● ランララの夜に乾杯

 小高い場所から夜景が望める。
 ベランダに出れば、夜空をも楽しめる。
 このテラスにも、数多くの者達が訪れている。
 親しい友人、恋人、そして………。

 二人の間で、グラスがぶつかる良い音が響いた。
 普段は男装に身を包むカレン。だが、今日は違う。
 青いドレスに身を包んだ艶やかな装い。
 ためらいがちにサルバトーレを見る仕草は、まだ少女のような幼さがあった。
 けれども、ルージュを引いた唇、見つめるアメジストの瞳。
 それらは艶やかな色をしていた。まるで目の前の彼を試すかのように……。
「先輩、本当によろしいんですか?」
 思わず尋ねるのは、カレン。
 目の前にいるのは、大切な夫ではない。
 カレンの夫は今、仕事でこの場所には来れなかったのだ。
 親愛なる先輩。それが目の前にいる彼、サルバトーレであった。
 ただ言えるのは、いるはずの男はいなく、いるはずでない男が隣にいるという事実。
「さぁなっ」
 サルバトーレはさりげなくも強引に、カレンの腰に手を回した。
 お互い、それ以上は詮索しない、求めない。
 ただ……今ある状況に酔いしれるだけ。
 カレンは静かに、グラスのワインに口を付けた。
 外は肌を貫くような寒さ……そんな夜には、少しキツ目の酒に、人の温もり……。
 サルバトーレも、カレンの隣でカレンと同じワインを飲み干した。

 下を見れば、美しい町並みが。
 上を見上げれば、美しい夜空が。
 瞳を細めるカレンとサルバトーレ。
 二人の眺めるその景色は、あまりにも美しくて。
 でも、その景色も、二人でいたことでさえも。
 朝が来れば、全てはなかったことになる。
 既に交わされた約束が、それとも契約か。
 全ては二人の胸の中に。
 今宵だけの、秘密のテラスで。
 また、二つのグラスが小気味良い音を響かせた。

イラスト:海見有里