修学旅行2011〜鳳凰堂の戦い


<オープニング>


 古都――この言葉に常に、華やかさのみを感ずる者は幸せである。
 千年を越す歴史有す彼の地は、そのあでやかな化粧(けわい)の下に、戦火と殺戮、陰謀と怨念に塗れた素顔を有す。
 そのことを識る者は、果たして不幸なのか、どうか。

●異変
 京都府宇治市宇治蓮華、平等院という名の寺院の所在地だ。末法思想に怯えた時の権力者が、救いを求めて建立したものだと言われている。しかしときとして強い恐怖は、優れた芸術を産み落とすものだ。庭園の壮麗さもさることながら、度重なる戦争からも災害からも逃れた唯一の堂塔、その名も鳳凰堂は、人類至高の建造物のひとつといっていいだろう。
 静かな夜だった。平等院が経てきた千年の夜でも、もっとも静かな夜だったかもしれない。
 その瞬間までは。
 CDを逆回転で再生したような、不快な音が空気に混じりはじめた。大きな音ではない。されど確実に人を苛立たせるような調子で、しかも不均一のリズムをでたらめに刻みながら、小川に薄墨を溶かしたように着実に流れ込んできた。
 その音に導かれるように、しとしとと、肌にまとわりつく霧雨を思わせる歩みで、白い肌白い髪の集団が姿を三々五々集まってきた。鳳凰堂の灯はいずれも落ちているが、月や星の朧な光の下でも、その集団の白さははっきりと見えることだろう。
 彼らは、ナンバードと呼ばれる抗体ゴーストだった。蝋燭のような肌に白髪、焦点の合わない目をもち、棺桶に詰められた死体のように無表情である。いずれも一様に、一桁の数字を模した黒い刻印を左胸に有していた。たいていの亡者がそうであるように、風に揺れる稲穂のような力なき姿でもあった。だが彼らをその外見で侮る者は、遠からず彼らと同じ運命を辿ることになるだろう。ナンバードは、死亡した能力者や来訪者から発生した存在であり、決して長くないその存在可能期間を、能力者を殺害することによって長らえることができるという。ひとたび『狩り』の対象を見出したナンバードは、かつて彼らに名前と表情があった頃より手強く、より残虐で、より執拗なハンターとなるだろう。それだけ『生』が価値のあるものだということを、彼らがその存命時に学ばなかったことは悲劇といえた。
 ナンバードらはある目的をもって、鳳凰堂周辺を封鎖しはじめた。
 そして彼らが働くその中央を、ナンバードよりずっと不吉な存在がゆっくりと、平等院の前まで歩むのだった。
 その怪人は、遠目から見れば季節外れのサンタクロースのように見えるのではないか。真っ赤なパーカーを着ている。パーカーのフード部分は、動脈血のように赤いクマだ。パーカーの袖と襟に、白い綿飾りがあった。背丈、それに、漏れ聞こえてくる調子っ外れの鼻歌からして、幼い少女のようである。しかし、嗚呼、正面から目にすれば『彼女』は、吐き気を催すような怪異そのものだ。なぜなら顔があるべき場所には、剥き出しの脳がひとつ、取り出したばかりの臓物同様の、てらてらと鈍い光を反射しながら据え置かれているのみだったからだ。ちょうど、クマが自分の口ほどもある脳を飲み込もうとしている姿のようにも、見える。
 無血宰相トビアスは両手で、風呂敷包みの骨董品のような物を抱えていた。
「重いね〜♪ 想いが籠もってるから重い……なんてね〜」
 さして面白くもない冗談に一人でクックと笑みつつ、怪少女はこれを、よちよちとした足取りで運んでいた。鳳凰堂の前面、『阿字池』と呼ばれる閑かな池に到達すると、トビアスはこれを、ぽんと投げ捨てた。
 水音が上がったがそれもわずかな時間のことだった。水音の余韻をかき消すように、ぶくぶくと池が泡立ちはじめたのだった。彼女のどこに目があるのか、それは誰にもわからない。剥き身の脳のどこかにある視覚器を細めるようにして、続くものを彼女は待った。
「出ておいで」
 ぶよぶよの脳の一部からトビアスが呼ばわると、その声に応じて、次々と池から人魚が這い出てきた。絵本に出てくる人魚は脚が魚だが、こちらの人魚は顔が魚だ。いずれの獣人も体に比して大きすぎる目で、ぎょろぎょろと周囲を睨め回していた。
「そっちも、準備はオッケー?」
 クリームたっぷりのケーキを目にしているかのように、トビアスははしゃぐような声を空に向けた。
 すると晴れ渡った平等院の空に突然、怪しい万色の稲妻が光り、その光に導かれるようにして鳥の翼を持った乙女たちが舞い降りてきた。といってもこの乙女は天使の類ではなさそうだ。まず、両翼が生えているのが背中ではなく頭という違和感があった。さらに両手両脚には鱗と爪がびっしりと生え、まるで猛禽類のそれである。全身に赤い焔を帯びており、とりわけ翼を有す頭は、篝火のように盛大に燃えていた。
 トビアスは両腕を振り上げた。脳から表情が読み取れる者がここにおれば、きっとトビアスの、誇らしげな顔を見ることができたに違いない。
「さぁ、時が満ちるよ。現れるのは、さて、何だろうね」
 
●深夜の修学旅行生
「今のは……鳴子の音?」
 彼女は目を覚ました。身を起こし、周囲に眠る級友を起こさぬよう気をつけながら窓に近づいた。修学旅行の宿で『寝ない』のならよくある話だろうが、『唐突に目覚める』のは普通ではないのではないか、そんなことをぼんやりと思った。
「それに、さっき見た光景は……夢? 夢にしては鮮明過ぎたし、必要な情報を誰かに見せられたような……」
 びしゃっ、という魚人の足音、鳥女たちの頭で燃えさかる炎の熱気、それに白い人影の、虚空のような眼差し――ただの夢にしては、そのとき感じたものは現実感がありすぎた。しかし窓の外は、眠る前に目にしたのと同じ京都の光景だ。なんら危険の兆候はなかった。はしゃぎすぎたせいで、生々しい夢を見ただけなのだろう。
 もう一度彼女は眠ろうとした。誰も見ていないのに大きな欠伸をして、寝ぼけていたんだ、と自分に言いきかせる。明日の朝も早い、きちんと眠っておいたほうがいい。
 しかし十五分後、彼女は着替えを終え、密かに旅館の外へ忍び出ていた。
 どうしても眠れなかったのだ。
 そして彼女は、自分が一人でないことを知った。同じ旅館からも、銀誓館一行が分宿している他の宿からも、まるでタイミングを計ったかのように前後して生徒たちが姿を見せた。
「……」
 彼女は声を発しなかったが、他の能力者と視線を交わし、頷きあって南の方角へ駆け出した。
 その夜、宿から、ちょうど三十名の生徒が抜け出したという。
 
 十数キロほどの移動だったろうか、イグニッションを遂げ一途に平等院を目指した能力者たちは、その外周を白い姿が守っていることを知った。中に入ってもらいたくない事情があるらしい。
「ナンバード、か……」
 彼らを知る者が毒づくように言った。やはり夢は真実だったのだ。この場所に今、何かが起こっている、いや、起ころうとしている。
「聞こえませんか、あの音が」
 別の一人が囁くように告げた。等院内から水音が聞こえてくる。それも、かなり激しい勢いで。水中から何かを引き上げているのだろうか、あの音は。
「もしかしたら、いや、きっと……」一瞬、言葉を濁したものの、その能力者はきっぱりと告げた。「水中から引き上げているのではなく、水中から何かが飛び出しているのだと思います」
「見て!」
 声を震わせながら空を指さす生徒もいた。空には、炎のような翼を有す鳥のごとき獣人が何羽も舞っている。ケタケタと甲高い声で、興奮気味に話し合っているように見えた。
「学園にはメールで報告したが」比較的落ち着いている者が言った。「電波障害も発生しているようだ。いつ届くかはわからない」
「今の戦力で、対処する必要があるということか」鋭い眼で問うた者があった。
 とっとと片付けよう、と応えたのは一人だったが、その返事は、ここに集まった全員の意志と合致していた。
「たしかに、急いだほうがいい。朝の点呼に間に合わないと困るからな」
 また別の一人がほんの少し、冗談めいた口調で言った。

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参加者
九曜・計都(隠剣・b25264)
ルイカ・イール(真実の追跡者・b25306)
櫻井・なずな(纏足・b27853)
ロロ・フォルティランス(シルヴァーン・b29003)
月闇・紫陽花(モノクロノツバサ・b36482)
リリア・グラスコロニー(銀翼乃朱雀・b39625)
佐倉・桜(コルシカ忍者と瞬きの周波数・b42861)
風深・翼(幻葬の蒼き硝翼・b43787)
姫宮・恵梨香(セラミックハート・b43793)
アルブレヒト・ビンゲンブルク(若爺様略して若・b44852)
裏賀・五十鈴(飴色の景色・b45418)
十六夜・冷菜(フリージングスフィア・b45501)
白銀・美雪(真なる白・b45941)
セオドア・エフェメローズ(鮮血の貴公子・b47033)
無髪・萌芽(路傍の草・b53356)
一条・望(中学生魔弾術士・b55189)
夜科・涼子(蒼穹の乙女・b55281)
花月・椿(月下に浮かぶは紅椿の花・b59068)
籐村・御幸子(野ばらの花嫁・b59540)
夢見・瑠美那(王港元気娘・b61838)
八雲・氷雨(紅撃白華・b69172)
鳴雪・至大(マネーウォーカー・b71119)
九条・真由(光翼担う者・b71141)
ノーファ・アステローペ(王港吸血仔猫・b71807)
伊吹・詩歌(王港首刎ね兎・b72989)
葛城・摩耶(望む者・b75398)
不破・弥月(奈落の咆哮・b75915)
樹・栞(小学生水練忍者・b76600)
セレスティア・アーレン(高校生巡礼士・b77131)
オリヴィエ・シンフォティア(魔法陣描く金鈴音の魔女・b77441)



<リプレイ>

●一
 空は、致死性の毒液が流れ込んだかのように濃く、重く、深く、その黒みを増しはじめ、細くたなびいていた雲までもが、じわじわと、鳳凰堂を中心とする渦を形成していくかのように見えた。
 或いはこれも夢の続きか――風深・翼(幻葬の蒼き硝翼・b43787)は目をしばたいた。しかしそれはあるまい。目視できる面妖なゴーストの群れ、湿り気を帯びて澱む周辺の空気、そして、戦いが迫るとき特有の、肌を撫づひりひりとした緊張感……紛れもない、これは現世(うつしよ)である。たとえそれがどれだけ、禍禍しいものであろうとも。
(「何が目的か解らんが、厄介な事であるのは確かだな」)
 翼の口元に、我知らず笑みに似たものが浮かんで消えた。
(「……居合わせたのは僥倖と言うべきか」)
 この日この時この場所、彼ら三十人を導いたのは夢であった。比較的女子が多いものの男女混成、学年は不均一で、その得意とするものや信条もそれぞれ異なっている。これだけの人数が同一の夢を見、手綱を取られた若駒のように、この夢によって宇治平等院に連れてこられたのだった。
 多数の銀誓館学園生が京に滞在している現在、並外れて強い感性を有する能力者が、たった三十人しか集まらなかったことのほうがむしろ不思議かもしれない――セレスティア・アーレン(高校生巡礼士・b77131)はそう考えないではなかった。
(「これも運命の糸、ですか」)
 ともあれ今は、その結論にとどめておく他ないだろう。運命はセレスティアを選んだ。選ばれた以上それを受け入れ、異形の企みを全力で阻止しなくてはなるまい。詮索は後だ。現時点、セレスティアの中の旅行気分は一時休眠していた。
 籐村・御幸子(野ばらの花嫁・b59540)は震えていた。あまりに生々しかったあの夢が、紛れなき現実として表出したという恐怖、これが、胃の中を多足昆虫が這い回っているかのような気分を彼女に味あわせていた。
(「さっサチは、きっ気にしすぎるから、気のせいかな? と思ったら気のせいじゃなかった……」)
 小さく震える胸を抱くようにしたまま、御幸子は上目づかいに仲間たちを見やる。
(「こっ怖いけれど、お父さんも皆も一緒……なっなんとか、なるよね?」)
 このとき御幸子は、仲間たちが一斉に移動を始めたのを知った。平等院内部で起こりつつある変事とはまるで対称的な閑かさで、さざ波の如く彼らは歩みを開始していた。
「……さあ、ともにあそこで行われている企みを阻止しましょう」
 軽く御幸子の肩に触れ、白銀・美雪(真なる白・b45941)が告げた。美雪の声は決して大きくなく、囁くような口調であったが、受ける感触は滑らかな絹のようで、御幸子は頼もしさと優しさを彼女に感じた。
「う、うん……がんばるよ、美雪お姉ちゃん」
「……全員で無事に宿へ帰りましょう」
 かすかに美雪が頷くのが見えた。まだ不安はあるも、強張っていた心が少し、ほぐれたように御幸子は思った。そんな御幸子の気持ちをわかっているとでも言うかのように、『お父さん』ことスカルロードの御誠之助が、黒衣をなびかせて彼女の身を抱き上げ、浮遊したまま運んでくれた。御幸子は父の黒衣の裾をキュッと握った。必要なのは勇気、いざというとき気後れしたくない――。
 彼女らのやりとりを見ていくらか、微笑ましいように眼を細めていたアルブレヒト・ビンゲンブルク(若爺様略して若・b44852)だったが、北の橋を踏んだ途端その薄笑みはたちまち消え失せていた。夜目にも白い姿を二つ、朧気ながら目にしたのだ。
 無論まともな人影ではない。ナンバードだ。呪われた抗体ゴーストだ。
「……嬉しくない闖入者ね」
 裏賀・五十鈴(飴色の景色・b45418)は呟くと、橋の欄干にかけていた左手を下ろして右手のブレスレットに触れた。雪の結晶を模したその冷たい輪は、風のない日の湖面のような落ち着きを彼女に与えてくれる。
 こちらの接近に気づいていないのか、あるいは、近づくまで行動する気がないのか、二体のナンバードはいずれも、やや猫背の姿勢で徘徊を続けていた。彼らが強敵なのは言うまでもない。しかしおそらく平等院には、もっと邪悪なものが潜んでいるだろう。
「さてはて、鬼がでるか蛇がでるか……だ」
 独言するとアルブレヒトは懐中電灯を準備し、両手が空くよう腰に括りつけた。五十鈴も同様にし、仲間の大半もこれに倣った。

●二
 彼らの間を生温かい風が吹き抜けていった。妖気の見えざる手に髪を触れられたような気がして、ロロ・フォルティランス(シルヴァーン・b29003)は指先で紫の髪を梳く。
(「変な夢にこの状況……最後の修学旅行に大イベントでやがりますね」)
 そして彼女は仲間たちに呼びかけた。
「さあ、参りましょうか」
 ロロの藍色の瞳に瞬時、刃のような光沢が灯った。
「修学旅行で喧嘩なんて派手でございますね!」
 集結した三十人の能力者、彼らは短い時間で作戦を固めていた。短い時間でせざるを得なかった、というのが正しいだろう。予行演習する時間はもちろん、再検討する余裕すらない。一発勝負だ。後戻りはできない。
 誰が合図したわけでもなかったが一斉に駆け、千年の歴史有する橋を彼らは渡った。
 成立以来数えきれぬほどの戦乱を眺めてきた京の都とはいえ、大きな戦(いくさ)は絶えて久しいものであったろう。この夜の戦いを、人と人でないものの決戦を、いま、都はどのような目で眺めているのだろうか。

 ノーファ・アステローペ(王港吸血仔猫・b71807)もこの夜、渡橋するメンバーに名を連ねている。現在彼女の脳裏には見たばかりの夢が、画質を大きく落として録画したテレビ番組のように蘇っていた。
(「………運命予報、って……あんな感じ……なの、かな……?」)
 時折ブロックノイズのように、ノーファの記憶に奇妙な姿が混じった。それは、赤いフードを被った気味の悪い姿だった。このとき真貴種ヴァンパイアの尊き血が、ノーファの薄い皮膚の下を駆け巡っていた。心臓は早鐘を打ち、熱を帯びたそのビートは、彼女の力の高まりに連動し加速していく。
「……っ!」
 櫻井・なずな(纏足・b27853)の足元に一本の矢が突き立った。ぴいん、と立った小ぶりの矢羽根が、小刻みに振動しているのも見えた。矢はその本体に、薄白い炎をぼんやりと帯びていた。
「抗体兵器……!」
 確認したのではない。目に見えたものをそのまま口で表現したのでもない。この発言は『負けない』という意図を込めたなずなの宣戦布告だ。その証拠に既に、彼女が両手で握る大鎌はその先端まで、黒い燐蟲の群れに覆い尽くされていた。
「全員で朝の点呼に出よう。必ず」
 なずなは大鎌を振りかぶった。蟲の姿は消えていた。ライトに照らされ伸びたその影は、中欧の死神絵を彷彿とさせるものだった。
 敵も動いた。一人のナンバードが調律の狂ったヴァイオリンのような声で叫ぶと、白い姿が結集してくるのが見えた。
 一方で十六夜・冷菜(フリージングスフィア・b45501)は、「さぁて、いっくよぅ〜」と断じるや、七つの守護星を戦場に降ろしている。しかし冷菜のあては外れた。七つの恒星その輝きは、妖しくナンバードらを包むも、目的を果たすことなく消滅したのだ。
「招かれざる客どもが、命を捨てに来たかっ!」
 金物を擦りあわせたような声で叫ぶや、女と思わしきナンバードが一人、槍をしごいて冷菜に挑みかかった。だがその槍の穂先は炎にくるまれ、つづいて彼女自身、白い衣を赤い火で染め、狂ったようにこれを叩き消す事態に陥っていた。
「大事なものは守ってみせるよ。……今度こそ」
 厳然と告げる彼は炎の投じ手、瑠璃の瞳の公子、セオドア・エフェメローズ(鮮血の貴公子・b47033)その人だった。彼の声は囁きの域を出ぬものの、ナンバードの叫び以上に、まっすぐに味方陣営の胸に届いた。
 セオドアたちの第一の使命は、平等院北の正門に突破口を作り出すこと。
 ナンバードとてその目論みは読んでいるのだろう、次々と門の前に立ちふさがり通すまいとし、その壁は連続的に厚くなっていった。ゆえに緒戦の攻防は、この壁をめぐるものという体裁になる。橋を渡りきったその地点、正門前がたちまち戦場となった。
(「なぜ俺達はこの事態に気付けたんだろう?」)
 無髪・萌芽(路傍の草・b53356)の頭に、藻のように絡みつく思いがあった。
(「あの夢、そしてあの音は一体……? ……こんな事は初めてだよ」)
 だが思いに頭を占拠されたままでは戦えない。彼はこれを振り払い、
「俺たちは突入班の後方を守る! 密集体勢を維持しよう」
 と、仮に『残留班C』と名づけられた同チームの四人に呼びかけた。突入すべきメンバーの成否は、ひとえに彼らの手にかかっている。
 萌芽と機を一に、オリヴィエ・シンフォティア(魔法陣描く金鈴音の魔女・b77441)も行動に出ていた。彼女の頭は冴え渡っていた。元々、日中よりも陽が落ちてからのほうが頭脳明晰になる彼女だ。
「せっかくの旅行なのにゆっくり休ませてくれないか……ああもう、自分の夜型を呪いたいわね」
 言いながらもオリヴィエは、科された使命の大きさを理解している。仮にこの一戦、落とすことがあれば、取り返しの付かぬ事態へと発展するという予感もしていた。冗談めかした口調はむしろ気休め、ナンバードが壁を作っているその場所目がけ、暗黒の漫画原稿を撒き散らす。
(「さすがに……」)
 されどオリヴィエは、己の攻撃が無効に終わったのを知った。白い抗体ゴーストたちはこれをものともしなかったのだ。
「周辺警戒してる抗体ゴーストも、すっかり集まってきたようですねぇ」
 と、鳴雪・至大(マネーウォーカー・b71119)の口ぶりには、いくらか余裕が感じられた。幸運の神ビリケンさんが、呼びかけてくれたように思ったあの夢だったが、どうやら儲け話ではなさそうだ。とはいえ、
「しょうがないのでお仕事がんばりますよっと」
 至大の体が舞った。わずかな星灯りを浴び銀の魚のように宙を泳いだ。三日月の軌道を描く彼の跳躍は、そのまま超高速の蹴りへ変化し、ナンバードの腕を避け首筋に、踵落としのように振り落とされた。まさしく電光石火、至大の攻撃が終わらぬうちに、
「はっ、てめぇらが前座ってか。上等だコラ」
 水刃の手裏剣唸りを上げて、不破・弥月(奈落の咆哮・b75915)の手より放たれた。その切っ先が狙うはひとつ、至大が斬ったと同じ敵。弥月の目には見えていた。平等院への道が、はっきりと。
 夜科・涼子(蒼穹の乙女・b55281)の右腕を、鞭握るナンバードが打ち据えた。雪だるまの鎧をまとっていようと、ぴしりというその打擲は一瞬、意識を失いそうになるほどの痛みを伴っていた。
(「さすが銀誓館の修学旅行ですね……枕投げだけでは終わりません」)
 歯を食いしばって苦痛の声が漏れるのを堪えると、涼子は力強く宣誓した。
「今日はちょっと強気で攻めてみますね」
 同時に起こるは氷雪の竜巻、吹雪と呼ぶにせよ過激すぎるうねりが、敵集団の間に巻き起こった。
「皆で、生きて帰るー、です、よ!」
 涼子と呼応とするかのように、伊吹・詩歌(王港首刎ね兎・b72989)が声を上げた。門の守護は堅けれど、なんとかして突入孔を開けなければならない。まだこの戦いは前哨戦に過ぎないのだ。進路妨害になるナンバードめがけ、詩歌は無数の刃でジャンクをかける。挟まれたゴーストは呻きをあげ、白い髪を千々に乱した。この敵は、しなやかな肉体をもつ精悍なナンバードだった。紙のような顔色をしていても、美形なのがわかった。ナンバードは口をこじ開けた。
「貴様ら、こんなことをして只で済むと……!」
「思ってないわ。全然」
 ルイカ・イール(真実の追跡者・b25306)が彼に返答していた。雷弾と共に。
 ギャッという声を上げてナンバードは頭をかきむしった。その顔面に雷が命中したのだ。哀れなゴーストは許しを請うような姿勢で膝を折って倒れた。明滅する雷が小さな帯を四方に伸ばし、すさまじい光景となっている。やがてゴーストの腕は力なく垂れ下がった。麻痺しているのだろう。ナンバードは口から泡を吹き、びくびく激しく痙攣していた。
「突破口……!」
 いちはやくそれに気づいたのは姫宮・恵梨香(セラミックハート・b43793)だった。紅玉の瞳で進行方向を見やる。麻痺した敵を乗り越えた向こう、一直線に駆ければ平等院の園内に入れよう。まだ増援の気配はあるし、一時的に動きを封じただけのナンバードがまた立ち上がるまで間もない。突入するならこのタイミングしかないのだ。
「よし、行って来い! わしらがここは食い止める……!」
 アルブレヒトが声を絞り出した。彼は現在、十二歳前後の少女ナンバードの波状攻撃を受け、二の腕から激しく出血していた。
「この門は、みんなの脱出口として守りきってみせる! 急いで!」セレスティアが呼ばわった。彼女は幻影兵たちを率い、骨侍のヤサカにもアルブレヒトへの助太刀を命じながらの活躍である。
「了解した。かたじけない」助走をつけるや、ぱっ、と、麻痺したナンバードを九曜・計都(隠剣・b25264)は跳び越した。ウルフシャギーにした黒髪を巡らせ、計都は着地するや突入班の仲間を呼ぶ。ぎらりと輝く刀身を灯火のようにして彼女は掲げ、門から平等院敷地内に飛び込んだ。
「あの奥……」
 月闇・紫陽花(モノクロノツバサ・b36482)が続いた。ここから見える深夜の平等院は、背筋が寒くなるほどに美しく、かつ、恐ろしい。
「……碌でも、ないこと……を仕出かし……ているような、感じ………ですよね」
 だが迷わない。クロスボウでナンバードの接近を牽制しながら、紫陽花も闇の籠る平等院に立ち入ったのだ。同じく翼、さらに夢見・瑠美那(王港元気娘・b61838)も随伴していた。
「がんばろうねっ。それに絶対、朝の点呼には間に合わせよう♪ 真由ちゃん」
 着物の短い丈を翻し、瑠美那は九条・真由(光翼担う者・b71141)を振り返った。
「は……はい、です……」
 真由は行く手に、闇色の塊が待ち構えているような気がしていた。真っ黒で柔らかな気味の悪い塊……しかしこれを浄化することこそ、能力者の義務であり宿命なのだ。逃れるつもりはない。「必ず、有用に使って見せます……この力」意を決し門から飛び込みながら彼女は呟いた。能力(ちから)を譲ってくれたあの人のためにも、躊躇したくなかった。

●三
 計都らに後れを取ることなく、佐倉・桜(コルシカ忍者と瞬きの周波数・b42861)をはじめとする五人も、平等院内部へと歩を進めていた。
「……何とも面妖なのです」
 桜は眉をひそめた。
「修学旅行の夜に寝ていたなんて! そんな自分が信じられません! という冗談はさておき」
 桜は話しながらも、その足は駆ける速度を落としていない。彼らが定めたのは電撃作戦、いち早く鳳凰堂へ到達することこそが目的だ。
 しかし快進撃は続かない。胸にホイッスルを下げた桜のチームメイト、一条・望(中学生魔弾術士・b55189)は息を呑んだ。
「そう簡単にはいかないか……!」
 望の眼前、桜の真横、あるいはロロの傍ら、そのほうぼうに、魚類特有の無表情な顔を持つ獣人が立ち、粗末な三又の槍を手に醜悪な声で唸っていたのだ。
「まだ出てきます」
 花月・椿(月下に浮かぶは紅椿の花・b59068)が示したように、池からも新手の魚人が首を出している。魚人は大きく口を開けるや蛙のような脚力で跳び出し、びしゃりと地に降り立った。これに刺激を受け興奮したのか、いずれも魚人もぎゃあぎゃあと不快な声を発しはじめていた。こうなっては突入メンバーとて足を止めざるを得ない。
「……ったく、上もかよ。放っておいてほしいんだよなホント」
 八雲・氷雨(紅撃白華・b69172)は空を仰いだ。頭や背中、あるいは両腕に火炎を帯びた半裸の女性型獣人が、頭部側面の両翼をバサバサはためかせながら舞い降りてくる。美女とは呼び難いしむしろお近づきになりたくない容姿の鳥女たちだ。いずれも両手と両足に、猛禽類を思わせる鉤爪を鈍く輝かせていた。
 一部の魚人と鳥人は、門を守るナンバードに合流すべく北を目指したが、残った数も少なくなかった。いずれも敵意を剥き出しにし、少しずつ包囲の輪を狭めてくる。
「門を突破してもこのざまか……どうする?」
 黒と白に染め上げられた両手のグローブを打ち鳴らして氷雨は問うた。
「ずいぶんとまあ、鬱陶しい連中でやがりますね」
 ロロは両腕を交差させた。その左右の手に握ったナイフには、魚人の目玉と、鳥人の炎とが映りこんでいた。
「かくならば突破するまで! というわけで……」
「リリアちゃんたち偵察班はここを避けて先へ進んでください」
 椿がロロの言葉を継いだ。
「心配ご無用、これくらい蹴散らしてみせます」
「うんっ!」
 リリア・グラスコロニー(銀翼乃朱雀・b39625)は力強く応じた。迂回ルートを見出し、自分と同じ偵察班メンバーに呼びかけながら馳せた。
「行こう! ボクたちはボクたちに、託されたことを果たすんだよう!」
「悪いけど……お願いね」
 と、恵梨香、さらに、
「とにかく何やってるか確認します!」
 きりりと眉を怒らせ、葛城・摩耶(望む者・b75398)も応じた。それにとどまらず彼の得物『花虹の護剣』は、一閃し魚人を威嚇していた。
 摩耶に連携、樹・栞(小学生水練忍者・b76600)は手早く足をかけ、一歩引いたばかりの魚人を転倒させた。どっと無様に転ぶ獣人に「邪魔はさせないの!」と言い残し、栞は栗鼠のように俊敏に仲間たちに続く。
 ギッ、と獣人は色めきだってリリアや恵梨香を追おうとしたが、これが逆に、他の突入班メンバーの先手を許す結果となる。散々に切り込まれ獣人はますます浮き足立ってしまった。

●四
 胸に数字の刻印を持つ存在、ナンバード。存在時間を延ばしたい、その一念だけで能力者の命を奪わんとする彼らの姿は、おぞましくもどこか悲しく、一抹の滑稽さを併せ持つものだった。なぜなら彼らの『生』は、命あるものたちのそれに対するカリカチュアに過ぎず、喜びも幸せもない代わりに虚しさと苦しみにばかり満ちたものにほかならないのだから。
「命を寄越せェ! お前の、血ィ、肉ゥ、魂をォ!」
 生きている頃は愛らしい少女だったのかもしれない。白髪をポニーテールにした小柄なナンバードが、レイピア風の剣で小刻みな突きを繰り返してきた。
「テメェ、それが人にものを頼む態度か!」弥月が怒鳴り返した。
「頼んでなど……」
 少女ナンバードは牙を剥き、弾丸のように飛び出すと短刀で弥月の心臓を突き刺した。いや……突き刺したはずだった。
 しかし少女が捉えたのは霧が生み出した分身に過ぎない。
「頼むんだよ!」
 逆に弥月の手裏剣が、彼女の膝をぶち抜いていた。
「這いつくばってな!」
 その言葉通り、膝を貫通されてバランスを失ったナンバードは、弥月の前に土下座するような格好で地面に崩れ落ちた。こんな年齢の少女にもかかわらず耳を疑ってしまうような毒づきかたをするナンバードだったが、その舌はすぐに凍り付いてしまった。舌以外の体と同様に。
「なんとか一体、撃破ですか」
 肩で息をしながら、涼子は額の汗を拭った。タイミングが良かった。涼子の巻き起こした猛吹雪がナンバード少女を氷の塑像に変えたのだ。ほどなくして氷像は砕け散り、そこにナンバードが存在していた証拠は小さな水溜りのみとなった。
 一方で至大も善戦していた。
「数字付きって、なんかかっこ悪いですよね。それで満足だったり?」
 とナンバードを挑発し、彼らが平等院内へ回るのを防いでいたのだ。無論、挑発の代償は少なくなかった。至大の頭にかけたサングラスは両眼とも砕け、彼はさらに肩口に一刀、膝に二打、両腕には数えきれないくらいの手傷を負っていた。心臓や首に致命的な打撃を受けていないのは僥倖ではあるが、その幸運もいつまでつづくかは判らない。
(「楽じゃないですね、実際……」)
 それでも彼の口元には笑みがあった。たとえ死ぬ時ですら、笑みを絶やさぬ自信が至大にはあった。
 しかし至大は一人ではない。
「……ご無事……ですか……っ?」
 同じように厳しい状態にありながら、ノーファには彼を気遣う体力が残っていた。ノーファは脚を延ばしコンパスのように、夜空に銀の三日月を描いた。それは牙(ファング)、斬撃の軌跡だ。ナンバードを退け、獣人に対しても威嚇となる。
 ぴったりとノーファと呼吸を合わせ、詩歌も連携攻撃を見舞う。散らばった石が棘を生やし、強烈な圧力となって敵一体に襲い掛かり挟んだ。さすがかけがえのない親友同士、ノーファと詩歌のコンビネーションは、戦場を何度も鮮やかに彩っている。
(「大切な親友も一緒にいるから、頑張れる、のです……!」)
 詩歌はちらりとノーファに視線を向けた。ノーファも短く視線で応じた。そして二人は弥月、涼子、至大と並び、奪取した門を守るのである。

 突入班が入っていった門こそ、次に突入班が脱出する際の退路――すなわち作戦全体の生命線であることを、同じく残留班のルイカも理解している。
「The arrow of thunder、To give a great shock!」
 放電の作用でルイカの蒼い髪が、ふぁさっと左右へ浮き上がった。踊る髪はさながら波濤、ならば飛ぶ雷光は、これを突っ切る高速艇か。雷は空中の鳥人に衝突し、哀しげな鳴き声を上げさせた。
 しかし獣人も並みの敵ではなかった。ぐんと高度を下げ前衛陣をかいくぐると、ルイカの肩口から鎖骨、さらには胸の膨らみにかけてを深く抉った。血が霧のように上がり、彼女は片手を地面についた。さらに別の鳥女が、とどめを刺すべく降りてくるも、
「わしを無視するとはいい度胸じゃ! フライドチキンにしてやろうか!」
 指一本が子ども一人分ほどある真っ黒な手が音もなく伸びて、砕いた黒曜石のように鋭く黒い爪で鳥を強打した。鳥女は悲鳴を上げた。着地して身悶えする。
 影の手はルイカのチームメイト、アルブレヒトによるものだった。彼はニヤリと歯を見せて笑った。
「おっと、毒入りチキンは勘弁じゃな」
 鳥獣人の胸には紫色の傷跡が残されていた。毒が回ったのだ。
「……ご無事ですか。気を確かにもって」
 ルイカの前にかがみこみ、美雪は彼女に白燐の癒しを与える。白燐蟲は主に相手の武器にまといつくのみだが、そこで生じるエネルギーの流れが、結果的に武器の所有者に生命力を分け与えるのだ。このときも、美雪の蟲は望み通りの効果を発揮していた。
 美雪の邪魔はさせまいと、スカルロードが浮遊して敵を遮っていた。
「お父さん……頼んだよ……」
 サチも頑張るから、と、御幸子は父に誓って、エンゲージリングから光を放つ。神秘主体の射撃だ。御幸子の放った光は鳥に向かい、さしたる被害は与えずともその接近を防いでいた。
 スカルロード同様、骨の侍が剣をふるう。ヤサカだ。セレスティアにとってはかけがえのない用心棒であり相棒である。
「技の出し惜しみは不要! 全力で!」
 セレスティアは相棒を励ましながら、自身も兵団を招集し味方の守りを固めるに余念がなかった。
「幻の勇士たちよ我等と共に敵を討て!」

 すべてのナンバードが門前に集結したらしい。攻勢がぐっと強まった。
 ここが堪えどころ……なずなは緊張し唇を噛みしめていた。血が出るほどに。
 伸ばしたなずなの両肘に、処刑の刃が飛び出した。見ているだけで寒気がしそうな回転鋸である。可聴音を超える範囲含む甲高い音波を発しながら鋸は超高速で回転した。
「たくさんいるから遠慮はいらないね! ほらっ!」
 処刑人の恐ろしさ、なずなはこの状態で竜巻のように魚人、ナンバードのいる地点に飛び込んだのだ。魚の鱗だろうとナンバードの前髪や皮膚だろうと、遠慮呵責なく刃は切り裂いた。白い親指が飛び、苦痛の悲鳴が続いた。
「さらに、いっくよぅ〜」
 連携成功。間髪入れず、冷菜の無慈悲な地獄が口を開ける。普通の地獄は炎熱の世界だが、この地獄は氷雪をテーマにしていた。駆け抜ける冷菜のブリザードは、一匹の魚人をたちまち冷凍魚にしてしまった。
 しかしこの連携成立が、わずかな隙を生み出してしまったことは否定できない。
「密集すると危険です!」セオドアが叫んだがやや遅かった。ナンバードの一体がなずなの鏡像のように、両肘より刃を発しスクリューじみた回転撃を放ってきたのだ。着地直後のなずなはかわす術を持たず、激しく背中を切られ、冷菜も無事では済まず太腿から熱い血を流す結果となった。さらにはオリヴィエも、比較的軽傷だが腰に一撃された。
「あ痛たた……結構やるわね。さすがは……!」しかしオリヴィエ、まるでこれを待っていたかのように、「怪我して旅行に戻るとしたら、どういう言い訳をしたらいいかあんた考えてくれるっての!?」と言い放つや、逆襲すべく資金距離から、発射した自分も仰け反るような特大の炎の弾を放射した。
 火達磨になったナンバードが逃げようとする。入れ替わりに別の大男のナンバードが、冗談のように大きな戦斧をふるいオリヴィエの背を砕こうとしたが、
「そういうのよくないと思うな。踊って反省してもらおうかな?」
 軽やかなステップとターン、これは単なる歌の添え物ではなく本物のダンスだ。ブロードウェイでも通用しそうなレベルの高いパフォーマンスで萌芽が敵を踊りに誘った。するとなんということ、燃え盛るナンバードは火に包まれたまま、大斧のナンバードはこれを振りながら、萌芽のダンスに参加したではないか。
「死の舞踏の幕引きはやはりダンスで」さらに踊りの輪に加わる者があった。「といってもこちらは輪舞曲(ロンド)だけどね」セオドアだ。崩れかけた陣形を立て直すべく前衛に移動しつつ繰り出す。よく研がれた殺戮のロンドを。
 火に包まれたままのナンバードはこのとき、シュッ、という音を立て頸を刎ねられていた。

●五
 戦力の半分を門にとどめ、残る半分で平等院を目指す――これが彼らの選んだ戦略だった。攻めるにはやや積極性に欠ける策という見方もできようが、平等院で発生している怪現象の正体を確かめる、という主目的をかなえるためには出色の良策であろう。そもそも今回のように運命予報のようなはっきりした道しるべがない中、無謀に全員突撃でもしようものなら、彼我の戦力比が敵方有利だった場合全滅する恐れがあった。また、退路を確保する人員が少なくても、やはり袋の鼠になっていた可能性がある。考えうる最良に近い選択だったのではなかろうか。
 突入チームをさらに三組の小班に分け、それぞれに目的を有した行動をとらせるという方針も、特に速度の面で有利に働いた。ほぼ敵の攻撃を受けぬまま、うち一組が素早く、鳳凰堂にたどり着いたのである。

「平等院の『宝蔵伝説』は聞いた事があるわ」
 平等院の扉に手をかけ、恵梨香は仲間にだけ聞こえる声で告げた。
「時の権力者の集めた秘宝の数々……その中には酒呑童子、玉藻前、そして鈴鹿山の大嶽丸(おおたけまる)といった大妖怪たちの遺骸もあったとか……」
 大嶽丸――伝説上の征夷大将軍『藤原俊宗(幼名田村丸)』によって討伐されたという悪鬼の名である。三本の宝剣を用い神通力を操り、一度死しても蘇ったなどの伝承を残すが、いわゆる表の世界の歴史では、ただの物語の題材とされている。
 しかし銀誓館の能力者なら知っていよう。酒呑童子は実在し、玉藻前こと金毛九尾もまた実在した。それでどうして、大嶽丸を空想上の存在と呼べようか。
 酒呑童子は討たれ、金毛九尾は大陸に逃れたとはいえ、その記憶は生々しい。かの二者が有する圧倒的な存在感、それに似たものを彼らは肚の底に感じていた。
「静かですね……」
 摩耶は詠じるように述べた。外の戦いが嘘のよう。暗い平等院内部は、音の一切が消えうせたような静寂に沈んでいた。話す声すら、柱や天井、床に吸い込まれていくように彼は思った。
「気を付けたほうがいいよね」
 寒気すらしてきて、リリアは両肩を抱くような仕草を取った。平等院外部で感じたのとは、また異種の不吉さが漂っている。
 彼らの会話を聞きながら、恵梨香は頭の中を整理していた。つい数十分、せいぜい一時間前みたばかりの夢が、遠い過去の出来事のように思えてくる。
(「例の赤フード……あれがトビアスだとすれば、宝物殿に眠る強力な存在の復活や、メガリスの奪取を狙っているんじゃないかしら……仮にこの予想が的外れだとしても、アタシたちにとって嬉しくないことには違いない。なんとしても阻止しないと」)
 恵梨香の鋭敏な感覚が、奥に進むにつれ強力なアラームを発し始めた。もはや、敵が潜んでおり危険といった段階ではない。生命が危ういと警告する内容だ。頭の血管が収縮し、鋭い痛みすら感じた。吐き気がする。『引き返せ!』と理性が告げている。許されるのならば、回れ右して逃げ出したいとすら思うようになった。このときふと、丸眼鏡をかけた親友の顔が恵梨香の脳裏に浮かんできた。そして、もう彼女と会えないかもしれないな……と考えている自分に恵梨香は気がついたのだった。それはつまり自身の中に、引き返すつもりはないという決意ができているということ。
「そこにいるのは……誰!?」
 五十鈴の声が、恵梨香の黙考を破った。
 五十鈴は自らの声が震えているのが判った。声だけではない。指先も、蝶の羽ばたきのように不可視の振動を続けていた。
(「まともな存在じゃなさそうね」)
 恐怖は無論だが嬉しくも思う。おそらく自分は、生ける伝説を目の前にしているのだ。
 のっそりと『そいつ』は姿を見せた。
(「あれが……」)
 一見しただけで栞は確信した。
(「大嶽丸……なの」)
 天井に頭がつくほどの巨体、雄牛のような胴と足腰に、首のないでっぷりとした頭が乗っている。頭頂には二本の角があり、上を向いてそそり立っていた。肌は紫に近い赤で、暑いのか酷く汗をかいておりしとどに濡れていた。鬼が歩むたび、諸肌脱ぎの上半身では弛んだ肉がブヨブヨと波打つ。下半身のズタ袋のような着物から見える足は巌のようだった。そして顔は……まさしく鬼、見るだに恐ろしい乱杙歯がのぞく口に、曲玉を斜め上方につり上げたような目、憤怒の表情も直視に堪えない。
「ヤツの狙いが判りました!」
 摩耶は抜刀していた。
「これほどの大ゴーストを、トビアスの戦力にするわけにはいかない! ここで倒しましょう!」
 摩耶の刃の光が気に入らなかったのか、それとも単にそういう性質なのか、ウウ、と唸った鬼――大嶽丸は、両手それぞれに二振りの剣を構え、風車のように腕を回転させた。途端、風速六十メートルをも超える突風が吹いた。
(「あっ」)
 と思ったときには恵梨香も、この風に吸引されていた。そう、大嶽丸の起こした風は、彼らを吹き飛ばすのではなく、引き寄せる力を有していたのだ。柱の一つに必死でしがみつき恵梨香は見た。摩耶が吸い寄せられて死の風車に巻き込まれ、ボロ布のようになって鬼の足元に落ちるのを。彼がぴくりとも動かなくなったのを。
「こんなことで……やられる訳には……」
 風に乗って五十鈴は飛んだ。こうなっては陣形も何もあったものではない。むしろ大嶽丸の得意技の裏をかくべく風に乗って急迫、凄まじい風に髪が煽られ視界が消失するなか、彼女は雪滴のブレスレットをした腕から、別離の意味もつ指先を突き出して挑んだ。だが指は届かず、五十鈴もまた刃の餌食となった。実力差がありすぎるのだ。この少人数で切り結んで敵う相手ではない。
「なんとしても情報を持ち帰るの……!」
 柱に隠れ敵を窺いつつ栞はリリアを見た。
「仕方ないよね……こうなったら」
 やはり柱の影、リリアはその視線を受け、恵梨香に目線を流した。
「決行するわ」柱を抱きながら恵梨香はリリアに頷き、栞に顔を向けた。
 最初に動いたのはリリアだった。
「甘く見たら泣きをみるよっ! 確実にっ!!」
 リリアは脚を上げ全身全霊の蹴りを鬼に放った。しかし鬼はこれを巧みな剣さばきで凌ぎきり、彼女を餌食にすべく地鳴りのような声で吼えた。
 だがこれが狙い、瞬間、栞と恵梨香はまったく別々の方向へ逃走を開始している。どちらかが脱すことができればそれでいい。ここは一人でも生き残るべき、そして仲間にこのことを伝えるべき、完全決着は後日でも構わない――それが彼女らの判断だった。
 必死で走りながら栞は合図の笛を、長く連続、短く連続、交互に吹いて撤退と応援要請を行うた。
 一方、恵梨香は柱の一つに背を任せ息を吐いた。大嶽丸の姿はない。鬼は栞を追ったのだろうか……と思ったのもつかの間、その柱はマッチ棒でできているかのように、中途からぼきりと砕けていた。
「……っ!」
 鬼が柱に手をかけ、これをへし折ったのだった。
 鬼の姿は出現時より、いくらか大きさを増したように見えた。

●六
 最初の包囲網は必死で突破した。
 そして、そこから銀誓館の大躍進が始まったのだ。ナンバードに守られた内部の敵はよもや、このような奥部まで能力者が電撃戦を仕掛けてくるとは思っていなかったのだろう。鳳凰堂への中途で出現した獣の衛兵たちは、完全に能力者のペースに呑まれていた。
「油断大敵ですっ!」
 急進する椿が中段に横薙ぐ。剣の軌跡は扇形に展開された。これに対しろくな防御も取れず、魚人は慌てて両手に三つ叉の矛、握って水平に突き出すも、剣尖はその両肘の下を軽やかに奔っていた。軽やかなのはその動きに過ぎない。その破壊力切れ味たるや絶大、魚は舌を出して地に転がった。ぱっくりと切られたその傷が、腹に開いた口のようにぱくぱくとしていた。
「消し飛びなさい!」
 そこに電光剣が一刀、桜の剣だ。矛を杖がわりに立とうとした魚人はこれを真正面から喰らって頭を割られ、どうと崩れ落ち泡状になって消滅した。
 もう鳳凰堂は眼前だ。灯火に照らされるそのたたずまいは暗く、その一方で近寄りがたいような濃い妖気を放出していた。しかし彼らの連携はこれで終わらない。
「ほらほらそこの鳥さんも、ぼやぼやしてると後ろからバッサリってやつですかね!」
 やはり能力者の出現に右往左往している鳥人の、背後下方よりロロが伸び上がった。サーカスの曲芸師のような二回転半、ただし曲芸師はトランポリンを用いてこれを行うのだがロロは自らの脚力だけでこなしていた。跳躍しながら彼女は一閃する。足首を真っ直ぐに、二本の脚を時計の針のように。一閃は三日月の形を描き、そのままの形で鳥人は羽毛とその下の肉を抉られていた。
「燃やして焼き鳥にしてやりたいところだが」
 連携、氷雨がロロに呼応した。
「あいにく冷たいのしか持ってない。悪ぃな!」
 氷雨はその名の如く冬の冷たい雨のように駆けるや、高度を落とした鳥獣人に指先を突きつけ、これを砕ける定めの氷像へと変えたのだった。
「笛の音が聞こえなかった!?」
 このとき望が怪訝な表情をした。どこかから鋭い笛の音がしたように思ったのだ。白いファンガスを飛ばし、もっと『聴く』かどうか迷うもつかの間、望に選択の余地はなくなった。
「さてと、また面倒な状況になっちまったみたいだな」
 汗で濡れた額を、氷雨は右手でぺちりと叩いた。既に突破した方向より魚人が迫り、さらに行く手からも同じ群れが姿を見せたのである。生き残りかそれとも増援か、夜空にも燃えさかる鳥人が集まり始めた。電撃戦のショックを脱し、ついに獣人たちは体制を立て直したのだ。
「まだ来るというのなら……!」
 計都は殺気の籠もった視線で周囲を睨め付けた。良き敵、ここで斬り死にしようが悔いぬ覚悟だ。
「待って……下さい……九曜先輩……」
 紫陽花の透き通る目は計都に比べ柔和だが、それは決して脆弱という意味ではない。
「ここで………切り結ぶことが……僕たちの…………本意……では……あり、ません……」
 彼の銀色の瞳には、計都に劣らぬ決意の光が宿っていた。
 桜はうっすらと笑みを浮かべた。
「ここは私たち突入A班の五人に任せていただきましょうか……トビアスさんにすぐに会いに行けないのは残念ですけどね」
 言い終えるより早く、彼女は手にした水刃の手裏剣を、先頭の魚人の目に投じていた。
「トビアスさんによろしくとお伝え下さい!」
「やはりあの笛の音は、敵の大火力で一気に戦闘不能者が出たという合図……!」
 急いだほうがいいよ、と望は言葉を付け加えた。無論、彼もここに残り、突入B班が平等院に向かうのをバックアップする決意だった。
 最前線に躍り出た椿が、防御を考えず両腕の宝剣を翼のように展開した。一瞬、怯んだ敵が左右に分かれそこに道が生まれた。
「さあ、ここを行って下さい! 私たちもすぐに追いつきます!」
「ごめんねっ、みんなっ! きっと合流しようね!」
 猫のように身を躍らせ、椿が切り拓いた道に瑠美那が飛び込んだ。
「……済まん。可能な限り元凶の情報は得る」
 夜の鴉のように翼が続き、さらに、
「感謝……します。きっと、ご無事で……」
 と言葉を残して真由も鳳凰堂への道を辿った。計都と紫陽花もここに加わったのは言うまでもない。
 この決死行の道が拓いたのはわずか数秒程度に過ぎない。たちまち空間に魚人鳥人が押しかけてこれを封じ、魚人は矛で、鳥人は炎帯びた爪で襲ってきたのである。刺され、切られ、たちまち椿の四肢のほうぼうに傷が生じるも、彼女はこれを意に介さず声を張り上げた。
「さぁて、いきますか!!」

●七
 鳳凰堂正面、ぐつぐつと泡立つ池の前に、真っ赤なフードをまとった小柄な姿がたたずんでいた。
 無血宰相トビアスと、人はこれを呼び、この異形の存在自身、その名を名乗っていた。
 剥き出しの脳こそがトビアスの頭であり顔であった。ゆえにその奇っ怪な顔面が、今どのような表情を浮かべているのかは誰にも判断がつかない。
「まさか君達、たった五人で僕を倒しにきたの?」
 池に顔を向けたまま――すなわち、ここに到達した真由らに背を向けたまま、トビアスは言った。
 不意を討つ心づもりだった計都は、とうに接近を悟られていると知ってむしろ大胆になった。歩み出て声を上げる。
「違うな、下郎。勘違いも甚だしい」
 仮にも宰相を名乗る者が、下郎呼ばわりされて喜ぶはずがないだろうが、どこか感情を感じさせない動きでトビアスは振り向いた。露わな脳髄が、にちゃりと粘液のしたたるような音を発する。
「ここにいる五人のみにあらず、平等院内外に寄せた三十人全員が『我ら』だ。仮にその一人でも欠けておれば、トビアス、ここに貴様とまみえることはかなわなかっただろう。見えているものだけで判断するな!」
「それに」
 瑠美那はにこやかに告げた。
「やっつけに来たなんて言ってないよ? 教えて、のーみそくまさん、こんな所で何をしてるのかな?」
 計都、瑠美那の言に何か感じるものがあったらしく、赤いフードの怪人は針で突き刺されたように動きを止めた。畳みかけるように紫陽花が口を開く。
「何か……企んでいることは……容易に、想像が……つきます。絶対に、その目論見を……阻止、させてもらいます……っ!」
 これを聴くやトビアスはくっくと、含み笑いのようなものを洩らした。肩を震わせ、臓物のような脳まで震わせ、いっそにこやかとも思える声音で声を上げる。
「何をしているか探り、更に邪魔をするっていうのが君たちの目的なんだね。……参ったよ。そんな戦略的な考え方ができるなんて、やっぱりギンセイカンの能力者は侮れないな〜」
 明らかに上から目線ではあるが、トビアスの口調は小馬鹿にしているというよりは、純粋に感心しているように聞こえた。
「優勢な敵に対し電撃戦、しかも退路は万全に確保、そのうえで別働隊もあるし、本隊も二体に分けられるほどの柔軟性まである……そうして、可能な限りの戦果を掴み取る計画かぁ〜。世が世なら、天下取りになれた三十人だったかもね〜。ホント、敵ながら天晴れだよ、お世辞じゃなく」
 しかしトビアスの笑いはそこで終わった。怪人は前傾姿勢を取って、浮遊するように近づいて来たのだ。
「でも、どうして、ここが判ったのかな? 運命予報には引っかからないように充分に工夫したはずなんだけどねぇ?」
 これに対する翼の言葉は、鞭さながらにトビアスを打った。ぴしゃりという音が聞こえるほどに。
「……答えるとでも?」
 ちっ、と舌打ちらしきものが、赤黒い脳から返ってきた。
「……そんなに口は軽くないってわけだね。こっちは色々しゃべってあげたのに、厳しいなぁ〜」
 ひゅっと首をすくめるトビアスのポーズは、グロテスクながらどこかユーモラスでもあった。
「けど、まぁ、今回は君たちの勝ちだよ。こんなに場が乱れては完全な復活は無理だからねぇ。でも、これだけあれば実用には充分かな」
 思わせぶりなトビアスの口調に、真由は強い語気で問うた。
「はっきりお願いします。……結局、何が目的だったのでしょうか!?」
「……あれ、わかんないの?」
 ついに一本取ったとでもいうつもりか、無血宰相は鼻歌でも唄うように述べたのである。
「この場所に眠ってるのは、ゴーストだけじゃない。『災い』もまた然り、さ」
「鳳凰堂……災い……」
 紫陽花は反射的にある推論を導き出した。しかしそれは、あまりに荒唐無稽のように思えた――数秒後に起こった異変を、実際に目の当たりにするまでは。
「炎の池だと……!」
 翼は反射的に肘を出し顔を守った。
 鳳凰堂の池が、炎の赤に染まったのだ。色ばかりではない。ガソリンを溜めていたかのように池は盛大に燃え、触れるだけで溶けそうな熱波を送り出してきたのである。夜空を焦がすほどに火柱が立ち、トビアス以外の者はたじろがずにはいられなかった。
「うわっ! あれって、あれって……まさかっ!?」
 瑠美那は見た。
「さぁ、『不滅の災い』をご覧あれ!」
 感極まったような声でトビアスは宣告した。
 炎の池の中から雄大な翼が見えた。美しい鳥類の頭も見えた。これぞ『不滅の災い』。
 瑠美那が認識したときにはもう、燃えさかる炎を帯びて、『不滅の災い』は池から舞い上がりトビアスの頭上の空を、二度も三度も旋回していた。この世のどんな鳥にも似ぬ、されど、なぜか聞き覚えのあるような気高くも麗しい声でその巨大な鳥は鳴いた。それはまるで、蘇った悦びを歌い上げているかのように感じられた。
「もし君達が生き残れたら、皆に伝えなよ。『不滅の災い』によって蘇る古の都の災厄を……」
 トビアスが片手を上げると、グライダーのごとく滑らかに『不滅の災い』は空から降りてきた。
「みんな……っ!」
 そのとき鳳凰堂の扉の一つより、栞が飛び出して来た。
「来るの! 鬼が……!」
 栞の言葉はたちまち証明された。悪鬼大嶽丸が彼女を追って姿を見せたからだ。しかし鬼は栞も、紫陽花らも無視して『不滅の災い』の背に飛び乗った。トビアスがそれに続く。
「さあ行こうか」
 とトビアスが言わんとしたそのとき、真っ赤なフードの背に小さなものが飛びついた。
「猫……?」
 トビアスはきょとんとしたような声をあげたが、その虚脱は一瞬でさらなる驚きに変わった。
 猫が急変、姿転じて計都となったからだ。しかも計都は手にしたナイフをトビアスの背に突き立てていたのだ。
「我が身は、刃にして盾……この人の世を守るためならば、身命を賭してでも戦う覚悟!」
 ナイフは深く、その柄までトビアスの背に突き刺さっていた。さらに計都は抜いて刺し、抜いては刺して滅多刺しにしようとする。
「やってくれるね……この猫ちゃん♪」
 トビアスはいつの間にかレーザーライフルを握っていた。いつそれを抜いたのか、どうやって構えたのかは誰にも見えなかった。
 怪人はライフルの引き金を引いた。胸を撃ち抜かれた計都は、口から赤い血の糸を引きながら『不滅の災い』の背から落下する。
 舞い上がる『不滅の災い』を一同は追うも、計都の身を抱きとめるのがせいぜいだった。
 あっという間に、どんな飛び道具も届かない高度へと炎の化身は姿を眩ませてしまったのだ。

●八
「撤退……負傷者を頼み……ます」
 文字通り満身創痍で、摩耶は門までたどり着いた。彼は全身から出血しているが、彼が背負う恵梨香に比べればまだましだろう。恵梨香は虫の息だった。大嶽丸の攻撃がよほど応えたに違いない。
 五十鈴も這うようにして摩耶に続いたものの、仲間の姿を見て緊張の糸が切れたか、
「……あと、少し……よね……」
 と言い残しその場に崩れ落ちた。それはすなわち、五十鈴が背負ったリリアも地面に転がることを意味する。といってもリリア自身とうに意識はなかったので、痛みを感じたかどうかは怪しかった。彼女と前後して摩耶も倒れている。
「重体のやつだけでもここから逃がしてみせる!」
 弥月は真っ赤な口を開いた。やはり意識を失った摩耶たちを守るべく、ナンバードらの注意を惹こうとする。
「ほら白いの! テメェらはこっちで遊んでもらうぜ。拒否権はねーからなぁ!」
 威勢は良いが弥月とて無傷ではない。いや、むしろ倒れる寸前にまで追いつめられている。ナンバードには底力があった。彼らの連係攻撃は、しばしばこちらのそれを上回ったのだ。弥月の肋骨は何本折られたがもうわからないくらいで、左肩も砕けて感覚が消えかけていた。さらに彼目がけ、ナンバードは杖の一撃を浴びせてきた。脳天に当たったが痛みはなかった。しかし、あっ、と思ったときにはもう、弥月の意識は途切れていた。
(「一番大事なことは退路の確保……」)
 涼子も同様に辛い状況だが弱音は吐かない。誓ったことは死んでも果たす所存だった。それは残留班十五人全員が同じ意志だろう。
 しかれども鉄の意志だけでは、達成できないこともある。
「ごめん……ここまでかも……」
 アビリティを使い切り、オリヴィエはもう限界だった。いや、数分前からとうに限界を突破していた。ここまで保っただけで奇蹟といっていい。ナンバードが巨大なハンマーで彼女の側頭部を撲ったとき、オリヴィエの奇蹟は終わった。彼女は冷たい砂利の上にうつ伏せに倒れていた。
「しっかり!」
 萌芽はオリヴィエの傍らに立ち、彼女の命を狙うナンバードを威嚇し遠ざけた。もう、とっておきの気身法もあと一回で種切れとなる。踊りも踊り尽くす寸前だ。「しっかり!」という言葉を、萌芽は自身にもかけたつもりである。彼もかなり危ういところにいた。
(「……このままじゃ」)
 血と汗が萌芽の目に流れ込み、視界を曇らせた。慌ててこれを拭ったとき、見慣れぬ集団を彼は目にしていた。
「誰、だ……!?」
 この夜、初めてみる姿だった。いずれも和服、白い木綿の上衣に武道袴、京という場所柄を考えても、十数人と思わしきその全員が同じ格好というのは奇妙な印象を与える。だが、もっと奇妙なのは、彼らが抱えている詠唱兵器だった。
(「あれは……筆?」)
 セオドアも我が目を疑った。
 謎の集団が各自一本ずつ抱えているのは、人一人ほどもありそうな大きな毛筆だったのだ。彼らは皆、筆を薙刀のように操って、空中に文字を書いてはそこからエネルギーを迸らせナンバードや獣人を攻撃していた。
「汝に手向けるは『葬』の一文字。滅せよ、黄泉還り!」
 リーダーと思わしき涼やかな瞳の青年が、そのように声を上げたのをセオドアは聞いた。その青年は眼前のナンバードを打ち倒すと、振り向いてセオドアの目を見た。
「『不滅の災い』が蘇ったか……後は、私たちに任せて貰おう。君たちは撤退するがいい」
「……でも」
 と言いかけたのはセオドアのみではなかった。
「ボクたちが始めた戦いなのに、中途半端なことは……」
 冷菜は告げようとするも、両肩に刀傷、太股に刺し傷を負ったなずなが、彼女の肩に手を置いた。
「あの方々のおっしゃる通りかもしれません。私たちは戦闘不能者を敷地外に出さなくては」
「だけど……」
 と抗う言葉を冷菜は飲み込んでいた。なずなの目を見て、彼女が自分と同じ気持ちにあることを察したのだ。
「わかったよぅ〜。道を開けるねっ」
 振り返った冷菜は、最後に取っておいた氷雪を大発生させたのだった。
「一気にやっちゃえ〜っ!」

 スカルサムライのヤサカはとうに消えた。セレスティア自身、抗う力を失って片膝を付いていた。しかし彼女はなんとか踏みとどまった。門に帰還した望たちの姿を発見したのだ。
 その先頭は氷雨だった。彼女は、
「待たせたか? ま、なんとかなったさ。報告は後でな!」
 と言って、ポンとセレスティアの掌を打った。心地良い音がした。
「もうすぐです、から……!」
 詩歌は真由に寄り添っていた。彼女とノーファは可能な範囲で園内に踏み込み、突入班のメンバーに脱出の道を教えたのである。
「ほいほい、大怪我しないうちに撤退ですよ! 行きましょう!」
 同様に、戻ってきた突入班メンバーを誘導しながら至大も撤退に移った。
「こっちじゃ!」
 アルブレヒトも突入班に呼びかけ、ダメージの大きい者の手を引いて救い出した。彼は一度だけ抗体ゴースト達と戦う謎の能力者集団を見た。
「ま、いまは素直に感謝しとく……!」
 と述べると、負傷者を味方の流れに案内し、自身はなお、殿をつとめるべくそこに留まったのだった。
 しかしアルブレヒトもすぐにその場を離れることになった。銀誓館三十人、全員の撤退が終わったからだ。それはひとえに、風のように出現した能力者集団のおかげであった。彼ら援軍はまだ、平等院で敵残存勢力と戦っているようだ。その勢いは、完全に能力者側にあるようだった。
「じき決着が付くことだろう。謎の能力者たちの勝利という形でな」
 ルイカが、叙事詩でも吟じるような口調で言った。
「作戦は成功、しかし、多数の負傷者を出し、トビアスも鬼も逃した……か」
 いま、目を閉じただけで脳裏に、空へ飛び立つ鳳凰の姿がありありと浮かび上がってくるかのようだ。
「……助けてくれた能力者の方々の正体、うかがえずじまいでしたね」
 美雪がぽつりと呟くと、御幸子が応じた。
「でも、なんとなく……だけど、あのお兄ちゃんたちとは、すぐにまた会えると……思う」
 御幸子は来たとき同様、スカルロードに抱き上げられて移動していた。このときも彼女は父の黒衣の裾を握っていたが、それは来たときのように、緊張しているからではなかった。


マスター:桂木京介 紹介ページ
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知的 ハートフル ロマンティック せつない えっち
いまいち
参加者:30人
作成日:2011/06/22
得票数:カッコいい73  怖すぎ5  知的8 
冒険結果:成功!
重傷者:九曜・計都(隠剣・b25264)  リリア・グラスコロニー(銀翼乃朱雀・b39625)  姫宮・恵梨香(セラミックハート・b43793)  裏賀・五十鈴(飴色の景色・b45418)  葛城・摩耶(望む者・b75398)  不破・弥月(奈落の咆哮・b75915)  樹・栞(小学生水練忍者・b76600)  オリヴィエ・シンフォティア(魔法陣描く金鈴音の魔女・b77441) 
死亡者:なし
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