<リプレイ>
森の木々を縫うようにして続く街道に、ひとつの異形の影があった。
金色の体毛に覆われた、見上げる程に巨大な体躯。
長く伸びた爪と牙は、木漏れ日を受けて不気味に輝き……。
周囲を見回す血走った瞳は、明らかに破壊と狂気に満ちていた。
……直立歩行する、四本腕の虎男。
グリモアの加護を失い、血に飢えた魔獣と化した冒険者、かつての列強種族のなれの果ての姿である。
「……来たな」
森の茂みの中で、低い声がした。ヒトの翔剣士・ホセ(a00963)だ。
「ああ、だいぶお疲れのようだ」
近くで、同じように姿を隠したストライダーの忍び・ゲイル(a01603)の声がする。
彼の言葉の通りであった。
虎の魔獣は、昨日別の冒険者達との戦いにより、右腕を一本失っている。
身体には数本の矢も突き立っているが、それらを治療をする思慮もないらしく、傷口は全てそのままだ。足を進めるたびに、血が地面へと滴っている。
返り血か、あるいは自らのものか……全身の所々も紅く染まっていた。が、それでも荒い息と涎を流しつつ、魔獣は進む事をやめない。
破壊を撒き散らしながら、自らも着実に滅びへと向かっている存在……とでも言うべきだろうか。
「……行くか」
「ああ」
短い会話を交わし、男達が立ち上がる。
相手には既に言葉など通じない。いや、届かないと言うべきか。
ならば、やる事はひとつだ。
彼等も、それは十分に承知していた。
「ほら、虎男。お前の相手はこっちだ」
森から歩み出たゲイルが道の前方に立ち、両手を大きく広げてみせる。
たちまち立ち止まり、牙を剥きだす魔獣……。
「……やれやれ、怖い事だ」
ゲイルは薄く笑い、肩をすくめた。
刹那──。
──GROOOOOOOOOO!!
天に向かって吼えるや、虎男が地を蹴る。
「気の短い奴め!」
言葉と同時にゲイルの利き腕が振られ、空を何かが切り裂いた。
飛燕刃──気によって作り出される必殺の刃だ。
狙いたがわず、それは魔獣の身体、それも切り落とされた右腕の近くに命中したが……。
「く……!」
刃は分厚い筋肉の鎧に阻まれ、半ばまでめり込んだ所で消失していた。
しかも、突進してくるスピードもまったく変わらない。
痛みなど感じないか、あるいはそんなものすら気にしない程に血に飢えているようだ。
まともに当たる事をせず、後ろに跳び下がるゲイル。
その鼻先をかすめて、虎男の爪が閃いた。
──ドドッ!!
二本の腕から繰り出された爪が空を切り、地面に突き刺さる。
踏み固められた街道の土に、手首までたやすく埋没していた。
「相手は一人ではないぞ!!」
そこに、ホセが茂みから飛び出し、斬り付けた。
やはり右側、一本しかない腕の側だ。
体勢の崩れた今はまさに好機と思えたが……。
──ギィン!
「むぅっ!」
鋼を打つ音がして、ホセもまたゲイルの隣へと退いていた。
魔獣が無理な姿勢から、横殴りに右腕を振るったのだ。
技も何もない力任せの一撃であったが、爪を剣で受けようとしたホセが身体ごと持っていかれる──それ程のものだった。
「……あの体勢で反撃してくるか……しかも、腕が少々痺れたぞ」
「やはり、我々だけでは片付けられんな」
「ああ、楽な仕事ではなさそうだ」
などと言いながら、じりじりと間合いを取る二人。
もとより、そんな事は分かっていた。
彼等は待ち伏せをしている仲間の元へ、こいつを引っ張っていく囮の役目をおびていたのだから。
連絡用にと、仲間の紋章術士が造り出した土塊の下僕も引き連れていたのだが、それはとうに術の効果時間を終えて土へと還っている。元々、それほど長い時間もつ術ではない。
あとは、このまま引き連れて行くしかないだろう。
「さて、では付き合ってもらうぞ」
言いながら、赤いマントを翻すホセ。
それを目にして、魔獣が喉の奥で低い唸り声を上げる。
「どうやら気に入ってもらえたようだな」
「ふっ、それはなによりだ。さあ来い! オーレ!!」
誘うように一振りすると、雄叫びと共に二人へと襲いかかってきた。
「……お二人、遅いですわね」
ポツリと、エルフの邪竜導士・ベルディット(a00930)が呟いた。
森の中、少々開けた場所に、残りの冒険者達の顔ぶれが揃っている。
「ま、大丈夫だろ。とりあえず来るまで待とうや。暇だけどな」
ヒトの狂戦士・リヴァイ(a00189)が、すぐにそう返した。木に背中を預け、軽く目を閉じている。
「信じて待ちましょう、今は」
静かな言葉は、ヒトの重騎士・セリカ(a00140)だ。
「まぁ、焦っても仕方ない。落ち着いていこう」
と、上からも声。
見上げると、エルフの牙狩人・ミスズ(a01647)が傍らの木の枝に腰掛け、茶を飲んでいた。
「そう……ですよね。すみません」
「謝る必要はない。仲間を思いやる気持ちは大事なものだ。ただ、必要以上に不安がっても今は仕方がない……そうだろう?」
うつむくベルディットに、ストライダーの武人・アオイ(a00544)が、そんな言葉をかける。
「はい……」
「でも、本当に暇だよねー。お人形さんも土に戻っちゃったし。また新しいの作ってあそんでよっかなー」
「……おいおい。敵が来るまで術は無駄遣いしないでくれよ」
「あはは。わかってるよ。じょーだん、じょーだん♪」
アオイに言われて笑ってみせた金髪少女は、エルフの紋章術士・マロン(a00825)だった。
事前に近隣の村に立ち寄り、周囲の地形や待ち伏せに適した場所などの情報を仕入れた上で、一同は今回の計画を練っている。
ホセとゲイルが囮となってこの場所へと誘い、残りの者が罠を張って待ち受ける……そういう手はずだ。
既にその計画は動き出しており、後はこの場に魔獣が来れば全員で叩くのみなのだが、果たして……。
「……来たぞ」
リヴァイが目を開け、背中を木から離した。
無言で、ミスズが矢筒から矢を取り出し、弓につがえる。
他の皆も、揃って同じ方向に目を向けた。
森の中──街道の方から、複数の気配が近づいてくる。
「待たせたな! 今到着だ!」
声と共に、ホセが真っ先に走り込んできた。
その頭上を飛び越えて、ゲイルが広場の奥に着地する。
やや間を置いて──。
──GUAAAAAAAAAAAAA!!!
金色の魔獣が、凄まじい咆哮を上げて突っ込んできた。
「よーし! いっけぇー! お人形達ーっ!!」
一旦退いたホセとゲイルに代わって、マロンの造り出した二体の土人形が進み出る。
……が、
虎男の左腕が唸りを上げ、片方の頭を真上から叩き潰した。
一瞬にして頭部が砕け散り、間を置かずに全身もただの土に戻っていく。
「あー! なんてことするのよ馬鹿ーっ!!」
マロンが叫んだが、当然相手には通じない。
「皆! 離れて!」
そこに、セリカが仕掛けた。
大きく振りかぶったメイスが地面を叩くと、そこからもうもうと土煙が巻き上がり、虎男の全身を包み込む。砂礫陣──地面を削り、砂塵を巻き起こす技である。
これによって生じた砂塵は、効果範囲に入る自分以外の全ての者に無差別に襲いかかるため、仲間もおいそれとは近づけない。荒れ狂う砂の嵐の中で、たまらず魔獣も動きを止めていた。
──GAAAAAAA!!
しかし、ふいに吼えたかと思うと、顔を上向ける。そしてその喉がぼこりと盛り上がった。
「来るぞ!」
セリカの隣に、アオイが並ぶ。
次の瞬間──。
──ゴボォッ!
二人へと向け、虎男が口から何かを吐き出した。
それは空中で一瞬にして塊となり、一抱えもある緑色の球体へと姿を変えていく。強酸性の毒霧であった。
砂礫陣を突き抜け、まっすぐに向かってくる死の毒煙。
「……!!」
「くそっ!」
思い思いの方向に跳ぶ、セリカとアオイ。
二人をかすめ、徐々に拡散しながら、霧の玉は背後の木の根元付近にまとわりついていく。
触れるそばから地面が、木の表面が音を立てて泡立ち、腐食し、形をなくしていった。まともに食らえば、人間などおそらくは骨も残るまい。
アオイは矢返しの剣風を身にまとっていたが、効果はなかった。前もって自分自身にかけておく事で有効となるこのアビリティは、相手の『アビリティによる投射攻撃』に対しては何の反応も示さないのだ。
やがて、砂礫陣の効果も消え、砂煙が晴れていく。
完全に消えきらないうちに、樹上からミスズの矢が、地上からはゲイルの飛燕刃が打ち込まれた。
いずれも命中したが、厚い毛皮と筋肉に阻まれ、やはり致命傷にはなり得ない。
「生半可な攻撃では、歯が立たんな」
「ならやっぱりアレしかない!」
ホセの言葉に、アオイが走った。再び魔獣の正面へと。
「来い!」
武器を構え、睨みつけると、虎男もまた彼を見据える。
「私も!」
セリカも、アオイの隣に並んだ。
「行くぞ!」
「はぁっ!」
揃って、右側へと回り込み、長剣を、メイスを叩きつける。
──GOAAA!!
無造作な虎男の腕の一振りが、真っ向から迎え撃った。
「……っ!!」
声を上げる事も許されず、弾き飛ばされる二人。
武人であるアオイはもとより、重騎士のセリカもまとめてだ。魔獣の圧倒的なパワーが相手では、とうてい受け止めきれるものではない。
一見、無謀な特攻とも思える攻撃ではあったのだが……実はそうではなかった。
「今だ! 捕まえちゃえーっ!」
残っていた最後の土人形が、魔獣の片足にしがみ付く。
バランスを崩し、一歩後ろに下がった所で──。
──ズン。
そこの地面が陥没し、膝の位置まで地面にめり込んでいた。
待ち伏せ組の一行が仕掛けた落とし穴である。
アオイとセリカの動きは、ここの前へと誘い込むための布石だったのだ。
そして、次の瞬間、樹上から枝を切り出して作られた無数の即席矢が一斉に降り注いだ。
「私の持てる技術では、これくらいしかお役に立てませんが……」
控えめな声で仕掛け発動のロープを握っているのは、ベルディットだった。
「今度の矢は……一味違うぞ!」
さらに、ミスズが影縫いの矢を放ち、動きを封じる。
そして──。
「次は俺だぜ! 食らいやがれ!!」
背後に回りこみ、好機を伺っていたリヴァイが、ジャイアントソードを振りかぶり、突進した。
「おぉぉぉぉぉっ!!!」
マッスルチャージで一気に膨れ上がった筋力の全てを乗せて、大剣を魔獣の右足へと叩き込み、返す刀で右腕を切り上げる。どちらも正確に、足首と手首の腱を切り裂いていた。
──GUOOOOOOOOOH!!!
絶叫にも似た、咆哮。
筋肉がメキメキと異音を上げ、影縫いの力を振り払った身体が次第に動き始める。
顔が天を向き、ぼこりと喉が盛り上がった。
「させるか!!」
素早くホセが飛びかかり、マントを被せて虎男の顔を覆い隠す。
しかし、そのまま口を開き、魔獣は強酸を吐き出した。
「……そこだ!」
その瞬間を、ゲイルは待っていたようだ。
最後の飛燕刃が、大きく開かれた口の中へと吸い込まれていく。前に見た酸攻撃で、完璧にタイミングを掴んでいたのである。
……形容不能の、獣の叫びが上がった。
マントがボロボロに崩れ去り、それに包まれていた虎男の頭全体も白煙に包まれる。どうやら強酸が逆流し、残っていた分を自ら浴びたらしい。
外へと放出された分は、まとまらずに周囲へと拡散していく。
近くにいた者達はただちにその場を離れたが……。
「あ……っ!」
たまたま風下にいたベルディットが、一部をその身に受けていた。
とはいえ、それ程深刻なダメージではない。
しかし……。
「痛いじゃない! ちょっと何すんのヨッ!」
とたんに、それまでの控えめな態度はどこへやら、彼女は髪を振り乱して鋭い視線を魔獣へと向けた。
同時に、体中に浮かび上がる妖しい紋様……。
復讐者の血痕であった。
漂ってくる強酸の霧の余波をあえて身に受け、痛みと苦痛を虎男へとまるごと返す。
「せいぜい苦しみ悶えてお死にっ!!」
指を突きつけ、薄笑いを浮かべて言い下すその姿……。
「…………あっちも怖いな、おい」
「ああ……」
「ちょっとそこ! 今なんか言った!?」
慌てて首を振るリヴァイとゲイルだったという。
……勝敗は、ほどなく決した。
魔獣は倒れ、巨大な屍がその場に残される。
これほどのものを運ぶ手段もなく、彼等は結局地中に埋めて、その場を後にしたようだ。
名も知らぬ、かつて冒険者だった者……。
もしかしたら、いつか自分達も辿るかもしれないひとつの運命……。
そんな事を胸に思いながら、彼等はこの地を去っていくのだった。
新たな冒険を、求めて……。
■ END ■
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