<オープニング>


 第1次レルヴァ会戦の直前。
 同盟諸国軍は、トロウル軍の別働隊が「光輝の武都ディグガード」方面に現れたとの報を受けた。
 ディグガード方面へ進攻する別働隊は、全軍の2割から3割の規模という情報である。
 おそらくトロウル軍本隊の後方を護り背後からの強襲を避ける為の牽制部隊であろうと思われた。
 この程度の戦力ならば、ディグガードを護るソルレオン軍に任せておいても大丈夫かもしれない。
 だが、万が一。万万が一の危険を否定する事はできなかった。

 遠路西方ドリアッド領まで大遠征をしている同盟諸国軍には、トロウル軍が後方の安全を重視する以上に、背面の安全を護らなければならない理由があったのだから。

 第1次レルヴァ会戦という大決戦を前に、冒険者は決断を迫られる。
 結果、77名の冒険者は踵を返し、「光輝の武都ディグガード」へ向かうことを選択した。

 そして、今、ディグガードに到達した彼らの前に有り得ない光景が広がっている。
 其れは正に想像を絶していた。
 進軍中に仰ぎ見た「光輝の武都ディグガード」は、名に相応しい威容を誇るランドアース大陸最大の都市であった。
 堅固な防壁に護られた軍事要塞でありながら、屈指の商業都市でもある堅牢な城砦都市……。
 しかし、其の何者にも侵されぬかに見えた城壁は既に焼け焦げ、一部は跡形も無く崩れ落ち、トロウル軍の侵入を可能としていた。大陸で最も安全であった筈の城下町は炎に包まれ、熱風が巻き起こり音を立てて唸る。混乱し逃げ惑う人々の悲鳴が遠く聞こえた。

「……何だ? 一体、何が起こっている?」
 茫然と朽澄楔・ティキ(a02763)は崩れ落ちた城壁を見詰める。
 まるで其処だけ城壁が存在して居なかったかのように、壁と壁の間が消失していた。
「如何したら城壁がこんな崩れ方を……」
 焦燥に駆られながら無垢なる盾・プリマ(a32347)が呟く。
 まるで巨大な鉤爪が振り下ろされたかのように、城壁の数箇所が跡形も無く破壊されていた。
 彼らの疑問は、次の瞬間に氷解する。
 目の前に広がる光景が悪夢などでは無く、醒めぬ現実なのだと知らしめる雷光が天空を奔った。

 高き空から降り注いだ巨大な稲妻が、光の柱となって台地 に深く突き刺さる。
 紙を裂くように容易く、無造作に城壁が断ち割られた。
 城壁前に布陣したトロウルの軍勢はごうごうと戦太鼓を鳴らし、血を讃える戦場の歌を咆えた。
 じゃらじゃらと護符を下げ神官服を身に着けたトロウルたちが錫杖を振るい、勝利の祈りを叫ぶ。

「あんな、あんな馬鹿げたアビリティなんかあるわけないよっ!」
 激しい戦慄を覚え、抱いてしまった恐れを掻き消そうと空駆ける天馬・リロイ(a21739)が怒鳴った。
 だが其の間にも新たな稲光が瞬き、ディグガードを容赦なく削り、抉り取る。
 同時にトロウル軍が一際高く咆哮を上げ、とうとう開かれた城壁の合間から侵攻を開始した。

 此の侭ではいけない。
 護りの要たる城壁を失った「光輝の武都ディグガード」は、陥落を免れることが出来ないだろう。
 予断の許されない危機的な状況を目の当たりにして、冒険者たちは……

※注意
 この作戦は、第2作戦で『ディグガード方面へ転進してソルレオン聖域の防衛にあたる』を選択した冒険者しか参加する事は出来ません。
 それ以外の冒険者が参加した場合は、この作戦及びレルヴァで行われている樹上都市奪還作戦の双方に悪影響が出る場合がありますので、間違いの無いように参加してください。


 

<リプレイ>


 風が唸る。
 耳障りな戦太鼓が此れでもかと叩き鳴らされ、地響きとなって怒濤の如き侵略が始まった。
 惨状を目の当たりにした冒険者の大半が踵を返し、レルヴァで戦う皆へ急を知らせるべく駆ける。
 濁流となったトロウル軍が「光輝の武都ディグガード」へと攻め入り、平穏を完膚なきまでに侵して行く。安寧に浸り、ソルレオンの統治が永久に続くと信じ切っていた奉仕種族たちは、悲鳴を上げて徒に逃げ惑うことしか出来ない。恐怖と絶望に塗れ泣き叫ぶ群集を、薙ぎ倒し踏み殺してトロウルたちが進んで行く。
 パニックを起こした群衆が大通りにひしめき合う。進軍するトロウルの戦士が虫を払うかのように腕を振るうだけで、無力な奉仕種族の首が飛び、足が千切れ、内臓が踏み潰された。悲鳴は断末魔に変わり、涙は血に塗られ、恐怖は断絶に変わる。都市には瞬く間に血が溢れ、肉の焦げた匂いと鉄の香りが充満していた。

 光輝の武都は、六つの城壁に護られている。
 最も外側に位置する第六防壁は砕かれトロウルたちの侵入を許しはしたが、未だ五つの堅固な城壁が健在だ。しかしながら、ソルレオンが誇る堅牢な防壁は、今や時間稼ぎ以上の力を持たなかった。次なる防壁に辿り着いたトロウル軍が猛り咆え、後方の本陣が応えるように叫び狂うと、再び天が煌き轟音を立て第五防壁を消炭に還す。
 都市の到る場所で、聖域を護るソルレオンと奪うトロウルの戦闘が始まった。

 巻き起こる赤い砂塵の中、無影の暁月夜・イドゥナ(a14926)は同盟冒険者の先陣を切ってディグガードへ到る。此れは誰かの、そして己の、生の為の戦いなのだと迷うこと無く地を蹴り続け、無力な人々の死体を乗り越え侵略者たちの姿を探す。響く咆哮を耳で追い、見付けたトロウルのうち一匹に、怯むこと無く闇色に染まった太刀で斬り掛かる。
「おまえたちは……!」
 真っ赤に染まった胸を押さえ、蹲るソルレオンの武人が驚きに目を見開く。
 突然現れた援軍に、想定外のシャドウスラッシュを受けよろめくトロウルを、星をみる瞳・カリナ(a18025)の放った悪魔の黒炎が追撃した。鈍い苦痛の声を上げるトロウルを、更に赤い画報・エノア(a19260)が敵を射程距離に捉え、輝くライトニングアローを解き放つ。強大な身も力を失い、援軍を前にどうと地面に倒れ伏した。
「大丈夫か」
 落ち着いたイドゥナの声に、ソルレオンは渋面のまま「問題無い」と頷き返す。
「だが、此の侭では第四防壁が破られるのも時間の問題だ。此れ以上攻め入られては――」
 言葉の途中で再度、天の稲光が地に堕ちた。
 家の中で震えることしか出来ないでいた無力な人々ごと、ディグガードが抉り取られて行く。
 くそ、と悪態を吐きながら武人が走り出した。冒険者たちは顔を見合わせ頷き合うと、彼を追うようにしてトロウルの侵攻を阻むべく駆け出して行く。
 ふしぎ空の・ウサ(a21131)は濁った空を見上げた。
「(あの時の言葉……嬉しかったわ)」
 届かぬ声を胸のうちに呟いて、ウサは死の溢れる街を駆けて行く。

●天の裁き
 腹の底に響く戦太鼓の音が、焦燥感を掻き立てる。
 歌うトロウルたちは明らかに歓喜していた。
「我らが『敵』を、一人残らず殺し尽くすのだ!」
 神官服を着たトロウルのひとりが、錫杖を振り上げる。
 長らく現れることの無かった敵を、全力でもって捻じ伏せる喜びに身を震わせる。
「大神ザウスよ、同胞の命を奪った憎き『敵』を打ち滅ぼす力を我らに!」
 我らに、我らに、我らに!
 大地を揺るがす威勢が轟き、天空を目映い雷光が奔る。
 空から降り注ぐ神の力に、ディグガードが滅んで行く。

 狂熱に包まれた戦士の群れを目にすれど、其の脅威を知りながら尚、同盟の冒険者たちは本陣を叩いた。希望のグリモアを掲げる我らが同盟の冒険者に、簒奪者を見過ごす臆病者が居る筈も無い。
「こんなこと、こんなこと許されるもんか!」
 子供狂戦士・バード(a27696)が叫ぶ。
 神官服を纏ったトロウルたちを睨み付け、小柄な身に似合わぬジャイアントソードを構えた。
「来い!」
 牙を剥き出してトロウルが哂う。
「弱き『獲物』相手では無く、強き『敵』を相手にこそ、戦い甲斐のあると言うもの!」
 吐かれた言葉を潰すように、ストライダーの牙狩人・ソーニャ(a05908)が先端に火の燈された矢を放つ。着弾点で複数のトロウルを巻き込み牽制するも、グリモアの加護ある力強き列強種族には然したる足止めにもなりはしない。
「ソルレオンの人たちを護るのにゃ!」
 逆棘の付いた鏃が巨岩染みたトロウルの肌を貫いた。
 わにゃにゃわにゃんこ〜・ワニャ(a15368)が赤い瞳を確りと開いて、溢れる敵軍を睨み付ける。
 本陣を叩くことを選択した冒険者は、僅か、六名だった。
 彼らは決死の覚悟で死闘を挑み、放たれる雷を止めんと死力の限りを尽くす。金銀蓮花・ターニャ(a05909)の細い足が光の弧を描き宙を舞った。柔な剣閃より遥かに鋭い一撃に、トロウルの身から血が溢れる。ターニャの攻撃が加えられるのとほぼ同時に、か弱い武道家・セリーナ(a35404)が血を噴くトロウルへ更に斬鉄蹴を叩き込んだ。
「私の一撃には、あなたほどの威力は無いかもしれない……」
 血を吐くトロウルに向けて、セリーナは凛とした声で言い放つ。
「でも、私たちは挫けない、諦めない! あなたたちを砕くまで、戦い続けて見せる!」
 トロウルは笑っていた。
「嬉しいぞ……強き『敵』と戦って死ぬは戦士の誉れ」
 最期の瞬間まで笑みを絶やさず、戦士が逝く。
 そして、セリーナもまた膝を突いた。
 彼女が身に着けているものは旅人の服一枚。腹部は既に、真紅へと染め上げられている。
「何とかして、あの雷を止めなくちゃ……!」
 我武者羅に巨大剣を振るい続けるバード。しかし、神官と冒険者との間に存在するトロウルの戦士の数が余りに多過ぎた。周囲に闘気の竜巻が発生し、バードの身を容赦無く吹き飛ばす。悲鳴を上げて大地に転がる彼が、即死で無かったのは幸運か不運に依るものだろう。
 無造作に振り上げたトロウルの刃が、彼の命を奪おうとした時、
「させない!」
 青い剣の・カナエ(a31525)が割り込み、弾いた。
 鋼と鋼のぶつかり合う音。
「私は、騎士として、この戦いを退くわけにはいかないのよ!」
 カナエの豊満な肢体に無慈悲な刃が降り注ぐ。
「誰か――今のうちに、雷を止めてッ!」
 叫びながら、カナエはトロウルを迎え撃つ。  右から、左から、上から、下から、全てを受け切ることも避け切ることも彼女には出来ない。 「(……みんな、ごめんね)」  肉を深々と切り裂いて、トロウルたちの刃が止まった。彼女の最期の叫びに、死に瀕していたバードが再び立ち上がる。命を助けてくれたカナエの為にも、自らの命を使うことを決めたのだ。彼は喉奥から溢れる血を無視し、息もせずに歯を食い縛り、死した彼女に集るトロウルの奥、神官服の男へ向けて切り掛かる。
「大地の神ザウス、我らが捧げし供物の魂を雷に! 天の裁きを我らが『敵』に降らせ給え!」
 神官が祈る。
 命の消え掛けた腕で、命を賭して振り落とした剣が、其の神官の肩を強かに撃つ。
 態勢を崩した彼の身を、後方からワニャの放った鋭き矢が狙い確かに貫いた。
「年に一度限りの、神力まで、持ち出したのだ……我らに、敗戦は、許されない……」
 倒れ逝きながら、掠れた声を神官が吐く。
 誰よりも豪奢な衣装を纏ったトロウルが、錫杖を振って雄叫びを上げた。
「我らが神の力、『ザウスの雷』を受けるが良い!」
 天が輝く。
 稲光は激しい稲妻となり、光の柱となって大地に突き刺さる。
 神に見守られし種族に逆らう愚者の城へと、神の鉄槌が下された。
 遥か後方のディグガード城内にて、この瞬間、第二防壁が完膚無きまでに破壊された。

●聖域〜誠実のグリモア〜
 正三角形を八枚繋いだ六つの頂点からなる立体型。
 即ち正八面体の「誠実のグリモア」は、ディグガードの聖域に静謐な輝きを放ち続けていた。その清らかな光を前に、抜き放った剣を地に刺し、柄に両手を重ね置いた壮年のソルレオンが立っている。
 彼こそが名高きかの「日輪王」、マグナ・アグサス其の人である。
 気高き金色の鬣はぴんと張り詰め、琥珀色をした瞳は冷静に一点を見据え続けていた。
「第二防壁が破壊されました!」
 絶望的な報告を、側近と思われる年若いソルレオンが叫ぶ。
 聖域内部に集っていたソルレオンの勇士たちも息を呑んだ。
「トロウル軍による最終防壁突破も目前です、マグナ様!」
「――君。少し、落ち着きたまえ」
 重厚で穏やかな声が響く。
 日輪王は絶体絶命の状況下で父親のように優しい微笑みすら浮かべ、嘘など吐いたことが無いのだろう誠実な声音で聖域に佇む戦士たちに呼びかけた。我々には倒れることの出来ぬ理由があった筈、と低い声が語る。庇護を約束した奉仕種族たちを見捨てて死ぬことは許されない。
「ソルレオンの誇りに懸けて、私たちは勝たねばなるまい」
 穏やかな微笑はソルレオンたちに蔓延していた恐れを綺麗に拭い去った。
「……あんたが、日輪王か」
 其の時、見知らぬ冒険者――光源の韻律・エン(a21082)が、傷付き意識を失ったソルレオンに肩を貸しながら聖域に入って来る。聖域を侵す者めと血気盛んな若者たちが彼らに詰め寄るも、フルアーマー・リヒトー(a31092)は頬を膨れさせて答えた。
「同盟もソルレオンも関係無いよ。レルヴァで戦ってる仲間の為に、ボクらは此処を死守するんだ!」
 少年の言葉に、日輪王は鷹揚に頷く。
 次いで歩み出た天捷星・シンキ(a03641)が声を荒げた。
「此の侭戦えば、ソルレオンのみならずドリアッド、プーカ、そして奉仕種族たちの命が……!」
 シンキを手で制し、日輪王は微笑んだ。
「諸君らの勇気を、私は決して忘れないだろう。しかし、戦は未だ、始まったばかりだ」
 私たちの誇りに懸けても、戦う前から逃げを選ぶことは出来ないのだと王は語った。
 日輪王が高らかに告げる。
「日輪王がソルレオンの誇りに懸けて、『誠実のグリモア』の名の下に誓う」
 朗々とした宣言に、ソルレオンたちは武器を手にした。
 ある者は剣を、ある者は斧を、ある者は杖を。
 目で促され、エンも、リヒトーも、シンキも彼らに倣う。
 エンは死にたくなかった。だが、遣るべきことがあることを知っていた。
 リヒトーは友人らの姿を思い浮かべた。彼らの為にも、必ずや聖域を死守して見せる。
 シンキは忍び寄る死の足音に気付いていた。絶対生き延びてやると血が滲むほど強く拳を握った。
「勝利は常に、私たちと共に在る」
 気高き誇りを胸に、彼らは武器を頭上に翳す。

「「「我らに、勝利を!」」」

 重なり合う声。
 心は正にひとつだった。

 直後、聖域は耳をつんざく轟音と、神々しいまでの輝きで包まれる。
 最終防壁と諸共に、誠実のグリモアの聖域が高き天空より放たれし雷光に撃ち砕かれた。
 聖域を護りし誇り高き勇者らは、無慈悲な「ザウスの雷」の一撃で、為す術も無く灰燼と帰す。
 黒煙が立ち上る聖域は、美しく輝く誠実のグリモア以外塵ひとつも残っていない。
 誰かの生きた証すら、握った武器の破片すら、正義を愛した心すら、何も残されてはいなかった。
「なぁ〜ん……!?」
 戦い続けていたどこでもヒトノソリン・メルフィ(a13979)は、背後の聖域落ちた神の雷に身を震わせた。城が防壁ごと消失し、煌くグリモアの輝きが遠目にも見える。何てことを、と百合の舞刃・クーヤ(a09971)が震えた声で呟いた。
 滅びた地を進むトロウルたちの雄叫びが響く。
 侵略の足音は、聖域の直ぐ外にまで迫っていた。
 咄嗟に、雪と舞う笑顔の舞姫・ティナ(a13183)が駆け出した。
「いけません!」  クーヤの制止を振り切って、彼女は聖域へと走る。ティナは、大好きな皆を護る為に冒険者となることを誓ったのだ。絶対に聖域は「死守」すると覚悟を決めていたのだ。
「……それが、ボクの誓いだから。皆、大好き……」
 抱いた想いを噛み締めるように呟いて、彼女は死ぬまで戦った。

●悔恨と壊走
 一際高い雷鳴が「光輝の武都ディグガード」の中心に落ちて暫しの後。
「――うあッ!?」
 突然、味方しか居ない筈の背後から放たれた光線に肩を撃ち抜かれ、西の白き城壁・ダンドリオ(a14681)は驚愕に声を洩らした。何が起きたのかと地を転がり、敵トロウルから距離を取りながら後方を見遣れば、先程まで共に戦っていたソルレオンの紋章術士が、家ほどもある巨大な顔のみの姿となっていた。
 顔には鬣も髭も無く、虚ろに窪んだ瞳とだらしなく開いた大口のみが残されている。
 彼は、モンスターと化していた。
「な、何て、こと……!」
 闇より悟られし物・ユダ(a16662)は悲鳴染みた声を上げる。
 考えられる事実はただひとつ、聖域が落ちたのだ。
 正義を誇るソルレオンたちの掲げた「誠実のグリモア」が、トロウルの手に渡ったのだ。
 冒険者たちの余力さえも尽き始めていた。此方を上回る能力を持つトロウル相手に持ち堪えて来たことこそ奇跡とも言える。其れに加えて、ソルレオン領の首都として栄華を誇ったこの平穏の地に、生ある者を全て殺し尽くさんとする理性の無いモンスターが大量に発生したのだ。
 彼らに選び取れる未来は、此の侭死ぬか、逃げるかの二つしか無い。

 共闘を続けていた戦友とも言えるソルレオンたちが、次々に魔物へと変貌して行く。
「ワニャさん、逃げなさい」
 ソーニャが囁いた。
 驚きに目を見開く彼女に構わず、ソーニャは前を見据え続ける。ワニャとソーニャとターニャは、モンスターとトロウルに囲まれていた。二人が死して道を切り開かねば、一人として生きて帰れぬことは火を見るより明らかだった。
「……覚悟など、とうに出来ている」
 ターニャは青い瞳を細めて、ほんの少しだけ笑う。彼女と共に戦っていたセリーナは、既に冷たくなっているだろう。花を手向けて遣ることも出来ぬのが悔やまれた。ソーニャは頷き、年若き少女の腕を引いた。
「生きろ」
「同盟に、このことを」
 奇しくも身の丈がほぼ等しく、金髪に青い瞳を持ち合わせた二人が、微笑んでワニャの赤い瞳を見た。逃走を選ばねばならぬ事実に、二人を見捨てねばならぬ現実に、十一歳の少女の肩が震え出す。
「戦えば勝つ! 其れがトロウルよ!」
 ぎらぎらと非情な瞳を輝かせ、残忍な笑みを浮かべたトロウルが叫ぶ。
 弾かれたようにターニャが駆け出した。トロウルたちも既に、最も侮れぬ存在がターニャであると知っていた。満身創痍の彼女を狙うトロウルたちに、ソーニャが矢を刺し穿ち、激しい爆音を呼ぶ。
 荒れ果てた戦場に、大神官の哄笑が木霊する。
「先年のザウス大祭には邪魔が入り、例年程の魂を神の御許に送れなんだが……我らは必ずや、この年、過去に比類無き強大な『ザウスの雷』を手にするだろう!」
 噛み締めた唇から血が流れる。
「……あの言葉が真実なら」
 ワニャは決して振り向かず、息を切らせて走りながら、震えた声を吐く。
「奴らのザウス大祭を阻止出来れば、この力は一年、使えないって……こと……?」
 トロウルのザウス大祭、其れは敵種族の首を大神に奉ずる殺戮の宴を指している。
 大神官の言葉の意味をなぞると、圧倒的な恐怖が背を這った。
 伝えなければ。
 仲間に、同盟の仲間に、一刻も早く伝えなければ。
 己の他に何人の仲間が生き残ったのか、数える余裕さえ許されぬ。
 奉仕種族は一人でも都を脱し、生きていてくれるのかも判らない。
 生き残った冒険者は歯を食い縛り、かつて「光輝の武都ディグガード」と呼ばれていた大都市の成れの果て――無数の魔物が蠢く、絶望の大地から撤退した。

 逃げ延びた冒険者らが同盟領に帰還した後。
 聖域を死守することを選択し、神の雷の直撃を受けた3名が即死。
 勇敢にトロウルと戦い続けた7名が戦死、17名が重傷を負ったことが確認される。