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≪十階建ての荒野≫宵夢紀行 黄昏の灯火のうみ

   

<オープニング>

●宵夢紀行
 眠りゆく陽が彼方に姿を隠しても、世界は柔らかな薔薇色に染められたまま。
 咲きこぼれるリラやウィスタリアの花を透かした光のように、緩やかな水の流れに菫のリキュールを落としたように、訪れる夜のきざしは淡やかな紫の紗を世界にかさねていく。黄昏と呼べるひとときはゆるりと過ぎ去ってしまったけれど、甘くほのかな薔薇色の残照が薄れて消えないうちはまだ、宵と呼ぶにもいささか早い。
 遥かな空を映す星霊建築の天蓋のみならず、大気そのものが柔らかな薔薇や淡いウィスタリアの彩に染まる黄昏と宵のあわい、街に、路に、ひとつ、またひとつとあかりが燈されていく。いつもならそれは街路の硝子燈や通りに面した建物の窓から零れてくるあかりだけれど――この日ばかりは、ひときわやさしいあかりが燈る。
 洒落た街燈も煉瓦づくりの建物のあかりも、ひとときおやすみ。
 それらの代わりに燈されるのは、アンティーク風のランプ達だ。
 世界がとろりと甘い薔薇酒のような残照に浸り、淡やかな紫の紗がゆうるりかさねられていく間の、静かでやさしい、灯火のまつり。
 暖かなカフェオレやミルクティー色の煉瓦づくりの街並みの窓辺に、葡萄酒色に滲む影落ちる街路の両端に、深い紅茶色の水面が揺れる運河沿いに、水路に架かる橋の欄干に置かれた、古色を纏ったアイアン細工と磨り硝子のランプ達にはひとつ、またひとつとあかりが燈されて、磨り硝子から柔らかにあふれるひかりは、黄昏と宵のあわいの世界に滲んで融けて、深い深い紅茶色の水面に蕩けて揺れる。
 この祭の日も街角には何処からともなく現れたカクテルスタンドが立ち、クラッシュアイスを贅沢に満たしたグラスに色鮮やかなリキュールとジンジャーエールを注いだものや、苺や白桃のピューレにジンジャーエールを注いだものを売ってくれるけれど――この祭の黄昏と宵のあわいにだけちらほら見える、手提げのランプを売る店もどうしようもないくらいに心を惹く。
 優しい淡金に煌く真鍮細工、金に薔薇色を溶かしたような銅細工といったうつくしいものもあれば、古びた風合いのアンティークなブロンズ細工、温かみのある錆び加工を施したアイアン細工といった何処か懐かしさを誘うものとよりどりみどり。
 けれども、一度手にすればまるで何年も使っていたかのようにしっくり己に馴染むところと、やさしくひかりを透かす磨り硝子の火屋を持つところはみんなおなじだ。
 ゆったりとした水の流れにも似た風のなかをゆうるりと泳ぐように、自らランプを手にして、あるいは街のあちこちにやさしく燈るランプを辿って、そぞろあるきにいこうか。
 やさしいあかりが蕩けて揺れる、水路に架かった橋の上から街を見遣れば――。
 胸が痛くなるほどの、灯火のうみ。
 訳もなく泣きたくなるような、黄昏と宵のあわい。

●黄昏の灯火のうみ
 世界が薔薇色の残照に浸り、空が花色へ傾いていく黄昏と宵のあわい。
 空追い・ヴフマル(c00536)が水神祭都のある街で視た、黄昏から宵へ移ろう街にやさしい灯火が揺れる祭のエンディングを語れば、
 ――花色は青いんだよ。
 自家製林檎ジャムの硝子瓶の蓋を開けていたハルピュイアの隻腕・オニクス(c11582)が、彼方へ過ぎた、けれど確かに今へと繋がる宵夢の言の葉をなぞってみせる。
 紫がかった淡い藍。
 四年前の黄昏と宵のあわい、あの街の水路にかかった橋の上で一番星を探して仰いだ宵の空の色の名を教えてくれたのは彼女だった。大切なのは、ヴフマルが花色を識ったのが初めてだったかどうかではなく――あの日、訳もなく泣きたくなるような愛おしい黄昏と宵のあわいをふたりで過ごし、彼女がその心の彩をヴフマルへ分けてくれたということ。
 初めて一緒に出掛けたあの黄昏と宵のあわいから四度の季節がめぐって、まだ少年と少女という呼び名もおかしくなかった二人は、青年と娘になった。
 世界で一番鮮やかな夏空を、宝石箱や玩具箱をひっくり返したような製菓市を、世界に数多溢れる心躍る場所を、幾つも、幾つも二人で出掛けて互いの心に映して、どれほど優しい時間をともにしてきただろう。
 時に肩を並べ時に背を預け、幾つの戦いをともに駆け抜けてきただろう。
「……? どうした、エルディ?」
「いえ、あの時から四年経つんだなぁって。――色々、ありましたよね」
「だな。家族も増えたし」
 微かに眦緩めたオニクスが差し出す匙から林檎ジャムを啄ばんで、ゆずひよこが『ぴよ!』と一声嬉しげに鳴く。ヴフマルも笑ってジャム瓶にぷるぷる擬態するゆずひよこへ手を伸ばした。
 森梟にゆずひよこ達。一緒に愛せる、小さないのちのぬくもり。
 心の扉をひとつ開けば、次から次へと開く扉から愛おしい想いや記憶が溢れだす。
 訳もなく泣きたくなるようなその愛おしさは――不思議なことに、あの始まりの黄昏と宵のあわいに感じたそれに、とても良く似ていた。
 彼が宵に溶けてしまえても、そうそう見失うかと言ってくれた彼女。

 ――見つけたら、捕まえて下さいますか?

 あの日冗談めかした言葉が不意に胸裡に甦った。
 そう、彼女は本当にちゃんと捕まえてくれたのだ。
 初夏の宵でなく夏の奈落へ溶けてしまったようにふっつり消息の途絶えた自分を、オニクスはちゃんと捕まえてくれた。優しい雨の中でゆうらり揺れる、たまごみたいな揺籠へ。薔薇色の紅葉豊かに広げた林檎の大樹の枝にちょこんと座らせたような、暖かな隠れ家へ。
 ――おかえり、と言ってくれましたよね。
 振り返ってみれば、なんて鮮やかな、なんて愛おしい数多の彩に満ちた日々だったろう。
 そうしていつのまにか、こんなところまできた。
 思い返すだけで様々な彩の洪水が溢れだしてきそうなこの四年。
 あの日から今にいたり、辿りついたところ。
 この四年で少しずつ変わって辿りついた互いの結びつきや、心に燈った想い。それらを辿るように、確かめるように、肌で感じるように。

「初めて一緒に出掛けた思い出のあの街を――もう一度、歩きませんか」


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参加者
空追い・ヴフマル(c00536)
ハルピュイアの隻腕・オニクス(c11582)

<リプレイ>

●宵夢紀行 黄昏の灯火のうみ
 甘くほのかな薔薇色の残照に溺れる世界へ、緩やかな水の流れに菫のリキュールを落とすのにも似た、淡やかな紫の紗がゆうるり重ねられてゆく。蕩けるようなその彩も、空追い・ヴフマル(c00536)の褐色の頬を柔らかに撫で、ハルピュイアの隻腕・オニクス(c11582)の漆黒の髪を緩やかに梳いてゆく水辺の風のたおやかさも、四年前と同じもの。
 けれど今日は洒落た街燈や煉瓦づくりの建物のあかりではなく、ひとつ、またひとつと燈されてゆくアンティーク風のランプのやさしいひかりが街を彩っていた。
 四年前と同じ街、異なる景色。
 傍らには四年前と同じ、けれどあの日とは結びつきが変わった相手。
 あの日は瞬く金の星めいた気泡が弾けた杯にはそれぞれ白桃と苺のリキュールが注がれ、くるり掻き混ぜれば金色のジンジャーエールに果実酒と果実のピューレの雲が湧き立ち広がっていく。
「あの時はお互いお酒の呑めない歳でしたよね」
「だな。こうやって今日ここでお酒を呑めるってのも――悪くない」
 乾杯、と硝子を鳴らして口をつければ、苺の甘酸っぱさ融けこんだジンジャーエールの気泡と苺のピューレのつぶつぶ感がオニクスの口中で弾ける心地。きっとその楽しさと、ほんのり熱燈すような酒精のせいだろう。
 そういやいつから片恋だったんです? なんて訊くヴフマルの声にふわりと答えが紡げたのは。
 ――片恋はきっと、永遠の森にいた頃から。
「……まぁ、最初はただの仲間、だったな」
 出逢った頃は同僚のひとりと思っていた、今は誰より愛しいひとを見て、片恋の日々を思い起こすように甘酸っぱい雫をもうひとくち。偶々彼の話がいくつも耳に届いて、気づけば己の知らない彼の一面を識りたいと望むようになっていた。
「好きな奴が居るってのも知ってたけどさ、叶わない片恋でも話しかけない選択肢はなかった」
「まーそれ、情報が錯綜してたってか、失恋してたんすけどね……」
 甘酸っぱさを吐露するように紡げば、小さく苦笑を洩らしたヴフマルが頬を掻く。
 そっから先は知ってんだろ? と苺カクテルを差し出せば、彼の苦笑が柔らかな笑みに変わった。
「出かける楽しさを知らないって仰ったから、そんなの勿体ないって誘ったんすよね」
 金色ジンジャーエールに白桃の甘さ蕩ける杯を彼女に手渡し、苺カクテルをひとくち味わったなら、その甘酸っぱさとつぶつぶ感の楽しさにヴフマルの声もふうわり浮き立った。
 黄昏と宵のあわいに一番星を探したこの街を皮切りに想い出を辿れば、いくつもの彩が鮮やかに溢れだす。
 懐の書物を繰る心地でなないろの物語を辿ればひとつ瞬きをしたオニクスが自分の右頬にそっと触れ、夏空の街の黄昏と菫の宵、そして永遠の夏を辿ればヴフマルの裡に、眩い夏の輝きとあの街の柘榴の甘酸っぱさが甦る。
 紅茶に咲いた薔薇砂糖、月色に融けて林檎みたいに香ったカモミールシュガー。ラベンダーの花と花砂糖の香りに満たされ、願いも掌も重ねあった朝。繋いだ手が変わらぬよう願ったメダイユ、叶え続ける願いの紙灯篭、燈る記憶はいくつもいくつも尽きなくて、そして――。
「夜鳴鳥、覚えてらっしゃいます?」
「忘れるわけ、ないだろ」
 覗き込めばオニクスの金の双眸が微かに和らいで、あの夜と同じに、けれどひときわ優しく彼女の手がヴフマルの頬に触れてきた。頬も眦も緩めて手を重ねれば、照れた様にそっぽを向かれるのも同じで、思わず零れる柔い笑み。
 歌えない鳥が啼いたのは、きっと――。
 思い馳せればこの水神祭都で何より鮮やかな、忘れえぬ記憶が胸の芯に光る。
 彼女に告白された時のこと。
 驚いたけど嬉しかったですよ、と心からの気持ちを紡ぎ、愛おしい想いのままに言の葉を継ぐ。
「オニクスさんを、オニクスさんの心を守りたいって思えたから」
 再び眼差し交わして告げられた言葉が、黄昏と宵のあわいにやさしく滲むランプのひかりのように、紅茶色の水面に揺れて蕩けるひかりのように、柔らかにオニクスの胸に融け込んだ。
「喉元つっかえてた想いが吐けて、受け入れられて、ほっとしたんだ」
 知らず口許が綻ぶのを感じつつ彼の白桃カクテルに口をつけたなら、苺の甘酸っぱさに代わって白桃のとろりとした甘味が広がった。ジンジャーエールの気泡がしゅわりと弾ける感覚も、募らせた想いが解き放たれ、受け入れられた時の幸福感を思い起こさせてくれる。
 重ねた願いのまま、叶え続ける願いのまま。
 黄昏と宵のあわいにどちらからともなく、ごく自然に手を繋ぎ合った。

●宵夢紀行 番い鳥のあかり
 夏の黄昏と宵の柔らかな気だるさ、街を廻る水路のまろやかな涼やかさ、それらをふうわり抱いた風の流れをゆうるり泳ぎ、やさしく燈るあかりを辿るそぞろあるき。
 けれど時折すれ違うひとの手に揺れるランプのあかりにも惹かれて、煉瓦づくりの街並みの一角、街路にいくつもの手提げランプを並べた露店を見つければ、ヴフマルは繋いだ手を軽く握りなおして彼女を誘う。
「ね、どの灯が好みです?」
「そうだな……うん、これがいい」
 磨り硝子の水瓶から光が零れるランプ、絡む銀細工の蔦に白花咲くランプ、いくつも咲くあかり達に視線を巡らせたオニクスが選びとったのは、時を重ねた風合いのブロンズ細工が穏やかに艶めく、番い鳥を意匠したランプ。
 いーすっねと橄欖の双眸を細めたなら、ヴフマルの瞳に映った番い鳥のあかりがひときわやさしく融けて滲んだ。繋いだ手の間に提げれば買ったばかりのランプはしっくり手に馴染んで、小さなその重みも心地好い。
 またひとつ増えた、二人の彩。
 水面に揺れるひかりよりも柔らかにランプのひかりを揺らし、再び始めるそぞろあるき。二人一緒にあれこれ買い物にするようになったのはラッドシティで一緒に暮らし始めた頃からだっけ、と番い鳥に瞳をやりながらオニクスが話を継ぐ。
「引っ越し後にさ、余計なクッション買ったりしたよな」
「余計って、けどあれ大層お気に入りでしょう?」
 小さく吹きだした彼に指摘されればぽふっと頬に熱が燈った心地。あのがらくた市で彼がぽふっと抱かせてくれた、予定外の黒いもこもこクッションでごろーんとするのが大のお気に入りだなんて――うん。否定、できない。
 酒場で誘いを聴くたびに足を向けた製菓市、宝石箱や玩具箱をひっくり返したようなそこでいくつも買い求めたきらめきは、林檎たっぷりのタルト・タタンから始まる数多の甘い幸せへと繋がってゆく。買い物に頭を悩ませながら、相手が何を作るのか当てようと思い巡らせたのも楽しい記憶。
「美味しい物は作れたかな」
「どれもこれも、美味しくて幸せですよ」
 二人で食べたお菓子も、ゆずひよこ達と食べるようになったおやつも。
 そう続けてくすりと笑みを零したヴフマルの胸をよぎった記憶は、きっと自分と同じだとオニクスの眦も緩む。きらきらと煌くオレンジピールならぬ甘夏ピールで一緒におやつの時間にした時の、あのゆずひよこ達の歓びようときたら!
 大感激も大好きもめいっぱい示してくれる、小さな家族達。
 料理にレモンや柚子を使おうと果物籠へ伸ばした手にすかさずころんと転がりこんでくる彼らとの暮らしも、夏の森でぽわぽわ産毛に桃色の百日紅の花を弾ませ、次の夏には時の栞の三角屋根の上に帰って来た森梟達と遊ぶひとときも。
「悪くない、って。そう思う」
「ほんと、賑やかで楽しい毎日になったっすよね」
 ふうわり零れてたおやかな宵風に融けてゆく、互いの笑み声が心地好い。
 遊びに出かけた先での非日常の幸せだけでなく、日毎重ねていく日常の幸せを一緒に紡ぎ始めた紫煙群塔。世界の瞳が解放されて、ラッドシティで暮らしながら様々な都市の想い出の場所へも気軽に向かえるようになってからは、それこそ解き放たれたように数多の鮮やかな色が日常も非日常も彩るようになっていった。
 なないろの祭りに藍色纏う双子の物語を二夜、三夜と重ね、夏空の王国へ水と光の花を咲かせて月暈の魔法にかかり、季節毎に彩り変える製菓市の煌き追いかけて。巨獣荒野を駆けた先で海賊博士なる仮面憑きと戦い、大きな猪が母娘の命を奪う終焉を砕いてなつやすみを楽しんで――。
 幸せなエンディングのお裾分けにあずかるだけでなく、理不尽なエンディングを打ち砕くためともに戦うことも増えたのは、移ろう世界の情勢が激動の流れになっていったからでもあるけれど、
「狭い範囲の幸せだけでも、守りたかったんだよな」
「……守りたかった気持ちは、俺も同じでした」
 彼女の声音のトーンが僅かに落ちたのに気づけば、ヴフマルもしんみりと、けれど真摯な声音で言を継いだ。
 二人で居るのがまるで呼吸するように自然で当たり前になりすぎて、独りではもう生きられなくなる気がして恐ろしくなった事もあるほどに、幸せな日々。
 けれど、何時でも好きな時にふらりと帰れて、戦神斧を戴く変わらぬ姿を見せてくれると思っていた故郷、アクスヘイムの崩壊を目の当たりにした時に、たとえようもない焦燥がヴフマルの裡に芽吹きたちまち胸中に広がった。
 何か出来る事はないか、もっと力をつけられないか。
 足掻いてもがいて駆けて翔けたその先、盟約の地で手にしたのが――奈落転送陣。
 奈落という言葉にオニクスの足が止まる。
 暖かにやさしく燈る、いくつものあかりに彩られた街並みを歩くうち、不意に現れた小さな路地。そこだけランプが置かれてないのか葡萄酒色の影が暗い昏い闇へ繋がっていく路地の奥へ彼が融けて消えてしまうような錯覚に、胸の裡が荒削りな氷にざらりと撫でられたみたいに凍えて疼いた。
 けれど繋いだ手の間に燈る番い鳥のあかりが闇を溶かす様に、オニクスは小さな安堵の息をつく。世界にやさしく滲んで融けるひかりに並ぶ、暖かな葡萄酒色した彼と自分の影。
 隻翼で生きてきた自分に、比翼なれば飛べるかと添ってくれたひと。

●宵夢紀行 導きの星
 世界を浸していた薔薇色の残照がゆうるり薄れ、空はゆるゆると花色へ傾いてゆく。
 二人で居るのがまるで呼吸するように自然で当たり前になりすぎて、独りではもう生きられなくなる気がして恐ろしくなった事もある。――それは俺も同じだから、と懐かしい街並みと道を辿りながら、彼女がぽつりと呟いたから、ヴフマルは淡く目蓋を伏せた。
 大地の扉に隔てられた比翼。
 地の底へ向かったまま己の消息が絶えた時、彼女はどんな想いをしただろう。
 眼裏に燈るのは地底にひらけた大空洞の光景。
 胸裡には奈落での短く長い日々が甦る。
 数週間かけて瓦礫の迷宮を越え蝙蝠の羽持つ娘に出逢い、マスカレイドの軍勢に発見されぬよう只管潜伏と逃亡を繰り返し、羽と花の名持つ娘を喪いつつも此華咲夜若津姫を棘から解放し――。
 一瞬たりとも気が抜けず、けれど頼もしい仲間達とずっとともにあった日々。
「それでもオニクスさんの気配が傍にないのが寂しくて。……寂しい想い、させましたよね?」
「……うん。俺も寂しくて、心配で不安だった」
 不安感に緊張感、互いのそれらには深さや方向性の差異はあったろう。
 けれど隔てられた比翼が抱えた寂しさは、きっと互いにおなじだったから。
「帰ってこれた時、迎えてくれて……本当に嬉しかった」
 優しい霧雨に包まれた夏空の街、たまごみたいな揺籠の中で感じた、街に実るオレンジの香りが雨の香りとともに肌へ染みこむ心地。そして――抱きしめた彼女と自分の温もりが、夏の雨のように潤む熱となって融け合っていく感覚を思い起こせば、泣きたいほどの幸せがヴフマルの胸の奥から堰を切ったように溢れだす。
 ――おかえり、エルディ。
 あれほどの幸せを満たしてくれた声を、他に識らない。
 夢の微睡に浮かぶようで、けれど肌から融け合う温もりも、微かに聴こえる彼の鼓動も、確かな現だったあの午後の幸せがオニクスの胸も満たせば、四年前にも足を止めた橋へと辿りついた。
 振り仰げば花色の空に輝く一番星。
 涼やかで、何処か気だるげに潤む風が、ゆったり流れる大河のごとく二人を包み、柔らかなひかり蕩ける運河の水面を揺らしてゆくのに誘われ、街を見渡せば。
 胸が痛くなるほどの、灯火のうみ。
 振り返ってみれば本当に色鮮やかな日々だった。ひとつひとつ互いの言葉で辿れば、今眼の前の世界にいくつもいくつも暖かに燈る灯火みたいにやさしくひかる。
 穏やかな笑みを燈してヴフマルは、番い鳥のランプをそっと橋の欄干に乗せ、オニクスへと改めて向き合った。ゆっくり深呼吸すれば、自身の鼓動が聴こえる心地。
 不安にさせてしまった事もあったけれど。
「俺とこれからも、生きてくれますか」
 まっすぐ願って、誰より大切なひとへ、導きの星のように強く優しく輝く指輪を贈る。
 花色の空に輝く一番星のもと、その星の輝きを凝らせたかにも思える透明な宝石を抱いた指輪を瞳に映して、いつか夜鳴き鳥に似ていると言われた娘が言の葉を紡ぐ。
 ――触れたいと思ったから、恋唄ひとつ歌えなくても、夜鳴き鳥は啼いたんだ。
 続く言の葉は、金の眼差しを橄欖の眼差しに重ねて。
「ずっと一緒に生きて欲しい」
 二人で一緒に、何処までも比翼で翔けていきたい。
 それがオニクスの、答え。
「――ええ。何処までも、一緒に」
 知らず詰めていた息を湧きあがる歓びのままにつけば、ヴフマルの顔に至福の笑みが広がった。指輪の煌き燈した彼女の手が頬に触れれば、頬も眦もいっそう緩むのが自分でも分かる。
「なあ、エルディ。俺からもアンタに贈らせて欲しいものがあるんだけど」
「指輪を受け取ってもらえただけでも充分すぎるほどですけど、何を下さるんでしょう?」
 見つめてくる愛しい金の瞳。取り戻した茶目っ気燈して見つめ返した橄欖の瞳が大きく瞠られる。彼も滅多に見ることのない微笑みを咲かせたオニクスが贈りたいと望むものは。
 世界で一番、誰より愛するひとへの――甘い、くちづけ。

 紫がかった淡い藍。
 世界が花色に満ちてゆく、訳もなく泣きたくなるような、黄昏と宵のあわい。
 四年前と同じ街、異なる景色。
 誰より傍には四年前と同じ、けれどあの日とは結びつきが変わった相手。
 訳もなく、とはきっともう思わない。思い返すたび胸に燈って溢れるだろう数多の幸せ、その軌跡と紡いだ繋がりゆえに、きっと泣きたくなるような愛おしさを募らせる。
 願いを重ねて、叶え続けていこう。
 胸が痛くなるほどの、灯火のうみを互いの心へと抱いて。二人で一緒に生きて、何処までも比翼で翔けていこう。
 ――遥か先で、世界に還る、その日まで。



マスター:藍鳶カナン 紹介ページ
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楽しい 笑える 泣ける カッコいい 怖すぎ
知的 ハートフル ロマンティック せつない えっち
いまいち
参加者:2人
作成日:2015/07/10
  • 得票数:
  • ロマンティック10 
冒険結果:成功!
  • 生死不明:
  • なし
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