＜銀水晶の都の結婚式＞ ●銀水晶の都 　セイレーン領の青い青い海の中に、一際色の深い海域があります。 　蒼い金剛石の如く輝く海の底には、遠い昔に滅び去った、伝説の都が沈んでいます。 　栄華と繁栄を誇ったというその都は、何の前触れもなく深い海の底へと沈んだとされています。 　けれどその都は今でも、風の無い新月の晩にだけ、引き潮と共にその神秘的な姿を現し、セイレーン達の心を魅了し続けています。 　海が蒼く静まった夜、星明かりの下に、引き潮に導かれ銀色に輝く道が姿を現すのです。 　忘れられた都へ続く道は、風化した銀水晶に形作られたバージンロード。 　夢に沈んだ幻想の世界。夜空を埋め尽くす綺羅星の下、波音も無い沈黙の夜に二人だけの愛を囁く場所。街の中央には『聖堂』と呼ばれる美しい宝玉の間が隠されており、蒼い輝きが周囲をうすぼんやりと照らし続けます。 　水晶で作られた滅びし都の中央で、唯一完全な形を保っている聖堂。此処で新たな夫婦が契りを交わすとき、優しい海風が水晶の砂を巻き上げ、空気中できらきらと煌くと伝えられています。 　セイレーンの中でも特に高貴な血筋の者だけがこの都に踏み入ることを許され、新月の晩に契りを交わす場所とされているのです。セイレーンの女性の中で、この島でウェディングを、と思ったことが一度として無い女性などいないと言っても良いでしょう。 　結婚式にはセイレーンの額の宝玉を思わせる、薄蒼く輝くウェディングヴェールが伝統として使用されています。この伝統は幸せを次の夫婦へ伝えるためとも言われ、今までこの島で結婚をした恋人達の中で、不幸の道を歩んだ者は誰一人としていないとさえ言い伝えられているのでした。 　そしてまた、新月の夜が近づいてきました。 　セイレーン王国運動会の水着コンテスト少女部門で優勝し、『銀水晶の都』での式を挙げるチケットを受け取った一人の女性が、大切な男性と共に、セイレーン王国へとやってきたのです。 　美しい都が現れる、その場所へと………。

＜リプレイ＞ ●幼き心に宿る想いは 　空に浮かぶ月は新月。 　星影は遥か昔に途絶えた古の都を、導くように照らしていた。 　それは、様々な場所を旅してきた冒険者の目にも、幻想的に映る。 　これから、この素晴らしい銀水晶の都で、式を挙げるのだ。 「ふゃぁ……素敵なのですぅ……」 　桜雪癒羽・アスティナ（a27630）は、どきどきと小さな胸を弾ませながら、その都に見入っていた。 「ああ……そうだな」 　隣で、静雪流影・ノヴァリス（a30662）が頷く。 　改めて、アスティナはノヴァリスを見上げた。 　いつもとは違い、黒の礼服を着ているノヴァリスの姿に、アスティナの胸の鼓動は止まらなくなる。 　ふと、二人の視線が交わる。 「アスティナ？」 「あ、その……なんでも……ないのですぅ……」 　思わず俯いてしまうアスティナ。 　こんなにも綺麗な景色。 　そう、まるで吸い込まれそうな景色。 　もしかすると、おとぎ話に出てくる妖精と出会えるのではないかと思ってしまうほど、素敵な場所であった。 　セイレーンの女性達が憧れているのが、アスティナには、よくわかった。 　そんな場所で、アスティナは結婚式を挙げる。 　いや、アスティナはまだ成人していないので、将来を誓い合う式だ。 　式の形式などこの際関係ない。 　アスティナにとって、もちろんノヴァリスもこの日がどんな意味を示すのか、よくわかっている。 　大切な日。 　だからこそ、アスティナは少し大人になった。 　とはいっても、この日の為に用意したハイヒールで、だが。 　低い背を気にするアスティナにとって、それは大事な事の一つ。 　それが、たとえ履きなれない靴だとしても、大好きなノヴァリスに近づく為ならどんな事でもしよう。 　すっと、ノヴァリスの手がアスティナの目の前に差し出される。 「あ、はいですぅ」 　嬉しそうにその手に自分の手を重ねるアスティナ。 　優しい手に導かれながら、アスティナは転ばないように、ゆっくりゆっくりと歩き始めた。 　もし、ノヴァリスが手を差し出さなかったとしても、アスティナはこっそり、ノヴァリスの手を繋ぐつもりだった。 　でも、その必要は無い。 　こうして、ノヴァリスから手を差し出してくれた。 　言葉は少ないけど、そんなノヴァリスが、アスティナは大好きだった。 　そう、ノヴァリスは、言葉は少ない。 　そのために誤解される事もあっただろう。 　そして、アスティナも。 　小さな不安を抱えていた。 　ほんの小さな不安。 　けれど、それは次第に僅かずつ大きくなっていく。 　そうそれは、アスティナとノヴァリスの二人の種族が違う事に起因していた。 　アスティナの背中には、小さな白い翼。 　対してノヴァリスはふさふさした犬の尻尾が生えていた。 　それを理解して、今、ここにきている。 　だが………本当に理解しているのだろうか？ 　彼は１年ずつ歳を取る事。自分は外見の年齢で、このままの姿で一生を過ごせる事。 　自分はちゃんと知っているのだろうか？ 　別れのとき……そのとき、アスティナはどんな姿で居るのだろうか？ 　かくん。 　そのとき、アスティナがバランスを崩した。 「あっ！」 　小さく叫び、地面に激突……。 「あ、あれ……？」 　幸いにも激突はしなかった。否、傷さえもない。 「大丈夫か？」 　ノヴァリスが抱きとめたのだ。すっとしゃがみこみ、アスティナを見ている。 「足は？」 「あ、大丈夫ですぅ……」 　それを聞いて、初めて安心したような微笑みを浮かべた。 　ノヴァリスはそっと立ち上がり、また手を差し伸べる。 「ノヴァさん……」 　その手を取らずに、ノヴァリスを見つめた。 　自分の失敗。 　そして、不安……。 　何もが悔しく思ってしまう。 　泣き出しそうな顔を必死にこらえて、代わりに笑顔を浮かべて。 「ありがとう、ございますですぅ……」 　そんな言葉にノヴァリスは、困ったような顔をして。 「床が滑りやすいから、気をつけて」 　もう一度……躊躇いがちに手を伸ばす。 「あ、はいですぅ……」 　アスティナもぎこちなく、手を乗せた。 　気づかれただろうか？ 　いや、気づいて欲しくない……気づかないで。 　新たな不安がよぎる。 　もうすぐ、式が始まるというのに、嬉しいはずのアスティナの心は、いまや不安で押しつぶされそうになっていた。 ●隣に居る事の大切さ 　美しい都に見とれていたのは、アスティナだけではない。 　隣に居たノヴァリスも同じであった。 　美しい町並みを見て、思わず息を呑む。 「ふゃぁ……素敵なのですぅ……」 　いつの間にか、アスティナがやってきた。 　この日の為に新しく新調した白いドレス。 　桜色のリボンとレースで飾られたドレスに身を包むアスティナは、とても綺麗で。 　おぼつかない足取りで歩いてくるのは、慣れないハイヒールを履いているからだろうか。 　その姿が、何よりも愛おしく感じる。 「ああ……そうだな」 　ノヴァリスは生返事で答えた。 　ふと、二人の視線が交わる。 　何か悪い事でもしただろうか？ 「アスティナ？」 　思わず訊ねる。 「あ、その……なんでも……ないのですぅ……」 　思わず俯いてしまうアスティナ。 　その様子にノヴァリスは首を傾げてしまうが、アスティナが言うのならと、１人納得してしまった。 　いや、そろそろ行かなくては。 　そう思い、自分の手をアスティナの前に差し出した。 　差し出して気づく。 　アスティナは、この手を握ってくれるだろうか？ 　沸き起こる不安。 　けれどそれは。 「あ、はいですぅ」 　可愛い声と笑顔でかき消された。 　ノヴァリスの手に握られた手。 　それがたまらなく、嬉しい。 　思わず顔が綻ぶ。 　ふと、隣にいるアスティナを見る。 　出会ったとき、そして、今までの事を思い出す。 　気づけば、小さなアスティナの事ばかり見ていた。 　追い続けていた。 　その小さな翼を追い求めるかのように、そして、こうして二人と共にこの場所にたどり着いた。 　そう、小さな翼。 　ノヴァリスもまた、アスティナと同様、種族が異なる二人が結ばれる事がどんな事なのかを意識していた。 　自分は彼女とは違う種族で、彼女と違って年老いて。 　………そしてきっと、彼女よりも先に死んでしまうだろう。 　けれど、だからこそ今も、これからも……この手を離したくない。 　いつか必ず来てしまう別れの時までは、絶対に。 「あっ！」 　そのとき、アスティナがバランスを崩した。 　すぐさまノヴァリスが、転ばぬように抱きとめる。 「大丈夫か？」 　ノヴァリスは、すっとしゃがみこみ、アスティナを見た。 　どうやら、怪我は無い。ドレスも汚れていない。 　いや、まだだ。 「足は？」 　最後の確認として、ノヴァリスが訊ねる。 　足をひねっている可能性も高い。もしそうならば、見た目では判断付きにくい。 「あ、大丈夫ですぅ……」 　それを聞いて、安心したノヴァリスは、そのまま立ち上がり、また手を差し伸べた。 「ノヴァさん……」 　アスティナは、その手を取らずに、ノヴァリスを見つめた。 　どうしたのだろう？ 　何かやっぱりどこか傷むのだろうか？ 　何かをこらえるように微笑むアスティナ。 「ありがとう、ございますですぅ……」 　そう言われても、アスティナの複雑な表情を読み取る事はできなかった。 　僅かな不安がよぎる。 　否。今はそんな不安に惑わされている時ではない。 　これから、大切な式を行うのだ。 「床が滑りやすいから、気をつけて」 　何かを吹っ切るように、ノヴァリスはもう一度……躊躇いがちに手を伸ばした。 　願わくば、また手にとってくれますように……。 「あ、はいですぅ……」 　また手を繋げた事にほっとしながら、ゆっくりと歩き出す。 　転ばないように先ほどよりもゆっくりと。 　けれど、その手から感じる震えは……何だろう？ 　そんなノヴァリスの問い。 　その答えを知るのは、まだ先の事であった。 ●思いが一つに重なるとき 　そして、都の中心に位置する聖堂にたどり着いた。 　星明りに満ちたその場所は、どんな場所よりも美しく、そして優しく二人を誘っていた。 　ふと、ノヴァリスの手に小さな力が込められる。 　アスティナがノヴァリスの手を、ぎゅっと握りなおしたのだ。 「アスティナ」 　囁くように名を呼ぶ。 「や、やっぱり……緊張しますよぉ〜」 　そういうアスティナは、緊張した面持ちでノヴァリスを見上げていた。 「実は俺もだ。こういうのは……その、初めてだからな」 　どうやら、ノヴァリスも緊張しているようだ。 「ティナもですぅ……」 　二人は思わず笑みを浮かべ、そして、ゆっくりとまた歩き出した。 　そして、聖堂の奥にたどり着く。 「ノヴァさん……一つ、聞きたいのですよぅ」 　静かに、けれど勇気を出して、アスティナが質問する。 「ティナは……ノヴァさんが大人になっても子供のまま。……それでもずっと一緒にいてくれますかぁ？」 　ずっと不安に思っていたことを口に出した。 　アスティアは恥ずかしそうに、けれどしっかり、ノヴァリスの瞳を見つめていた。 「アスティナがどんな姿でも、俺の気持ちはずっと、変わらないから……」 　それは一つの誓い。 「俺も……訊いていいか？」 　ノヴァリスも勇気を出して訊ねる。とはいっても、少しだけ答えは分かっている。 　同じ悩みを持っていたのだから、きっと……。 「……アスティナと違って、俺はいつか年老いてしまうけれど。……それでも、一緒にいてくれるだろうか？」 　その言葉にこくりと頷いて。 「どんなにおじいちゃんになっても、ティナはノヴァさんが好き……ずっと一緒にいたいって思ってるのぉ……」 　二人にとって障害だった不安は、もう何処にも無い。 　その事にアスティナの気持ちは嬉しさで一杯だった。 　そして、決めていた事を実行に移す。 　ずっと一緒にいる約束をするから……敬語で話すのも終わりですぅ。 　今までより、心の距離を近づけるために。 「ずーっと、一緒にいるからねぇ〜」 　そして、ノヴァリスの胸に飛び込む。 　ノヴァリスは嬉しそうに微笑み、アスティナの耳元で囁いた。 「ずっと、傍に居るから。傍にいて、アスティナを守るから……」 　ノヴァリスの切なる願い。 　自分に言い聞かせるかのように、ずっと傍に居る事を誓う。 　悲しませないように、辛い想いをさせないように。 　こうして、二人の神聖なる儀式は終わりを告げた。 　静かな古の、銀水晶の都。 　それはまるで、二人を見守るかのように佇んでいた。