●『愛は込めましたが、お味の方は?』
まな板と包丁の打ち合う軽快な拍子、鍋の煮える柔らかな音、食器の触れ合う固い響きに至るまで。台所には様々な音が満ちていた。居間からそう離れているわけでもないのに、一歩暖簾をくぐっただけで友人達の歓談の声がこんなにも遠くなるものかと、浅葱は少しばかり不思議に思う。 夏目、と忙しなく立ち働く背中に声をかければ、見慣れた色の瞳がおやとでも言うように見開かれた。 「どうしたんですか、浅葱センパイ? 料理ならもうすぐ出来上がりますよ」 「少しくらい手伝おうかと思ってな」 「……それ、調理用じゃないですよね?」 夏目のお玉が指し示すのは、浅葱の手の内の詠唱ナイフ。台所を照らす橙色の光をきらりと反射する業物だ。 「心配は要らない、手には馴染んでいるし、切れ味も素晴らしい物だ」 「駄目です。どんなに良く切れようが手に馴染んでいようが駄目です」 夏目はにこやかな、だが逆らうことを許さない表情でそう言って、さ、早く仕舞って下さいねと詠唱ナイフを押し返す。一体何がいけなかったのだろう、これ一つで魚もゴーストも完璧なのに。 内面の動揺が顔に出たのか、夏目の笑顔が微苦笑に変わる。シチューをかき回していた手が止まり、小皿によそったそれが差し出される。 「じゃあ、味見を手伝って下さい」 「手伝い?」 「はい」 「そうか、手伝いか。ふふ」 浮上した気分のまま夏目の指先へ直接、口を寄せる。夏目の方も慣れたもので、浅葱の食いやすいよう小皿を傾けると、 「愛は込めましたが、お味の方はどうですか?」 と悪戯っぽい声色で浅葱の耳をくすぐりにかかる。 浅葱は何も答えない。今更、言葉で一々確認しなければならないほどの浅い関係ではない。浮かんだ感情そのままに笑みを一つ、それで全ては事足りる。 了承したとばかりに夏目の笑みが深まり、視線が交わる。夏目の紅珊瑚色の瞳はこもる熱気に濡れたような輝きをはらんでいた。 「さて、急ぎますか」 「ああ」 居間から聞こえる友人達の声は一段と賑々しくなっていた。まだ料理も運ばれていないのだがなと苦笑が漏れるが、親しい仲間と一緒にいれば楽しいのは当然のこと。 「俺たちも早く楽しまなければな」 「ええ」 ――残った料理を完成させるべく、取り出した詠唱ナイフに夏目からの待ったがかかるまで、あと十秒。
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