≪CAPRI≫暖簾の下で逢いましょう


<オープニング>


 暖簾を潜ってぴしゃり、と扉を閉めると外の雑踏が嘘のように消えた。微かに聞こえる歌声は、店内の端に置かれた古いラジカセから聞こえているようだ。
 カセットテープが入っているのだから、ラジカセで正しい。
 どことなく懐かしい雰囲気を残したこのラーメン店は、愛想笑いの一つも出来ない中年の親父一人で切り盛りしていた。
 鴻之介がこの店に初めてやってきたのは、たしか1ヶ月ほど前。仲間に連れられてマヨイガに来た時、たまたまこの一角を訪れたのであった。
 物珍しそうに見回している青葉の前に、コトンと水の入ったグラスが置かれる。
「ここはセルフじゃ」
「うん、ありがとう」
 それにしても、夕方突然ラーメンが食いたいのう……と言った鴻之介の言葉を聞いて『いいよ』と言ったのはいいが、まさかこんな所まで連れてこられるとは思ってもみなかった。
 青葉は、せいぜい近くのチェーン店だとばかり思っていたのである。
 ラーメン一つに遠出をするのは嫌いではないが、たまにこうしてふらりと出かける時の鴻之介は、本当に青葉にも予想がつかない所を見ていたりする。
「卒業祝いじゃ」
「卒業祝いはラーメンなんですか?」
 高級スイーツや、ちょっと大人の雰囲気のハイヒール。青葉は、そんなものが欲しい年頃でもある訳で。
 決してラーメンが嫌いな訳ではない。
「生憎ラーメンしかねェよ」
 目の前にラーメン鉢が置かれ、親父さんが青葉に言った。
 いや……ああ、そんなつもりじゃ無かったんだけど。ちらりと見上げると、親父さんは気にしているのか気にしてないのか、ネギを切っていた。
 どうやらここは、塩ラーメンしか置いてないらしい。口にすると、辛さの中にも滑らかな後味の残る塩のスープが喉を通った。
 親父さんに、美味しいです……と言いかけた青葉であったが、彼女の声を店の扉の音が遮る。スーツ姿の死人のお客さんが二人、鴻之介を挟んだ2つ隣に座った。
「いやー最近、獣が増えて困るわ。……この間も課長の靴持ってかれてさァ、怒られるの俺なんだから」
「あー、可愛い魔獣が居るとすぐ銀誓館のアイツラ、連れて来ちゃうんだよな。ほんと勘弁してほしいわ、マヨイガ公園に野良魔獣が……」
 銀誓館の言葉を聞いて、鴻之介がふと顔をそちらに向けた。青葉はぐい、と鴻之介の頬に手をやってこちらを向かせる。
「今、卒業祝いなんですからね」
「ああ」
 特に何か言うでもなく、鴻之介はラーメンに箸を入れた。
 これで見納めだから、と青葉が鏡の前で制服姿の自分をじっと見ていたのは鴻之介も気付いていた。
 普段鴻之介は、青葉の制服姿に特別こだわっていた訳ではない。ただ、そうしているのを見ると『卒業』という言葉がじわじわと実感として残ってきた。
 それは時が経つ、という事の重みであろう。
「制服はどうするんじゃ」
「うーん、教科書と一緒に箱に収めましょうか。でも、そのまま箱から出さずに虫食いになっちゃいそうです」
「たまには着ればいいじゃろう。……制服が恋しくなる」
「制服は毛皮と訳が違います! だって、ほら……」
 毛皮は年を取らないが、青葉は年を取る訳で。
「たまに、制服を来た大人の女が歩いて居るぞ?」
「どこで見たんですか、どこで?」
 具体的に言うと、どういうエリアで?
 別に、どこ歩いていようといいんですけどね、と青葉は気にしない様子でラーメンを食べ続ける。気にして居ない事はないのだが、してないフリをするべき時である。
 気になんか、してませんとも。
「……うん、やっぱり制服持ってても仕方ないし処分しよう」
「要らんのなら、わしがもらう」
「だめです、貰わないでください! 鴻さんにとってのあたしって、制服だけなんですか? 制服の中に居ないと青葉は青葉で無くなっちゃうんですね、そういう事だと理解しました」
 箸をテーブルに置いた瞬間、手に当たったレンゲが床に落ちて割れた。あ〜あ、落としちゃったというサラリーマンの視線と、黙って回収に来た親父さん。
 すると、拾おうとした青葉を置いて、何時の間にか鴻之介が居なくなっていた。テーブルに置かれた、お勘定。
 言い返す時間も、くれなかったというの?
 青葉は黙って、ちょこんと座った。
「れんげ……ごめんなさい」
 青葉が言うと、親父さんは替わりのレンゲを置いてくれた。よく見ると、先ほどのレンゲと柄も形も違う。
 ……箸もバラバラ、よく見ると器もバラバラ。
「めんどくせぇから、割れたのを違う食器で補っててな。……食えりゃいいんだ。嫁さん居なくなったら、食器揃えるのから洗い物から、ボールペン一個もどこにあったか分かりゃしねェ」
 親父さんは親父さんなりに、慰めてくれているのだろうか。
 そう思い、青葉は少し笑い返した。

 元来人と話すのは嫌いではない鴻之介は、聞いていないようでも周りをきちんと把握している事は多い。
 知らない人にとっては、ただぼうっと眺めて居るだけのように見えるらしい。
 先ほど青葉が落としたレンゲ、自分が使っていたものと違うレンゲだった。古びた箸や、バラバラのレンゲ。
 それがどこか気になり、鴻之介は店を後にした。むろんそれだけではなく、青葉とこれ以上喧嘩になるのが嫌だったというのもある。
 自分が魔弾を止めた時は散々毛皮が毛皮が、と言われたから鴻之介にとってはちょっとした仕返しのつもりだったのだ。
 だが、黙って出てきたのはまずかっただろうか。
「銀誓館もこの辺りをうろうろしておるから、大丈夫じゃろう」
 気にするように、鴻之介が後ろを振り返る。
 鴻之介が前方から視線を反らしたその時、横手の店から誰かが出て来て鴻之介と衝突した。慌てて鴻之介が庇うと、小柄な老女がゆっくりと見上げて微笑んだ。
「大丈夫です、ごめんなさいね」
 柔らかな物腰でそう鴻之介を気遣ったのは、シンプルな茶色のジャケットに黒いボトムスの、ショートカットの老女であった。
 年の割に身綺麗な格好をした、笑顔の軟らかいひとだ。
「この辺りに不慣れなものだから、あちこちきょろきょろしちゃって」
「……ああ、どこか探しておるなら案内しましょうか」
「ありがとう。……ええと、ちょっと待ってね」
 老女が取り出したメモには、箸とレンゲ、ラーメン鉢、それから新しいエプロンに木綿の手ぬぐい、そして……。
「昔死んだ亭主が此処に居るって聞いてきたんだけど、道に迷ってしまって」
 老女はメモのものを確認しながら、鴻之介に食器の店へ連れて行ってくれるように頼んだ。ラーメン店が先なのか、それとも買い物をするのが先なのか?
 そしてこの女性の探している亭主とは、もしや。
「何故食器を買おうと思ったんじゃ?」
「あら、片違いの箸で食べてたって気にしないあの人が、まともに食器を揃えてお客様に出しているなんて在るわけないもの」
 コロコロと笑い、彼女は言った。

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参加者
佐川・鴻之介(湾曲男子・b20654)
倉澤・青葉(直線少女・b59474)



<リプレイ>

 待ち合わせ、時間ぴったり。
 5分早く待ち合わせ場所に来なかったのは、佐川・鴻之介(湾曲男子・b20654)の読みによるものであった。帰宅ラッシュでごった返す駅の前に立った青葉の姿を遠目に見ながら、それでも鴻之介は焦る事なくゆっくりと歩いていく。
 雑踏の中の倉澤・青葉(直線少女・b59474)は、携帯電話の画面を見せながら見知らぬ誰かと話していた。やがて鴻之介を青葉が見つける頃には、話していた見知らぬ『誰か』は会釈をして去っていた。
「道を聞かれちゃいました。あたしもそんなに道、詳しくないんだけどなー?」
 首をかしげつつ、青葉が言う。
 人と人との交流とは、目を合わせる事から始めるのだと鴻之介は青葉に話ながら歩き出す。目が会って逸らさなければ、相手は『縁があった』と認識するのだと言う。
「青葉は目を逸らさぬからな」
「逸らしません」
 きっぱり、と青葉は応えて胸を張った。
 誰かが求めて目を向けたら、それは逸らさない。それが青葉という少女が『お人好し』である所以であり、鴻之介が気に入っている沢山の青葉の一つでもある訳だった。
 歩きながら青葉は先ほど見ていた携帯の画面に視線を落とし、にっこりと笑顔を浮かべた。
「さっきの人が探してた所、居酒屋さんだそうですよ。とっても美味しいおでんがあるんだって」
 携帯電話に表示された地図は、このすぐ近くだった。

 マヨイガの中でもこの周辺の地図は、ここ最近ネット上で銀誓館の仲間がお互いフォローしながら作成し続けて居た。鴻之介はブックマークしておいて所を開き、現在地を確認した。
 最近の携帯電話は便利じゃな……と、鴻之介は呟く。
 そういえばこの間青葉と待ち合わせした時も、同じ事を青葉に言ったっけ。鴻之介は老女を振り返ると、案内を申し出た。
「マヨイガは広い所じゃ、また迷うてはいかん。どれ、荷物はわしが持ちましょう」
「荷物が多かったから、嬉しいわ」
 老婆は大きなカバンを一つ鴻之介に手渡すと、笑顔で名を名乗った。
 幸子、と。
 幸子……『幸』。鴻之介は、ぼんやりと先ほどのラーメン屋の暖簾を思い返していた。そういえば、あのラーメン屋は『幸』という名前ではなかったか?
「失礼ですが、ご亭主に先立たれたのはいつ頃でしょう」
「いつだったかしらね……孫が小学校の頃だったから、十五年くらい前だと思うわ。ほんとうに突然病気になって、そのまま」
 終戦後ラーメン屋で働いていた旦那の所に、幸子がよく通っていたと言う。近所のレストランで働いていた幸子はまかない食に飽き、屋台に顔を出したのが切っ掛けだった。
 無口な男だったという。
「それでも仲睦まじいご夫婦じゃったのでしょう。わしもそう在りたいです」
「喧嘩ばっかりよ、仲がいいのなんて最初の三年だけ。死んでも追いかけてきた鴛鴦夫婦だ、なんて思わないでね? ただ……」
 まぁ、いいか。と思ったのだそうだ。
 それは何故かというと……。
「お箸の店はここね。ちゃんとした箸のお店で買っておきたかったの」
 話を中断し、幸子は鴻之介を手招いて店に入っていった。
 古びた店構えの店内には、色とりどり様々な素材の箸が並んでいた。思わず鴻之介も、箸に見とれてしまっていた。
 竹、檜、杉、桜。
 素材一つ取っても豊富で、鴻之介が思いもしなかったこだわりがそこにある。そして選ぶ側もまた、そこに拘りを求めるのであった。
 箸の素材や用途について店主と話す幸子の話を聞きながら、鴻之介も手に取ってみた。幸子が選んでいるのは面取りされた四角の箸と、先に彫り込みが細かく入っていて麺を掴みやすくなっているものである。
 興味はあるが、自分には少々勿体ない気もする。
 先ほど話していた幸子の『片違いで箸を使う』という話、実は鴻之介にも耳の痛い話であった。
「じつはわしも片違いのまま使ってしまったり、飯を作った菜箸のまま食ってしまう事もありました。……それで青葉に呆れられるんじゃが。こんな良い箸を買って帰っても、すぐに駄目にしてしもうたら青葉にまた怒られる」
 はは、と鴻之介は悪びれた様子で言った。
 青葉はそれほど強く怒りはしなかったが、何度も注意する所からすると青葉とて良い気持ちはしていないのだろう。
「だって料理をする箸は、フライパンで先が傷むもの。全部の箸が傷んでしまったら、痛んだ箸で食べなきゃならないじゃない? わざわざ分かるように別に置いてるのに、どうして菜箸使っちゃうの」
 その幸子の言い方が青葉の口ぶりに似ていたので、鴻之介は思わず笑い出した。
「大きい菜箸を置いておけば良かろう、さすがにわしもあんな箸は使わん」
「あんな使いにくい箸で料理するの、沢山料理するお店でだけよ」
 結局誰であれ、男と女とは家事の事で喧嘩をするように出来ているのだなあ、と鴻之介は幸子と顔を見合わせて笑い出した。

 冷えかけていたラーメンを、青葉はじっと見つめた。出て行った鴻之介が戻ってくる様子もなく、このラーメンを残して去るのもお詫びをせずに戻るのも何となく申し訳ない。
 もしかすると、鴻之介が戻ってくるかもしれない。
 そう思いながられんげを拾い上げると、青葉とふと視線を上げた。
 この視線……。

 地を這うような視線。

 猫の視線は、人間のそれよりずっと低い。縞三毛のスマートな猫『青葉』は、金色の目で雑踏を行き交う人々をじっと見つめていた。
 銀誓館から寮や自宅に戻る人々の足が、青葉の前を通り過ぎていく。
 ヒトはとても大きく、そして騒々しい生き物だ。
 にゃあ……。
 青葉が小さく鳴いても、帰宅ラッシュのこの時間誰も見ていく人はいなかった。でもこうしていると、思うのだ。
 鴻さんはいつもどこを見ていたんだろう、と。
「こうするといい」
 ひょい、と青葉の体が持ち上げられた。ずうん、と視線が移り変わり、青葉は目がくらむような思いでじっと身を竦ませる。
 目の前に現れたのは、無造作に髪を下ろした男であった。
 暖かくて大きな手で青葉をしっかりと掴み、そして傍にあった彫刻の上に置いてやった。そこはヒトの視線よりずっと高くて、風がよく通る気持ちのいい場所であった。
「せっかく、そんなしなやかなにバネを手に入れたのに、足下でじっとしているのはもったいないじゃろう」
 こくりと青葉は頷いた。
 こうしていると、鴻さんが見ていたものが見えた気がした。彼が見ていたものをあたしも見て、その心を共有出来た気がする。
 ふわふわの体でヒトの膝にちょこんと座って、そして暖かな腕の中で眠っていた鴻さんの気持ちをもう少し味わってもいいだろうか?
 その替わり鴻さんは、ふわふわの猫を抱っこして眠るあたしの気持ち、分かってね?

 ラーメン鉢を返すと、青葉はラーメン店を手伝いはじめた。
 無口な店主はそんな事しなくていい、と言ったけど青葉はこうと決めると替えはしない。てきぱきとカウンターを拭き、そしてお客さんの間を歩き回って替わりの水を注いで回る。
 ラーメン目当てか、この店は結構人の出入りが激しい。
「いらっしゃいませ! 二名様ですか、こちらのお席にどうぞ」
「お、バイト? 銀誓館の子だろ」
「ハイ、分かりますか?」
「じゃあ頼むわぁ、最近この辺りに変質者が出るらしくってさあ、俺ら間違われて困ってんのよ。ちょっと銀誓館で何とかしてよ」
「マヨイガの事はマヨイガの皆さんで何とかしなきゃ駄目ですよ、はいこれサービス」
 トン、とテーブルにビールを一本置くと青葉は続けてメニューを出した。
 こうしてここでお客と話をしていると、マヨイガも結局向こうと替わりはしなかった。ここにいる殆どは元々ヒトであったリビングデッドであったり、残留思念であったり妖獣であったりする。
 それは、ヒトの心やケモノの意識が残した欠片から生まれたものである。
 ここにはヒトの営みが、確かに存在した。
 ほっと溜息をつき、青葉はカウンターの中に戻った。洗い物をしながら、青葉はちらりと店主を見つめる。
「……聞いていいですか?」
 青葉が声を掛けると、ちらりと店主は肩越しにこちらを向いた。声は返さないが、ちゃんと聞いてくれているようだ。
 青葉は話を続ける。
「おじさん……奥さんに会いたいなって思う事ありますか?」
 こうして人と接していると、無性に青葉はそう思った。青葉がそうなら、おじさんだってそう思う事があるんじゃないだろうか。
 青葉の話が聞こえたのか、客も騒ぎ出す。
 奥さんどんな人だの、べっぴんさんだったのか、だの好き勝手喋るが……まあ親父さんは鼻で笑って返した。
 おしどり夫婦なんてものがそう簡単に存在しているはずは無く、親父さんだって喧嘩をすると『出て行く』だの『別れる』だのという話はあったようだ。
「ウチは物が飛ぶ家だった。……見ろ」
 と、親父さんが指した額には、奥さんが投げた皿がかすめた痕が残っていた。でもおかしな事に、嫁は喧嘩が終わったら散った皿を拾って片付けなければ寝ないのである。
 しょうがないから手伝って、そうしているうちに気が済む。
「ふふ、喧嘩は一人じゃ出来ないって言いますよ」
「一人の方が気楽だよ」
 親父さんはそう応えたが、それが本気なのかは分からなかった。
 鴻さんもそう思っているのだろうか?
 自分が居なくなっても、平気で行っちゃうんだろうか。青葉が黙っていると、客の一人がビール瓶を差し出した。
 瓶は空っぽだ。
 慌てて青葉が追加の瓶を取り出していると、ぽつりとこんな事を言った。
「親父さん、またそんな事言って〜。男の方が未練がましいって良く言うじゃない。……うちのカーチャン、今何してんのかなぁ」
「ふん、ウチはピンピンしてらぁ。てめぇのカーチャンも今頃他の男見つけてるよ」
 親父さんはそう返した。
 鴻さんも一人になったら、ずっと寂しいままなのかしら? 親父さんの顔は寂しそうだったし、一人じゃ何にも出来ないって言うし、未練がましいって皆言うし、だったら鴻さんも一人になったら何にも出来ないんだろうか?
 あたしが死んだら、鴻さんどうするんだろう。
 一人で御飯も作れなかったらどうしよう、ちゃんと色物と洗濯物分けて洗えるかな。
 ……鴻さんより先に死ぬの、嫌だな。
 多分、それは親父さんの奥さんと同じ気持ちなんだ。あたしは鴻さんの事がとっても心配で、放っておけない。
 それはこれからもずっと、共に歩いていけるという証拠なんだ……そう、多分。

 腕一杯の荷物を抱え、鴻之介は元来た道を歩いていた。
 あの暖簾を目指して、鴻之介は幸子と歩く。
「そういえば親父さんの名前は何と言うんですか?」
「三郎。……三男なのよ?」
 三男だから三郎。
 なんという戦前チックな安易な名前だろうか。
「うちの嫁さんは青葉と言います。今年高校を卒業したばかりなんじゃが……制服姿が見られなくなると言うて喧嘩になってしもうた」
 先ほどの話を、鴻之介は笑いながら話した。
 鴻之介としては魔弾だった頃のお返しだったのだが、時として些細な事で喧嘩が大きくなるものである。
 こうして魔弾の話が出来るのも、マヨイガならではの事であろう。
「早すぎるのは百も承知で、一緒になってもらいました。でも、後でああすればよかったと後悔するのは嫌じゃ、死んでも死にきれん」
 幸子さんは、黙って鴻之介の話を聞いていた。
 それでも否定はせず、笑顔で鴻之介の話に耳を傾けてくれる。彼女を見ていると、鴻之介は青葉の事が気に掛かった。
 しっかり者で、腕っ節も強くて、頼りになるひとである。
「もしかすると、青葉はわしがおらんでも平気なんではないじゃろうか」
 不安。
 その言葉を、彼女は毅然とした顔で受け止めた。
「平気ではないけど、きっと前を向いて歩いていけるわ」
 それはそれでショックだ。
 だって鴻之介は、きっと青葉が居なくなったら寂しくて不安でたまらなくなる。日々二人で紡いできた生活が、破綻するのである。
 家事をするたび、玄関を開ける度に思い出してきっと……。
「わしは詰まらない矜恃があるくせに、貫く事も出来ん。情けない話じゃ」
「……」
 幸子は足を止め、じっと鴻之介を見返した。
 ふと振り返ると、笑顔を浮かべる。
「じゃあ、一つお婆さんがお願いしようかしら」
「なんでしょう?」
「奥さんより先に死んであげてちょうだい」
 何故なら、残して逝くのは不安だから。
 一人じゃ何も出来ない人だ、と心配しながら死ぬのは嫌だから。
「もちろん、お婆さんになった青葉さんに見送られながらね」
 今から死んだ話というのも、滑稽だった。しかし鴻之介はこくりと頷いて、幸子の話を受け止める。
 大丈夫、もしわしがリビングデッドになっても、青葉もこうしてリビングデッドになって追いかけてくれるはずだ。
 道は坂道にさしかかり、上の方に赤提灯が見えた。
「ああ、あの提灯の所です。……あ、ちょっとお待たせしてよろしいですか」
 鴻之介は花屋を見つけ、幸子を呼び止めた。
 待たせたお詫びに、青葉に花を買っていこうと思ったのである。色とりどりの花を見ながら、鴻之介の脳裏には青葉の笑顔が浮かんでいた。

 ふと、予感がしたのだ。
 もうじき鴻之介が戻ってくるような、予感。
 青葉は食器をトレイに乗せ、カウンターを拭きながら視線を暖簾に向ける。ちらちらと気にしているのは、親父さんにも伝わっているのだろう。
「探しに行ったらどうだ」
「いいんです、ここにいないとはぐれちゃいますし」
 鴻之介が帰ってきたら、わがままばかりでごめんねって謝ろう。青葉はぐるぐると頭の中で、鴻之介に掛ける言葉を考え続けた。
 そうしてないと不安で、心配で仕方なかった。
 今すぐ、探しに行きたい。
「喧嘩したまま死ぬってのは、どんな気持ちだと思う」
 親父さんの言葉を聞いて、青葉は振り返った。
 喧嘩を引きずったまま、ポックリ逝っちまった男の事だよと親父さんは言う。じゃあ、もし今会えたら親父さんはどうする?
「また、二人でお店をしたりするの?」
「しょーがねぇな」
「奥さんの方がずっと年上になっちゃってますよ?」
 青葉だってお婆ちゃんになってしまう。
 いずれ、誰だってそうなってしまうものだ。青葉が強い言葉で、そう返した。しかし親父さんはまた、鼻で笑う。
「あんたもいずれ、分かるさ」
 人生の終着点に立った時、傍に居た人の事を思い返す時が。
 親父さんがそう言うと、青葉は笑った。だったら、終着点まで鴻さんと一緒に居ようと誓う。終着点で、鴻さんと二人で『しょーがねえ』と言った親父さんの言葉を振り返ろう。
 青葉は洗い物を流しに置くと、駆けだした。
「おじさん、あたしやっぱり鴻さんを探しに行きます!」
「ああ、気をつけて……」
 親父さんの言葉が終わる前に、ドアを開けた青葉が暖簾ごしに何かにぶつかった。大きな体で、長い髪をした……。
 どこか懐かしい匂い。


マスター:立川司郎 紹介ページ
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楽しい 笑える 泣ける カッコいい 怖すぎ
知的 ハートフル ロマンティック せつない えっち
いまいち
参加者:2人
作成日:2012/03/26
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冒険結果:成功!
重傷者:なし
死亡者:なし
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