●春薔薇の船謳

「あら」
 通りすがりに目が合った瞬間、リュシスはシアに「こんにちは」と微笑みかけた。
「どなたかと待ち合わせ?」
「いえ、ちょっと散歩に。ひとりで」
 そう答えて「そちらは?」とシアが問い返せば、リュシスもまた同じように頷き返した。今日のさえずりの泉は陽気も良く、とても気持ちいい風が吹いている。散歩には丁度いい日和だった。
 たまたま出くわしたのも何かの縁だろうと、ふたりは何となく並んで歩き出す。デート、とは違う。ふたりを結び付けているのは信頼感。年齢も性別も違う相手だけれど、彼らの間には確かに、恋愛とは全く違う形での絆がある。
「最近、調子はどうですか?」
 シアは久々に顔をあわせた友人に近況を尋ねる。どちらも、そうそう特別な出来事があった訳では無いけれど、他愛の無い近況を語り合う時間はとても楽しいもので。
「ふふ、相変わらずみたいね」
「リュシスこそ」
 くすくす笑うリュシスに、彼女もまた『らしい』日々を送っているのだと、シアは穏やかな笑みを返す。
 そうして泉のほとりを歩くうち、彼らはやがて、水面にボートが浮かんでいる事に気付いた。
「あそこで貸しているようですね」
「ほんとね。……乗ってみる?」
 少し先に、ボートを貸し出している小屋がある。何気なく提案したリュシスの言葉に、なら、と頷き返して、シアは一艘の小さなボートを借りてくる。岸に接岸したボートにはシアが先に乗り込んで。
「お手をどうぞ」
「ありがと」
 リュシスが乗りやすいように気を配りつつ差し出した手に、リュシスが右手を重ねる。そうして、向き合ってボートに腰を下ろして、シアがオールに手を伸ばした。
 手馴れた様子で動かされる両手が、ボートを漕ぎ出す。ちょっとした方向転換も器用にこなすシアの操縦に、リュシスはふっと笑って。
「随分と上手いのね。どこで覚えたんだか……」
 茶化すようなリュシスの言葉に、シアはただ静かに笑みを返すだけ。

「……さて、もう少し中央まで出てみる?」
「了解」
 ボートはゆっくりと泉の中央を目指す。
 周囲を小鳥達が飛び交い、水面ではきらきらと輝く太陽の日差しが反射して……ふたりの周囲を、穏やかな時間が流れていった。

イラスト:水無月神無