●『Suite/bitter』
リビングのソファーに座って、まったりと寛いでいたイサラの視界に、突然白色の物体が現れた。 「……え?」 突然のことで言葉を紡げずにいるイサラに、その物体を持ってきた涼はそれを机の上に置いて彼を見た。 「涼特製ショートケーキ、苺増量スペシャル!」 弾けんばかりの笑顔でそう言い放った彼女。 イサラは机の上に置かれた白い物体と涼の言葉でやっとそれが『ケーキ』というものだと理解した。 理解するまで数瞬も必要としなかったが。 「……凄いな」 第一声は、見た目からの感想だった。 「食べきれるかな?」 第二声も、見た目からの感想だった。 涼の手作りであるケーキは、二人で食べるには大きすぎるのである。 7号……約21センチほどあるだろうか。人数で言うなら、10人で食べても良いぐらいのサイズ。 それを涼は八等分にカットし、その一つを皿に乗せたところだ。 彼女自身が苺増量スペシャルと言ったとおり、苺の量もそこらのショートケーキとは比べ物にならない。 カットしたものに、一粒の苺ならまだしも、何粒も乗っている。 これを果たして二人で食べきれるだろうか。 そんな彼の不安をよそに、涼は鼻歌交じりでテキパキと紅茶を入れていく。 準備は着々と整っていた。
しばらく。 二人はケーキの味を堪能していた。 生クリームの甘みと苺の酸味が絶妙にマッチし、二人でも半分ほど平らげることが出来た。 もう半分食べるのには、もう暫くの時間が必要ではあるが。 「ん?」 ふと、涼は隣に座る彼の口元に異変があることに気づいた。 いつの間についたのであろう、白い生クリーム。 イサラはそんなことも気づかずに、パクパクとケーキを食べ進めている。 まるで当たり前のように。涼の身体は動いていた。 ペロリと。 「っ?」 口元に這った一瞬の舌触りにイサラはキョトンとして涼を見た。 「Es schmeckt gut♪(美味しい♪)」 対する涼は極上の甘い笑顔でそっと彼に呟いた。 キョトンとしていたイサラも状況に気づいたのだろう。 だが照れるでもなく、焦るでもなく、何事もなかったような顔をした。 「……クリーム、まだ残ってる?」 尋ねられた涼は、ポカンとした顔でイサラを見た。 だがイサラも何故涼がポカンとしているのか分からないといった風に首を傾げる。 「……取ってくるよぉ……」 イサラの反応の薄さに少し落胆し、語尾も弱々しいまま、涼はトボトボとキッチンに向かっていった。
涼は、知るまい。 その後姿を見送っているイサラの表情が、不敵に笑っていたことを。
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