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甘露の盃

<オープニング>

●甘露の盃
 夕陽の輝きが砂丘の波間に鮮やかな光影を描く砂漠の片隅に、美しい村があった。
 明るい煉瓦色の砂が創り上げる雄大な砂丘に囲まれたオアシスの村は、夕暮れから宵にかけて、砂丘の影に夕陽の輝きと宵紫を溶け込ませたような、美しい葡萄酒色に満たされるのだ。
 砂丘で創った砂の盃が光とも影ともつかぬ甘い葡萄酒色に満ち、揺蕩う夕暮れと宵の彩にひとつひとつ家々のあかりが燈っていく様は、時を忘れるほど――だと言うが、実際にこの光景をゆるりと眺めたことのある者はあまり多くない。
 村人自身は家路についているし、この村そのものが砂漠の交易路から大きく離れているからだ。
 だが夕暮れの光景から『葡萄の盃』と呼ばれるこの村は、真実葡萄酒の村であった。
 今は葉を落としている葡萄の木々の実りから造られる赤葡萄酒は、野性味のある渋味と干果めく甘味が喉に絡むクセのあるもので、その独特の渋味のためか、呑みすぎると舌が痺れたかのような感覚が翌日まで響く代物だ。それはまるで、甘美で悪戯な毒。
 けれど世にはそういった酒を好む者もおり、辺鄙なこの村にも時折小さな隊商が訪れる。
 冬のある日、村を訪れた数人の旅商人が殺された。

 ――大層な苦痛だったけど、それを堪えて殺した甲斐があったというもの。
 僅かに色褪せ、けれど十分に美しい絨毯が敷かれた村長の屋敷の居間で、柔らかなクッションに身を沈めた女の唇がにんまりと弧を描く。
 肩の仮面も腕に葡萄の蔓葉絡む異形も隠せなくなり、己の存在がエンドブレイカーに露見するのを恐れてこの辺鄙な地まで流れて来たが、旅商人を殺して見せたことで女は恐怖に畏縮した村人達を支配した。
「ねぇアユラ様……葡萄、アユラ様の葡萄が欲しいの……」
「ああ、お前もすっかり可愛らしくなったこと」
 蕩けそうな笑みで仮面の女――アユラにねだるのは、村長の娘。
 村長の屋敷をアユラが接収した際に人質とされた娘は今や、葡萄の蔓葉絡む異形の腕にうっとり頬ずりし、異形の指先に実らせた葡萄を啄ばんでは恍惚と身を震わせ、しどけなくクッションに沈む。
 甘やかな毒で相手の身も心もとりこにするその葡萄は、アユラが棘によって手に入れた力。
 ――私ひとりで、村の皆の命を保証してくださるのであれば。
 毅然とマスカレイドにそう告げた、気高い娘の面影はもうなかった。
 この娘が自ら葡萄を望んだんだもの、とアユラはくつくつ笑う。この村の葡萄酒に己の葡萄の雫をたっぷり搾り入れ、村人の命が惜しければ、と囁き娘自らに盃を呷らせたのだ。
 そうして魅了してしまえば、旅商人達を殺した時ほどの苦痛はなかった。
 食事を運んでくるたび、窓から恐る恐る中の様子を窺うたび、村人達の顔も少しずつ変化していく。
 ――あの清廉な娘さんをこんな風にしてしまうマスカレイドの葡萄は、一体どんな味なんだろう。
 そんな心の声が聴こえてくるかのよう。

 化け物に支配される異常な日々が日常となっていくにつれ。
 ねっとりと甘い毒に、ゆっくりと侵食されていく。

●さきがけ
 例えばこんな話がある。
 街中で普通の生活をしていても、食べるものは平たいパンにチーズ、郊外の農場から届けられる新鮮な野菜を薄味のスープに仕立て、生みたての卵を落としたものに、自家菜園で摘んだハーブの御茶――そんな非の打ちどころのない健全な食事をひたすら続けていると、まずは歓楽街のような派手で猥雑なあかり、そのうちにはごく普通の街並みの、穏やかな街灯りでさえも耐えがたいものに感じられてくるという。
 試したことはないから真偽はわからんが、と砂鷲の魔想紋章士・ナルセイン(cn0172)は前置いて、
「酒や煙草や、熱い脂がたっぷり滴る肉に、生クリームや砂糖たっぷりの菓子。そういった健全とは言い難いもの……ある意味毒とも言えるものを取りこむことも必要だって考え方は好きだね」
 何せ俺達は神ならぬヒトだから、と男は蒸留酒を落とした珈琲の杯を掲げてみせる。
「だがそれでも、過ぎた毒となりゃ話は別だ」
 余計な毒を取り除きに行こうぜ。
 挑むような眼差しで、ナルセインは酒場に居合わせた同胞達にそう告げた。

 砂月楼閣シャルムーンの代理者たるアジェンドが世界の瞳の力で得た情報によれば、村の人々は『もし旅商人が訪れたら捕えて自分の前に連れてくるように』とマスカレイドに命じられているらしい。
「村長の屋敷に強行突入するなり夜半に潜入するなりの手もあるが、間違いなくマスカレイドの傍へ行けて、油断も誘えるのは――村人に捕えられた旅商人として屋敷に連行されるって手だと思う」
 創世神イヴ・ザ・プリマビスタと此華咲夜若津姫の力。
 そして、大魔女・スリーピングビューティが都市国家に残るマスカレイドを放擲したこと。
 齎された異変によって弱いマスカレイドは消滅し、消滅を免れたマスカレイドも悪事を働こうとするたび苦痛を感じ、新たな配下マスカレイドを作ることすら叶わない状態にある。
 件の村を支配する仮面の女は、元より配下を持たない。
「つまり、屋敷に籠もってるマスカレイドにゃ村を見張る手段はないってことだ」
 村人達に自分達がエンドブレイカーであると明かし、実際に縛り上げるのでなく『縄をかけたように見える』状態でマスカレイドの許に連れていくよう交渉するのはたやすいだろう。今ならば。
 幸い、砂よけの外套が一般的な砂漠の地だ。武器は外套に隠すなり、商売の荷に紛らせ村人達に『献上品』としてマスカレイドの許へ運んできてもらうなりすればいい。
 仮面も異形も最早隠せないことは彼女自身も承知だから、
「マスカレイドだ――って怖がってみせりゃ、なお油断するだろうな」
 彼女は人質たる村長の娘を常に傍に置いている。
 その命を盾に取られる隙を与えないよう、出来るだけ油断させておきたいところだ。

 彼女の目的は、己の存在が旅商人によって外部に洩れる可能性を潰すこと。
 だが悪事に伴う苦痛のことを考えれば、
「命が惜しければこれを呑み乾せ、ってな感じで例の葡萄入りの盃を出してくるだろうな」
 戦うすべを持たぬ者ならたちどころに身も心も堕とされてしまう魅了の毒。
 けれど鍛錬を積んだ自分達なら一杯で堕ちることはない。誰かが盃を乾して派手にマスカレイドに倒れ込むなどして見せれば、他の者が村長の娘を引き離す隙も出来るだろう。
 マスカレイドが持つ力は、甘い囁きと唄で眠りに誘う魔曲使いの技に似たもの、葡萄酒色した闇を降り注がせるデモニスタの技に似たもの。そして、腕に絡む葡萄の蔓葉で相手を捕え、魅了の毒を湛えた葡萄の雫で侵すもの。
 いずれも複数を捉える術ではないから、引き離して壁を作れば村長の娘に害が及ぶことはない。――が、魅了されている状態であることを思えば、屋敷の外に連れ出してしまうのが確実か。
「何なら俺が連れ出すが、実際にどうするかはあんた達の判断に従うつもりだ」
 余程の想定外の事態が起こらなければ、戦場となるのは屋敷の居間。
 広々としたその空間には障害となるものも少なく、力を揮うのに支障はないはずだ。

 出来ればすぐに出たいね、とナルセインは続けた。旅商人を装えるだけの荷は既に用意している。
「あまり時間は置きたくないんでね。時間を置くと、恐怖がマヒしちまって、マスカレイドの葡萄の味を試したいから、なんて理由でヤツに寝返る村人が出ないとも限らない」
 今すぐ向かえばその心配もなく、日が暮れ始める頃合いに村へ着けるはずだ。
「さあ御照覧、葡萄の盃の底に無粋な毒が澱んでる」
 手早く仮面の毒を取り除けたら、宵の景色を眺めつつ、本来の『甘美で悪戯な毒』で味わう時間も持てるだろうさ。愉しげな笑みを覗かせ、男はそう話を締めくくった。


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参加者
大梟の樹に住む・レムネス(c00744)
漆黒ノ竜・リューウェン(c02487)
静謐の花筐・サクラ(c06102)
勿忘草・ヴリーズィ(c10269)
トランジットパッセンジャー・ピノ(c19099)
暗殺天津仕草・タカ(c35895)
馥郁・アデュラリア(c35985)

NPC:砂鷲の魔想紋章士・ナルセイン(cn0172)

<リプレイ>

●薔薇の盃
 ――まるで、愛欲にでも溺れているみたい。
 夕と宵の融け合う美しい葡萄酒色の光影が満ちていく、雄大な砂丘に囲まれた砂の盃のごとき村。開け放たれた窓から甘い彩が射す屋敷の居間で、初めて瞳にする仮面が恐ろしいとばかりに眼差し揺らした馥郁・アデュラリア(c35985)が、誤算に気づいて僅かな目配せを送る。
「ねぇ、アユラ様……」
 魅了されたまま人質となっている村長の娘が理性もすっかり蕩けたような笑みでマスカレイド――アユラの異形の腕に頬ずりしている。酒場での話通り『常に傍に置かれて』いるわけだ。
 金銀宝石で彩られた宝飾剣、蜜漬け干果と塩が詰まった絵壺、伝統紋様が物語を綴る毛織物。
 村人達に正体を明かして協力を仰ぎ、彼らに捕えられた旅商人として商売の荷ごとマスカレイドの前に引き出されたところまでは問題なかったけれど。
 ――あれほど密着していては……。
 常の霊峰天舞の装いではなく砂月楼閣らしい装いに身を包んだ暗殺天津仕草・タカ(c35895)は、恐怖に息を呑む演技に紛らせアデュラリアの目配せに頷いた。あれではマスカレイドに怯えたふりで娘に近づくのはどうにも不自然だ。徐々にでなく一瞬で距離を詰めるしかあるまい。
 僅かに狂う歯車。
 皆が仕掛けるタイミングも変わらざるを得ない。
 囮となる静謐の花筐・サクラ(c06102)が作る隙に賭けるしかなかったが――もうひとつの誤算は、隊商の長の役割をまかせた砂鷲の魔想紋章士・ナルセイン(cn0172)にマスカレイドの狙いが向いたことだった。
 鼠の首根っこ押さえた猫のように笑んだアユラが、甘い血の色に艶めく毒の葡萄を盃に絞り入れ、誰一人見逃す気もないくせに嘘を吐く。
「皆殺しにするつもりはないのよ。ほうら、他は見逃してやるから、長らしく呑み乾してごらん?」
「…………」
 恐ろしさのあまり声も出ないといった態で身を震わす男に代わり、サクラが決然と口を開いた。
「皆を助けてくれるなら……わたしが、呑む」
「そんなの毒か何かに決まってる、やめろよサクラ!」
「やだ! サクラだけ危ない目にあわせるなんてやだよ!!」
「おやおや、愛されてる娘だこと。なら、お前でいいわ」
 すかさずトランジットパッセンジャー・ピノ(c19099)が必死に制して、勿忘草・ヴリーズィ(c10269)が悲痛な声音で叫んで見せれば、マスカレイドの矛先が辛うじて変わる。
 迷わず盃を呷れば、葡萄酒というよりブランデーの香りを連想させる甘さが瞳の奥まで沁みた。
 沁みるほど甘い葡萄の毒。
 舌から喉から蕩けて沁みて身体の芯に焼きついて、甘い快感にすりかわって意識を灼く。
「……っ」
「サクラぁっ!!」
 涙混じりに響き渡ったランスブルグ歌劇女優の叫び。案ずる相手が本当に友であるという真実の滴を融かした迫真の演技を見せるヴリーズィの眼前で、盃を取り落としてくずおれたサクラの身体がワイン壺を薙ぎ倒した――瞬間、ピノが仕掛けた。
「今だタカ! 行って!!」
「僕達で抑えるよ、任せて!!」
 彼女達に気を取られたマスカレイドの腹へと突き込まれた紫煙の苗木がたちまち紫の巨木となってのしかかり、毛織のキリムの下から素早く引き抜かれた翼が大梟の樹に住む・レムネス(c00744)の背から氷の壁のごとく伸びて襲いかかる。
「――お嬢さん、失礼!」
 氷の翼でマスカレイドと分断された娘のもとへ飛びこみ、即座に担ぎあげたタカが扉を目指すが、流石に敵もそれを見逃す程甘くはない。しかし間髪を容れず奔った氷と夜の剣閃がタカ達を逃がす壁となった。宝飾剣の束から抜き放たれたのはアデュラリアの氷の刃と、そしてもう一振り。
「お相手頂こうか、アユラ殿」
 宝飾剣の煌びやかさを見事だと思いつつも、漆黒ノ竜・リューウェン(c02487)の手にはそれらより彼の心を惹いてやまない黒き剣、葡萄の蔓葉絡む腕を氷結させた刃に続いて、その腕ごとアユラの胸に横一閃の夜風を描く。衝撃に女が後ずさりかけた、その時だった。
「な……!?」
 突如回転した女の視界に映ったのは、蓮の大輪めいた世界樹の花と、足元から一気に吹きあがる茨に開花した、鮮やかな薔薇。くずおれた体勢のままアユラの服の裾へ手を伸ばしていた娘が己の咲かせた棘とヴリーズィの花の中から身を起こす。
「……残念」
「お前……っ!!」
 我を失うほど心奪われる感覚を識ってみたくもあったけど――なんて胸に秘めた興味の代わりに外套の中から墨染桜の扇をぱらりと広げ、体勢を崩した女へ薄らサクラは笑んだ。
 仄かに期待もしたが、どうせ自分にとってはつまらない毒に違いないと初めから断じてもいた。

●葡萄の盃
 僅かな狂いの帳尻が合い、棘の環が生まれたならもう遠慮はしない。
 女の腕から自在に伸びて宙に躍る葡萄の蔓葉、それがピノを絡め取って口腔を犯して直接葡萄の雫を滴らせるけれど、小さな蕾のごとく振舞っていたヴリーズィが瑞々しい春薔薇の扇の風とともに爛漫たる花嵐となって馳せた。
 心の泉に落ちる、甘い色した毒の滴。
 蜜色に染まった水面に一度嵌ればもう、後は沈んで溺れゆくしかない甘美な世界。
 ――わたしにとっては、それが歌劇。
 歓喜も悲哀も高らかに歌い上げ、己の芯から輝き観客を魅了して。だけど。
「ね、あなたは自分に自信がなかったの? 技を使って堕とさねばならぬほど」
「挑発のつもり? おかしなことを言う娘だこと」
 颶風と打ち据えた敵の懐で交わした眼差しは、理解しあうには程遠い。
 葡萄で相手を魅了する力が欲しい――と願っても、それを願うままの形で具現化するにはそれこそ万能宝石並の力が必要だろう。アユラの場合、単に力を望んで増した棘が偶々この形で発現したにすぎない。そして、今の状況に都合の良い力を使った。ただそれだけのこと。
 村長の娘以外の村人達の心にまで甘い毒が忍び寄りかけているのは、毒にさえも甘美さを覚えるひととしての性ゆえなのだろう。アユラの思惑ではなく。
「偶々あったものを使っただけ。お前がその可愛らしい顔と声に生まれついたのと同じにね?」
「同じじゃないね!」
 甘く蕩けて爆ぜる寸前で燻ぶり焦らす、快感の毒。
 外套に秘めた葡萄樹の杖から刃を抜き放つと同時に毒を払い、こんなのより僕が丹精した品種の葡萄のほうが魅力的だっての、と不敵にピノが笑む。ヴリーズィだってきっと同じ、己を磨いて稽古を重ねて、積み重ねを糧に舞台で花開く。
「――ってか、思い入れもないならとっとと終わってくれるかな、その葡萄もあんたもさ!」
 何せ僕も葡萄だからね、と閃かせた声と同時に奔らす葡萄樹の刃の斬撃が、アユラの肘から先を斬り落とした。
 喪われた腕の形だけは瞬時に伸びた蔓葉が補ったが、
「多少の毒は必要かもしれないが……」
「毒にせよ何にせよ、食べ過ぎ摂り過ぎは要注意ってね♪」
 それ以上を刈り取るように乱舞するリューウェンの黒き剣閃と、残る腕や脚を冷たく貫くレムネスの氷翼が女の勢いを削ぎ力を鈍らせていく。アユラの蔓葉に次々実った葡萄が熟れて爛れてぽとぽと落ちていくのは、そこに痺れを凝縮させて己から切り離しているからだろう。
 与えるたび払われる麻痺。けれどそれに手を割くあまり甘い囁きと唄を紡げずにいるのなら。
 ――僥倖、ね。
 何処か陶然と瞳を細めてアデュラリアが笑んだ。
 村長の娘の表情を思い起こせば己で確かめずともあの葡萄が齎す魅了の正体は識れた。
 甘さが快楽を呼ぶのだ。
 強烈で、けれど突き抜けるほど激しくはないまま焦らすような快感が持続して、だからこそその主を慕ってもっともっとと溺れるよう求めずにはいられない、毒。
 そう思えば好奇の種も疼くけれど、
「味わえずとも構わない、かしら。――さあ、お還りなさいな」
 もっと他に、目も眩むほど甘美な毒に浸れることを識っている。
 アデュラリアの掌でころり転がるのはマジックマッシュ、ぽん、と手毬のごとく躍ったそれが惑わしの煙を振りまいたなら、濃霧めく煙の紗ごと貫いたサクラの棘がアユラの額に突き立った。
「――っ!!」
 額から頭蓋を貫かれてなお果てぬところは、流石に創世神の制約にも抗えるマスカレイドといったところか。だが、痛烈だこと、と零した女の消耗は傍目にも明らかだ。それゆえに、
「もっと辺鄙な村にでも潜むとするわ」
「しまった!!」
 居間の扉への路をとうに塞がれていた女は、誰が塞いでいるわけでもない窓へ向けて身を翻した。――瞬間、
「逃がしゃしないよ!」
 唯ひとり窓を気にかけていたタカの突入がアユラの退路を潰す。棘の環の外へと連れ出した娘がここへ戻る心配はない。潜めた外套の中から抜き放った短刀の煌きが女の目にも止まらぬ速さで、忍びの娘はアユラを斬った。
 その斬撃は、さながら東方で言い伝えられる鎌鼬。

●甘露の盃
 長く熟成され、重く豊かな酷も渋味も秘めた赤葡萄酒の瀑布を浴びた心地がした。
 虚空より降りそそいだ葡萄酒色の闇は後衛を庇う位置に立つリューウェンの気力も体力も激流で押し流すよう奪い去ったが、それも奪った力を貪らんとするアユラの足掻きと察すれば彼の口許には微笑が浮かぶ。
「ナルセイン殿を庇う様に動いてしまうのは仕様になってしまったようだな……」
 ご一緒する時はもう護衛役に徹するとしよう、と軽口めかして続ければ、
「嬉しいね、俺の護衛さんの格好良さに小鳥さんはぷるぷる感激せざるを得ない」
「まあ、すてき。けれど無茶は控えめにね、怪我を重ねたらかわいいひとが心配するわ」
 ――件の葡萄もだけれど、黄金の林檎も癖になってはだめよ?
 愉しげな男の声に続き、悪戯にころり転がるアデュラリアの笑み。
 甘い蜜色に輝く林檎の果汁の滴りがリューウェンを癒し、幻の黒鉄兵団がその脇を駆け抜ければ、
「有難く! その……色々と!!」
 微かに頬へ朱が差すのを感じつつ、護衛剣士は幻の黒鉄兵団に重なりその陣形に加わる勢いで夜風の嵐めく剣閃を存分に揮った。
 一瞬の乱舞の果て、腰から胸を奔った逆袈裟の斬り上げがアユラの残る腕をも斬り飛ばせば、
「お行き、霞! よく聞こえるように吠えるんだよ!!」
 鋭く響いたタカの声に応えた忍犬が大きく跳躍、頭上からの急襲で女の肩の仮面へと喰らいつき、亀裂を奔らせ高らかな遠吠えでレムネスを呼ぶ。
 堪らなく欲しいと感じて希うもの、堪らないほど心地好く酔わせてくれるもの。
「それはキミの毒なんかじゃなくて、もっと――」
 美味しくて楽しくて、平和な時間を過ごせる日々の中にあるものが良いと思うから。
 窓から射す美しい葡萄酒色の彩を楽しげに反射する爪を閃かせ、空間ごと斬り裂き一気に距離を零にして、深く断ち割った次元ごと、彼は仮面の女を葬り去った。

 柘榴の瞳を伏せたサクラが翳した手の下で、棘も命も尽きた女の骸が葡萄酒色の薔薇に変わる。棘を絡めるのに慣れた指先で小さな株を丸ごと引き抜いた。
 だが、絨毯の敷かれた部屋での流血沙汰である以上、完全に戦闘の痕跡を拭い去るのは難しい。ドローブラウニーで効率を上げることはできるが、
「どんな汚れもぱっと消える――みたいに劇的な効果があるわけじゃないからね、これ」
「仕方ないさ、娘さんを救出してマスカレイドを倒したってことでチャラにしてもらおうぜ」
 星霊を描いた布巾と塩と水で染みに挑むレムネスを手伝いながらナルセインが肩を竦めた。
 無論、村の誰もがエンドブレイカー達に感謝こそすれ、咎めだてすることなどないだろう。
「お嬢さんのところへ行ってきます!」
「待ってタカ、ティアキッスレモンあるから付き合うよ!」
 不思議な味の雫を滴らせるピノの果実。
 雫で夢の魔法のように魅了を解かれた娘の瞳に正気の光が戻れば、途端に娘は唇を戦慄かせて涙を溢れさせた。魅了されていた間の記憶。それが消えるわけではないのだ。
「大丈夫、大丈夫です。ずっと毒を飲まされていたせいなんですから」
 ――あなたがアユラの気を惹いている間、確かに村の皆様は守られていたんです。
 柔らかな声音でそう告げれば、娘がその胸に縋るように泣きじゃくったから、タカは二つ三つ年上と見える娘の背中を、何度も何度も、姉のように撫でてやった。

 夕暮れと宵の融け合う砂海の合間、砂丘に囲まれた砂の盃に満ちて揺蕩う甘い葡萄酒色の彩に、暖かな家々のあかりがひとつひとつ燈っていく。

「大丈夫そうだね、村長の娘さん」
 良かった、と小さな安堵の吐息を洩らし、ヴリーズィは砂丘の斜面に腰を下ろした。
 眼下に広がる光景は溜息が出るほど美しくて優しく暖かで、何故か瞳の奥に熱をも燈す。
 くい、と盃を呷ったなら、余計なもののないこの村本来の赤葡萄酒は、きゅっと舌がすぼまるような野性味ある渋味と、ねっとり濃厚な、干し葡萄めいた甘さで戯れのようにサクラの喉に絡んで蕩けて落ちていく。満足気に瞳を細め、
「……書斎のワインラックに、空きが増えたの」
「いやそこはずばり『仕入れて来い』って言おうぜ」
 がっつりナルセインの瞳を捉えて独り言を呟けば、爆笑した男が「任せとけ」と請け合った。
 林檎隠れでヴリーズィと杯を交わしたい、と彼女が言うから、勿忘草の娘もほにゃりと笑んだ。
 ほんの少し酸っぱく感じていたこの葡萄酒も、その日にはもう少し楽しい味に感じられるはず。
「クセの強い物は少々苦手なのだが、俺でも飲めるだろうか……」
「大丈夫だいじょーぶ、渋味あるけど甘いよ?」
 不安げなリューウェンの背をピノがぽふぽふして励ます様にころり笑みを転がして、アデュラリアもひとくち軽やかに。柔い棘つきの毬を転がすように舌に喉に遊ぶ渋味、蜜の淵を覗かす甘味。
「甘美で悪戯な毒、心地好い?」
「そりゃあもう、たっぷり溺れたいくらいに」
 ――極上だ。
 溢れる吐息のまま囁けば、喉を鳴らして笑ったナルセインが言外に滲んで零れたものも掬うよう、女の喉からおとがいへと指先でなぞる。
 楽しげに盃を傾ける仲間の姿に意を決し、リューウェンも盃に口をつけた。が、
「――、……。…………」
「いや顔には出てないが眼が泳いでるって」
 さくっと入った男の突っ込みに苦笑しつつ、グリューワインやサングリアにすれば呑めそうだが、と白状した。今はこの良さは分からないが、
「これが分かる様になれば、ナルセイン殿の様な三十代になれるのだろうか」
「分かりゃ楽しみは増えるだろうが、あんたはあんたらしい三十代になればいいのさ」
 クセを楽しめれば大人で高尚、というわけでもない。
 寧ろこの葡萄酒は『話のタネに呑んでみる』という手合いが多い類の酒だ。翌日に響く痺れも、ああ呑みすぎた、と笑って面白がれるような。
「何事も過ぎたれば毒のごとし。要はどう付き合うかってもんでしょ、ナルち」
「そういうこと」
 盃を掲げれば何度目かの乾杯の音。
 揺れる葡萄酒に村のあかりを星のように掬って、ピノは甘美で悪戯な毒を呑み乾した。



マスター:藍鳶カナン 紹介ページ
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楽しい 笑える 泣ける カッコいい 怖すぎ
知的 ハートフル ロマンティック せつない えっち
いまいち
参加者:7人
作成日:2015/01/29
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