Without going alone


<オープニング>


 一人の男が、窓を覆う厚いカーテンの隙間から外を眺めていた。
 男が佇む部屋は、住宅街の外れ、丘の上で大きめの児童公園ほどの、庭園と呼ぶに相応しい庭を柵で囲み、その中心に建てられた古びた洋館の一角にあった。丘の下の住人などは、その古ぼけた様子を恐れるあまり、近づく事を避け、丘の上には洋館以外、何も無い事から、訪れる人影も皆無であった。
 
 部屋のドアに控えめなノックの音。男の返事も待たずにドアが開く。
 入ってきたのは、年の頃は二十歳半ば程度の女。ワゴンを押して男の元へと向かう。時刻は夜半、外は暗い上、厚いカーテンが窓を覆い、部屋には僅かな灯りしかないため、女の歩みは慎重だった。
「お父様、ご用意をいたしました」
 男が初めて反応を示し、かすかに頷く。女はワゴンの上にあったナイフを取ると、自らの指先を切った。慣れた手つきで傷を作り、女はにじみ出てくる血を見つめ、それが玉の様になると男に差し出した。
 男は白磁のような指先に乗る血を舐め、更にはその指先を咥えた。
 しばしの時間、女の血を啜る男。やがて、その指先が開放された。
 男は指先を拭う女を見つめると静寂を破る。
「沙樹、私の娘よ」
 沙樹と呼ばれた女の視線が上がり、男を見つめて言葉の続きを待つ。
「沙樹は私の娘、私のものだ。だから、沙樹。私を愛し、私と共にありなさい」
「はい、もちろんですわ、お父様」
「私の命が果てる時、お前はどうする」
 それは沙樹が生まれてきてから、ずっと問いかけてきたもの。物心がつき、問いかけの意味を知ったであろう頃からも、更には沙樹を生んだ女がこの館から去ってからも、沙樹の答えは変わらないことを男は知っていた。
 沙樹は外出する事もなく、友人と呼べる者もいない様子。沙樹はかつて男に語っていた。外に出れば、父親から見ても儚くも美しい容姿と、男の資産を目当てに人が群がってくるだけで嫌気がさすと。沙樹はこの館で愛する父二人っきりの生活で満足している。全ての世界が閉じていて幸せだと。父以外の他は必要ないのだと。
 男の言葉に、ためらう表情一つ見せず、沙樹は答えを返した。
「お父様の果てる時、私も果てる時です」
 娘の愛情を受け止める男。
 男の顔が僅かに緩んだ。
「沙樹、ありがとう」
 娘にしか判別出来ない、父の笑顔。それを見た沙樹は、父の身体に両腕を回し、優しく抱きしめた。男は娘の抱擁を受け、その長い黒髪を撫でた。愛おしげに、その手に誓いを乗せて。
 もうしばらく、この娘と一緒にと。
 
 教室の窓際で、射水・真雪(高校生運命予報士・bn0100)は茜に染まり始めた空を見上げていた。教室のドアが開く音と、複数の人の気配。
 消え入るかのような小さな声。
「親子の愛情。その絆を断ち切ってください」
 半ば振り返った真雪。その顔からは感情が消えていた。
 
 地方都市の住宅街の外れ、丘の上に建つ洋館に一体のリビングデッドが娘と共に暮らしている。
「もともと資産家であったリビングデッドは、生前からもあまり外出せず、使用人の扱いなども娘の沙樹様に任せていた様子です」
 リビングデッドになった理由は不明だが、館の中での出来事であったようだ。リビングデッドになっても、あまり行動に変化がないため、沙樹と使用人は死んでいる事に気付いていない。ただ、血を求める行為については、沙樹は父親に何らかの異変があったことを少しだけ感じており、心配している。
「このままでは沙樹様はもちろんの事、使用人の方々までリビングデッドは喰らい尽くす事になります」
 そして、その時はもうすぐだと。
 
 館には、昼間は多くの使用人がいるが、全て通いの為、夜はリビングデッドと沙樹だけになる。使用人が帰るのは夜も更けてから。リビングテッドは使用人の前に姿を現さず、もちろん門前に現れた来客に対応する事もない。使用人のいない夜間の突然の訪問者は、当然のように門前払いとなるばかりか、対応する沙樹が用心深いため、注意が必要だ。
「昼間であれば、館の内部に多くの人目がありますわ。夜間は門前払いがある為、どの時刻に向かうにしても、注意深い対策が必要です」
 柵と庭にはセンサーがあり、夜間の侵入者があった場合、沙樹の部屋で警報が鳴る。他には訪問者をチェックする為に、門と玄関にカメラが設置されている。
「警報が鳴った場合、沙樹様はすぐさまリビングデッドと合流いたします」
 センサーの位置などは調べようが無く、無断で侵入した場合、必ず警報が鳴るため、それを覚悟した上での行動が必要になるだろう。
 リビングデッドは一体のみ。空気を操り、かまいたちのように切り裂く衝撃波を放ち、範囲全ての者へ攻撃を仕掛けてくる。近寄った際には、その衝撃波を一つに束ね、刃の様に切り裂いてくる。
「リビングデッドと沙樹様、二人の絆は強く結びついていますわ。お二人とも、決して離れようとはしないでしょう。そればかりか……」
 沙樹は父と共に死ぬ事を覚悟している。また父親であるリビングデッドもそれを望んでいるが、二人で暮らす事が一時でも長くなる事も願っている。リビングデッドと沙樹は、一緒に逃げ出す事を最優先に考えるだろう。あるいは、二人してその場で死ぬ事すら選択肢となる。
 
 父であるリビングデッド、それを倒せば沙樹はどうするのだろうか。
「恐らくは……」
 再び窓の外に顔を向けた真雪が言いよどむ。それは言葉にするのは簡単だ。だが、その行為はあまりに重い。だからといって見逃せばどうなる。必ずや、父が愛する娘を喰らい尽くすという悲劇が待ち受けている。
 自らの皮膚を爪が破るほどに拳を握りしめた真雪。
「生者と死者の絆。必ず断ち切ってください」
 真雪の言葉が途切れる。迷いを振り切る時間。それが真雪には僅かにでも必要だった。
「……勝手な願いとは知っています。しかし、皆様にお願います。残った人も救ってあげてください」
 机の上に用意された、館の周辺の状況を記したメモ。それに地図を持った能力者達が教室を出て行く。それを見送る事なく、真雪は肩を震わせ続けた。

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参加者
樹・吉野(永訣のサウダージ・b16185)
柊・静(散り逝くを送る白花の死天使・b23250)
紗白・すいひ(幻日の紡ぎ手・b27716)
レアーナ・ローズベルグ(白銀のアイギス・b44015)
天峯・叢(霧の騎士・b49920)
吹雪・瑞希(いつでもどこでも迷子です・b53324)
緋坂・燐(氷想華・b53619)
鈴木・鈴(蜘蛛娘・b69668)



<リプレイ>

 誰も注意を払わない。
 閑散とした洋館ではあったが、手入れのためか、意外と多くの使用人が廊下を行き交っていた。その廊下の隅で立つ樹・吉野(永訣のサウダージ・b16185)は、使用人に触れぬように注意深く立ちつつ、周囲を窺っていた。視線さえ向けられぬ存在となっている吉野は、まるで自分がゴーストの一種になってしまったようだと、かすかな苦笑を浮かべた。
 早朝、使用人が出てくるのに紛れ、闇纏いで姿を消して洋館に侵入を果たした吉野は、既にこの時間には内部の構造は調べ尽くしていた。
 ただ一カ所を除いて。
 そこは、使用人達が決して近づかぬ一角。娘である沙樹が使用人達に禁じているのか、それとも、使用人達がそこは近づいてはいけない場所だと認識しているからか。闇纏いで姿を消しているとはいえ、リビングデッドには効きはしない。だから吉野とて、容易に近づく事が出来ずにいた。
 訪問者を告げるチャイムに、吉野は素早く使用人の応対を確認するために場所を移した。
『沙樹さんのお父上の御身体について大事なお話があります』
 スピーカーから聞こえてくるのは紗白・すいひ(幻日の紡ぎ手・b27716)の声。門外を映し出すモニターにはすいひに並んで、黒いスーツの緋坂・燐(氷想華・b53619)が立っていた。二人の後方では、警戒の為か、レアーナ・ローズベルグ(白銀のアイギス・b44015)が周囲に視線を巡らせている。
 丁寧に話しかけるすいひだが、使用人は拒絶の言葉を繰り返す。それでもと、礼儀正しく凜が言葉を重ねる様子に、他の使用人が気を利かせたのか、あるいは主人の大事と言われ、無碍には出来ぬと判断したのか、連絡を受けた沙樹が姿を現した。
 成り行きを見守る吉野は、困惑の表情を浮かべる沙樹の側へと移動。仲間達の訪問が受け入れられた時のためにも。
 しかし、沙樹の下した決断は否であった。
 主の決断がくだされ、今度は断固とした拒絶の言葉が使用人の口からすいひ達に告げられた。
 落胆の色を浮かべる吉野は、次善の策のため夜まで待つ事にした。更なる調査を進めるため、その場を離れようとした吉野の耳に、再びのチャイム。続けての訪問者に、使用人が慌てた様な対応。
『わたしたちの、ネコさんが、このお家に、入って行っちゃったのだから、ちょっと、さがさせてほしいの〜』
 モニターから聞こえてくる吹雪・瑞希(いつでもどこでも迷子です・b53324)の声に、今度は使用人達も顔を綻ばせる。僅かにためらいを見せた使用人だが、立ち去ろうとしていた沙樹が許しの言葉を残して行った事もあり、瑞希と鈴木・鈴(蜘蛛娘・b69668)は洋館の中へと向かい入れられた。
「うちの猫がここに入っちゃった。ちょっとだけ見せて」
 玄関ホールで改めて鈴が使用人に告げ、天峯・叢(霧の騎士・b49920)が保護者を装い、礼を述べていた。その二人の後ろで、珍しげに周囲を見回す瑞希。その目が、ホールの片隅に立つ吉野を捉えた。久方ぶりに自分の存在を感知され、吉野は瑞季に軽く手を振る。それへ笑みで返答とする瑞希。
 使用人と一緒に猫を探す鈴と瑞希、それに叢。それを追いかける吉野。ふと、廊下の一角で視線を感じた吉野が足を止めた。
 視線の主は一匹の猫だった。
 捜し物の猫はここですよと、吉野は声を掛けたくなった。猫、すなわち柊・静(散り逝くを送る白花の死天使・b23250)は、これで例え見つかったとしても言い訳が立つわけだ。もっとも静は物陰に隠れているつもりでいたが、その前に、伝令となるために吉野と接触をとっておく必要が有り、こうやって身をさらけ出していた。
「お久しぶりです」
 さして別れて時間はたっていないのだが、誰にも気付かれずにいた寂しさと、仲間と会話を交わせる喜びが吉野の声に混じる。かといって、猫に姿を変えている静は人語がしゃべれず、かすかににゃーと返すだけだ。
 吉野の一方的な会話で、伝令の必要が無く、洋館の内部構造を知った静は、身を翻して吉野の許から去っていった。それを見送る吉野の背後で瑞希の声がした。
「お外に、出ちゃったから、わたしたちも、行くの〜ありがとうなの〜」
 どうやら、外へ出る事を吉野に伝えるべく、その場で言葉を発したようだ。叢が鈴と瑞希の真ん中に立ち、二人の手を握り、使用人達へ丁寧に礼を述べていた。使用人達も、もし見つけたら、外に出しておくからと言葉を返していた。
 使用人に連れられ、玄関ホールへと向かう叢達を見送る吉野。夜までまだ時間はある。調査の続行をすべく、足を踏み出した。
 最初の一歩。
 床に足裏が着く前に、吉野の背が粟立つ。冷や汗が背中を伝う。巨大な力がその背を見つめている。
 ゆっくりと振り返った吉野は、そこに一人の男が立っているのを見た。
 その視線、迷うことなく吉野に向けられている。闇纏いを行っている吉野をだ。
 注意を惹かぬように何気ない様子で、使用人を模した服のポケットに手を差し入れる。すぐに触れたカード。それを強く握りしめた。いや、この場に相応しいのは携帯電話か。
 難敵を前にした剣術使いの矜持を抑え込み、かすかな迷いと共に、じりじりと後退ろうとする吉野。
 男の周囲の空気がたわむ。
 迷いの時間は断ち切られた。すかさず起動した吉野は剣を構えるが、それまで。続けざまに襲い来る衝撃波に翻弄された吉野は、床に崩れ落ちた。倒れ伏し、霞む目で見たのは、男がインターフォンに手を伸ばす姿だった。

 夜を迎え、門の前に立つ能力者達。全員の顔に焦燥が浮かんでいた。
 吉野の失踪。
 日の高い内に猫の姿のまま外に出た静が、吉野の姿が消えたと告げたのだ。洋館の内部をくまなく探した結果、ただ一カ所を除いてだが。それを告げた静は洋館へと舞い戻っていた。
 外へと出た形跡は無かった。
「行こう…二人を救うために」
 叢の言葉が苦い。親娘ばかりでなく、吉野の身も助け出さねばならない。仲間を見捨てる選択肢など無かった。
 再びのチャイム。だが、今度は返答も無く門は開いた。静が手はずに則り開いたのだろうか、あるいは吉野が……。
 どちらにしても、進むしか道は無い。用心深く、洋館へと至る瀟洒な小道を行く。手入れは行き届いていたものの、月光照らし出す庭は銀に包まれ、寒々しさを醸し出す。昼の陽光での有様とは一変した様子に、一度足を踏み入れているはずの鈴は驚きを感じていた。同じ思いなのか、瑞希と叢もしきりと周囲に視線を巡らせていた。
 予想に反して、いや予想通りというべきか。玄関のドアもあっさりと開く。
 ホールで出迎えたのは静と沙樹の二人。
 事情を聴こうとすいひが静に目配せするが、返答は首を横に振るだけ。沙樹の側を離れた静は、仲間達に意外な事実を話すのだった。

 仲間達を招き入れる為に、沙樹の部屋に踏み込んだ静だが、そこには沙樹ばかりでなく、その父親の姿まであった。リビングデッドを前にして、自然と静の身体が強ばる。一対一での遭遇。戦いとなれば明らかにリビングデッドの方が上回る。しかも、一般人である沙樹が同席しているのだ。
 逃げるべきだ。
 瞬時に判断した静が、身を翻そうとした時、声が掛けられた。
「待ってください」
 消え入る様な声だったが、沙樹の言葉は静に届く。
「何かお話しがあるのでしょう」
 頷く静。それに追うように口を開こうとした沙樹を静は留めた。
「仲間がいるんだ」
 沙樹の視線が父親へと向けられる。かすかに頷く男に、沙樹は音も無く立ち上がった。

 顛末を話し終えた静。
 すいひ、レアーナそれに凜に沙樹の視線が向けられていた。
「昼に来られた方々ですね」
「お父上の御身体について大事なお話があります」
 繰り返されるすいひの言葉。しかし、今度は拒絶ではなく、承諾が。沙樹の首が縦に振られる。
「お聞きいたします」
 沙樹が背を向け、歩き始めた。
 招き入れられたのは、沙樹の自室ではなく、応接室だった。もちろん、父親の姿はない。
 紅茶を入れたカップを配る沙樹に、謝罪の言葉を贈り、レアーナが言葉を続けた。
「最近お父上に起った変化…貴女の血を求める様になったその理由を、お話します」
 テーブルに置かれようとしていたカップが一瞬止まり、中に波紋が生まれた。吉野の事を尋ねたい、そんな思いを押しとどめ、レアーナは震える沙樹の手を見つめていた。
 全てのカップを配り終えた沙樹が、ソファーに身を沈める。その姿からは、どこか痛々しいものが漂っていた。
 意を強くしたレアーナが、語り始める。人は死んで、時としてリビングデッドとなる事。それは生者ではなく死者であり、愛する生者の血肉を求め、最後には理性を失い、その全てを喰らい尽くす事を。
「このままではあなただけではなく、多くの人が犠牲になる可能性があります…お父様に娘殺しの罪を犯させない為にも、どうかご協力をお願い致します」
 最後とばかりに、凜が口を開いたきり、全ての者が口を閉ざした。その沈黙を破ったのは沙樹。
「……やはり、父は死んでいるのですね」
「やはり?」
 沙樹の言葉にすいひが首をひねる。疑問があって当然のはずで、そのために応える術も用意していた。沙樹の様子には、どこまでも違和感がつきまとう。だが、それに構っている事は出来ない。吉野の身も心配であり、すいひは答えを求めず、言葉を続ける。
「確認のためにもお父上に会わせてください」
「私も同席します。よろしいですね」
 有無を言わせぬ口調。儚げなその姿、どこにそれだけの力があったのかと、そう思わせるだけの強い言葉が沙樹から発せられる。
 全員が頷くしかなかった。

 重厚なドアが沙樹の手によって開かれていく。沙樹の部屋ではない事が、静によって皆に告げられた。どうやら父親は沙樹の部屋からこの自室へと移動していた様だと。
 客への配慮か。その訪問を予想してか、普段は暗闇に閉ざされているだろう部屋には、小さな灯りが用意されていた。その灯りの揺らぎに照らし出され、男が部屋の中央に立っていた。
 影が揺らめく中で、男が部屋の一方を指差した。
「お前達の仲間か」
 全員の視線が、男の指差す方へと向けられる。そこにはベッドに横たわる吉野の姿があった。
「……ごめんね、みんな」
 身体が痛むのか、弱々しい声で詫びる吉野。駆け寄った鈴が、手早くその身体を調べた。命に別状はないようだが、重傷だと鈴は皆に告げる。
 仲間を傷つけられ、能力者達に戦意が沸き立つ。
「客人を傷つけた。非礼を詫びる」
 男は力の加減が出来なかったのだと、言葉を続け、さらに驚くべき事を告げ、戦意を払拭した。
「最初、沙樹はその娘の姿を見る事が出来なかった。しかし、私には見えた。つまりはお前達の目的はこう言う事だろう。私もお前達も人外の存在だと」
 男は自分がゴースト、既に死した存在であることを容易に認めた。それは吉野の闇纏いが功を奏したようだ。ベッドの上では吉野が苦しげに、瞼を閉じて皆に頷きかけた。
「二度目の死か。それも良かろう」
 父の言葉に沙樹が寄り添う。その腕に縋り、父親を見上げた沙樹。
「お供いたします」
「何か違うと思うんだよ。上手く言えないけど…」
 ベッドの側を離れた鈴が、ぼんやりとした表情で言葉を呟く。男がその言葉の先を促すように、視線を鈴へと向ける。
「いくら好きでも相手が死ぬからって一緒に、なんて言うのは。それにお父さんもお父さんだよね」
 鈴は、父親ならば、子供には生きていて欲しいと願うはずだと。何故、一緒に死のうとする娘を咎めないと。
「ならば、私の死後、いや、果てた後に誰がこの娘を守るのだ」
 男が優しく沙樹の髪を撫でる。「誰もいまい、ならばの事……」と言葉を続けようとするが、それを遮ったのはベッドの上の吉野。
「沙樹さんには、長い人生があります。辛いことも、嫌なこともあるでしょう。ですがきっと、幸せを見つけることだって出来るはずです。あなたが大切に育てた、立派な女性なのですから」
 その言葉に、リビングデッドの顔が綻んだ。感情をなくしていく、何一つ楽しい事など想像し得ないはずのリビングデッドが薄く笑ったのだ。それを認め、にっこりと笑った吉野は、全ての力を使い果たしたのか、その身をベッドに沈めた。
 男が沙樹の指をそっと解く。
「私の命が果てる時、お前はどうするか」
 その問いかけに、答えようとした沙樹を男は遮った。
「今がその時だ。自分で答えを選べ」
 男は、とんと娘の身体を押し出した。よろめく身体をレアーナが受け止め、優しく抱きしめた。
「貴女が望む、彼と供に果てること…その想いを遂げる事は既にできません。だからせめて、お父上が正しい輪廻へと還るのを、見届けてあげて下さい」
 沙樹の耳元で囁くレアーナ。その言葉が沙樹に届いたのかどうか。沙樹はじっと悲しげな目で父親を見つめるばかり。
「これからは、沙樹が私と共にあるのではない。私が沙樹と共にあるのだ」
「お父様……」
 父の最後となるかも知れぬ言葉。沙樹をそれを噛みしめる。
「やってくれ」
 男の言葉に頷き、前に進み出たのは叢。
 最後の時を見せまいと、レアーナと鈴が沙樹を外へと連れだそうとするが、それに抵抗し、力の限り二人の手を振りほどこうとする沙樹。
 ドアが閉まる、重い音が沙樹が外へと出た事を告げた。それを聞いた叢がガラスの剣を振り上げた。小さな灯火が透明な刃を煌めかせる。
「しくじるな」
 当然とばかりに男に頷き返した叢。
「…わかった。…すまない」
 何に対しての詫びなのか。沙樹への、その父親への謝罪。どちらとも知れぬ言葉と共に叢は一刀を振り落とした。

 部屋の中央では、沙樹が父親の亡骸にすがりつき泣いていた。その背に凜が語りかける。人の死とは、本当の意味での死とは、人の記憶からその存在が失われた時。だから、いつまでも生きて憶えていて欲しいと。
「お父様の事を忘れなくてもいい。想って泣いてもいいんです。でも、生きる事だけは止めないで下さい。そして出来れば、幸せに。…お父様の分まで」
 どんなに辛く悲しくとも、愛した人の分まで生きるしかないのだ。過去を語ろうとはしない凜。
 だが、凜の言葉は重い。
「……あなたも、私も」
 泣き疲れたように、顔を上げた沙樹の前には既に凜はいない。その腕をとったのは瑞希。決して自害しないと約束するまで、この腕は離さないと。
「わたしたちは、いろんな人たちと、いっぱい、ケンカも、してきたけど、サイゴには、仲良くなってきたもんっ! だから……だからっ!」
 続けようとする瑞希だが、涙で言葉がでない。泣きじゃくる瑞希を、沙樹は胸の中に引き寄せた。沙樹の胸が瑞希の涙で濡れる。瑞希の髪も、したたる沙樹の涙で濡れていた。
 その姿を見つめていた静が呟く。
「貴女が忘れない限り、貴女たちの絆は消えないのだから」
 断ち切られた絆。
 叢はじっと自分の手を見つめていた。
 絆を断ち切った手を。


マスター:河井晋助 紹介ページ
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楽しい 笑える 泣ける カッコいい 怖すぎ
知的 ハートフル ロマンティック せつない えっち
いまいち
参加者:8人
作成日:2010/01/17
得票数:笑える1  泣ける10  ハートフル1  せつない13 
冒険結果:成功!
重傷者:樹・吉野(永訣のサウダージ・b16185) 
死亡者:なし
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