絡まり縺れた赤い糸


<オープニング>


「これほどまでの幸せは、きっといつまでも続かない。それならいっそ今この時に死にたいの」
 淡々と、歌うように呟く。
 唐突な多香子(たかこ)の言葉に、隆(りゅう)は目を見開いた。
「小説のセリフ」
「あぁ、多香子がこの間出版した……」
 多香子の言葉に隆は安堵の息をつく。
 そう、と無表情のまま呟いて、多香子は続けて問いかける。
「ねぇ。わたしのこと、好き?」
 ゆっくりと紡がれた多香子の言葉に、隆は頷く。
「好きだよ。何度言わせたら気が済むの」
 隆は笑う。隆の笑顔を見つめながら、多香子は「そうね」と呟いた。
「ずっと好きでいてくれるって約束したもんね」
「そうだね」
「約束、忘れないよね」
「忘れないよ」
 優しい声で多香子の耳元に囁く隆。ただそれだけを見れば、絵に描いたような幸せな恋人像。
 しかし腐敗は確実に進み、体はいつしか崩れゆく。多香子の左手首にできた深い切り傷は、腐敗によりその深さを増している。
 ――崩れ落ちないように。
 多香子は隆の指先に噛みつき、溢れた血をすすり、光悦とした笑みを浮かべた。

「言葉や物語に捕われすぎてしまうと、現実を見失ってしまうものなのでしょうか」
 手にした本を閉じ、藤崎・志穂(運命予報士・bn0020)は呟く。

 あるマンションの一室でリビングデッドが現れたことが、能力者達に知らされたのは数分前のこと。
 リビングデッドとなった女性の名前は多香子。
 生前の婚約者、隆の血を吸うことで、腐敗をしていく体をなんとか保っている。
「しかし、それも時間の問題です。被害者が出てしまう前に、多香子さんをあるべき世界へと還してあげてください」
 志穂の言葉に能力者達は頷いた。

「ポイントは二点。一点はどうやって隆さんを部屋の外へ連れ出すか。もう一点はどうやって部屋に侵入するか、です」
 隆は今、仕事を辞めて一日中多香子と一緒にいるようだ。
 戦いの現場を見せるわけにはいかない。何か理由をつけて、隆を連れ出して欲しい。
 そして多香子は警戒心が強い。特に今回の部屋はマンションの一階。取り囲む前に警戒されれば、すぐ逃げ出してしまうだろう。
「そうですね、例をあげるとすれば……」
 志穂は考えこむように視線を彷徨わせる。
「まずは理由をつけて隆さんを呼び出し、引き止めておくか、眠らせるなどの対処をしていただく。それからひっそり忍び込む、もしくは隆さんの知人、親類を装うなどで侵入。最も広いリビングで取り囲み、戦闘に持ち込む、でしょうか」
 あくまで例ですけど、と志穂は微笑む。
 騒音を気にする必要はないが、隣の部屋、上の部屋は住人がいる。利用するのは難しいだろう。
 尚、今回の現場は南にベランダ、東向きの角部屋だ。窓から逃がさないよう、注意は必要かもしれない。
「逆に、警戒すれば向かってきますので、戦闘に持ち込むのは容易かと思います」
 志穂の言葉に、能力者達はうなずく。
 多香子の能力は三つ。呪いの言葉を放ち、対象一体にダメージを与えるもの。叫び声をあげ、周囲全ての対象にダメージを与えるもの。最後に、自己を肯定する言葉で傷を癒すもの。
 援護ゴーストがいないとはいえ、充分注意が必要な能力だ。
「それと多香子さんですが、生前に心理学を学んでいたせいか、人の心理を揺さぶる言葉をかけてくるようです」
 能力ではないためダメージを受けることはないが、能力者達も人間。心を揺さぶられることがあるかもしれない。
「みなさんなら問題ないかと思いますが、どうか強い意志を持って望んでくださいね」
 命乞いや惑わす言葉には、決して耳を貸さないように。

「この本、多香子さんが最後に出版された小説なんですが……」
 最後に志穂は眉をひそめ、本を見せる。
「恋人に愛されて幸せだったはずの女性が、幸せの崩壊に怯え、ついには自らの命を絶ってしまう物語なんです」
 幸せそうな二人の姿。多香子の左手首の傷。そして、小説の物語。
 全てを繋ぐと、複雑に絡まり合い、曲がってしまった想いが見えるようだ。
「せめて哀しい想いの終止符を、みなさんの手でお願いします」
 志穂の言葉に能力者たちは、力強く頷いた。

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参加者
祭窈・秦(架空戯曲ノ観奏者・b20105)
椎名・悠(深緑のねぼすけ娘・b20132)
渕埼・寅靖(縛鎖のキマイラ・b20320)
片瀬・栞(黒蓮仙刀・b44490)
イセス・ストロームガルド(影法師の戦友・b47362)
ブリギッタ・カルミーン(箱入りヴァンピレス・b49307)
神雀・霧夜(夜に恋する雀・b56341)
ウルスラ・ロザーノ(勇気を胸に・b57572)



<リプレイ>

 それならいっそ今この時に死にたいの。
 私が言ったら、彼は困ったように笑った。それが君の願いなら、僕は叶えてあげたい。震えた声で、そう言って。 

 愛した人を殺し喰らうこと、それが今の貴女の願いなら。誰も幸せになれないその願い、今日この場で断ち切ろう――
「(……とは言ったものの、今回わたしは隆さんの保護やるので戦闘には参加しないんだけどね〜)」
 椎名・悠(深緑のねぼすけ娘・b20132)は闇纏いで姿を消し、防犯用の植栽と塀に囲まれたマンションの壁際に立った。
 やがて息を切らせて現れた待人――隆の耳元に、悠は柔らかな歌声を響かせる。歌声は彼の体中に浸透し、眠りの世界へと誘う。
「おつかれさま……おやすみ〜」
 地面に倒れ込んだ隆の傍に座りこみ、悠は笑みを浮かべた。
 時は数分前に遡る。夕暮れ時の住宅街。目的のマンションから数メートル離れた先に、能力者達は立ち並んだ。
「……どうやら、あの部屋のようですね」
 ブリギッタ・カルミーン(箱入りヴァンピレス・b49307)が塀の向こうを覗き込み、東端の部屋を指す。
「んー、恋人さんが死んじゃってるのはわかってるのよね。それがただの残滓とわかってても縋らざるをえないのね」
「残滓。難しい言葉を使いますね、片瀬さん」
 わたしもおとなになって、恋人さんとかできたら同じこと考えちゃうのかしら、と首を傾げる片瀬・栞(黒蓮仙刀・b44490)。その隣で、イセス・ストロームガルド(影法師の戦友・b47362)は感心したように息をついた。
「分からなくもないな。心が変わってしまうのは、とても怖い事だと思うから」
 祭窈・秦(架空戯曲ノ観奏者・b20105)は言う。けれど、と最後に言葉を付け足して。
「僕は大切な人が想いに囚われて虚ろになってしまう方が怖い」
 そう呟いた秦の隣で、神雀・霧夜(夜に恋する雀・b56341)が過去へと思いを巡らせる。
「初依頼が、こんな事件とは……運命の糸って皮肉なものですねぇ……」
 独りごちた後、霧夜はかぶりを振った。
 渕埼・寅靖(縛鎖のキマイラ・b20320)を中心とし、時計の時刻合わせから、待機中の注意まで綿密に打ち合わせをする能力達。念には念を。何重にも注意を重ねた彼らに死角はない。待機組の寅靖、ブリギッタ、イセス、栞、悠、そして安倍・清明は各々の持ち場へ移動する。
「猫の体に憑くんは初めてや、よろしゅーお願いします」
 やや緊張の面持ちでウルスラ・ロザーノ(勇気を胸に・b57572)は、猫化した秦に憑依した。霧夜は秦と目を合わせ、準備ができたことを確認する。そして、霧夜はマンションに向かって走りだした。
 ――作戦の始まりだ。

 霧夜の役目は咄嗟の嘘で隆を連れ出すこと。はい、と穏やかな声でインターホンに出た男性に、霧夜は早口で言い切った。
「すみません、友人が急に倒れて……出来れば、急いで来てくれませんか?」
「えっ! それは大変ですね! ちょっと待って下さい」
 ドアの向こうで慌ただしい足音が聞こえる。途中、「多香子。鍵、よろしくな」という声も聞こえた。
「お待たせしました」
 ドアが開き、人の良さそうな顔をした青年が顔を出す。急いできたらしい、上着を着込みながらの登場だ。
 引き続き、嘘で彼を引き付ける霧夜。その霧夜の足元で動く猫。ドアが閉まると同時に、猫の姿が扉の向こうへと消えていく。
 小さな鳴き声が響き、ウルスラは憑依を解いた。ウルスラの持ち場は玄関先。ここで秦と離れ、ウルスラは玄関を守る。一方秦は猫の姿のまま部屋内を探しまわる――はずだった。
 秦がいざ動き出そうとした、その瞬間。リビングの扉が開く音。
 反射的に振り返ったウルスラの目に、痩身の女性の姿が映る。長い黒髪、色素の薄い肌、奇麗な顔立ちをした女性――多香子だ。
 目を見開き、多香子は素早く踵を返す。秦は猫化を解き、ホイッスルを鳴らした。ホイッスルの甲高い音が部屋の外まで響く。同時に激しくガラスが砕ける音が、部屋中に響き渡った。
「ん……邪魔ッ!」
 詠唱武器を窓に叩き付け、栞は持ち前の運動神経を駆使し、部屋の中へ転がり込む。開け放した扉の向こうに、栞を見返す女性――多香子の姿が見えた。
「見つけた!」
 栞が叫ぶ。一方、多香子の判断は早かった。リビングの窓が包囲されたと知るや否や、多香子が向かったのは東の部屋の窓だった。人数、外観を見て、多香子は栞に向かっていくことを選んだのだ。
「退きなさい。ここは子供の遊び場じゃないのよ」
 呪いが籠った多香子の言葉が、栞の体を侵食する。しかし、痛みに顔を引きつらせながらも、栞は窓の前に立ち塞がる。
「……くっ。効かないもんっ。こんなのっ!」
 逃がすわけにはいかない。獣のオーラを宿し、栞はハンドレッド・プラスを振るった。多香子の肩口から血が滴る。
「退かないなら――」
 再度呪いの言葉を呟こうとする多香子の前に、立ちはだかる人影。多香子は瞠目し、言葉を止めた、
「逃がしません!」
 影――ブリギッタは舞うように、多香子の懐に潜り込み爆水掌を打ち込んだ。多香子の体が転がり、リビングまで吹き飛ぶ。
「申し訳ありませんが……倒させて頂きます!」
 ブリギッタはレイピアを構え、多香子を睨んだ。
 多香子がすぐさま逃亡を計ろうと立ち上がるが、その頃には既に寅靖、清明、イセス、秦、霧夜、ウルスラがリビングを取り囲み、逃亡経路を塞いでいた。
「どうして」
 多香子は僅かに唇を噛む。その目に浮かぶのは憎しみの色。
「どうして放っておいてくれないの! 私たちのことは放っておいて!」
 多香子の叫びが、部屋全体を侵食する。イセスは思わず膝をついた。その横で寅靖が蜘蛛の足を広げ、多香子に詰め寄る。
 蜘蛛の鋭い足先が多香子の体を貫く。悲鳴を上げ、多香子は地面に膝をついた。
「……させない!」
 清明は治癒符を取り出し、傷付いた仲間をひとりひとり癒していく。
「あんたの気持ちは分からんわ。幸せの絶頂だとかカッコつけて、自分で勝手に何もかも諦めただけやんか! 絶対にリュウは殺させへん!」
 哀しみ、怒り。全てを込めて、ウルスラが多香子に蹴りを叩きつける。そしてウルスラの言葉に秦が頷いた。
「そんなの、自分勝手だよ。永遠なんて何処にもないんだ」
 秦の柔らかな歌声が、能力者達の傷を癒す。歌う秦の脳裏に浮かぶのは、秦の大切な想いびと。
「僕は、ずっと大切な人の傍にいたいよ」
 でも自分の弱さのせいで、相手の道を狂わす事になるのは嫌だ。彼が彼らしくあるならば、例え離れる事になっても良い。
「だって、その人の事が大好きだから」
 秦は言う。秦の言葉は届いているのか、いないのか。多香子は無言のまま、ゆらりと立ち上がった。感情のない漆黒の目が、空を見た。
「自分勝手はあなたたちだわ」
 止まることのない寅靖の攻撃を受け止めながら、多香子は呟く。
「あなた達に私を殺す権利があるのかしら。あの人はそれで幸せになれるのかしら。私なら、あの人に道を狂わされるなら、本望だわ」
 淡々と紡がれる多香子の言葉。同時に多香子の傷が癒えていく。
「諦めようとしたことを後悔して、何が悪いの。一度や二度、逃げ出したことは誰にだってあるでしょう?」
 そう言った多香子の視線は霧夜に向いた。心を見透かすような目。霧夜はごくりと喉を鳴らす。霧夜の脳裏を過るのは、幸せすぎた過去の思い出だった。
 幸せすぎて怖かった。だから霧夜は姿を消した。そんな事をしても、得れるものは後悔と絶望だけだったけれど。
「あなたは、以前の私に良く似てます……だからこそ、ここで終わらせてあげます」
 霧夜は言う。言葉と共に吐き出した息が、多香子を凍てつく氷で包む。もう迷わないと霧夜は決めた。大切な人をこれ以上失う気はない。
 多香子の言葉にイセスは思う。もしも自分がゴーストになったなら、恋人は必ず自分を殺してくれるだろう、と。そして彼女がゴーストになったら、彼女を殺す役は誰にも譲りたくない。――けれど。
「……そんな世界に居るのは、僕たちだけで十分だよ」
 イセスは呟き、サキュバス・ドールのアルケミラを多香子へと差し向ける。泣きそうな表情で多香子へ絡み付くアルケミラ。彼女の祈りが、イセスの耳に響く。
「うん。一番大好きな人を食べる前に、止めてあげよう」
 イセスが胸に秘めるのは静かな決意だった。幸せ過ぎて怖くなる位に好きだった人の事、絶対に殺させない。
「いや! 私は死ねない!」
 再び多香子の叫びが広がっていく。多香子の叫びに、ブリギッタと栞は耐えるように身を抱えた。悲痛な叫びを振り切り、栞は精一杯の力を込めてハンドレッド・プラスを振り下ろす。
「く、なかなか……厳しいですね……」
 愛情が深い故の悲しい事件。逃げるように、背けるように。ひたすらかぶりを降り続ける多香子に、ブリギッタは眉を潜めながらも、再度爆水掌を叩き込む。多香子の体がリビングの床を転がった。
「幸せの果ての不幸はもう終わりです。どうか安らかに」
 加えて、イセスのSchwarzesが多香子の体を撃ち抜く。
 秦と清明が仲間達の傷を癒し、ウルスラの蹴りが多香子の身を沈め、寅靖の爪が多香子を切り裂く。霧夜の吐息が、多香子の身を凍てつかせ、多香子の動きを止めた。
「これで……終わりです!!」
 ブリギッタの一声に合わせ、栞、イセス、秦、ウルスラ、寅靖、霧夜が止めを指すべく武器を構える。
「……私だって、わかってるの」
 リビングの床に転がり、上体だけを起こしながら多香子は呟く。
「私が想いを形にしなければ、こんなことにはならなかった」
 形に、というのは小説のことだろう。多香子が最後に著した小説は、やはり多香子の想いを書き綴ったものだったのだ。そして多香子は言葉を続ける。
「彼に私を、殺させることもなかった」
 一瞬だけ、能力者達の動きが止まった。

 ――話を聞く限りだと……多香子さんって自殺したんだよね。
 眠りについている隆の傍らで、悠は考えを巡らせていた。悠自身がうつらうつらとしないように。
「(己の話に酔ったままで、恋人の愛をぶん投げて。愛の形は人それぞれとは言うけど……嫌だな、こういうの)」
 そこへふと、小さな呻き声が聞こえた。隆が目を覚ましたらしい。腕で覆われた目元の下で、隆の口元が僅かに動く。
「……また夢か」
 ――『また』?
 隆の言葉に、悠は思わずヒュプノヴォイスを止める。
「あ、いや。人が倒れたって聞いた気でいたんですけど、僕が貧血を起こしたんですよね? 最近よくあるんです。ご迷惑をおかけしました。ちょっと嫌な夢も見たので……もう少し寝転がっていますけど」
 嫌な夢と復唱した悠に、あぁ、と隆は口元を緩める。
「恋人の手首を切る夢です。嫌な夢でしょう?」
 
「私を、あの人に殺させないで」
 殺させないで。ウルスラは多香子の言葉を繰り返す。
「お願い。きっとあの人、自分を許せなくなる。彼が自分で自分を殺すくらいなら、私が殺す」
 多香子の言葉に、ウルスラは惑う。思わずウルスラは一歩後退した。そこへ頬を叩かれて、ウルスラはハッと我に返る。頬を叩いたのは寅靖だった。
「――言いたい事はそれだけか」
 感情のない声で、寅靖は告げる。初めから決めていたのだ。たとえ泣き叫び命乞いをしようと人殺しと罵られようと、攻撃の手は決して止めないと。
 鬼面をかぶった寅靖から、感情は読み取れない。多香子は絶望感に溢れた表情で寅靖を見上げた。
 寅靖の背から這い出る蜘蛛の足。多香子の表情も、言葉も、自らの心すら断ち切って、蜘蛛の足が多香子の体を貫く。
 音はない。叫びもない。多香子は大きく目を見開き、その動きを止めた。

「幸せって、終わらせようとしない限り……終わらないものですよねぇ……」
 霧夜の言葉に、ベランダから早々に撤退しようとしていた栞は瞬いた。その隣でブリギッタが仲間の無事を確認し、安堵する。
「私たちには何もできないですけど……彼には……強く生きて欲しいです……」
 ブリギッタは思わず願いを口にした。
 リビングに横たわった多香子の傍へ、寅靖が歩み寄る。かける言葉はない。寅靖はただ、多香子の目に手を添えて、多香子の目を瞑らせた。
 寅靖の指先に、鬼面でも隠しきれない心が滲む。
 寅靖が心に刻んだ真実は二つ。誰に呟くでもなく、心の中で寅靖は呟く――隆の命を繋ぎ、愛する者を奪った、どちらも俺は忘れない。
「隆さん大好きだった?」
 寅靖の背後に立ち、秦は多香子に問う。けれど問いの答えはおそらく聞くまでもない。秦は続けて言葉を紡いた。
「伝えておくね」
 秦と清明は顔を見合せて頷き合った。秦は宣言どおり、部屋にあった紙とペンで走り書きのメッセージを残す。
 その傍らで強盗の偽装工作をしているのは、イセスとウルスラだった。イセスは隆の食器や洋服以外をできる限り壊していく。
「思い出を振り切れる様に、だね」
 イセスの呟きに、アルケミラは静かに泣き笑いを浮かべた。
 ウルスラはタンスの引き出しを漁った後、玄関の扉の鍵を閉めた。ウルスラの脳裏から命乞いをする多香子の姿が消えない。事前に頼んだ通り、仲間は自分の頬を叩き、惑いを解いてくれた。けれど心の奥底の想いは消えない。
「(傍に居てくれる、大切な人がおったんやろ……なんでや? 相談だってできたし、望みは『二人で』幸せになる事だったんちゃうんか……?)」
 涙が滲む。泣きそうだ。それでも涙を耐えて、ウルスラは現場を後にした。

 夕暮れが藍色に変わり始めた頃、悠の携帯電話が鳴った。着信相手は栞だ。
「悠ちゃん、終わったよ!」
 携帯電話から栞の明るい声が聞こえる。栞の明るい声に悠は安堵の息を漏らした。
 悠が通話を切ると、足下の隆が丁度目を覚ました頃だった。最後の仕事をするため、悠は再び闇纏いで姿を消す。
 ――再び眠りに落ちる前、隆は言った。
 手首を切られた恋人は、睡眠薬のせいでまどろみながら、僕に微笑みかけるんです。ありがとうと言いながら。夢の中の僕はこれでよかったのだと思いこんでいるんです。でも時間が経つにつれて気付く。本当にこれが最良だったのだろうか。彼女がいない世界で、僕は生きていけるのか――
 本当に嫌な夢です、と隆は笑って。
 悠は部屋に戻る隆を追いかける。やがて部屋に戻り、多香子の姿を発見して、泣き叫ぶ隆に悠は両目を瞑った。それでも――
 ゆらりと立ち上がり、包丁を手にした隆から、悠は包丁を叩き落とす。心霊現象を装いながら。
 目を見開いた隆は、その場に崩れ落ちて泣いた。『ありがとう、隆。大好き』――そのメッセージを握りしめて。


マスター:小藤ミワ 紹介ページ
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いまいち
参加者:8人
作成日:2009/05/03
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