●『ささやかな休息を』
窓の外のホワイトクリスマスだとか、特別な夜を楽しむカップルだとか、そんな甘いムードとは縁の薄い場所に、奈月と行人という二人の受験生がいる。同棲しているボロアパートで彼らは、蒸気を上げるヤカンを乗せたストーブや、山と詰まれた参考書、保温性に優れ着心地も良いお気に入りのジャージ等々の、要するにいつも通りの受験勉強ツールに囲まれていた。 日常の匂いしかしない雰囲気の中で、奈月はノートとにらめっこを続けている。しかし、どうにも解けない難問に頭はヒートしていき、ついに奈月はちゃぶ台の重力に負け、伸びをするようなダイブを敢行した。 「飽きたの! クリスマスに勉強とか超やってらんねえの!」 半泣きで不満を叫ぶ奈月。そんな彼女を気分転換代わりに見ていた行人は、くすくすと笑って、隣で突っ伏した奈月の頭をぽんぽんと叩いた。 「……にゅ、行人くんが余裕そう」 「そんなことないよ。僕も結構疲れてるし」 されるがままの――少しは気分が良くなったらしいが――奈月の横顔を、行人は心配するべきものとは判断しない。行人は奈月が、たとえ愚痴をこぼしていたとしても、途中で何かを放り出したりはしない、最後までやり遂げられる強い人だ、と知っているからだ とはいえ、一つの所で停滞し続けているのはよろしくない。よい方向へ導く位はいいだろうと、行人は奈月に一つの提案をした。 「じゃ、ちょっと休憩する?」 肩に手を置いて、意気消沈しつつある奈月に言う。身を起こした奈月を引き寄せて、うわ、と惑う彼女に構わず、その頬に優しくキスを浴びせた。 「……な、ゆき、行人くん……」 奈月の指先からシャープペンシルが転がり落ちる。畳に落ち、ころころと離れていく勉強道具を、しかし奈月は探せず、真っ赤な驚き顔を行人に向けていた。 キスするのは何度目だっけ、とつい奈月は思う。多分片手で数えられる回数なんだけど、それは確か、よく頑張りました、のあの時とかあの時とかで、記憶を掘り返すたびに、数少ない経験は鮮やかに脳裏に蘇って、顔面の温度を急上昇させてしまう。 思い出し赤面は行人も同じのようで、仕掛けておきながら硬直した彼に、奈月は指輪を握り締めて照れ隠しに言った。 「休憩どころか、……今日は、もう勉強、手に付かないかも」 「……奇遇だね。僕も、だよ」 行人の腕がぎこちなく奈月の背に回る。二人は抵抗なく接近し、触れる首筋で体温を交換して、すれ違う頬をレール代わりに、唇を寄せ合った。
一段落して時計を見れば、寝てしまうのに早くはない時刻で、浮ついた気分のまま勉強を続けるよりは余韻を夢の中で楽しもうと、行人は胸の中で甘える奈月の体を、名残惜しく思いながらも離した。 「明日から、また頑張ろうね」 指輪をつけた手で頭を撫でてくる行人に、奈月はやはりされるがままで呟く。 「……が、頑張れるかなぁ……」 いや、この幸せな浮つき、一生残ってしまうんではなかろうか。
| |