花嫁衣裳と甘い口付け


<オープニング>


 何かに呼ばれたような気がして振り返った。だが、その先にあるのは路地ばかり。挙句に最近は碌な手入れもされていない様子。
 ―――あそこ出るんだってよ
 大学のキャンパスで聞いた噂が、不意に脳裏によぎる。
 この手の怪談は「幽霊なんているわけないだろ」という一言で切って捨てて生きてきた。
「幽霊なんて、いるわけない」
 口に出して呟く。しかし、後ろを向いて背を向けた瞬間に、得体の知れない何かが、襲ってくるような気がする。
 こうなるともう駄目だ。何もかもが怖く思えてくる。ざわざわと風で揺れる街路樹。どうしたわけか、車の一台も通らない。
 お膳立ては完璧だった。
「なんて、な。ないない。冗談だって」
 あはは、と声を出して笑ったが、それも尻すぼみに消えていく。
「帰るか」
 殊更に笑って見せて。さて、と踵を返そうとした瞬間に。
「………おかえりなさい」
 視線をよぎった白。長い瞬き分くらいの時間、街灯が消えて、次に点いたとき、そこにいたのは―――花嫁。
「え?」
「おかえりなさい、あなた」
 微笑が、美しかった。身震いするほど無邪気で、愛らしく―――女という美しさを孕んで、妖艶ですらあった。
「ずっと、言ってみたかったの」
 あぁ、幽霊なんているわけがない。彼は思った。
 こんなに美しい幽霊が、いるわけがない。
 掠めるような口付け。甘い甘い香りが脳を満たした。
「おはようのキスも、行ってらっしゃいのキスも、みんな、みんなしてあげるわ。おかえりなさい、あなた」
「―――あぁ、ただいま」
 手を引かれて、暗い路地へと足を踏み入れる。










「というわけで、だ」
 王子・団十郎は両手を打ち合わせて、その場の全員の顔を見た。一人ずつ、丁寧に。

「先月、一組の結婚を目前にしていたカップルが、飲酒運転の信号無視に巻き込まれて亡くなった。表向きはそういうことになっているが、この事故で亡くなったのは、補助席に座っていた二五歳の女性だけだ。運転していた男性は重症だったが、病院に運ばれた。奇妙なのは、この女性は外傷が殆どなく、ショックによる心臓麻痺なのに対し、男性は全身打撲の上頭蓋骨陥没などの大怪我だったにもかかわらず、生きていたということ」
 おそらくは、この男性は咄嗟の瞬間に、補助席に座っていた最愛の女性をかばったのだろう。何が何でも、彼女を助けるつもりだったに違いない。そして、自分も生きて―――結婚しようと。
 だが、女性は死んでしまった。
「そして、この女性は死んだ後、病院の集中治療室で治療を受けていた男性を喰らい―――腐敗を止めている」
 車の中にあった、彼らの晴れ着になるはずの婚礼衣装も消えていた。
「それで、だ。ある大学の傍の私有地なんだが、持ち主が倒産、夜逃げをして放置されている屋敷がある。そこに続く路地も私有地で、人気はない上に手入れがずさんでな。以前から幽霊が出る、と噂になっていた場所だ」
 地図を示して見せながら、もう解るな、と彼は眉間に力を入れた。
「最初の男性以外、まだ被害は出ていない。だが、現在一人の大学生が、昼の間にその屋敷に出入りしているところを確認している。生前着る事ができなかった花嫁衣裳を纏った、女性もな」

 地図をその場の一人に渡して、団十郎は頭をかいた。
「その屋敷には、以前から犬の―――しかも、訓練を受けたらしいドーベルマンのリビングデッドが住み着いていた。その退治を依頼しようと思った矢先のことだったから、対処が早かった」
 犬の数は、六。女は花嫁衣裳で動きにくい上に、体育の成績が悪かったというから、戦力としては考えなくていい。ただ、この大学生がラグビーのサークルに入っている大男で、もし花嫁を害しようとしているところを見られると、厄介なことになる可能性がある。
「彼は本来あるはずの昼の授業を放棄し、この屋敷に入り浸っている。そして、夜の八時からアルバイトへ向かうために暗くなる前に一度家に帰宅し、出勤。十二時ごろに仕事が終わり、帰宅し、朝は七時頃から屋敷へ向かう。まぁ、彼がアルバイトに行っている夜の八時から十二時の間に片をつけるのがベストだ」
 屋敷へ入るのは、例の路地のみ。うっそうとした庭のおかげで、外から見られることはまずない。錆びた門を越えて、庭に犬が六匹。屋敷は広いが二階に続く階段が腐り落ちているから、フィールドとしては一回部分の水廻りと2LDKのみ。外の犬を始末すれば、中に入って彼女を捜し、消滅させるのはそれほど難しいことではない。
「できるだけ手早く、リビングデッドを殲滅、撤退が望ましい」
 団十郎は詰めていた息を吐いた。体を起す。

「今回の依頼の要点は、屋敷に以前から住んでいる犬のリビングデッドの殲滅、女性の討伐。幸せになる矢先の不幸な事故。同情の余地は十分にあるが、彼女の苦しみを速やかに終わらせてやるのが、優しさだ」
 純白の花嫁衣裳が、鮮血に染まる前に。

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参加者
翳・彩蟲(待ちすぎた花嫁・b03631)
饗庭・京斗(風韻泉路に駆ける鼓動・b05370)
壷居・馨(匣入り坊ちゃん・b08122)
志麻・六郎(刈り取る者・b17419)
鈴下・茉莉(乙女心もめがとん級・b19668)
渕埼・寅靖(硬骨の嵐虎・b20320)
淵守・照(奏律の唄弾き爪・b22831)
神海・碧(果敢のマドンナ・b25850)



<リプレイ>

●起
 じじ、と蛍光灯の不具合が音として聞こえるほどに、静かな路地だった。問題の私有地に続く道路を八つの影が窺っている。時間は七時五十五分。そろそろ、大学生がアルバイトに出かける時間だ。
 翳・彩蟲(待ちすぎた花嫁・b03631)は複雑そうな顔で時計から銀色の瞳を上げる。彼女自身も、結婚式前に婚約者を亡くした身の上である。同情は深いが、赦すわけには行かないと理解もしている。それでも、嬉々として、というわけには行かなかった。
「そろそろだね」
 壷居・馨(匣入り坊ちゃん・b08122)が小さく呟く。宵闇にも映える金の髪をした彼も、彩蟲同様、表情を曇らせていた。一番綺麗なはずの花嫁。祝福を受け、不安よりも愛する相手と未来を作っていく期待に満ちているはずの存在。可哀相だと、彼は素直に思った。
「ええ」
 落とした声で同意したのは神海・碧(果敢のマドンナ・b25850)。緑の瞳と茶色い髪を持つ少女だ。花嫁衣裳の大切さは、よく解る。どれほど特別な気持ちで、身に纏うべきものなのかも。もし、被害者の大学生が、今回の討伐対象になっている花嫁にとって大事でないなら。とても哀しい事だと、彼女は考えている。
 碧の隣、初依頼、その上普段親しくしている相手もいないということで、淵守・照(奏律の唄弾き爪・b22831)は緊張気味である。内側に巻いた漆黒の髪を少し撫で付け、大きな同じ色の瞳で真っ直ぐに路地を見ている。
「結婚式、楽しみにしてたんだろうなぁ……」
 小声でもらした。目前に事故に遭うなんて、本当に残念だっただろうと深く同情しつつ、その傍らで、自分もそのドレスを着ることができるかと、少しだけ、期待を膨らませてみる。彼女は相当緊張しているようだ。
 その姿を横目に見つつ、渕埼・寅靖(硬骨の嵐虎・b20320)と饗庭・京斗(風韻泉路に駆ける鼓動・b05370)、志麻・六郎(刈り取る者・b17419)はそれぞれ、戦闘の再確認を手早く行っている。できるだけ素早くリビングデッドを殲滅するために、事前の打ち合わせは十分行ったが、最後の確認といった感じである。
「あら」
 そして、鈴下・茉莉(乙女心もめがとん級・b19668)がのんびり声を上げた。彼女の緑の視線の先で、遠目にも大柄な、角刈りの男子大学生が、暗い道を早足で歩き去っていく。時計の長針は真上を向いていた。夢見ていた結婚式も幸福な生活も、突然に奪われたその無念は量りきれない。だからこそ、その苦しみを早く終らせてやりたい。偽りの結婚生活。それを続けることは本当の幸せが失われた悲しみを、いつまでも抱えつづけていることになる。だから、茉莉は―――否、全員、彼らの空気が入れ替わる。同情も同調も憐憫も追憶もここまで。ここからは、戦場だと、彼らは知っている。

 八人は速やかにイグニッションを済ませ、屋敷の前まで移動した。暗いが、足下が見えないほどではない。屋敷は洋風で、立ちはだかるように格子の二メートルは在りそうな門が存在した。幽霊の噂くらい立ちそうな、いかにも、な概観をしている。だが、鍵はついていない。
「では、俺から行く」
 肩から下げたライトを片手に、霧影分身術を発動した寅靖が扉に手をかけた。黒の眼に躊躇いはない。ぎぃ、とさび付いた蝶番が、侵入者に愚痴でも言うように音を立てた。
 庭は広い。だが、酷くそっけない景観だった。割れた石畳を踏みしめて、先頭に寅靖。続くのは前衛の京斗、六郎。どちらも可能な茉莉、碧。後衛の彩蟲、照。最後に、扉に細工をするための馨が入った。扉を閉める。最初と同様、酷く不満げに扉は閉められた。
 馨が周りを見回してから、細工にかかる。花嫁の逃亡と、大学生の不慮の帰還に対応するために、持参のロープで扉の取っ手と、格子になっているので扉自体を括り付ける。いつ戦場になるか解らない庭に背を向けているという状況だが、彼の手元をそっと照らす白燐光と、横で警戒してくれている碧の存在が、恐怖を払拭していた。

「来るぞ」
 不意に、六郎が暗闇に溶けてしまいそうな黒い大鎌を構え、赤の瞳を眇めて警戒を発する。
 どこか無造作に歩を進めていた寅靖のライトに、幾つもの虹彩が光を返した。低い唸り声が、風に混ざる。さすが、訓練をつんだだけはある。気配は、殆どなかった。
 一瞬の膠着状態。一匹が飛び出そうとして―――京斗の足下から伸びた影がそれを斬りつけた。それで箍が外れたのか、一気に五匹が飛び掛る。
「まずは、先制だ」
 京斗の声に答えるように茉莉の光の十字架が犬たちを押し留めた。畳み掛けるように彩蟲がブラストヴォイスを奏で、重ねるように照も攻撃の意図を孕む歌をつむぐ。

「できたよっ!」
 馨の報告と殆ど同時に、戦場には不似合いな子守唄が、犬たちに降り注いだ。

●承
 三匹がヒュプノヴォイスの効力を受けて動きを止めたのを、京斗は銀の瞳で確認しつつも、旋剣の構えを取って走り出した。
「右から行くぞ!」
 そのすぐ後ろに六郎が続く。
「さあて、狩りの始まりだ」
 どこか楽しげに、彼はそれを口にした。京斗同様旋剣の構えを発動させる。三匹の犬が、一斉に寅靖に襲い掛かった。後ろからの声を聞いてか、右から飛び掛ってきた一匹を殴り飛ばして、少し放して、後の二匹に甘んじて噛み付かれつつ、少しでも離れるべく行動する。
 まず、照の射撃が犬に掠った。動きを止めたところに茉莉の、白燐奏甲を纏った念動剣が肩をえぐる。京斗が黒い刃の長剣を振り切ってその胴を両断した。
 寅靖を強敵と踏んだのか、一匹の犬が離れて碧に狙いを定める。回避行動を取ったが間に合わずに、ふくらはぎを噛み付かれた。
「―――っ!」
「次は貴様だ」
 六郎の黒いオーラを纏う鎌が、身動きの取れない犬に襲い掛かる。逃げようとしたが―――
「動きが遅い!」
 後ろの脚を切断した。
「碧ちゃん!」
 馨の声と同時に雑霊弾が炸裂する。犬は離れて、碧は一歩よろめき後退した。若草色の煌きが犬を遠ざける。その間に、照の優しげな声色が仲間達に癒しを与えた。
「助かる!」
 執拗に食らいかかってくる一匹に龍顎拳を叩き込みながら寅靖が謝辞を述べる。
「碧ちゃん、大丈夫?」
 駆け寄った馨に、碧は一つ頷いて答えた。
「先にそいつを叩いたほうが良さそうだな」
 ちらりと囮役の様子を確認し、まだ大丈夫だと踏んだ京斗は長剣を刺突に構えて、一気にその頭蓋を貫く。
「起きているのはこれが最後だ!」
 これを叩けば、後は眠っている犬を一斉攻撃で、それこそ目覚める前に永遠の、本来あるべき眠りにつかせるだけだ。
「行きますわ」
 凛と声を上げて碧が走りこむ。その身の軽さを生かして寅靖と犬の上を一転して飛び越え、着地と同時に三日月の残像を以って、犬を仲間達のほうへと蹴り飛ばす。待ち構えていた六郎が、黒影剣で薙ぎ払った。一刀両断である。

「翳先輩、あの……」
 戦闘に気を取られてしまったため、屋敷への警戒がおろそかになったような気がして、照はそのことを謝ろうと彩蟲を見た。だが、彼女は子守唄を紡ぎ続けながら、小さく笑って、首を横に振った。
 気にしなくていいということか、それとも変化はないということか。ともかく、照の言葉の意図を汲み取ってくれたのだということは解る。
「あ、ありがとう、ござい、ます」
 
 戦闘は終盤を迎えていた。眠りに落ちていた三匹を、これも右から、一匹ずつ、確実に仕留めていく。全員の一斉攻撃に、避けることもできずに曝された犬は、脅威ではなかった。
「六匹全て殲滅確認。時間は八時二十分。上々だな」
 京斗の冷静な声で、メンバーは一度、詰めていた息を吐いた。彩蟲が歌を終らせ、呼吸を整える。しかし、誰もが、そこで終わりなどとは思っていない。

●転
「まずは裏口等の逃げ道がないことを確認しよう」
「その前に回復ですわ」
 にっこり笑って、茉莉が言う。最もだ。それを見て、六郎が挙手をした。
「よろしければその間に、私が見てきます。たいしたダメージもないですので」
 礼儀正しく言うのに、馨も同意した。
「じゃぁ、ボクも一緒に行くよ。囮のお陰で、後衛のボクたちは殆ど怪我がないし」
 ね、と緑の瞳を輝かせて、彩蟲を省みる。
「えぇ、ありがとうございます」
 穏やかな雰囲気に、寅靖も小さな笑みを浮かべた。
「俺に出来るのは、今を護ることだけだ」
 だから、それが全力でできたことは幸いだった。そして、ふと、花嫁を護れなかった花婿の無念を思った。或いは、彼は自ら喰われる道を選んだのではないかとすら、思う。それは想像の域をでないが、あまりに、悲しい想像だった。
 準備が整い、八人そろって屋敷に足を踏み入れる。こちらの扉も、あっけないほど簡単に開くのが、どこか不気味である。ちなみに、裏口はつたが絡まって使用不可能ということだったので、花嫁の逃げ道はこの正面入り口だけとなる。
 寅靖の女性に手を下してほしくないという意見と、男性陣だけで、当面の戦闘力としては問題ないだろうという京斗の意見で、前列に男性、後列に女性という形になった。ただ「私が斬ると真っ二つにしてしまいますが」と六郎は至極真面目に、酷く物騒な忠告をしてくれたので、逃げたときのフォローをしてもらおうよ」と馨が機転を利かせた。彼の得物と、先ほどの戦闘で見せた犬への一刀両断を思い出したのは、何も一人ではない。
 ライトに照らし出された、広く―――階段が腐り落ちたエントランス。その右にある部屋から、一同は中を検めた。応接間のようだ。クローゼットや大きめの棚を開いてまわり、目標を発見できずに次に移る。左の廊下を進み、右に見えた風呂、斜め向かいのトイレも同じように確認し、正面の突き当たりにあるダイニング、リビングに出た。過去はさぞや居心地よく、昼であれば太陽光を存分に取り込むことができたであろう大きな窓があった。ここが最後だ。
 緊張感が張り詰める。不意打ちを警戒して、馨は張り詰めていた神経を、さらに研ぎ澄ませた。それゆえに解ったのか。一瞬、何かがライトの光を反射した。
「あっ!」
 がた、と更に奥から何かが落ちた音が響く。二つのライトがそちらを向き、白燐光がその場を白く照らし出した。
「―――ッ!」
 まるで、少女のような人だった。白いドレスを着て、髪を綺麗に結い上げ、念入りに施された化粧―――花嫁、その人。だが、手には似つかわしくない、包丁を握り締めている。その手は震えていない。
「人の家に、勝手に入ってこないで……っ」
 ここは花嫁にとっての、夢にまで見た新婚生活の場所。そこを護るために、たった一人で、刃物を持ってでも戦うつもりなのだ。
「あの方は貴女と約束した方ではありません……」
 寅靖の背後から出るように、彩蟲は踏み出して言った。
「思い出してください…貴女は誰と生きたかったのですか……?」
 静かな問いかけ。
「私はまだこちら側で逢いに行けないけれど、貴女は向こう側へ逢いに逝ける…このような所で刹那の幸せに縋る事はありません」
 静かだが、重い―――重い言葉だった。
「その花嫁衣裳は、もう血に染まっているでしょう? 貴方を想う方の血に」
 碧が声を重ねた。花嫁の手が、一瞬震える。
「っ!」
 寅靖が言葉を発する余裕もなく、腕を伸ばした。花嫁が投擲した包丁が、その腕に突き刺さる。
「渕埼さん!?」
「何が解るの! 私の気持ちが、貴方たちなんかに解るものですか! 嫌よ、こんなはずじゃなかったの! あの人と一緒に私は―――ッ」
「悪いが」
 叫びをさえぎったのは、京斗の足下から伸びた黒い影。
「どんな事情であれ、俺はゴーストに同情はしない。今のお前を動かしてるのは、仮初の命ですらねぇんだよ」
 きっと、花婿は命に代えても、守りたかったはずだ。この女性を。だが、残されたほうは、どうなのだ。それを思うと、堪らない。今回はその想いは裏目に出てしまった。皮肉なことに。
 折角守ったつもりの花嫁の、この末路を知らずに逝ったのは、せめてもの救いなのだろうか。苦く、思って。
 けれど彼は、攻撃の手を緩めない。
「いや! 嫌よ……嫌よぉ!!」
 迫る黒い長剣から、花嫁は長いドレスを翻して逃げ出した。途中で何か鉄パイプのようなものを拾い上げ、窓に叩きつける。大きな窓が砕け散った。もとより形を残していただけでも、奇跡のような代物だったから、それは不可能ではない。けれど、逃げられはしない。
「哀れとは思うが……今のうちに殺すのが情けだ」
 六郎の鎌が、室内でも綺麗な弧を描いて、花嫁に迫る。彼女は恐怖を感じてか、振り返って悲鳴をあげた。
 右から袈裟懸けに。
「あ―――あ……ぁあぁあ……」
 砕け散るガラスが、月光とライトを反射し、まるでヴェールのように、ライスシャワーのように、彼女を抱擁した。
「あ、なた……ね、ぇ……帰って……はや……」
 白い手袋をした手が、誰かを探すように彷徨った。包丁を腕から抜いて、寅靖が静まった中を歩く。
「や……いや、よぉ……」
 独りは、いや。
「――ただいま」
 優しげな声で、彼は言った。空を掻くその手を優しく握り締める。
「あの時、護れなくてすまない……あちらで、待っているから」
 それきり、声は途切れた。
「……向こうで、ちゃんと…二人一緒に、なれますように」
 照の祈りに似た独白。
「都合のよい言葉と思われるかもしれませんけど。お二人が天国で結ばれて幸せになれることをお祈りいたしますわ」
 そっと目を伏せて、茉莉は呟いた。
 戦いは、終った。

●結
 大学に行くべき時間だが、彼はそれを忘れていた。そんなことより、もっと大事なことができたのだ―――できたはずだったが、それが妙に曖昧になっている気がした。だが、ともかく、いつもの道に脚を向ける。以前から幽霊が出ると噂されていた、その通路を自分が嫌っていたことをふと思い出しながら。
 格子の扉を見上げる。どんな用事が合ったのだろう。
 なにか、大切なことだったはずなのに。
「おかえりなさい、あなた」
 庭に、一人の女性が立っていた。純白のドレス。目元まで隠れたヴェール。その手に、ブーケを愛しげに抱いている。
「―――ぁ」
 とても大事に、思っていたはずだった。
「今までありがとう……」
 風が囁くような声で、その女性は言って。
「でもさようなら」
 敢然とした、別れの言葉だった。何故か、馬鹿みたいに涙が出た。意味が全然解らないのに、涙が出て。
 どうぞお帰りなさい、と優しすぎる声に背中を押されて、その場を後にした。

 日が当たるリビング。そのソファーで、まどろむように。
 静かに、眠る花嫁の姿が、その屋敷には残った。
 茉莉の手によって、美しく整えられた婚礼衣装。
 葬送衣装でもあるその純白の衣装が、血塗られることなく、事件は終わりを見た。

 おめでとう。
 貴女の最愛の人と、幸せになってね。

 少年の祝福が、静かに彼女を微笑ませている。


マスター:泉河沙奈 紹介ページ
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楽しい 笑える 泣ける カッコいい 怖すぎ
知的 ハートフル ロマンティック せつない えっち
いまいち
参加者:8人
作成日:2007/06/25
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冒険結果:成功!
重傷者:なし
死亡者:なし
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