●『月夜の舞踏会』
今日はクリスマス。天音はいささかそわそわしながら、伊吹の部屋のドアをノックした。受験勉強で机に向かっていた伊吹は、ノックの音に振り向いて、 「どうぞ」 と一声かけた。 「失礼いたします、マスター」 畏まって礼をしながら、天音は部屋に入る。 「マスター、あの、ただいまお時間はよろしいでしょうか?」 もじもじと手をこすりながら、おずおずと天音は切り出した。 「ん、なんだい天音さん?」 「あの、今日はクリスマスですね」 「そうだけど、何か?」 「……ええと」 手をもじもじさせながら、思い切って、 「行ってみたい所があるのですが」 と勇気を出して言ってみる。 「いいよ。行ってみたい所があるのなら行ってくればいい」 それだけ言うと、伊吹はまた机に向きなおった。天音は思わずため息をつく。 「……行ってくればいい、ですか。いえ、私はマスターと一緒に行きたいという意味で申したのですが。全く、機微に疎い方ですね」 つい皮肉交じりになってしまう。伊吹はまた振り向いて、 「僕と?」 と自分を指さしてきょとんとした顔をした。 「ええ。マスターが受験勉強で忙しいのは把握しております。何も、遠出をしようと申している訳ではありません。少々お時間を頂けないでしょうか?」 「別に、構わないけど」 伊吹の答えに、天音は笑顔を見せた。 「よろしいのですか、ありがとうございます。それでは、参りましょう」 主人のためにドアを開けて外へと促す。天音が、 「こちらです」 と先導しながら、二人クリスマスの夜空の下を歩いた。
天音が伊吹を連れて来たのは、イルミネーションも何もない、寂れた洋館だった。 「さぁ、着きました。こんな寂れた洋館で申し訳ありません」 「ここは……?」 辺りを見回し、伊吹が尋ねる。 「ここは……私の家です。正確には『家でした』でしょうか」 洋館の柱を撫でながら、天音が答える。 「もうここには住む人はいません。ですが、一度お連れしたかったのです」 「僕を? どうして?」 その問いに答える前に、天音は目を伏せた。 「……私は、籠の鳥でした。全てを与えられ、考える事もせず、現状を無為に過ごすだけの。それが見栄という虚飾に彩られた物であるということも気付かずに」 顔を上げ、しっかりと伊吹の顔を見る。 「私はここで、感謝をお伝えしたかったのです。私を救い出してくれ、居場所と目的を与えて下さったのですから」 「……でも……それは……」 今度は伊吹が目を伏せた。そんな伊吹に、天音は優しく微笑む。 「そんな、悲しそうな顔をなさらないで下さい。あの夜の事は後悔していません。感謝こそすれ、恨む事は決してありません」 それよりも、と天音はそっと伊吹の手を取る。 「一緒に踊って頂けませんか?大丈夫、私がエスコートいたします」 伊吹も顔を上げ、 「……じゃぁ、お願いしようかな。天音さん」 そう、微笑んで言った。 今宵、二人きりのダンスパーティが始まる。
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