≪雪兎の遊び場≫食人教典儀


<オープニング>


 ヨーロッパの大陸を秋は駆け足で過ぎてゆく。プラタナスの葉の舞う石の歩道では既に冬の足音が聞こえ始め、南下を急ぐ鳥達の翼はどこか淋しげな音を残していく。
「百塔の都……」
 儀水・芽亜(夢何有郷・b36191)の呟きに氷川・小雪(冬の残滓・b46013)ははたと足を止めて振り返る。芽亜と共に市街地からヴルタヴァ川をさかのぼることしばし、緩やかな丘の上からはプラハ市街が見渡せる。懸命に街々を駆けてほてった頬に、吹き上げてくる風はひやりと冷たかった。
「本当に言葉通り……ですわね」
 オレンジ色の屋根の続く街並みに幾つもの尖塔がそびえ、遠くプラチャニの丘にはプラハ城が堂々と横たわっている。こうして見ているとこの美しく古い街に忌むべき犯罪者集団があるとはとても信じがたい思いがするのだが――。
「♪〜」
 芽亜の手の中で超小型の発信機が鳴った。
「どうやら時間はなさそうですわね」
 小雪もこくりと頷いて、地図で液晶画面の光点の方向を確認する。どうやら標的は更に郊外に向かって移動しているようだ。急ぎましょう――2人の少女は再び歩を早めて秋の街を通りぬけていく。

「間違いありません?」
 声をひそめて問う天堂・喜久子(えすでもゆりでもありませんよ・b77602)に真神・瑞貴(氷の貴公子・b45562)は改めて手元の発信機を覗き込むと、はっきりと首を縦に振った。彼らが潜む植え込みの向こうには時の流れにうち捨てられたかのような教会。屋根の十字架は無残にも折れ、窓ガラスは完全に曇りっている。
「捕まったのが誰かまでは判らないけど……」
 確かに発信元はあの教会の中だ。
「「少なくとも私達じゃないことは確かですよ」」
 綺麗に奏でられたハーモニーに瑞貴達が振り返ると、鳴羽・遊姫(新雪・b45408)が静かにというように人差し指を唇の前にたてた。隣には鳴羽・遊恵(深雪・b45409)の姿も見える。
「それで例の犯罪者集団はあの教会の中に?」
 遊恵の囁きに今度は喜久子が答えた。入った所までを見届けることはできなかったが……と。
「それにしても食人鬼達の根城が教会だなんて――」
 世も末という言葉が彼ら4人の脳裏をよぎる。
「スプリーナお婆さんの頼みとはいえ……」
 遊姫は遠く薄青い欧州の空を仰いだ。欧州処刑人達の世話役、スプリーナお婆さんの言葉が心の中に重く蘇ってくる……。
 
 そもそもの事の起こりは人狼と吸血鬼、2つの勢力争いが収束に向かったこと――それが彼の地にとっても世界にとっても望ましいのは言うまでもないが、その陰で新たな勢力の暗躍が始まってしまったという一面も確かにあったのだ。
「これまでは人狼と吸血鬼の戦いがある種の抑止力となっていた面もあったわけね」
 だがここへきて事態を人狼と吸血鬼、2大勢力の弱体化と見た能力者達の一部が増長し事件を起こし始めているのだ。スプリーナおばあさんは困ったようにそう言っていた。勢力とはいっても今のところは能力を悪用する小集団があちこちに形成されているといった程度なのだそうだが。
「でも数が多すぎて……」
 彼女が言う『うちの子達』、すなわちヨーロッパの処刑人達だけではとても手が回らなくなっているのだという――。
「それでボク達にも『お願い』が回ってきた……んだよね」
 瑞貴は再び本来の目的に使われている気配のない教会に目を戻した。スプリーナお婆さんからの情報によれば中で行われているのは食人。街で若者や子供をさらって来ては根城で食う――そんな邪教を彼らは奉じているらしい。
「人が『果実』だなんて……」
「しかも『神が与えたもうた』とはね……」
 遊姫が呆れたように頭を振れば、遊恵も深くため息をつく。信教の自由とはいうけれどさすがにこれはお好きなようにと放置できる問題ではない。
「とにかく、突入前に下調べをしておきましょう」
 突入口とか逃走経路とか……喜久子がそっと立ち上がったその刹那……
「まずは表の車、空気を抜いておきましょうね」
 芽亜が喜久子の肩をぽんと叩いた。
「このメンバーがいるということは……」
 小雪は素早く仲間達を見渡した。欠けているのは蒼流院・雨音(嵐を祓う蒼き雨・b01718)だ。つまり教会内部に潜入しているのは彼女達――そう理解すると仲間達は迅速に行動に移った。

 その頃教会の内部では、櫻花と雨音が吐きそうになるのを懸命にこらえながら時を待っていた。捕えられているのは厨房。至るところに骨と肉片とが散らばっているし、ナイフやフォークといった食器類もどうやら子供の骨でできているらしい。
「ふるえているね、可愛い果実達……」
 大丈夫、痛みなんか感じさせないからね――リーダーらしき男がそう言いながら斧の刃を丁寧に研いでいる。2メートルをゆうに超えている熊のような風体のくせに中々器用な手つきをしている。
「ちょっと待てよ、果実の解体は俺の役目だろ?」
 にこにこと笑みを浮かべながら大男に異を唱えた男はチェーンソー剣をギュンと鳴らして、小雪達に舌なめずりして見せる。靴のかかとについているのは明らかにレッグギロチン。どうやらこちらは処刑人崩れといったところか。
「おやおや、舌なめずりとはおはしたない。彼女達は我が神からの下されもの」
 限りなき敬意を以って――ローブの袖を優雅に払いながら神父風の男が割って入った。こつんと錫杖で抑えられた第2の男はしぶしぶチェーンソーを黙らせる
(「誘拐の実行犯とは違う顔ですわね」)
 櫻花の耳打ちに雨音も微かに頷く。瞬間的な記憶にかけては櫻花に適うべくもないけれど、自分達を誘拐した実行犯はナイフや長剣を使っていたことだけは間違いない。
(「ということは5人じゃろうか……」)
 雨音の問いに櫻花も小さく同意を示した。入り口から礼拝堂、そしてこの食堂――通ってきた部屋数からしても建物の外見からしても、どう見ても大部隊が使える規模ではない。
(「ならば何とかなるじゃろう……」)
 雨音は櫻花の縄を外しにかかる。捕らわれてからどのくらい時が経ったのかはよく判らないが、決戦の時は近いはず。と、その刹那――。

「ゆーきー……」
「「うーさーぎー!!」」」
 この場で聞くには何とも不思議な日本語に続き、裏表のドアが蹴破られる大音響――来ましたわ、と苦笑しつつも櫻花は武装を整え、雨音は目潰し代わりに真っ白な吹雪を呼び起こす。
「「無事!?」」
 駆けこんできたのは疑いようもない、結社の仲間達。
「なんとも珍妙な合図じゃったの」
 あっという間に合流を果たして雨音が笑うと、よくわかる突入合図日本語編ですわ、と芽亜も笑い返す。
「……能力者、か」
 熊のような大男がゆらりと我に返ったように斧を構えなおすと、長剣を持った男もずいっと前に出てきた。こちらを敵認定していることはその目つきからもありありと判る。確か闇纏いを使う奴じゃっったの、と雨音はぽつりと呟いた。
「我が神からの賜り物が増えただけの話ではありませんか」
 神父風の男が嫌な笑みを浮かべる。
「賜り物、ね……残念だけどボク達は引導を渡しにきたんだよ」
「おぞましい食人集団にね」
 瑞貴と遊姫、2人がかりで畳みかけられ、食人鬼達は闘気を全身にみなぎらせる。
「せっかくの儀式をよくも邪魔してくれたものだ」
 斧がぶんと降りおろされると、犯罪能力者達は礼拝堂へとなだれ込む。さすがに厨房での戦闘は無理と踏んだのだろう。
「それはこちらの科白ですよ」
 折角プラハまで来たものをまだプラハ城もカレル橋も見ていないんですからね――芽亜の反駁も少しずれているような気がしないでもないのだが、ともかく戦いの火ぶたは切られ、賽は投げられた。能力者対食人鬼――この戦い、負けることは絶対に許されない。


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参加者
蒼流院・雨音(嵐を祓う蒼き雨・b01718)
儀水・芽亜(夢何有郷・b36191)
鳴羽・遊姫(新雪・b45408)
鳴羽・遊恵(深雪・b45409)
真神・瑞貴(氷の貴公子・b45562)
氷川・小雪(冬の残滓・b46013)
天堂・喜久子(寒風に揺れる菊花一輪・b77602)
翠月院・櫻花(永久の望月・b82563)



<リプレイ>

●賑やかな『果実』達
「では改めて。ようこそ、よく熟れた『果実』達」
 熊のような大男の構えた斧の刃が天窓の光にギラリ。柄の元がどす黒く染まっている理由を蒼流院・雨音(嵐を祓う蒼き雨・b01718)は考えたくもない。
「うぅ……郷土料理が楽しみで旅行に来たというに……」
 いきなり肉が食べられなくなりそうなトラウマを――ちらりとさっきまで捕らわれていた厨房に目をやれば、異様な匂いがここまで零れてくるのが目に見えるようで、雨音は眉根をぎゅっと寄せた。
「……しっかりして下さいまし」
 儀水・芽亜(夢何有郷・b36191)はそんな彼女の肩をきゅっと掴む。
「人がゴーストに喰われる光景は、幾度となく目にされた事がおありでしょう?」
「見ておらん。見ておらん!」
 そんな風に叫びたてる少女を前に、神父は細く笑む。
「随分と賑やかな果実達ですね」
 軽く十字を切る様子はごく普通のインテリといった印象であるのに食人鬼とは何ともはや。翠月院・櫻花(永久の望月・b82563)は呆れたように頭を軽く振ると、凛とした瞳で5人の男達を見返した。記憶の限りの情報を仲間に伝えてゆくごとに、仲間達の目は険しくなり、食人鬼達は舌舐めずりでもしそうな程ににやりと笑う。とんでもない連中だと天堂・喜久子(寒風に揺れる菊花一輪・b77602)も呆れ果てる。
「月帝姫の櫻花ですわ、散り逝く前に覚えておいて損はないですわよ」
 これ以上怯える振りをする必要はない。後はただ――だが食人鬼達が敬意など示す筈もなく
「極道だとて踏み外してはいけない道はあるというのに……」
 微塵も遠慮は要りませんね。斬り捨てて差し上げます――喜久子の呟きに氷川・小雪(冬の残滓・b46013)も僅かに目を伏せた。
「人に。この力はふるうまいと決めていましたが……」
 握る長剣の柄は白く、雪模様が刻まれた刀身も人の血の色など到底似合いそうもない程に白い。
「人を喰らった人は、最早人間とは呼ばれません」
 芽亜の言葉が砂地の水のように沁み通る。
「ええ、人でなし相手なら、話は別です」
 小雪の断言に鳴羽・遊姫(新雪・b45408)も深く頷く。能力者の力は何かを守る為の力――それを邪教に捧げた彼らを認める事は絶対にできない。
「本当に中々に強気な『果実』達だな……」
 いい味がするのだろう――熊男のようなリーダーの声が太い笑いを含むと、食人鬼達の気配もざわりと揺れる。まさに一触即発。真神・瑞貴(氷の貴公子・b45562)は誰よりも早くその身を雪の鎧で覆った。
「許さない。おぞましい罪にはそれなりの裁きが必要だ」
 瑞貴の宣戦布告に鳴羽・遊恵(深雪・b45409)はさらりと下がった。最後衛で皆を守る事。それは彼女が自らに課した役割。
「だから、後ろは振り返らず、全力で戦って下さいね」
 食人鬼たちへ制裁を――賽は今この瞬間、投げられたのである。

●食人鬼と能力者
 さして広くもない礼拝堂が不思議な霧で満たされる。自分達全員を巻込むそれが惨殺ナイフの若者の手になる事は容易に理解できた。
「……武器封じ」
 恐れにも似た声が上がった。櫻花と遊姫姉妹が見事に霧の影響下に置かれてしまったのだ。だがそれでも前衛を務める者はそれぞれの標的に向かっていく。雨音の指がもう1人の信徒をなぞると、芽亜のクロスシザーズは食人鬼のリーダーを襲う。青白い肌から吹き出す血の匂いが部屋中に籠る。できるなら全員に夢幻のバリアを与えたかったけれど、移動してしまえばそれは不可能。だが今は一刻も早く布陣を終えなければならない。1人につき1人が抑え、残る3人の火力を集中する――彼らがごく短期間で決めたその方針を貫く為に。
 火焔が芽亜を灼きあげ、信徒の若者が雨音を殴り飛ばす。ものの見事に吹き飛とばされた彼女は櫻花にぶつかって辛うじて留まった。こうして陣形が崩されかけてみると敵の強大さが改めて感じられる。だがそこで退いては能力者の名が廃る。
「私も料理は得意です! 負けません!」
 事実に即したものであるかどうかかは兎も角として、遊姫の声は高らかに。
「果実が料理? 笑える冗談だな」
 遊姫の腕前――料理の現場で包丁が飛んだり、味わい深い逸品が生れたりする――をこの料理人が知ればどう思うだろう。仲間達の一瞬の興味は彼の拳の破壊力の前に霧散する。更に神父の唇に眠りの歌が刻まれるに至って、彼らの表情は完全に改まった。不気味な程穏やかな神父の笑みが見守る中で、瑞貴と遊恵が眠りの淵に。
(「……」)
 遠のく意識の中で遊恵の思いがよぎる。敵の攻撃を受けない位置に下がる事、味方前衛を回復できる位置を取る事――それを満たす場所などどこにもないのだ、と。敵後衛を抑えに行った者も前衛と呼ぶならば尚更――。

 回復の要が早々に眠ってしまった事は能力者達に深い影を落とさざるを得なかった。だが戦いという名の列車は既に走り出してしまった。前衛陣5人は各々の標的へと全力を絞る。後衛陣の集中援護を頼みに各個撃破する――その路線を変更する事はかなわない。
「凍りつきな……心臓まで」
 雪の鎧のない指先で、目覚めた瑞貴はナイフ使いの信徒をなぞる。たちまち薄青い魔氷が若者を包み込み、後を追うように遊姫の吹雪が白い闇を生む。
「絶対なる凍れる雪達よ……白き猛威で吹き荒れたまえ!」
 罪悪感など欠片も生れない。食人鬼達が奪ってきた命に比べれば、この程度の痛みなど何の償いになるだろうか。小雪は葬送を司る鉄の処女をさしむけ、櫻花は礼拝堂内に赤い月光を呼び出して。標的は完全に定まった。

●食人鬼の氷漬け
 食人鬼達との戦いはどちらが有利とも判然としないまま続いた。夢幻のバリアで仲間達を包み込みながら、芽亜は礼拝堂内を見渡すと、雨音はもう1人の信徒に氷の指先を向け、喜久子は神父と対峙しているのが判る。辛うじて抑えていると言えるのはこの3人までで、遊姫が対峙するべき長剣使いの若者は彼女をまるで無視して、手負いの若者を奏甲で癒しにかかる。遊姫自身も、吹雪を操る以上彼を追うのもままならない。一方、リーダーの砲は芽亜自身と小雪とを纏めて貫いていく。できるものならば芽亜とて積極的に攻勢に出たいところだが、遊恵の目覚めぬ今、他者回復を多少なりとも操れるのは彼女しかいない。
 戦況はまるで綱渡り。瑞貴の氷の指先は確かに多大な傷と麻痺とでナイフ使いの若者を苦しめているし、遊姫の吹雪は見事なまでに食人鬼達の氷像を造り出している。だが――。
「……凌駕」
 小雪の喉から悲観にも似た呟きが洩れる。鉄の処女は確かに信徒の片割れを死に至らしめた筈なのに……。
「そうだった、能力者にはこれがあるんだ」
 遊姫も思い知らされたかのように言葉を継ぐ。神父の顔に満面の笑みが浮び、礼拝堂が光に満ちた。味方であれば神々しく見える十字架の輝きも今は不吉としか映らない。
「ごめん……」
 痛みで遊恵が目覚めた事は不幸中の幸いではあったけれど、櫻花の傷は既に深くなってしまっている。
「しっかりなさって下さい。すぐに回復しますね!」
 遊恵の舞いは慈愛に満ちて仲間の状態異常を解消し、芽亜は再び夢幻のフィールドで仲間達を包み込む。
「成程……君達が回復役か」
 リーダーの視線が2人に刺さる。火焔の砲が向く先には遊恵の姿。この世のものではない炎に包まれた彼女を長剣使いが引裂きにかかる。紅蓮の赤に異形の腕の黒。鮮やかな対照の中で、遊恵は何とか『天』の戦文字で我が身を救う。幸いにも毒も魔炎も振り払う事ができたけれども、こんな攻撃に耐え続ける力は彼女にはない。
 ならば一刻も早く――焦りにも似た思いが能力者達の中に生れていた。永久の別れを告げる瑞貴の指先、若者の自己回復、荒れ狂う遊姫の氷雪地獄。食人鬼達の一角が漸く崩れたのはそれから更に後。
「貴方を……『処刑』します」
 若者の眼前に鉄の棘を植えられた少女の腕が開いた。無慈悲に閉じるその音を聞きながら、小雪は僅かに眉を潜める。ゴースト以外にこれを使うのは非道とは思えど、今回ばかりは手加減の余地はない。
「何とか……ですわね」
 額に脂汗を浮べながら櫻花は呟く。1人切り崩すのに思った以上の時がかかった。その事実が今はとても重い。
「じゃが、魔氷は効いておるぞえ」
 全体を真っ白な風雪で塗りつぶしながら雨音はにっと笑った。この瞬間にもリーダー、料理人、そして信徒の若者の3人が新たに氷に包まれて。確かにこの魔氷の消耗が敵になければ能力者達の戦線はとうの昔に崩壊していただろう。勝敗の行方、未だ見えず。だが双方共に退く意思などある筈もなく。

●全てを屠れ
 神父の紡ぐ歌声が優しい回復の音色に変る。全くこの慈悲がこの地の子供達に向けられたものならば。
「これは神罰と心得なさい!」
 あなたのその姿は神への冒涜なのだから――喜久子の吐息が狙うのは回復を担うこの男。後衛陣に瑞貴も加わった事で、追い詰めるスピードも幾分か増した。だがこちらが集中攻撃を展開すれば、あちらもそれを徹底してくる。
「レディを放ってどこへ行くというのじゃ?」
 年端もいかぬ妾に恐れをなしたのかえ――仲間達が料理人に標的を移す中、雨音の声が長剣使いの信徒に響く。
「……果実がレディとは。笑えない冗談だ」
 だが若者は彼女の挑発など意に介さず、遊恵に向けて第3の腕を長々と。
「……!」
 ぱくりと開いた大きな傷から遊恵の全身に毒が巡る。炎に灼かれ闇色の腕に引裂かれてなお立っていろというのは酷な事。だが遊恵は辛うじて立ち上がる。瑞貴が庇いに向かおうとはしたけれど、神父はその暇を与えない。にこやかな笑みの内に解き放たれたのは厳かに煌めく十字架。余りにも眩しく視界を遮る光の中で遊恵は静かに力尽き――。
 味方の回復と敵の攻撃の回避。相反する命題のうちに仲間の1人が欠けた事は、能力者達にとっては痛恨事以外の何ものでもない。だがそれも彼らの行動の帰結。だが今は後悔の念に打たれているよりも成し遂げなければならない事がある。
 能力者達は神父への攻撃を再開した。雪女達の魔氷、鉄の処女の冷たい笑み。芽亜はこの日初めてナイトメアを疾駆させた。リーダーを蹴散らし、神父を蹴り倒した蹄が音高く走り抜けると、櫻花も青ざめた月の光を呼び出して。
「零氷たる蒼月、身を堅めし者を射し貫く光となれ」 
 神父の顔が苦痛に歪み、その唇が自らの為の癒しを紡ぐ。敵が漸く見せた弱みに喜久子は僅かながら愁眉を開く。ふっと注がれる氷の息吹に続く遊姫の純白のブリザード。凌駕はしてくれるな――能力者達の焼けつくような願いの中、神父は力尽きた。

「2人までも……か」
 リーダーの表情に初めて陰りの色が滲んだ。魔氷に苦しんでいる筈なのに、そんな風情は一切見せない辺りは流石に首魁の風格。料理人の黒い奏甲を纏った斧が芽亜に勢いおいよく振り下ろされる。
「中々に質の良い果実だと良く判った……」
 だがお前を倒せば烏合の衆――リーダーのそんな声が能力者達の耳朶を打つ。
(「……できればあれも封じてしまいたいですけれど」)
 芽亜は唇をかむ。けれど今は武器封じの歌声よりも切実に回復が必要だった。皆にもそして自分にも。彼女が倒れるのが早いか、それとも料理人を仕留めるのが先か――それがこの戦いの展開点。
 青白い月光が料理人を凍りつかせると、彼は黒い蟲達を爆弾に変えて芽亜と雨音を巻き込む。喜久子の吐息が更に魔氷を重ねれば、リーダーの火焔が芽亜を灼く。一歩も引かない技の応酬に先に膝をついたのは彼女の方だった。
「芽亜さん!」
 声の限りの瑞貴の叫び。止めを刺そうとする信徒の若者を雨音の指先が押し留める。彼が自らの回復に走った事が彼女の命脈を辛うじて保った。さあ、こちらこそ止めを――苦しい息の下からのその檄に応えぬ仲間はない。料理人が倒れたのはそれから程なくである。

●教典は継がれず
「ここまでくれば……」
 大丈夫ですわね――リーダーの焔の拳を全身で受け止めながら、芽亜は仲間達を振り返る。私彼女に癒しを与えられる仲間は既にいない。彼女にもう少し攻撃の機会が恵まれていれば、また別の展開が待っていただろう。ゆるゆると崩れ落ちていく彼女を仲間達は胸の痛みと共に見送った。だが同時に敵方の未来も見えているのだ。魔氷を幾重にも重ねられた若者は既に瀕死、神父が倒れ、奏甲使いが倒れた今、リーダーの疲労も相当に蓄積されている筈である。
「こう見えてもわたくしも怒っているのですよ」
 懸命に自己保身を図る若者に喜久子の凍てついた吐息がかかる。罪なき幼子の生命を無碍に散らした罪、大切な仲間達を傷つけた罪、今ここで、そしてその身で――全身を覆う薄青の魔氷。瑞貴のそんな氷の像にそっと指を触れた。ぴしぴしとひびの渡る音、続いて硝子が砕けるが如き澄んだ音が彼の最後を告げている。残されたリーダーの顔が奇妙な具合に歪んだ。それは仲間を哀惜する気持ちの表れだったのか、それともすぐに同じ道を辿る自分の運命を思ってだったのか――。

 ――来た時と同じようにプラハの街にはプラタナスの葉が舞い踊っていた。秋は駆け足で通り過ぎていく代りに、夢のように美しい風景を織りなしていく。
「おお、ゲームや漫画の世界のようなのじゃ」
 お姫様はこんな所に住んでおるのじゃのぅ……秋の宵闇に美しく浮び上がるプラハ城。ヨーロッパで1番長い城のライトアップは間違いなく世界で1番美しいものに思われた。
「大きなお城ですわね。全部見て回ろうとすれば1日かかりそうですの」
 芽亜は小さく呟く。怪我で思うように動けないのがどうももどかしいけれど、何とか終わった事に安堵の思いが指の先まで沁み入っていく。
 リーダーの最後を思い出すと小雪の心は少しばかり重くなる。舞い狂う吹雪に、凍てつく吐息。青白い月光にきらきらと輝く魔氷はまさしくこの世のものではありえない程美しかった。そして自分がさし向けた鉄の処女。リーダーの拳の最後の抵抗を瑞貴はひらりと避けた。代りに動いた指先は踊るように儚くリーダーを凌駕の淵に追い込んだ。再びの雪嵐、魔氷の音色――あれがあの教会に響き渡る事はもう2度とない。
「さあ、街へ繰り出しましょう」
 気持ちを切替えて小雪がガイドブックを取り出せば、まずは世界遺産のお城から。ゆるゆると城へ向かう道も美しく、喜久子と櫻花はつい先程までの凄惨さを洗い流すようにプラハの街並みを楽しんでいる。見物が終ったら近くでチェコの郷土料理というのが今日の目的。もっとも遊姫などは道行く屋台の匂いにひかれて蝶のようにあちらこちらへと渡り歩いていたものだが。
「今度はゆっくり、観光だけを楽しみたいわね」
 姉を見守りながら遊恵も小さな笑みをみせる。
「ええ、今度は――」
 瑞貴も日頃の穏やかさを取戻し、秋の木漏れ日を見上げた。百塔の都は平穏な風の中――食人鬼達の消えた町に陽射しはこの上なく暖かかった。


マスター:矢野梓 紹介ページ
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楽しい 笑える 泣ける カッコいい 怖すぎ
知的 ハートフル ロマンティック せつない えっち
いまいち
参加者:8人
作成日:2011/12/09
得票数:カッコいい13 
冒険結果:成功!
重傷者:儀水・芽亜(夢何有郷・b36191)  鳴羽・遊恵(深雪・b45409) 
死亡者:なし
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