おあがり


   



<オープニング>


 迷い迷って森の中、夜の暗さに煽られて不安に押しつぶされそうな時、見えた光は唯一の救いのように見えただろう。
 歩き疲れたその男は、森の奥にぽつりと残されている大きな屋敷の玄関まで辿り着くと、その扉を遠慮がちに叩いた。
 出てきた人の良さそうなお婆さんの姿に、不安が和らいでいく。
「あの、道に迷ってしまって……」
「……それは大変でしたねぇ。さ、中にどうぞ。ゆっくりしてお行きなさいな」
 男の言葉も終わらぬ内に、老婆は男を中へと招いた。
 戸惑いながらも招かれるまま広い客間に通された男の前に、老婆が次々と料理を運ぶ。
「あ、あの、俺、こんな……」
「たんとおあがり、たんと、たんと」
 そう言って老婆の浮かべた笑みが、どこか薄ら寒く感じた。
「俺、道だけ教えて貰えれば大丈夫ですんで!」
 すっと立ち上がって玄関へと向かおうとする男を、老婆の細い手が制す。
「ずっとここに居てくださいな。ずっと、ずっと、ずっと」
「い、いや、俺、帰らないと……!」
 老婆の手を振り切って、逃げ出そうと男は老婆に背を向けた。
 しかし、足を踏み出す前に、後ろから包丁をつきたてられて、その場にくずおれる。
「さあさ、食事もお風呂も全部用意はできてますよ。ずっと、居てくださいな」
 ずっと。ずっと。そう、老婆は繰り返す。誰もいない広い屋敷の中で、ただ、一人。

「はいはーい、それじゃー、予報をはじめましょーか。あ、これよろしかったらどーぞ」
 手作りらしいきんぴらごぼうを集まった面々に勧めつつ、三石・沙恵(高校生運命予報士・bn0061)はこほんと一つ咳払いをして話を始めた。
「とある森の奥にあるもう朽ちつつあるおっきなお屋敷に、おばーさんの地縛霊が出るんです。どーやらこのおばーさん、迷い込んできた人を屋敷に閉じ込めて帰れなくしちゃってるみたいなんです。迷い込んだ人は、とーぜん自分のおうちに帰ろうとしますよね? そーすると、おばーさんは帰さない為にその人を襲います。お屋敷に辿り着いた人は、一人も帰ってきませんでした。放っておけば、犠牲者は増える一方です。これはもう、見過ごせないでしょう」
 屋敷までの地図を机の上に広げながら、沙恵は言う。
「お屋敷に行くとおばーさんがみんなを客間に通してくれるはずですので、戦うならそこがいいと思います。玄関のその場で戦うのも問題はありませんが、狭いのでお勧めはできません。お屋敷は現在廃墟同然ですが、地縛霊が出ている間は特殊空間になっていて、住んでいた当時の綺麗なお屋敷になっています。地縛霊を倒せば、元の廃墟同然のお屋敷に戻るでしょう。みんなが入っていくのは特殊空間ですから、人の目や建物を壊しちゃうんじゃないかってことは気にせず戦えますよう。地縛霊は包丁での斬りつけの他に、恨み言を繰り返し呟く声での攻撃を仕掛けてくると思います。戦闘が始まると三人の地縛霊が現れて、椅子やツボ等を用いて殴りかかってくるでしょう。当たり所が悪いと気絶してしまうので、油断なさらずに。三人の地縛霊は、おばーさんに襲われておうちに帰れなくなった方々です。みんなにも同じ思いをさせようと襲ってきますので、じゅーぶんに気をつけてくださいね」
 淡々と説明し、一息ついてきんぴらを摘んだ沙恵は、少し考えてからそれをこくんと飲み込んで再び口を開いた。
「おばーさんはたぶん、すごくすごく寂しくて、地縛霊になっちゃったんじゃないかなーって私思ってるんです」
 たった一人広い屋敷で亡くなって、寂しくて寂しくて仕方がなくて死に切れず、誰かをずっと屋敷に引き止めてしまいたかったんじゃないか、と沙恵はどこか悲しげな顔で語った。
「お屋敷に入った始めのうちは、おばーさんは本当にもてなしてくれるだけなんです。あったかいおばーちゃんの作るよーな家庭の料理を並べてくれたりして。もしかしたらそれは、襲う人間をその場に留めておくためにしているのかも知れませんけど……。……もし、みんながよければですが、おばーさんの最後のもてなしを受けてあげてくれませんか? 帰ろうとしない限り、おばーさんは襲ってきません。出された食事も、毒じゃないです。戦う前にほんの少しだけそうしてあげられたら、寂しい思いを紛らわせてあげられたらいーのになーって、思うんです」
 甘いですね、私、と沙恵は苦い笑みを浮かべた。
「ま、全部私の予想に過ぎませんし、現場に向かうのはみんなですから、私のお願いは無視してくださっても構いません。何を言ったって、相手は地縛霊、ゴーストですからね。どんな理由があったにせよ、今はそんな感情も忘れて、ただ人を襲い悲しみを生むだけの存在に過ぎないでしょう。倒して、終わらせてください」
 みんなならできるって信じてますから、と沙恵は微笑んで、お願いしますと頭を下げた。

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参加者
高森・宏(高校生ヘリオン・b02551)
杉小路・次郎(向こうへと飛ぶイトトンボ・b03378)
鳴楼・焔璃(彼方の慧眼・b04931)
楠木・香(焦がれ惑うもの・b14282)
アルファ・ラルファ(ティアレタヒチ・b15679)
岡田・正(ウブゴエ・b16747)
ミヤコ・フォンテーヌ(ゴールデンふじこ・b26142)
依藤・たつみ(あやなしの八咫烏・b41807)



<リプレイ>

●ひととき。
 屋敷の中から現れたお婆さんが柔和な笑顔で誘うまま、能力者たちは屋敷に足を踏み入れた。
 写真の飾られた玄関を抜け、歩く度小さくきしむぴかぴかの廊下を歩いて、客間へと通される。
 依藤・たつみ(あやなしの八咫烏・b41807)は部屋の一番奥、壁に背を向ける形に腰を下ろし、高森・宏(高校生ヘリオン・b02551)がその横に席を取った。
 宏の隣には鳴楼・焔璃(彼方の慧眼・b04931)が並び、入り口の傍でお婆さんの近くに当たるだろう場所にはミヤコ・フォンテーヌ(ゴールデンふじこ・b26142)の姿がある。
 同じくお婆さんの近くに当たるようにと考えた岡田・正(ウブゴエ・b16747)と、杉小路・次郎(向こうへと飛ぶイトトンボ・b03378)が障子側の席につき、アルファ・ラルファ(ティアレタヒチ・b15679)はテーブルのいわゆるお誕生日席に座した。
 一番最後に客間に入った楠木・香(焦がれ惑うもの・b14282)がアルファの向かい側に座り、席が整うのとほぼ同時に、お婆さんがお盆いっぱいに料理を運んでくる。
「わああ、美味しそう! 凄いよう、お婆さんが全部作ったの?」
 次々に運ばれてくる料理に、焔璃が目を輝かせてお婆さんに声をかけた。
「ええ、たんとありますからね」
「折角オレ達の為に作ってくれたんだ。勿論! いただきます!」
 にこやかに答えるお婆さんに、正はにっと笑って見せて、ぱん、と手を合わせた。
「たーんと御馳走になんぜーぃ」
 満面の笑顔で香は湯気の上るご飯を片手に、筑前煮へと手を伸ばす。
「ゴハンー♪ ご馳走デス♪」
 アルファは嬉しそうに声を弾ませながら、何の迷いもなく鯖の味噌煮をつつき口いっぱいに頬張った。
「美味しい……。キヨさん、でしたっけ? やっぱり出汁が違ったりするのかな」
 素朴な味噌汁を一口、息をついた宏が表札に書かれていた名前を思い出しながら言うと、お婆さんはええ、と穏やかに笑う。
 ぬか漬けをぱりぱり言わせている焔璃と、ほんまに美味しい、とふっくら煮豆を摘んでいるたつみはそのお婆さんの笑顔に、顔を見合わせて思わず頬を緩ませた。
「料理上手なんだね、お婆ちゃん」
「このきんぴらも、ご飯も進むし美味しいよ」
 出汁巻き卵に舌づつみを打っていたミヤコに続き、ぴりからのきんぴらをご飯に乗せた次郎がミヤコとお婆さんを見やって言う。
「ほんとだ、美味ぇなこれ! なあなあ、どーやって作るんだ?」
「おいひー! ほのあじふへが……」
 できれば教えて欲しいと問う香に続き、うんうん、と頷くアルファが何かを語ろうとしているのだが、再び口いっぱいに詰め込んでいるため何を喋っているのかわからない。
「んぐっ!?」
「大丈夫?」
 言葉を続けようと慌てて飲み込もうとして、喉に詰まらせたアルファに、宏がお茶を差し出す。何とかごくんと飲み込んだアルファは、どこか照れたように笑った。
「っと。婆さん、おかわりー!」
「あ、僕もおかわりさせてもらおうかな」
 空になった茶碗を掲げて勢い良く告げた香に、少し恥ずかしそうにしながら次郎が続く。
「お、次郎もか。じゃあオレも!」
「うん、普段から結構食べるんだよ、僕」
 お婆さんに茶碗を渡す正に、次郎はふふふ、と少しくすぐったそうに笑った。
 たんとおあがり、とご飯をよそってくれるお婆さんはどこか楽しげでもあって、楽しい思いをして貰いたいと思っていた正は嬉しそうに笑みを浮かべた。
「おばーちゃん、すんごい美味しいデス! ありがとー!」
 てらいも何もないアルファの心からの笑顔に、お婆さんは優しく微笑で応える。
 お婆さんの振舞ってくれた料理は、何だかとても懐かしくて温かみに溢れていた。その優しい味が少しだけ、切ない。
「ご馳走様。有難うな婆さん!」
「御馳走様でした。美味しかったわ」
 もてなしを受けたのだから地縛霊など関係なく、当然のように香は礼を告げて笑い、ミヤコもしっかりと有難うの気持ちを伝えた。
 皆が皆、口をそろえてお婆さんに感謝を告げる。
「ねっ、お婆さん。ボク達に御馳走のお返しさせてもらってもいい?」
「今日のお礼だね」
 すくっと立ち上がった焔璃がお婆さんの肩もみに回り、次郎が自然な笑顔で続ける。
 皆でテーブルの上を簡単に片付け、隅に置いてあったふきんでたつみがその上を拭く。
 皆がお婆さんに声をかける度、皆が楽しそうに言葉を交わす度、お婆さんは優しい顔で笑った。
 ゆっくりと穏やかに、残酷に時間は過ぎる。
 誰からともなくそっと視線を配り合い、心の中でだけひそりと息をついた次郎は、す、と一つ呼吸を整えた。
「そろそろかな?」
 辛くなる前に、早く終わらせようと終わりを促す。
「わわ……もうこんな時間だっ、ボク達帰らなきゃ……ね?」
「おいとまさせて頂かないとね」
 どこか悲しげに言う焔璃の言葉に、ミヤコが頷いた。
「ほんまにありがとう」
「じゃあ、な。ばあちゃん」
 たつみに、正が続く。賑やかだった客間に響く自分たちの言葉は、どこか冷えて聞こえた。
 言いたくはなくても、言わなければならないから。
「楽しかった。けど、そろそろ……うん。お暇するわ」
 ごめんな、と言う言葉を心にしまって、香は苦い笑みを作った。
「ずっと……ずっと、ここに居てくださいな」
 笑顔の消えたお婆さんが、震える声で訴える。
「キヨさんも、一緒に帰りましょう。……僕たちの在るべき世界へ」
 死後の世界も、輪廻もあるかなんてわからないけれど、お婆さんにも次の一歩を踏み出して欲しいから。宏は言葉を差し伸べる。
 最後までためらっていたアルファも、断末魔の瞳で見えた悲しい現実に心を決めた。
「もう、終わらせるデス。みんな、帰りましょう……」
 かつてここに居た全ての人に語りかけるアルファの言葉に、お婆さんの嘆きの声と、地縛霊の呻き声が重なり響いた。

●もう、
 そこに居たのはもう、ただの地縛霊の老婦だった。
 嘆きの声がもたらす衝撃の中畳を蹴った次郎は、青い硝子が白燐蟲の力を受けて淡く輝く蟲笛を手に老婦の前へと躍り出てその注意を引く。
 犠牲者の地縛霊は、椅子に壺、額縁を手に襲い掛かってきた。
 静かに身構え深く呼吸をして湧き上がる力を手に入れたミヤコと、白い刃を頭上に掲げ旋剣の構えを取った正がその前に立ち塞がる。思い切り振り下ろされたそれに、意識が持っていかれる。
「まだ一人居てる!」
 一番後ろから戦場を見渡すたつみの声に突き動かされるように、白燐蟲を纏わせた宝剣を手にした香が鋭く空を切る額縁の前に飛び込んだ。
「もっちー!」
 連れ立ったグレートモーラットに仲間の回復を呼びかけながら、二丁のガンナイフを構えたアルファは呼び集めた雑霊を気の塊と変えて撃ち出した。
 たつみの盾になるように佇む宏が、それにあわせて迅雷の如き閃きを見せる念動剣を放ち、地縛霊に突き立てる。
 アビリティの力で生み出した栄養ドリンクを一気に飲み干した焔璃が朱い蛇鞭をしっかりと握り直すのを視界の端に映しながら、たつみは清らかな祈りを込めて赦しの舞を舞い踊る。
「ごめんなばーちゃん、ちょっとの辛抱や。堪忍したって……」
 呟いた言葉を乗せた神聖な舞が、気を失った仲間達に意識を取り戻させた。
 行かないでくださいなと呟く老婦が包丁を次郎に突き立てる。間近で見た老婦の狂気じみた瞳の奥に、深い悲しみを見た気がした。
 色々思うところはあれど、相手はもうゴーストだから。次郎は思考の一切を切って痛みに眉を寄せながらきゅっと唇を結んだまま、ためらわずに神秘の衝撃波で反撃する。
 次郎が老婦をひきつけている間に、獣爪を構えたミヤコが獣のような体勢から不可視の衝撃波を放ち、衝撃に飲み込まれて怯んだ隙に迫った正が、白に闇を纏わせ刃を走らせる。安らかに眠れと、思いの秘められた刃が命を抉った。
 香が白燐奏甲で次郎の傷を癒す中、仕返しのように返される地縛霊の容赦ない殴打が、ミヤコと正、フォローのために前に出たアルファを打った。
 気を失った主に従者が祈りを捧げると、彼女の意識が戻ってくる。
「もっちーの声が届く限り……絶対に倒れないデス!」
 心配そうな瞳に笑顔を返して、アルファはガンナイフを構え直し、雑霊弾を一番傷の深い地縛霊へと撃ち込んだ。
 仲間の命を支えるために、宏が癒しの力を秘めた符を、焔璃が栄養ドリンクをそれぞれミヤコと正に放る。
 漆黒の髪をなびかせ、神聖な舞を見せるたつみが奪われた仲間の意識を取り返し戦場へと送り出す。
 青い瞳をすいと細めて放つミヤコの牙道砲が地縛霊の一人を完全に飲み込んで消滅させた。
 声を掛け合い、信頼しあう仲間同士フォローし合って彼らは戦場に立ち続ける。
 一人老婦を相手取る次郎の消耗は激しいが、自身で用いる白燐奏甲に加え仲間が癒しの力で支えてくれるため倒れずにいられた。
 豊富な回復手が安定した攻撃を許し、連携した集中砲火が地縛霊たちを追い詰める。
 宏の生み出した光輝く槍と焔璃の放つ雑霊弾が地縛霊の胸を撃ち貫いて引導を渡した。消えて行く犠牲者は酷く悔しそうな、けれどどこかほっとしたような顔をして形を失った。
 残り一人になったことで回復に当てていた分攻撃に回ることが可能になり、怒涛の力の波が嘆き悲しむ地縛霊の命だけでなく涙すら奪って行く。
「おうちに帰りたかったデスよね……。一緒に、帰りましょう……」
 正の伸ばした闇の腕に裂かれて咽ぶ地縛霊に呼びかけながら、アルファは原始的なガンナイフの引き金を引いた。
 悲しい犠牲者は断末魔の叫びを残し姿を消して、老婦は一人きりそこに立っていた。
 とても寂しいと、続く嘆きの声は低く静かに重い衝撃を伴って耳に届き、皆の命を削った。
 仲間が合流したことで心強さを得た次郎は夢の中から呼び出したナイトメアを疾走させ、老婦に一撃を喰らわせる。
 一瞬怯んだその隙に、一気呵成に攻め立てる。
 赤黒く濡れた刃で重い一撃を繰り出す老婦もまた、全力でそれに抗う。
「幾ら寂しくても、誰かを道連れなんて駄目だよ。それに、このままじゃきっと、おばあさんも苦しいよ」
 先程よりどこか透き通って見える朱い蛇鞭を振るい、焔璃は安らかな眠りを願いながら作り出した雑霊の塊を放った。
「そう、このまま立ち止まっていたら駄目なんだ」
 一人世間から取り残されることがどれだけ寂しいか、想像する事もできないけれど。宏は自分の思いにしたがって、光り輝く槍を放ち畳み掛ける。
「あたしには何となくやけどばーちゃんの気持ちがわかる。……せやし、ばーちゃんには早う成仏してもらいたいんや」
 あぁ、と零れた声に眉を寄せながら、たつみは思いを込めた魔を打ち滅ぼす聖なる矢で老婦の胸を貫いた。
 自分のお婆ちゃんは、自分のことをすごく可愛がってくれたから、老婦の姿を目にすると少し戦い辛いけれど、もっちーを体の中に呼び込んで力を上げたアルファは戦いの意志を消さず、
「アルファはおばーちゃんのコト忘れない。美味しいゴハンも忘れない。……だから、もうひとりぼっちじゃないデスよ」
 雑霊弾に言葉を乗せて、撃ち出す。
 黙ったままの次郎が走らせるナイトメアは、純粋に解放してあげたいという想いを無意識に背負い老婦を襲った。
 口を噤んだ香は仲間の様子をぐるりと見回してから、手が白くなるほど宝剣の柄を握り締めクワガタの顎のような形状の刃を構え神秘の衝撃波を叩き込む。
「暗い森の中に止まり続けるのは、もう、終わりにしないと」
 恨みと寂しさに苦しみ続ける悲しさに僅かに胸を痛めながらも、ミヤコは躊躇なく獣の咆哮のような衝撃波を放つ。これ以上寂しい思いをさせないように、覚悟は決めていた。
 崩れ落ちそうな体に、刃を構えた正が迫る。
 本当は泣き出してしまいそうなほど悲しいけれど、表情は引き締めて、寂しかったよな? 誰かに居て欲しかったよな、とこみ上げる言葉を飲み込んだ正は刃に闇のオーラを被せた。
「ごめん、ばあちゃん……これで終わりだから……っ!」
 これ以上、誰も悲しまないで済むように。闇色の閃きを見せた刃が、老婦の命の炎を消し去った。
「ボク達が最後のお客さんです。その後はお婆ちゃん、どうか心安らげる場所へ」
 鎖が砕け姿を失いつつある老婦に、ミヤコが静かに告げる。
 消え行く間際、お婆さんはまたあの優しい顔で微かに笑い、震える唇で何かを紡いだ。

●「ありがとう」
 一瞬の違和感の後、目の前の景色が一変する。
 朽ち果てた屋敷の姿に、全てが終わったことを実感した。
「誰も、気付いてあげられなかったのかなぁ」
 ぽつりと呟いた焔璃の言葉は、切なく静まり返った屋敷に響いた。
 確かに今までは誰も気付けなかったかも知れないけれど、最後の最後に、皆はその寂しさに気付いてあげられた。
 もてなしを受けて貰えたお婆さんの笑顔はきっと、偽りではない。そう、思いたい。
「一宿一飯の恩義は返さんとなァ」
「せめてもの恩返しにね……」
 腕まくりをしながら言うたつみに、宏が大きく頷き、仲間からそれぞれに同意の声が上がった。
「きっとばあちゃん、この屋敷を大事にしてたんだな……」
 あの頃のように綺麗にはならないかも知れないけれど、ここはお婆さんの大事な場所のはずだから。正は蜘蛛の巣を払いのける。
 少しでも綺麗な姿を取り戻せるよう、次郎も積もった埃を払った。
 先程までの、とはいかないが皆で取り掛かった掃除のおかげで、荒れ果てたはずの屋敷が少しだけ息を吹き返したような気がした。
「うぅ……なんだかボクもお婆ちゃんに会いたくなっちゃった」
 顔をくしゃくしゃにして嬉しそうに笑っていたお婆さんを思い出し、ミヤコが誰にも聞こえない程小さな声でこっそりと呟きを零した。
「さようなら、それと行ってらっしゃい……」
 いつかまた、どこかで幸せな彼女に会えることを願って、宏は亡き者を送る。
「……貴方の来世が、幸せなものでありますよう」
 それに続くように、次郎が未来へと祈る。
 たつみが静かに足を運ばせると、腐りかけた床がぎしりと鳴った。
 お婆さんと犠牲者の方々が迷わず上っていけるように願いを込めて、たつみはゆるりと舞い踊る。
「大好きだよ、おばーちゃん……」
 お婆さんの似顔絵を描いたスケッチブックをそっとその場に残したアルファが、少しだけ悲しげに笑って言う。
 ここで亡くなった全ての人が、次に生まれてくる時は寂しくない幸せな人生を送れるように、強く強く願いながら、焔璃はその手に抱えた花束を彼女らへと手向けた。
 門出の言葉を持つスイートピーの花束が、誰もいなくなった屋敷の玄関先で揺れている。
 屋敷は朽ちた姿に戻っても、お婆さんの振舞ってくれた味は覚えている。全てが消えた今でも、残っているものは確かにあるのだ。
 それを胸に感じながら、香はお邪魔しました、と屋敷にお辞儀をし、踵を返して嘆く者のいなくなった屋敷を後にした。


マスター:月白彩乃 紹介ページ
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楽しい 笑える 泣ける カッコいい 怖すぎ
知的 ハートフル ロマンティック せつない えっち
いまいち
参加者:8人
作成日:2008/05/08
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