〜旧ソルレオン領〜

 凄まじい轟音が響いていた。
 轟音の源は大地の破壊される音であり、破壊を為すのは天を衝くが如き漆黒の球体だ。
 ドラゴン界が「侵略機動」を開始し、カダスフィアフォート跡を発って5日。
 ヴァラケウスの支配するドラゴン界は、旧ソルレオン領を南東の方角へと進み続けている。
 ドラゴン界の移動した後には、大地を抉り取り移動した痕跡がはっきりと刻み込まれている。
 そして、他には「何も」残っていない。ただ、「消滅」するのみである。
 自然も動物もモンスターも、街並みも暮らしていた人々も、何もかもが……。

 そして今、ドラゴン界の進行方向に位置する一つの小村では、集会所に集った村人達が、不安げに顔を見合わせていた。
 はじめは小さく見えていたドラゴン界は、見る間にその大きさを増して村へと迫りつつある。
 身を寄せ合うようにして一箇所に集った彼らだが、それで助かる宛があるわけではない。
 そもそも、あの球体が何なのか、彼らにはそれすら分かってはいないのだ。

「終わりじゃ……もう、何もかも終わりじゃ……」
 村長が呻くようにして呟くのが、母親の耳に届く。
「お母さん……」
 大人達の様子と、外から響く轟音に不安を感じたのだろう。
 5歳になったばかりの娘が、不安そうに見上げて来る。
「大丈夫よ、この村は何度も苦難を乗り越えて来たんですからね……」
 優しくそう言い、母親は血の繋がりの無い娘を、ぎゅっと抱き締めた。
 ソルレオン王国の滅亡、それに続いて入り込んだ、トロウル達による暴虐……そうした全てを乗り越え、この村の人々は力強く生きて来たのだ。
 今年の収穫を終え、復興を喜びあったばかりなのだ。
「そう、だから、今回もきっと大丈夫よ……」
 母親の言葉は我が子の不安を和らげるためではあったが、子供を抱き締める事で、不安を押さえ込もうとしているようにも見えた。
 幾つもの苦難をくぐり抜けた村人達にとっても、今回の変事はあまりにも異質過ぎたのである。

 漆黒の球体――ドラゴン界の移動は、ほとんど山脈が動いているのにも等しい。
 あまりに巨大で、そしてあまりにも速く迫り来る脅威から、逃れられる者など存在しない。
 こちらに来るのに気付いた時には、もう既に遅いのだ。
 村人達に出来たのは、ドラゴン界がこちらに来ないよう、祈る事だけだった。

「お願いです神様……この子だけは……!」
 強く目を閉じ、母親もまた、手を組んで天に祈る。
 だが、神去りしランドアースの大地に、その祈りを叶えるべき神は存在しない。
 ましてや相手は、神をも上回る力を持つドラゴン、その王たるドラゴンロードだ。
 漆黒の球体は凄まじい速度を維持したままに、住民達ごと村を磨り潰していった。

 村人達が苦労して開墾した畑が大地ごと噛み砕かれ、村を覆う木の柵が、地滑りを起こした地面に呑み込まれるようにして見えなくなる。
 石で出来た壁が、薄紙のように削られて消失、家の中にあった生活の痕跡は生じた風に巻き上げられ、そしてドラゴン界の表面に触れたかと思うと、瞬く間に消え去った。
 恐怖と絶望、そして生存への欲求に心を支配され、漆黒の球体から逃れようと動く事の出来た者達も、しかし一瞬しかその命を長らえる事は出来なかった。
 エネルギーの奔流が触れた瞬間、村人達の体は削り取られ、世界から永遠に消滅する。
 やがて全ては破壊の響きと轟きの中に呑み込まれ、また一つの村が地上から姿を消した。

 ドラゴン界の侵略機動は、尚も続く。
 行く先には、旧ソルレオン領の首都、誠実のグリモアを擁するディグガードが存在していた……。