃がさない。二度と誰にも奪わせたりしない。
 何もわからないまま耳に注ぎ込まれた熱い吐息と言葉。
 結局彼女は識ることはなかった。
 彼が母親の許婚であったこと。戒律に背き彼でなくパートナーと恋に堕ちた母親が逃避行の果てに自分を産んで死に、ダークエルフだった父親は悲嘆と後悔の末に戒律に則って自死を遂げたこと。
 母親が彼のことを『兄さま』と呼んでいたこと。
 母親が死んだのと同じ年頃に育った自分が母親に瓜二つであること。
 トラットゥーラという名前すら、本当は母親のものであることを。
 何もわからないままのトラットゥーラに、『兄さま』は夜ごと繰り返し繰り返し語りかけた。
 ――トラットゥーラ、君と見た夜の紅葉は本当に素晴らしかった。
 ――知らない、知らない。私は紅葉なんて見たことないのよ、兄さま。
 ――忘れてしまったのかい、トラットゥーラ。目蓋を閉じれば、嗚呼、あの茜の星が目に浮かぶよ。
 ――知らない……!
 見に行きたいと願うたびに激昂して真珠色の絹で縛りあげるくせに、彼は何度も何度も夜の紅葉、茜の星を語ってトラットゥーラの胸にそれを灼きつける。
 薔薇より深くダリアよりあでやかな紅葉、一面茜色の紅葉の中に星のごとく実る白い木の実。
 ――お願い兄さま、私にも茜の星を見せて……!

●さきぶれ
「知ってしまえば最後、それを知らなかった頃には――もう戻れない」
 狂気に心を蝕まれたのは『兄さま』が先だったろう。
 けれど棘に手を伸ばしたのはトラットゥーラのほうだった。
 彼女がずっと繭の中にいたなら、彼女が外の世界を識らずにいたなら、棘を得た彼女が『兄さま』を衝動的に殺してしまうような終焉を迎えることはなかっただろう。
「けれど、それでも、アンジュは『識らなかったほうが幸せだった』なんて言いたくないんだよ」
 それゆえに、自分達が完全にマスカレイドとなったトラットゥーラの命を奪わなければならなくなったのだとしても。
 暁蝶の狩猟者・アンジュ(cn0037)は深い吐息のような声音でそう告げて、一瞬だけ瞳を伏せた。
 再び同胞達を見つめて願う。どうかお願い、力を貸して。
「アンジュと一緒に、トラットゥーラを終わらせにいこう?」

 繭のような部屋の中、彼女が『兄さま』を殺めてしまうのには間に合わない。
 彼女のもとに辿りつけるのは『兄さま』が殺された次の夜だ。
「んでもね、彼女はまだ繭の部屋の中にいるの」
 彼女にとって外の世界は『兄さまに連れ出してもらうもの』だったから、茜の星を見たさで衝動的に彼を殺してしまったものの、どうすればいいのかわからずにいるらしい。
 けれどもこのままでは、その次の朝、何も事情を知らず数十年ぶりに屋敷を訪ねてきた『兄さま』の友人がマスカレイドの衝動的な殺意の餌食になる。――ゆえに、夜の間に終えるべきだろう。
 屋敷の奥、繭の部屋へ向かい、そこで戦うこともできる。
「けどね、もし良ければ――アンジュは彼女を茜の星のもとに連れ出したいって思うの」
 遠くはない。何しろ屋敷そのものがその茜の星の紅葉の森の中にある。
 繭の部屋から彼女を連れ出し、屋敷の敷地を出ればすぐ、茜の星の世界が広がっている。

 それは永遠の森エルフヘイムのとある地方で、星の樹と呼ばれている木の森だ。
 何処までも深く豊かな夜闇の中、灯りを翳せば闇に震えがくるほどに鮮やかであでやかな茜色の紅葉が浮かびあがる。
 咲き初める薔薇よりも深く咲き誇るダリアよりもあでやかな緋の紅葉は、暖かなランプの光を返して華やかな茜の色に染まるのだ。合間に実るのは柔らかな白にほんのり輝く木の実。
 微かな光を抱いた白い木の実が、風にさざめく茜の紅葉の合間で星のように瞬く様が、茜の星。
 空恐ろしいくらいに綺麗であでやかな茜の星が広がる世界。何処までも、何処までも。
「きっとね、繭の部屋では忘れちゃってたことも思い出すと思うの。彼女だって本当は、広がる世界を何処までだって行けること」
 すぐにでも駆け出していこうとするだろう。
 邪魔になりそうな者は、衝動的な殺意のままに排除して。
 繭の部屋で戦うなら逃走の心配はなく、茜の星のもとで戦うなら逃走を阻む策が必要になる。
 彼女が棘による衝動を持つ以上、茜の星のもとへ連れ出してもゆっくり眺めさせてやる時間はない。恐らく、然程間を置かずに戦いになる。
「けれど、それでも――」
 言い募ろうとしたが、暁色の娘はそこで言葉を切った。
 どちらにするかはみんなに意見に従うね、と言い添える。
 棘を得たトラットゥーラは、魔法の絹糸を放ち、真珠色の蝶を舞わせ、絹布で束縛しようとする。
 杖と錬金術士の術に似てると語って、アンジュは小さな笑みを燈した。
「あのね、無事に終われたなら、また逢おうね」

 涯てなく広がる世界を識らなかったほうが幸せだったのか、それとも。
 あなたがどう思ったのか、きっと聴かせてほしいと思うから。


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参加者
夢見る暴力・フィグ(c00731)
水戯・アド(c01837)
戯咲歌・ハルネス(c02136)
新樹の歌姫・フェイラン(c03199)
魔法剣士・クロービス(c04133)
黒鳳・ヴァレリー(c04916)
皎漣・コヒーレント(c12616)

NPC:暁蝶の狩猟者・アンジュ(cn0037)

<リプレイ>

●茜の星に繭の姫
 ――茜の星を見に行かないかい?
 何もわからぬままの繭の姫。けれど意味を違えようもない魔法剣士・クロービス(c04133)の言葉に躊躇なく応えた彼女を連れて踏み入る、涯てなき茜の星の世界。
 頬を凍えさせ、鼻の奥をツンと冷たさで刺す凛冽な夜の風、静寂の闇に息づくようさざめく葉擦れの囁きに、新樹の歌姫・フェイラン(c03199)は胸の扉を開くように心を浸す。乾いた落葉踏む音でさえ、鮮やかな唄。
 世界の息吹、生命の音色を識ってしまったなら。
 ――もう、それらを無かったことになんて出来るわけがないの。
 恐らく衝動のままに駆け出そうとするだろう繭の姫、その道ゆき阻むことを意識して、屋敷から皆でさり気なく彼女を囲んで来た。けれど、唯それだけのためでもない。
「あかるい星空よ、灯りに殊にひかる」
 秋楡の囀りも茜の星の耽溺も四年前から胸のなか。夢見る暴力・フィグ(c00731)が掲げた灯りに、戯咲歌・ハルネス(c02136)が大きく開いたミニブタ印の遮光扉から溢れる灯りがかさなる。繭の姫を先導するよう歩んでいた黒鳳・ヴァレリー(c04916)が視界を譲れば――。
 覆いを取り払われたように広がる、空恐ろしいほど綺麗な茜の星の世界。
 息を呑む。
 闇を背に照らし出されるのは圧倒的なまでに華やかな茜色。薔薇よりダリアより鮮やかで艶やかな緋の天蓋は流れる夜風にさざめいて、白く実って柔らかに輝く木の実の星を瞬かせる。
 何処までも、何処までも。
 駆け出さんとした世界を奪われ、今また繭の外へ飛び出した娘に誰かの面影が重なった。淡く瞼を伏せればハルネスの胸裡に、あの繭の部屋に横たわっていたのが自分だったような錯覚が萌す。
 最後に言葉ひとつ交わすこともできず、昏い夜の底へ沈んだ子。
 ――あの子の瞳に、この世界はどう映っただろう?
 瞼を開けば暁蝶の狩猟者・アンジュ(cn0037)と瞳が合った。挑むような瞳で娘が笑む。
「そんなの、あの子が世界の向こうにまで連れてったもの達が何もかも語ってる」
 たとえば、金の唄姫に贈られたのだろう、砂糖結晶の繭に抱かれた合歓の花。
 微かに眦下げて笑み返す。眼差しを繭の姫へ向け、先手を打ってその意識を戦いに惹きつける。
「この先へ駆けていきたければ、私達を倒していくことだ」
「――行かせて……!」
 途端に棘の殺気が膨れ上がった。
 胸に顕れた仮面を抑えつけるよう打ち込むのは紫煙樹の苗木、たちまち茜の星に届かんばかりの巨影となった大樹が繭の姫を押し潰すが、裡から真珠色に輝く蝶の群れが爆ぜるように溢れだす。刹那、身を翻さんとした繭の姫を横合いから烈しい風が打った。
「ヴァレリー! そっちよ!!」
「おうよ、任せや!」
 茜の星の世界にふわり零れる白檀の香、宵の扇を舞わせた水戯・アド(c01837)が彼女から眼差し逸らさぬまま響かせた声に応じて、咄嗟に腕を伸ばしたヴァレリーが繭の姫を抱きとめ、ハルネスの言葉をその身で証す。
 放して、と抗う声を封じるよう喉へ牙を埋める己の様は『兄さま』と何処が違うのか。
 溢れる血の味の苦さを終焉を砕く使命でもって呑み下すと同時、彼の腕を振り払った繭の姫の腕を皎漣・コヒーレント(c12616)の紋章から飛び出した玩具の手が痺れるほど強く掴んだ。
「まだ話し足りないからね。行かせないよ」
 振り返った彼女の視界に飛び込んできたのは毒々しいほどカラフルな奇術のステッキ。
 ――ゆっくり語らない? 貴女が大切だった人の話を。
 彼女の表情は繭の部屋でコヒーレントがそう語りかけた時と同じものだった。突然つきつけられたびっくり箱。恐らく彼女は、『兄さま』以外と会話をしたことが数えるほどしかないのだ。
「そうよね。変わり映えしなくて、けれど外からの痛みを完璧に遮ってくれる繭だったのでしょう?」
 一条の光も射し込まぬ闇の繭に庇護されていた日々を胸に、フェイランの手で瑠璃鳥が唄う。空と薔薇の石に彩られた鳥の剣が茜の星のもとに白銀の嵐を喚び、玩具の手に捕われた娘の腕と逆の腕を凍結させたと見るや、
「――トラットゥーラ!」
 鋭く呼ばう名で彼女の気を惹きつけ、クロービスが透明な印を刻みつけた。
 涯てなき世界を何処までも行こうとする君を、僕達は何処までも邪魔するよ。
 命を賭ける程の強敵ではない。けれどフィグの心が沸き立つのは、固く閉じようとする繭に抗って、今まさに羽化しようとするいのちを見ている心地がするからだ。繭を啄ばむ鳥になってやろう。だけど逃げるだけじゃあ広い世界には行けないよ。
「追う者を、楔を、解き放って御覧!」
「邪魔、しないで……!」
 笑みで牙を剥き、柔肌を喰らって制約を刻んだ瞬間、今度はフィグが強固な絹の繭に閉じられた。
 茜の天蓋がざわりと鳴る。だが反射的に振り仰いだ繭の姫の視界を、強襲者が遮ることはない。
 時を突き破った空追う運び屋は彼だけの永遠の刹那に星空を翔け、瞬く間も遮らずに飛び込んだ懐で刃を揮う。小さな世界では足らぬと欲張るいのちの、愛おしさ。
 不意に緩んだ絹糸の裡でフィグも笑んだ。繭の中の幼子は可愛らしいけれど、
「――庇護を喰らって世界に挑む子のが好みね」
「抗って喰い破るくらいのが、アンジュも好き」
 ぶつかり合って抗うほどに輝きを増すいのち。剣戟に散る火花のように。
 翔けくる瑞々しい生命の風の奥に嗅ぎとる荒野の匂い、ああやっぱりと昂ぶる心のまま骨槌を握り繭を破り、眼前のいのちへ噴きだす闘気そのままの己がいのちを叩きつける。
 奪って殺して喰らって生きて、果てればまた。

●茜の星に歪の檻
 繭の外は時に嵐の荒ぶ世界、けれど飛び出したなら、たとえ羽ばたく翅が傷つこうとももう繭へは戻れない。――ずっとやさしい繭の中に閉じ込めてしまえたらどんなにか。
 彼女の胸から迸る鎖の絹布、『兄さま』から与えられたようなそれを追い、ハルネスの掌中から眩い陽のごとき輝きが放たれる。初めから鎖で縛りつけることもできたろう。けれど、そうしなかったのは。
 彼も彼女と涯てなく広がる世界が見たかったから。
 ――そうだろう? 『兄さま』。
 だから与える枷は竜の咆哮を封じるもの、唯それだけ。
「あとは自由に翔けておいで、アンジュ」
「うん! 何処までもいってくるね!」
 黄金の林檎に力を与えられ、暁色が扇の風で絹布を突き破る様にヴァレリーの瞳が細められる。時の流れを遡るすべなどないと彼も痛いくらいに識っているけれど、愛する者を自由にと送り出せるあの心が『兄さま』にもあったなら、と思わずにはいられない。
「帰る場所を作れるか、相手を信じられるかなんやろうなぁ」
「それも大事ね。ケド、もうひとつ大事なことがあるのよ」
 胸裡に滲む苦さは広がるばかり。けれど纏う残像は鮮やかさを、揺るがぬ決意で繰り出される黒き騎士槍の突きは鋭さを増していく。笑みを閃かせ、フィグが生命の痕跡を引く骨槌の撃を重ねた。
 もうひとつ。愛しいひとを獲得するために、真っ向から挑んだのだという誇り。
 それが自信と言う名の拠り所となって己の愛を支えてくれる。だからこそ、彼女は誰に憚ることなく名乗るのだ。――フィグ・コスモスと。
 柔らかに身を包む真珠色の絹はもう殆ど朱に染まっていた。
 けれど痛みに顔を歪めながらも、繭の姫は抗うことをやめやしない。
 戦いを始める前から為されていた包囲は前後衛の二重円となり、歪むことはあれど綻びはしない。茜の星の世界を照らし出す灯りと豊かな夜闇の溶け合う境界で、なめらかに艶めく象牙の騎士槍を携えた群竜士が僅かな隙間が生まれるたびそれを埋めてくれている。
 だから彼女は今自身を囲む者達を喰い破らねばならないのだ。『兄さま』の繭を喰い破ったように。
 痛ましくはなかった。愛しくすらあった。
 柔らかな繭の中だけでは満足できなかったその姿は、かつてのアドに良く似ている。
「欲張りなのかもしれないわね。私も、貴女も」
「……いけないことなの?」
「違うわ、そうじゃない」
 何も識らないまま生きることなんて出来やしない。姉になったような心地で眼差しを和らげ、優艶な扇の舞を茜の星の世界へ描きだす。けれど。
「生きることは、識って変わっていくことだもの」
「――同感。変わってゆくシンドさすら、楽しい」
 翔ける風は鮮烈。迫る突風に抗うよう放たれた絹布がクロービスを捕らえて縛り上げるが、肋ごと肺腑を締め上げんばかりの束縛の中で男はそう嘯き、アドの追い風にひときわ鮮やかな幻の薔薇を舞い踊らせた。
 ああ――春の息吹、初夏の輝き、大地の慈愛。
 舞踏めいた剣戟でクロービスが咲き誇らせる薔薇にフェイランはそれを見た。力強く彼を鼓舞する歌に己が触れたそれらの生命の音を乗せる。自ら逃げ込んだ兄が庇護する闇の繭、そこから再び外界へ導いてくれたその音を、歌を。
 どうか、彼女にも。
 麻痺を与え制約を与え、凄まじい猛毒をも与えても、暴走だけは与えはしない。それが皆の総意。流れる夜風に茜の天蓋が波打ち、深い緋色や薔薇色の陰に柔らかな白の星が瞬き光る。葉ずれの波音、扇の風の音、大樹の茂る音、響く歌声に、剣の、矛の、槌の音さえ世界の音色。
 彼女が触れた世界のすべてをまっすぐ心に受けとめ、何処までも抱いていけるよう。
「これもあげるよ、トラットゥーラ」
 左の指先が描いた光の軌跡。それがコヒーレントの眼前に紋章を綴った瞬間、茜の世界に映える純白の鳩の群れが溢れだした。羽ばたきの音が翔ける。真白な羽毛が彼女を包む。
 大切で大切で、大切にしすぎて傷つけてしまった記憶が胸に滲む。
 だから、兄さまが狂ってしまった気持ちが――。
「コヒー!!」
 繭の姫からコヒーレントめがけて迸った絹布を突き破り押し返すようにして、ヴァレリーが黒き矛の連撃を放った。己が血を分けた子を成した経験を持つゆえか、彼にはすべての根幹が見えていた。
 まっすぐな想いが歪んだのではない。
 歪んだ土台に積み上げたものが崩れてしまっただけ。
 繭の姫に与えられた名前でヴァレリーは確信する。『兄さま』は、本来トラットゥーラと呼ばれていた女性の形代として、彼女を手許に引き取ったのだ。
 愛しいひとを獲得するために、真っ向から挑んだのだという誇り。
 ――ああ確かに、『兄さま』にそれはあらへんわな。

●茜の星に地の褥
 綺麗な繭の世界。
 それとて本当は、初めから優しい世界などではなかったのだ。
 ――けれどそんなの、最初から識ってた。
 己を包む世界は優しくなく、だからこそ誰かの血に染まり誰かが涙を流しても安穏としていられた。それこそが繭の裡だけのものと識らぬまま。
 自嘲の笑みは一瞬。
 重ねた力を蒼銀の刃に凝らせれば、クロービスの背筋を一気に高揚が翔け昇る。
 もう識ってるよ。想像もしなかった世界の広がりに、凪いだ花焔が息を吹き返した感覚を。
 剣閃とともに力を解き放った瞬間、茜の星の世界すべてを埋め尽くさんばかりに咲き溢れた薔薇が彼のそれを映しだす。砂浜の歌、黎明の光、銀杏の灯、どんな些細なひとひらすらも眩い、鮮やかな世界に生きるいのち。
 何処までも、何処までも。
 永遠にも似た一瞬の薔薇の剣戟にフェイランも何故だか泣きそうな心地になった。
 繭の裡で兄に庇護されたままでは識ることのなかった気持ちを、今の彼女も識っている。
 とめどなく溢れ様々な彩りに輝く感情。ひとの愛し方も愛の受けとめ方ももう識っている。これからも憶えていく。唇にひときわ鮮やかな、梅花の記憶。
 ――繭の外の世界は、こんなにも瑞々しいの。
 春の桜を識り、秋の茜を識り、けれど夏と冬を識らぬ繭の姫に、フェイランが氷剣の力を贈る。
 世界を白銀に染めて荒ぶ吹雪の音色、灯りを眩く弾いて翔ける氷柱の煌き。
 茜の星も、それに続く冬の歌と煌きも、その瞳に、魂に刻んでおいて。
 繭の姫から吹雪を捕らえんばかり放たれた絹糸が蜘蛛の巣を織りなす様にアドが扇を翻す。
 もっともっと翔けて識るといい。終焉を砕く使命ゆえにこの場は譲れないのに、彼女の瞳に世界が映る様を見たいと望む気持ちも真実。
 世界を識って、触れて、その先で得るものが痛みでもきっと後悔しない。
「私も、しなかったもの」
「そうだね。私も――後悔しなかった」
 茜の星の世界に渦巻く桜吹雪。アドの癒しを得て息つくようにハルネスも笑う。
 滴の花をこの手に掴むまで痛みの理由も識らなかった。けれど識ってなお、自ら望んで痛みに手を伸ばし、そうして涯てを越える世界を得た。
 己を覆う絹の蜘蛛の巣を突き破る。瑞々しい命が萌す苗木を眼前のいのちに突き立てる。
「トラットゥーラ、君はこの世界が好きかい?」
「とても好き」
 迷いない応えにコヒーレントの口元も綻んだ。
 どうしようもなく心躍らせる世界を、何処までも何処までも。
「本当は、兄さまと一緒に、行きたかったんじゃないかな」
 数多の鳩に呑まれながら不思議そうに彼女が瞬く。
「兄さまが一緒じゃないなんて、考えたこともなかった」
 たとえその気持ちの源が刷り込みでも、一緒に見て隣で笑って共に駆けて。
 紫煙樹の枝に抱かれたままの彼女めがけて地を蹴れば、茜の星の世界へ飛び込む心地。
 秋楡から渡った茜の星はきっとフィグにとっても奪った証。
 けれど――真っ向から挑んだ誇りがあるから、茜の星のもとでも顔を上げて言える。
 あのひとが己の伴侶だと。
「だから高らかに誇らかに、キミの命を奪い尽くすよ」
 勝鬨のように爆ぜる力で、幾重にも幾重にもいのちを喰い破る。
 ああきっと、誰もがまったく違った、けれど本質的にとても近しい想いを萌して抱いて越えてきた。
 愛おしいと、大切だと想うことも。傷つけることも。――痛みを得ることだ。
 淡金に蒼翼を、深藍に銀糸を躍らせて、クロービスが薔薇と閃かせた斬撃が澄んだ音とともに繭の姫の仮面を打ち砕く。
 ――どっちが幸せ?
 思えば光の朝にも訊かれていた。今やっと答えられるよ。
 識った今が、幸せ。
 けれど――苦くもあるんだね。

 世界から消えた二人。
 荒らした屋敷の様子が、憐れにも強盗に襲われたのだとしてその物語を閉じてくれるだろうか。
 皆の手を借り、茜の星のもとへコヒーレントが背負ってきたのは、『兄さま』の遺骸。
「……いいの?」
「ああ。たとえ歪んだ始まりやったとしても、全部が嘘やったってわけやないんちゃうかな」
 不安げに小さく喪服の袖を掴んできた暁色の胸中を掬い、ヴァレリーが眦を緩めてみせる。
 願わくば、きっと。
「穴掘る道具は無くとも、爪があるよ」
 ほら、とフィグが頭上の星のごとく白い毛並みに覆われた獣へ変わる。
 強く輝く原石にも似た、原初の力に満ちた獣の爪が茜の星の森の大地を抉り、二人の褥を拵えた。

 地の褥に抱かれ、時を経て大地へ還り。
 そうして――二度と鎖されることのない、涯てなき世界へ解き放たれる。



マスター:藍鳶カナン 紹介ページ
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知的 ハートフル ロマンティック せつない えっち
いまいち
参加者:7人
作成日:2014/12/09
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