楡崎・洋子 & 梅咲・一花

●『「もう少しだけ」と言えなくて』

 洋子は一花と夜道を歩いていた。今日はクリスマス、住宅街はあちこちから賑やかな声が聞こえてくる。
 一緒にクリスマスを過ごす時間は、本当にあっという間に過ぎていった。気が付けば時刻はすっかり遅くなっていて、こうして一花が洋子の事を送って来てくれたのだ。
(「なかなかいいクリスマスだったわね」)
 一花の隣で、洋子は無意識のうちに満足げな笑みを浮かべる。事前のリサーチも踏まえて綿密に考えたデートコースは、我ながら良い出来だったと思う。ロマンティックな雰囲気の中、話題もかなり弾んで、それなりに上手くやれたんじゃないかな、と洋子は手ごたえを感じていた。
「そろそろだよね?」
「え? ……ああ、うん」
 ふと一花の声に我に返れば、洋子の家まで残り僅か。次の角を曲がったら、もうそこから洋子の家が見える。
 一歩、二歩、三歩……その、曲がり角へ差し掛かった時だった。
「洋子さん、今日はすごく楽しかったよ。じゃあ、また」
 一花は立ち止まると、そう洋子を見て笑う。
 それは、紛れも無く別れ際の挨拶だった。そのまま身を翻してしまいそうな彼の様子に、洋子は気が付いたら指先を伸ばしていた。
「……え、っと」
(「何やってるんだろう、私」)
 くいっと、一花のコートの裾を掴んでから自問する。なんでこんな事をしてしまったんだろう。寂しいから? もう少し一緒にいたい? でも……そんなの、言い出せるはずが無い。
「洋子さん……?」
 首を傾げる一花だが、洋子は俯いたまま何の言葉も返す事が出来ない。
「どうしたの? 気分でも悪い?」
 一花は心配げな声で気遣ってくれるが、それでもなお洋子は何も言い出せない。いやむしろ、タイミングを失ってしまったような感すらある。
(「ど、どうしよ……!?」)
 この後一体どうしたらいいのか。弱りきった一花の声が聞こえるが、洋子だってある意味そんな気分だ。
「熱……は無いみたいだね。帰って休んだ方がいい? それとも、もう少し夜風に当たる方が楽になりそう?」
 額をそっと撫でる感触と優しい言葉に、ゆるゆると洋子は顔を上げた。
「歩ける?」
「……うん」
 小さく頷き返せば、一花の顔がほっと安堵に緩む。待ってて、と彼はすぐ近くの自販機を指差して、暖かい飲み物を両手に戻って来る。
「はい。体が冷えたのかもしれないしね。飲んだら落ち着くかもしれないよ」
 たかがドリンク1本。でも、それは今の洋子にとって、これを飲み終わるまでは彼と一緒にいられる、という事でもある。
「……ありがとう」
 洋子は微笑んで、それを受け取った。
 この微妙な乙女心は、どうやら伝わっていないようだけれど……でも、もう少しだけ一緒にいたい、という洋子のささやかな願いは、叶ったのだから。



イラストレーター名:新井テル子