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タッセル・コスタティットの遺産

<オープニング>

●遺産
 タッセル・コスタティット。遠い昔、永遠の森の片隅に生きた建築家。
 たっぷりとしたセーブルの毛並みとふさふさの尾を持つ大型犬をいつも連れていて。
 己の手がけた建築物を優しい光で満たすのが好き。
 そして、きっと――。

 優しく霞む群青と、ほのかな白銀に煌く氷の彩の世界。
 厳寒の中で迎える冬の夜明けに少年が向かうのは、春楡の森。
 秋の終わりに葉を落とし、美しい樹形をあらわにした春楡の森は、厳寒の時期に樹氷の見られる森となる。優しく霞む群青に染まりゆく夜明けの森に冷たい氷の花が咲く様は何処でも美しいけど、永遠の森らしい大樹、大きな幹のなかにちょっとした屋敷ひとつも抱え込めそうなほどに大きく育った春楡の大樹の森すべてに樹氷が咲く様は壮観だ。
 春には新芽を芽吹かせ、夏に眩く鮮やかな緑を茂らせ、
 秋には暖かな黄や橙に紅葉し、冬には美しい樹形をあらわにした佇まいを見せる。
 廻る四季それぞれに瑞々しいいのちの息吹を見せる春楡の森のなかに、唯ひとつ四季の廻りにも姿を変えない春楡の大樹があった。
 春を迎えても新芽を芽吹かせることなく、美しい樹形をあらわにした冬の姿のままに佇む大樹。
 だがこれは『春の聖堂』と呼ばれる、春楡の大樹の姿を模した星霊建築であった。
 外観は春楡の巨大樹そのもの。
 けれど根元の扉を開いて樹の内部に足を踏み入れたなら、そこは壮麗な作りの聖堂だ。
 何処までも高い柱と美しいアーチが創りだす、荘厳で静謐な祈りの空間。いくつも備えつけられた燭台に蜜蝋のキャンドルを燈していけば、ほんのり蜜色をした暖かでやわらかな光が聖堂に満ちて、壁を彩るステンドグラスが煌きだす。

 タッセル・コスタティット。遠い昔、永遠の森の片隅に生きた建築家。
 己の手がけた建築物を優しい光で満たすのが好き。
 ――そう言い伝えられる建築家が手がけた『春の聖堂』。だがこの聖堂の真価は、聖堂の外だ。

 蜜色をしたキャンドルのあかりを色とりどりのステンドグラスが透かした光は、星霊建築で造られた春楡の大樹の幹のなかを、枝を伝って、梢の先から優しく柔らかな、春色の光となって溢れだす。
 花霞のような桃、陽だまりのような黄、春空のような青。
 優しくふんわり燈る光は周りの樹々の樹氷にも柔らかな春色を映し、氷の花に春を咲かせるのだ。
 タッセル・コスタティット。
 彼自身はもうこの世にいなくとも、彼の残したものは冬の樹氷の森に春を咲かせる。
 そうして四季が廻るたび、繰り返し繰り返し春を呼ぶ。

 この朝『春の聖堂』を訪れたのは、ランセル・コスタティット。
 建築家を志す少年。タッセル・コスタティットの子孫。
 星霊建築でつくられた大樹のもとには以前訪れた時にはなかった野薔薇が茂っており、仮面持つそれが魔力の炎を燈した枝を鞭のごとく撓らせ襲いかかってきたたため、ランセルは引き返さざるを得なかったが、彼の顔に不安はなかった。
 仮面持つ者を滅ぼせる存在を識っていた。
 酒場へ行こう。マスカレイドがいたと伝えるのだ。
 そしてもし興味を持ってもらえたなら、この春の聖堂――タッセル・コスタティットの遺産のことを。

●さきぶれ
 タッセル・コスタティット。遠い昔、永遠の森の片隅に生きた建築家。
 永遠の森エルフヘイムには彼が手がけた建築が今もいくつか残されているが、何故この春の聖堂だけが特別に『タッセル・コスタティットの遺産』と呼ばれているのかと言えば――。
「春の聖堂がタッセルの最後の作品でね、彼がそこに眠ってるからだって言うんだよ……!」
 行く! アンジュは絶対行く!! と金の瞳輝かせた暁蝶の狩猟者・アンジュ(cn0037)が思いきり勢い込んで語る。
 螺旋階段の木琴が楽しい音階を奏でる塔、春空と春の草原を閉じ込めた硝子のドーム、
 虹色硝子で造られた巻貝の迷宮、村のツリーハウスが木琴の吊り橋で繋がる響きの森。
 過去にタッセルの建築を訪れたことのある彼女は春の聖堂――タッセル・コスタティットの遺産にも興味津々。いつだって彼の建築は、楽しさを、歓びを、幸せを、そして――笑顔をくれた。
 そう、拒絶体マスカレイドとなったランセルと戦い、彼を棘から解放した時にも。
 どうかお願い力を貸して、と暁色の娘が願う。
「アンジュと一緒に野薔薇のマスカレイドを倒して、春の聖堂にあかりを燈しにいこう?」
 そして、優しく霞む群青に染まりゆく冬の夜明け、厳寒の樹氷の森に春を呼ぶのだ。

 森に向かうのはやはり夜明けがいい。
 案内はランセルがしてくれる。捜さずとも野薔薇は『春の聖堂』の前にいるはずだ。
「ランセルくんの話だと、野薔薇の力は焔を使う鞭の技っぽいよね。攻撃力はね結構ありそうだけど、確り策を練って全力全開でいけば短時間で決着つけられる気がするんだよ」
 勿論、油断は禁物だ。
 何せ創世神の力が都市国家に行き渡り、弱いマスカレイドは既に消滅してしまっている。
 今も存在し続けていることそのものが、その野薔薇のマスカレイドの力の証だ。
「んでも、みんなと一緒ならきっと大丈夫だって思うから」

 為すべきことを終えられたなら、星霊建築で造られた春楡の大樹、春の聖堂に入ろう。
 いくつもの燭台にひとつひとつ蜜蝋のキャンドルを燈して、荘厳で静謐な祈りの空間を、ほんのりと蜜色をした暖かでやわらかな光で満たすのだ。そうして、色鮮やかなステンドグラスを、星霊建築の幹や枝を通し、優しく霞む群青に染まりゆく冬の夜明け、厳寒の樹氷の森に春を呼ぶ。

 タッセル・コスタティット。遠い昔、永遠の森の片隅に生きた建築家。
 たっぷりとしたセーブルの毛並みとふさふさの尾を持つ大型犬をいつも連れていて。
 蒸留酒を落とした温かなココアにマシュマロを浮かべて飲むのが好きで、
 黒胡椒入りのバゲットを熱く蕩けたチーズで食べるのが好きで、
 己の手がけた建築物を優しい光で満たすのが好き。

 彼について語られていることはこれくらいで、そのひととなりはあまり知られていない。
「んでも、彼の建築に触れたら言葉はいらない気もするのね。彼の残したものがすべてを語ってる」
 長いエルフの人生。
 悲しみに慟哭した日も、苦しみに歯を食いしばった日もあったろう。
 けれど、タッセル・コスタティットの命の軌跡すべてを見渡した時に見えるものは、ただひたすらに、優しいひかり。楽しさに、歓びに、幸せに、そして――笑顔に満ちた生涯だったのだろう。
 数多の悲しみと苦しみを越えて、なお。
 だからきっと、己の手がけた建築物だけでなく、世界をも優しいひかりで満たしたかったのだ。
「そう思うのおかしいかな。だって、アンジュもそんな風に思うことあるから」
 世界の楽しさ歓び幸せすべて織り込んで、柔らかな織布で何もかも包んでしまいたい。
 そうして誰かを笑顔にできるものを残していけたらいい。
「大したものを残せなかったとしてもね、アンジュが世界が還るときにそれまでの軌跡を振り返って、ああ、楽しさも歓びも幸せも、そして笑顔もいっぱいの生涯だったなぁって思えたら」
 どうしようもないくらい、しあわせ。

 だから樹氷の森に春を咲かせにいこう。
 今はもうこの世にいなくとも、繰り返し繰り返し春を呼ぶひとに笑顔をもらって。
「あのね、春を呼べたら、また逢おうね」
 彼にもらった笑顔を、この世界に、この先に繋げて、そうして歩いていく、その先で。


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参加者
翠狼・ネモ(c01893)
昏錆の・エアハルト(c01911)
戯咲歌・ハルネス(c02136)
漆黒ノ竜・リューウェン(c02487)
目映・トゥエトリーナ(c03874)
トランジットパッセンジャー・ピノ(c19099)
プレニルニオの雫・ジェルゾミーナ(c34864)

NPC:暁蝶の狩猟者・アンジュ(cn0037)

<リプレイ>

●冬の樹氷
 幻想の世界に足を踏み入れたようだった。
 蒼く霞む夜明けの森を彩るのは仄かな白銀に煌く樹氷。それも永遠の森たる地に相応しい巨大な春楡達が纏った樹氷の競演となれば壮観の一言に尽きる。春楡の巨大樹を模したという星霊建築も氷や霜を纏い、平時なら案内がなければ気づかぬだろうほどに樹氷の森へ溶け込んでいた。
 だが今は、すぐその前に焔色の花を狂い咲かせた仮面の野薔薇が目印のごとく生い茂る。
 樹氷に眠る星霊建築。白く凍る吐息の向こうにそれを見遣り、目映・トゥエトリーナ(c03874)は淡く瞳を細めた。古の建築家が最後に遺した光を識るために、
 ――まずは野薔薇の手入れからはじめましょうか。
 黒手袋を抜き去った白い指先にぷつり血の珠が浮いた瞬間、夜明けの森を鮮烈な光が翔けた。
 皆にさきがけ連携の起点となったのは昏錆の・エアハルト(c01911)の鋼の煌き、静謐な夜明けに咆哮響かせ疾駆する鋼鉄竜に続き、漆黒ノ竜・リューウェン(c02487)の手から放たれた戦闘光輪と翠狼・ネモ(c01893)の足許から蹴り出された真紅の光球が一足早い曙光と朝陽そのもののごとくに野薔薇へ襲いかかる。
「ランセル殿はどちらに!?」
「上じゃ、問題ない」
「そう言えば、彼もスカイランナーだったね」
 棘狩る力を持たぬ案内人が退避したのは大樹の枝上。かつて彼を救うため共に響きの森を駆けた仲間達の声に眦緩め、戯咲歌・ハルネス(c02136)は掌のマジックマッシュを打ち込んだ。
 相手に機を与える前に叩き込む一斉の遠距離攻撃。
 彼とトランジットパッセンジャー・ピノ(c19099)のマジックマッシュに枝の撓りを鈍らせた野薔薇へ、少し噛むだけよと囁いたトゥエトリーナの血の猟犬達とプレニルニオの雫・ジェルゾミーナ(c34864)が解き放ったクラビウスが続け様に喰らいつく。
「墓荒らしのそしりは受けたくないものね」
「ええ、聖堂も他の樹々も傷つけたくないわ」
 短く言い交わす娘達の、そして皆の願い通り、地から根を引き抜いた野薔薇は森の樹々の間隔が開けた場所にハルネスが選び定めた戦場へと飛び込んで来た。――否、誘い込まれた。
 蒼く霞む夜明けの大気を紅蓮の焔が朱に染める。
 だが朝靄より濃いマジックマッシュの煙が焔の枝鞭の勢いを削ぎ、クラビウスの噛み痕から広がる腐食が長い枝を断ち落とす。麻痺と制約が野薔薇の手数を半減させたこと、そして鋼鉄竜の咆哮が茨の矛先を乱したことが全員での攻勢を叶えた。
 焔の鞭撃は熱く激しいが、空振りも増え集中打も喰らいにくいとなれば回復に手を割くまでもない。
「アンジュもがぶがぶしておいで!」
「はーい! がぶっと行ってくる!」
 野薔薇を直撃したハルネスのマジックマッシュが煙を噴出し、暁蝶の狩猟者・アンジュ(cn0037)の駆る金の恐竜が幻覚に呑まれた花枝を喰い破れば、焔色の花弁舞う夜明けへ不意に夜が訪れた。
 夜そのものとなって野薔薇を呑み込んだトゥエトリーナが齎した逢魔ヶ時。
 彼女の創り出した薄暮にひときわ鋭く鋼を煌かせ、
「さあ、一気に斬って払って喰いつくすぜ!」
「勿論! 春を咲かせるための苗床になってもらうよ!」
 無数の刃の波濤となったエアハルトの鋼鉄竜が思うさま野薔薇を蹂躙し、鋭利な尾で薙ぎ払えば、あらわになった野薔薇の株の芯にピノが突き立てた紫煙樹の苗木がたちまち大樹となって太い枝で茨の枝葉を締めつける。
 薔薇の花弁がはらはらと毀れ散る様はリューウェンの胸に微かな苦渋も呼んだが、
「仮面さえなければ、な」
 彼の揮う黒き刃は鈍ることなく、地平を拓くかのごとき剣閃を描きだした。
 聖堂や森の樹々に害を及ぼさぬ場所へ誘き寄せ、高火力で一気に畳み掛けるというのが皆の策。
 凍てつく夜明けの風をも焦がす焔の一撃を蹴散らすことで防ぎきったネモが、軽い跳躍で己の立ち位置を変える。攻めの効率を考慮した彼が降り立ったのは仲間の内で一、二を争う高火力を備えたジェルゾミーナの隣。
「――頼む」
「任せて!」
 言うが早いか翠の光翼を背に芽吹かせたネモが翔け、野薔薇を斬り裂いた光の軌跡を透きとおる煌きが追う。眩いほどの煌き湛え、野薔薇の芯たる幹を両断したのはジェルゾミーナの硝子の剣。
「あなた自身に罪はないけれど、棘に侵されたなら大地にお還りなさい」
 返す刀に全身全霊の力を込めて、透明な切っ先を野薔薇の仮面へと突き入れたなら、澄んだ音を響かせ砕けた仮面が棘と共に霧散した。
 棘と命尽きた野薔薇が、トゥエトリーナの刻印と祈りを抱いて世界へ還る。
 夜明けの静謐を取り戻した樹氷の森。その枝上からすとんとエルフの少年が飛び降りて来た。
「やっぱりエンドブレイカーさん達はすごいや。僕に憑いた仮面もこうやって砕いてくれたものね」
「では改めて――春の聖堂への案内をお願いできるだろうか、ランセル殿」
「タッセル殿が最後に遺した光を、わしも見てみたいのじゃ」
 尊敬混じりの笑顔を向けられれば面映ゆく、けれど彼と、そして響きの森を共に駆けた仲間と再び縁を紡げる歓びを確かに感じながら、リューウェンは微笑し、ネモも森色の双眸を和ませた。
 あの日皆で奏で繋げた旋律は、今も胸の奥に響いている。

●春の聖堂
 星霊建築を改めて仰げば、リューウェンの口から深い笑みと吐息が零れた。
 外観は巨大な春楡そのもの。
 だが、蒼く霞む夜明けに仄光る氷霜を纏い、大樹の森の中で悠然と枝を広げる樹の姿そのものが壮大で美しい。暁色の娘と二人で笑み交わし、
「エアハルト殿に春楡を模した燭台を作って頂くのも素敵だろうな」
「燭台は用意がねぇが、ほら、これでどうだ?」
 水を向ければ先日二人に春楡を模すカトラリースタンドとアクセサリースタンドを創った細工師が、揃いで春楡をモチーフにした金の腕輪を翳して見せた。
 金の枝が夜明けの光に煌く先、聖堂の扉を開いた少年が皆を招く。
 ――歓迎してくれよ、タッセル。とっておきの光に逢いに来たぜ。
 暁色の娘に『光を創る』と呼ばれた細工師が、皆と共に春の聖堂に足を踏み入れた。
 巨大樹を模す星霊建築の内部に広がっていたのは、荘厳で静謐な祈りの空間。
「まるで……祈りの森のよう」
 深い感嘆の吐息と零れたジェルゾミーナの小さな声音が、何処までも高い柱の連なりと遥か高みで美しいアーチが織り成す空間にひそやかに反響する。ドロースピカが齎す仄かな夜明けの薄明りで幾つもの柱の影が落ちる様は確かに深い森のよう。
 皆で一緒に燈せれば嬉しい、と微笑むリューウェンから蜜蝋のキャンドルを受けとって、
「よければ、アンジュも一緒に燈しましょう?」
「うん! あかりを燈すのすごく好き!」
 声を掛ければ応えを窺うまでもなく、嬉しげに顔を輝かせたアンジュがジェルゾミーナの隣にそっと寄り添った。柱の燭台にキャンドルを据え、火を燈せば、暖かなオレンジに輝く焔がふわり蜜の光と香りを広げていく。燈したあかりに笑み交わせば、ジェルゾミーナの胸にもあかりが燈るよう。
「ああ、これも光と熱だよな」
「光と熱なんだよ!」
 瞳を細めるエアハルトにアンジュの声が弾む。命が生きることは光と熱を求めること。彼女の口癖は今も変わらない。
 柱の、壁の燭台に蜜蝋のキャンドルを燈していくたびに、聖堂に揺蕩っていた冷たい薄闇が暖かでやわらかな光に融かされていく。光が広がれば随分と高いところに備えられた燭台も見出され、
「あちらはわしが受け持とう」
「流石。よろしくね」
 火種とキャンドルを持ったネモが柱の装飾やエアクッションを足掛かりにたちまち高みへ昇る様を見送って、ピノは薄闇に沈んでいた壁のステンドグラスが帯び始めた煌きに口許を綻ばせた。
 またひとつキャンドルを燈せば、手許に、頬に感じる優しい熱。
「……ひとつひとつ燈すたび、春が近づく気がする」
 この手で燈して触れられる贅沢な春を、存分に味わっていこう。
 暖かな焔を燈せば、蜜蝋のキャンドル自身にも内側から輝くような優しい彩が燈った。
 固く縺れたまま凍りつき、そして今ゆうるり融けて弛んでいくわたしの心みたい、とジェルゾミーナは小さな笑みを綻ばす。ずっと悪い夢を見ていた気がする。まるで――、
「氷の世界にいるようだった……って顔してるな」
「わかるの?」
 不意に届いたエアハルトの声にジェルゾミーナが大きく瞬けば、ハルネスが柔い笑みで言を継ぐ。
「伊達に歳は重ねてないからね」
 二人はそれ以上踏み込んではこなかったけど、彼らにも己のそれと似た、凍える闇に心閉ざされる日々があったのだろうと月の雫の娘は感覚で理解した。行き場のない想いの渦に呑まれて溺れて、哀しみと苦しみの波間に喘ぐ日々。
 いまだ癒えぬ心は軋むけど、それでも――痛みを抱えたまま、前に進むと決めたから。
「ねえ、ジェル。あなたと、みんなと一緒にここに来られて、良かった」
「ええ、トティ」
 優しい声音と共にトゥエトリーナが傍のキャンドルを燈してくれて、春を迎えにいこうねとアンジュが笑みを燈すから、ジェルゾミーナは痛みを越えて花のごとき笑みを咲かせた。
 ひとりじゃない。だから踏み出すの。
 ――いつかまた、笑って逢うために。
 暖かな光の繭が広がっていくかのよう。深く息をすれば春の息吹が満ちる心地。
 やわらかな光に満ちていく聖堂の柱の森の高み、美しいアーチの連なりを跳び渡ってキャンドルを燈していたネモが、ふと眼下に見つけたものに眦を緩めて飛び降りる。
 音もなく降りたのは祭壇の前。その床に平らに埋め込まれた墓碑にはこう刻まれていた。
 ――タッセル・コスタティット、ここに眠る。
「この下にタッセル殿が眠っているのだな」
「……そのようじゃな」
 敬虔な面持ちで墓碑の前に膝をついたリューウェンと並び、ネモは刻まれた文字をそっとなぞる。
 ――ああ、やはりそうじゃ。
 馴染みの顔、久しい顔。タッセル・コスタティットの軌跡を辿るようあかりを燈していけば、自分達の軌跡を辿る心地にもなれた。私達は、軌跡の上に繋がっているんだね。
 息つくように笑んだハルネスが、祭壇の燭台にキャンドルを立て、あかりを燈す。
 ――春よ来い。

●光の軌跡
 荘厳で静謐な祈りの空間を彩る幾つものステンドグラス。
 聖堂に足を踏み入れた時には薄闇に沈んでいたそれが眠りから覚めるよう煌く様に、エアハルトは居ても立っても居られぬ心地で建築家の卵を振り返った。
「一緒に見て回ろうぜランセル、異なる目線の意見を学びあうのもいいもんだろ?」
「うん、僕も細工師さんの眼に見えるものを識りたい」
 何処までも高い柱と美しいアーチの聖堂も、樹氷の森に春を呼ぶ春楡の外観も、何もかもがきっと互いの糧となる。細工の師匠は別にいるが、物創りという点ではタッセルも間違いなく俺の師匠だとシュクル・レーヴの細工師は嘯き笑った。
 暖かな光満ちた聖堂から再び外へ踏み出せば、凍てつく風がトゥエトリーナの頬を撫でる。けれど寒さに首を竦めそうになるのを堪えて周りを仰ぎ見れば、娘は銀の瞳を瞠って息を呑んだ。
 樹氷の森の、春。
 星霊建築の春楡の枝先から零れたふんわり暖かで優しい桃色の、黄色の、空色の、春めく光が、厳寒の森の樹々に咲いた氷の花に煌き燈って柔らかな春の彩を夜明けに燈す。
 光の春の中、トゥエトリーナの頬は自然と緩むけど、
「難問をつきつけられた気もするわ」
「――同感」
 呟けば、何か心に共鳴したらしいピノが小さく頷いた。
 己の利のみ求める両親を反面教師に生きて来たトゥエトリーナ。けれど胸に落ちた影からはいまだ逃れられず、不安が心を波立たせる。わたしは両親の轍を踏まずにいられるかしら。
 ――春を遺した彼のように、惜しみなく誰かに与えることができるのかしら。
「でも、どんな答えでも、それは道の先にしかないのよね」
「そうだね。僕達の歩いていく、道の先に」
 彼女の言葉に笑み、ピノは帽子を被りなおして樹氷の春を振り仰いだ。この世から去ってもなお、世界に春と笑顔と想いと遺せる生き方に憧れ、焦がれてやまない。
 僕は長い時間の中で何が遺せるのかな。
 その答えはトゥエトリーナの言うとおり、己の道の先で見つけるもの。
 凍れる冬の夜明けに咲く、常世の春。
 振り仰いでゆるり眺めれば、タッセルの創った春楡は、樹氷の森に春花と春陽と春空を咲かせる、春そのもののよう。
「おぬしだけの音色……光を、いつかこうして訪ねる日を楽しみにして居る」
「いつか、必ず。僕も貴方達に、僕自身が創りだしたもので笑顔になって欲しいから」
 傍らにやってきたランセルにネモがそう告げたなら、彼は確りそう頷いて笑み返す。
 春の許で語らう彼らを微笑ましく見遣り、瞳を巡らせたハルネスの目元がひときわ和んだ。
「――おいで」
「うん!」
 両腕を広げれば、春楡の枝上にいたアンジュが迷わず飛び込んでくる。胸へ鮮やかに燈るのは、螺旋音階から硝子草原へ、虹迷宮へ、響きの森へ、そして春の聖堂に繋がれた、軌跡。
 暁色の娘を繋がる軌跡の前に改めていざなって、ハルネスは生涯の誓いを立てる。
 しわくちゃのおじいさんになっても、誰よりも君の傍で一緒に笑っていたい。
 贈った暁と花のヴェールを上げ、誓いのキスを重ねれば、娘の唇がこのうえない歓喜に震えた。
 ――世界でいちばん君を愛してます。
「私と結婚して下さい、アンジュ。君を幸せにする」
「はい。アンジュと結婚して下さい。貴方をいっぱいいっぱい笑顔にする」
 どれほど求め合っても、ひとつには溶け合えないと識っている。
 だから、と彼の頬を両手で包みこみ、春森の暁を笑みに燈した娘がいつか刻迷宮で紡いだ言葉を誓いの詞に言い換えた。
 互いの時に互いに刻まれて、紡いでいく時も繋いでいく軌跡も縒りあわせて。
 ――そうして、ひとつになっていこうね。
 光の春を仰ぎ、このような世界でずっと共に過ごせるよう、と穏やかにリューウェンが笑んだ。
 薔薇色の瞳の少女を想い浮かべているだろう友の傍で、エアハルトも柔い笑みを燈す。嘗て愛した紫の光も、今誰より愛している青い光も、すべてが己の一部となって息づいている。
 自分という存在を構成する、大切なひかり。
 光を重ねて織り成すように、
 ――生きて、行こうぜ。
 星霊建築の春楡にそっと触れれば、斧都に庭園を遺し、魂は樹に宿ると教えてくれた星霊建築家の面影がネモの胸をよぎった。かのひとがあの地の榛に宿ったように、タッセル・コスタティットはこの春楡となったのだろう。
 そう思えばごく自然に、銀砂の眠りから目覚めた庭園に連れて行った、ナツメヤシを思い起こした。
 四年前移植した若木はまだ成木とは呼べぬだろうか。けれどいずれ遥か天を目指す高木に育ち、空に翠の羽根のごとき葉を広げる樹。
 生きて、翔けて、その遠い果てに、自身も世界に還る日が来たなら。
 ――わしは、あの樹の許へと睡りたい。



マスター:藍鳶カナン 紹介ページ
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参加者:7人
作成日:2015/02/09
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