●『美味しい約束』
エプロンの紐をきゅっと絞めながら、ファルチェは自分の気も引き締めた。渓をチラリと見て、小さく頷く。その思いはひとつ。笑顔で食べて貰いたい。 それにこの料理は、大切な約束なのだ。 たまたま話題に、得意料理の話が出た時のこと。渓はすぐに食べたがったが、その料理は夏には合わない料理だったから、冬に必ず作りますね、と約束した。 つまり、そんな数ヶ月前にした約束を果たす時が、今日来たわけである。 (「見られながらというのはちょっと恥ずかしいかも」) 料理が苦手なわけではないが、渓が後ろで見ていると思うと、緊張は増す。それでもファルチェは、てきぱきと料理をこなしていった。 一方、料理の出来上がりを待つ渓は渓で、無駄に緊張していた。 (「やっぱり何度来ても女の子の部屋は緊張するねー」) そわそわと部屋を見渡したり、料理をするファルチェの背中を眺めたりしながら、緊張しつつも幸せを噛み締め、出来上がりを待つ。それはそれで、幸せなひとときだった。
「出来ました!」 緊張しつつも頑張った結果は、大した失敗も無く、むしろ会心の出来で、香りが食欲を誘惑する。 美味しい料理が出来たこと、渓に食べて貰えることが嬉しくて、足取りも軽くファルチェは料理をテーブルへと運ぼうとした、その瞬間だった。無事に出来たことに、気が緩んでいたのかもしれないし、ファルチェの運動神経があまり良くなかったからかもしれないが、ともかく、何も無いところで見事にファルチェは躓いた。 「きゃっ!?」 「大丈夫!?」 「だ、大丈夫ですわ……」 咄嗟に渓がファルチェを抱きとめ、怪我はなかったものの、手から飛び出した料理は、そのまま重力に負けて落下し、無残な姿に変わり果てる。あまりの出来事に、ファルチェはその場にへたりこんだ。 「折角会心の出来だったのに……渓さんも楽しみにしてくれたのに……」 約束してから今日までのドキドキと、料理が会心の出来だった喜びと、それを食べて喜んでくれるであろう渓の姿が見られる幸せを一遍に失ってしまって、ファルチェは地にめり込むほどに落ち込んだ。 今にも泣き出しそうなファルチェを見ていられなくて、渓はとりあえずファルチェの頭を優しく撫ぜる。すると、泣き出しそうな青い瞳と目が合った。 「あのさ、今度は一緒に作ろう?」 ね? と首を傾げると、渓を見つめていたファルチェは数秒後、やっと微笑みをその顔に浮かべる。 「ふふ、私の指導は厳しいですよ」 「わ、お手柔らかによろしく」 さっきまでの悲しい気持ちが、渓の優しい言葉で何処かへ飛んでいった。 クスクス笑い合いながら、やっぱり渓さんは優しいですの、と心の中でファルチェは渓に感謝する。 そうして宣言通り、多少なりとも厳しいファルチェの料理指導の下、二人は仲良く、約束の料理を作るのだった。
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