穏やかに時を運ぶ風

● 穏やかに時を運ぶ風

「緊張……するなぁ……」
 ユフィアは呟いて木を見上げ、幹に背を預けてずるずると座り込んだ。
 ここはさえずりの泉。
 今日はランララ聖花祭。
 クッキーとチョコレートの入った包みを携えて、ユフィアはランララを共に過ごす相手を待つ。
 渡そうか、止めようか。
 考えは絶え間無く、ぐるぐると脳裏を回り続け。
「……あの人は、喜ぶだろうか」
 それが一番の心配事。
 小鳥の声が一瞬止んだ。草を踏み分ける足音に女神の木へ続く道の入口を見遣ると、待っていた相手――フィンレイルがきょろきょろと待ち合わせの相手を探していた。青年の犬尻尾は尻尾は緊張を表してゆっくりとゆらゆら揺れている。
 なんだ、フィンレイルさんも緊張しているのか。
 本当に微かに笑みに似た色を唇に浮かべて、ユフィアは立ち上がる。泉をさざめかせる風に空色のワンピースが優しく靡き、木から舞い降りる金色の花が彩を添えた。
 ようやくユフィアを見つけ、満面の笑みを浮かべて駆け寄って来るフィンレイル。
「あ、ユフィアちゃーん、ゴメンネ……まった?」
「いいえ、そんなには」
「あ、それ――」
 何時の間にか強く持っていた所為か少しばかり歪んでいたが、簡素で包装が成された綺麗な菓子の箱に目を落とすフィンレイル。目線に気付いて、ユフィアは殆ど無造作に菓子の箱を差し出した。
「どうぞ」
「え、僕? ……じゃなくてそうだよね、あははは……うん。ありがと」
 照れたり焦ったりしながら最後に弾ける様な笑みを見せ、ランララの贈り物を受け取るフィンレイル。風が起こるほど激しく尻尾が振られ、バッタバッタと音が立つ。無邪気に喜ぶ様子に、また一瞬ユフィアの顔に笑みが掠めた。
 2人で木の根元に腰掛けて、包みを解く。
 クッキーやチョコレートを食べながら、のんびりと初春の森の眺めを楽しむ。
 咲き行く花と、微かに冷たさの残る風と、木漏れ日の暖かさと。
「おいしー。それに、花綺麗だねー……」
「綺麗ですね……」
 2人の距離はほんの拳2つ分だけれど、心の距離はそれよりも遠い。
 嫌いじゃない。
 とっても気になるけれど、それが好きという事なのかは分からない。
 心は曖昧な場所を行きつ戻りつ、フィンレイルの犬尻尾の様にゆらゆら揺れる。
「ぇと……ら、来年もこうやって来れるといいね……?」
 暫くぼんやりと、振り降りる花を見た後に、朱に染まる頬を掻きながらフィンレイルがそう言った。一際強い風が吹き、さえずりの泉が波立って森全体がざわざわと騒ぐ。
 ざわめきが静まるだけの間、翠を煌かせる森を眺めながら考えるとも無く自分の思考を追っていたユフィアは、ゆっくりとフィンレイルの方へ目線を戻すと、ええ、と静かに答えて、今度ははっきりと唇に微笑を刻んだ。


イラスト: inu