●『Promised land』
聖夜と呼ばれるその日。 笑いあい浮き立つ恋人達で、街は溢れ返っている。 だがそんな喧騒から少し離れた寒空の下、背中合わせに立つ男女がいた。
双方の視線を絡めることなく立っている彼らの表情は、晴れない。 言うべきことは、ある。お互い分かっているのだ。だが、言うのを躊躇っているだけ。しばしの沈黙の後、それを破ったのはシーナだった。 「お前、止めねーのかよ。もし全てにケリがついたら、オレは故郷に帰っちまうんだぜ?」 言い、それ以上の言葉を紡ぐのを止めたシーナは夜空を見上げた。今宵の空は、シーナの瞳に普段のそれより些か明るく映っている。 一方、問いかけられたのは背を向ける少女――芳花。 彼の言葉を噛みしめるように一度口を結んだ後、穏やかに唇を動かす。 「止められるわけがない。お前は何者にも縛られぬ存在だろう?」 芳花の表情は、シーナには伺えない。だから諦めにも似た言葉とは裏腹に、震えた声だけがその本心をシーナに伝えていた。 だからこそシーナは、短くため息を吐く。 「お前はどうしてそうも理性的なんだよ」 理性が押し殺すのは、感情だ。 「試しに止めてみる選択肢もあるじゃねえか。何故捨てる?」 結果がどうであれ、真に思うがままに行動する――示されたのは、自由という選択肢。だがきっと選び取りたいだろうそれに、芳花は手を伸ばせない。 「私が自由になったら、お前が自由でなくなってしまう。それがこわいんだ」 彼にはそのまま、風のようにあって欲しい。縛り付けたくなどない。想っているからこそ、頑なに己を抑えるしかないと。 しかし返事は、なかった。 怒っているのか、悲しんでいるのか、それとももう後ろに居ないのではないか。見えない心は、ひたすらに不安を煽った。耐えきれず芳花が振り向こうとした、その時だった。 「風は自由だ、なんて思ってんのか?」 「え……?」 唐突に放たれた言葉。 シーナは尚も告げる。 風に実体などない。海の熱、谷間の寒気に煽られはじめてその存在を許される。ある意味、この世の誰よりも不自由なのだと。 振り返る事も忘れ、芳花は彼の言葉のひとつひとつに、ただ聞き入る。 「お前に捕らわれてはじめて、オレは自由な意志を手に入れられたんだ」 捕らわれているのに、自由であること。 芳花が思いもしなかったその矛盾は、シーナにとって詭弁などではない。 「ずっとここに居てえって思っちまってる」 飾らないその願いは夜風に乗り、背を預ける少女へと流れ伝う。 「今さら、なかった事にする気かよ」 聞かれ、芳花はゆっくりと微笑んだ。 ――出来るはずが、ない。 やがて笑んだ口元は端から震え、徐々に綻びていく。そして、抑えきれない嗚咽と共に芳花はシーナの胸に飛び込んだ。
必ず戻ってくる。待ってやがれ。 待っていてやる。違えたら、承知しないぞ!
帰る事も待つ事も、決して譲らない。 『約束』が生まれた瞬間だった。
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