ジャック、おかえりなさい。

<ジャック、おかえりなさい。>

マスター:レッド金治


 8月×日
 ぼくのジャックがかえってきました。ジャック、おかえりなさい。これからはずっといっしょだよ。

 王子・団十郎(高校生運命予報士)は、高校2年生にはさっぱりみえない、と、もっぱらの評判だ。「よく来てくれた」と低い物腰も、老練と言って良いような落ち着き具合、年輪をかさねたおもむきがある。
「俺も犬は好きなほうだと思うが……。そいつがリビングデッドとなると、まったく別の相談だな」
 これはリビングデッドとなった番犬と、その飼い主についての、薄暗い寓話だ。
 ――……沢田コウスケ、という少年がいる。
 小学2年生。コウスケは一昔前でいう鍵っ子である。共働きの両親は夜遅くにならなければ帰宅しないし、友だちも少ないコウスケにとっていっとう頼りになるのは、愛犬のジャックであった。ジャックは利口な柴犬だった。留守居の最中にしつこいセールスマンが押しかけてきたときなど率先して追い払ったり、いたいけなコウスケの心の支えとなった。
 もう過去形だけど――ジャックはこの夏、交通事故で亡くなった。
「ところが、ジャックはリビングデッドになって還ってきた。そして、コウスケと彼の両親を、家に閉じこめてしまったんだ」
 沢田家は住宅街にある、ごく並みの二階建ての一軒家だ。不審を感じて沢田家を訪れた者がいないわけではなかったが、ジャックに脅された世帯主によって、穏便に追い返されている。穏便でない侵入者はジャックがみずから払いのける。――が、能力者にとっちゃジャックはさほどの強敵でもなかろう、と、団十郎は言い添える。
「やりすぎた狂犬みたいなもんだな。しかし、噛みつかれたからといって特に異状が出るわけじゃないから、考えすぎなくてもいいぞ。それに、本当の問題はそこじゃない。現在の状況を、コウスケが喜んでいるってこった」
 コウスケにしてみたら、死んだジャックは戻ってきたし、いつもは構ってくれやしない両親が朝な夕なに傍らにいてくれるようになったのだ。しかし、そんな仮初めの幸福は遠からずもろく崩れさる。ジャックはリビングデッドなのだから。が、そんなの分かっちゃいないコウスケは、ジャックと共に2階の自室にこもり、ジャックが元の好物を口にしようとしなくなったのを、不思議に思っている。ジャックが今、渇しているのは、コウスケ自身の血肉だというのに。
「コウスケに現場を見られるのは、覚悟した方がいいかもしれんな。始末をどうするかは、まかせるよ」
 動物好きの運命予報士は、気まずさをまぎらすように、首の後ろをそっと掻いた。


<参加キャラクターリスト>

このシナリオに参加しているキャラクターは下記の8名です。

●参加キャラクター名
梶本・大樹(高校生魔剣士・b06981)
館・政宗(中学生魔剣士・b02912)
鋼・紅星(小学生ゾンビハンター・b03897)
桜坂・理緒(小学生魔弾術士・b04601)
小塚・忠臣(高校生ゾンビハンター・b06128)
聖花・星月夜(高校生ゾンビハンター・b05239)
比留間・イド(中学生青龍拳士・b06623)
媛苑・天藍(高校生水練忍者・b04564)




<リプレイ>


●生ける屍を思って
 宵の口だった。街灯が投げやりな光を落としている中に、能力者らが揃う。めざす沢田家はここから十歩もしないところにあった。
「これぐらいになると、ずいぶん涼しくなりますね」
 この時刻にしたのは、人気のすくなくなる夜間がよい、との、比留間・イド(中学生青龍拳士・b06623) の勧めが理由である。だが、体育会系の性分ではやめに到着した梶本・大樹(高校生魔剣士・b06981) はさておき、桜坂・理緒(小学生魔弾術士・b04601) はどきどきだ。こんな遅くまで出歩いていたら、先生に怒られてしまうんじゃないでしょうか――……。
「このへんに、学園の関係者はいなかったよ。そんなに気に病まなくてもいいから」
「んなの別に、どうとでもなるじゃん」
 集まりまでにこのあたりを散策してきたらしい媛苑・天藍(高校生水練忍者・b04564)の報告も、鋼・紅星(小学生ゾンビハンター・b03897) の至極当然の開き直りも、理緒にとっては大した慰めにならない。むしろこんなときまでそんなこと気にかけてしまう自分が、とても情けなく、イヤになる。
 天藍とて、ただそのへんをうろうろしてきたわけでなかった。沢田家のぐるりをめぐって間取りなどを確認しておこうと思い付いての行為だったが、それで判明したのはもっと別の現実だ。
 能力者らはできれば、沢田家の外部へジャックを連れ出したいと考えていた。が、ここは住宅街、敷地の外側とはつまり公共の一般道路だ。いくら世界結界下では一般人はなるべくゴースト事件に関わり合いにならないようにしてくれるとはいえ、リビングデッドになったジャックがたまたまよぎった通行人に襲いかからないという、絶対の保証はない。小塚・忠臣(高校生ゾンビハンター・b06128)はおおらかな顔付きを、それと分からぬ程度にひずませる。
「家から引き離しすぎても、まずいのか。まぁ、ジャックが俺たちの思惑にのってくれるかどうか、確実なことは云えないからな」
「……では、ポーチぐらいでの決着が……適切でしょうか……」
 影に隠すように薄墨色の瞳を伏せる、聖花・星月夜(高校生ゾンビハンター・b05239)。そうですわね、と、館・政宗(中学生魔剣士・b02912)はおとがいに指を置く。
「もしくは、お庭でしょうね。わたくしの生家のように、ドームが入るくらい広ければいいのですけれど」
「ドームというと、スノードームか?」
「そうそう、ガラスのボールに、ちっちゃい人形やフェイクの雪片の入っているオブジェですわね。……って、ちがいますわよ!」
 忠臣はどこまでも大真面目だ。不用意に食ってかかったのが気恥ずかしくなって、と・とにかく合点ですわ、と、わざとらしい咳払いでその場をはぐらかすと、政宗は『起動』する。闇纏いは正確に、彼女を衆目から遠ざけた。

●説得と、排除と、
 呼び出しのチャイムが思いの外よく響いたから、天藍の両眼に短い波がざわめく。しかし、重苦しいモーションでドアが開けられるころには、瞳はまた元のとおりの天色に立ち返る。おだやかな、だけどどこなく曖昧な社交辞令の微笑が、深まった。
「こんばんは。夜分遅く失礼いたします。俺たちは……」
「申し訳ありません。ただいま立て込んでおりまして、今日のところはお帰りねがいますか?」
 あくまでも常識的な対応を――と、のぞんでいた天藍は、その、あくまでも常識的な固辞に面食らう。悠長な交渉がゆるされぬほど、事態は切迫しているようだ。いけない、と、感じた忠臣が、閉じられる寸前のドアを押さえる。――あぁだこぅだ言及するのは得意じゃないんだがな。内心の自嘲は洩れず、眉根に浅い皺をきざむにとどまった。
「知合いの犬がここにいるらしいとおうかがいしまして……」
「その犬はジャックに似ているそうですが、まったく別の猛犬なんです」
 間髪おかずかぶせる大樹の言質が、拒むばかりだったドアに歯止めをかける。
 理知的に、機械的に。説得は、神のえがく白地図のように精確かつ冷酷でなければいけない。すぅ、と、体全体での深い呼吸のあと、大樹は力強く言葉をかさねる。
「それだけなら我々が介入する理由はないのですが、その犬は狂犬病にかかっており早急に殺処分しなければなりません」
 大樹が法令の資料にあたったかぎりでは、狂犬病におかされた患畜は公的機関によるそれ相応の措置が義務づけられているようだ。もっとも、ここで第何条としかつめらしく持ち出したとして、相手方には裏付けをとれるだけの自由も時間もない。だが、これだけ追い詰められた有様でそれだけのおちついた判断力は働くまい、というのが、能力者らにとってのアドバンテージ・ルールだ。彼等に応じるくたびれたおもだちの女性に、狂犬病、といったあたりから、すがるような色が点ずる。
「……本当でしょうか?」
「はい。暗所を好んだり、食欲不振の症状がみられたりはしませんか? それらは狂犬病の前駆期にあたります。また、異様な凶暴性がみられる場合、興奮期にさしかかっているのかもしれません」
「ですが……」
 おそらく家族内での役柄は母親なのであろう彼女は、歯切れ悪く口籠もる。鈍く重い数秒のあとの返答は、やはり、鈍く、重かった。
「たしかに、こちらの飼い犬はなにかの疾患としか思えない様子です。ただ、こうしているまにも私やあなたがたに危害をくわえるかもしれませんから、また明日の朝にでも、もっと静かに」
「そうは、まいりません」
 と、イドが食い下がる。日々の習慣にのっとり慇懃な物腰をたもってはいたが、しかし、瑠璃色の視線は目の前のなにかを射ようとするようにぎらぎらする。
「帰れよ!」
 けれども、イドのまなざしを打ち返そうとするように、一方的な幼い拒絶が、小幅の亀裂からまっすぐに届いた。
「ジャックを獲ってっちゃうなんて、やだ。帰ってよ!」
 いたいけな、けれど、無力な爆発――コウスケだ。そして、ぐるるる……、と、低く這いずる、獣の唸り。様子を知ろうと、細い透き間に目線をはめこんだ紅星は、辛うじてとらえたジャックの風体に、はっと息を呑む。
 紅星が聞きさらってきたかぎり、ジャックは赤毛と左巻きの尾の、柴犬らしい柴犬だったはずだ。だが今、毛皮は惨たらしく潰裂し、とめどない腐食が胴をまだらにうがつ。癒されぬ事故死の創痕は、見るに堪えぬほど残酷だ。
 分かっていた、コレがジャックと違うものであることは。
 けれども――紅星は、憐れでしかたならない。
 こうして絶命したジャックが、それでも『死ねなかった』ジャックが――そして、帰ってきたというだけで復活を無邪気に信じたコウスケが。
「ドアを閉めてください!」
 けれども、能力者のうちの誰かが言わねばならなかった。
「『処置』しますから! ジャックがガラスを破らないよう、雨戸もしっかり下ろして!」
 ジャックは能力者らを侵入者と認知したようだ。ドアを叩き破るいきおいでジャックが飛び出してくるのと同時に、矢継ぎ早に窓が下ろされてゆく。ブラックアウトと入れ替わるようにして、能力者らは起動した。悪意の怒濤を断ち切らん、と、ジャックの経路を政宗が体ではばめば、握りこむ詠唱兵器、長剣、の動力炉は、死を破砕する動機に高らかに吼える。
「欧州筆頭、館政宗。あなたを冥府にお戻ししましょう!」
 疾風を噴き流す白刃が、ジャックの鼻っ面に撃ち込まれる。ぎゃうん、と、それだけは生き物らしい怨嗟が響き渡るなかで、忠臣の第二撃。 武術短棍をはすにかまえたイドが、ターゲットを強圧にねめつける。
「貴様の忠義は既に侵略行為……当方に迎撃の用意あり!」
 爪と切り結ぶ。牙と迫り合う。
 逆巻く闘志。親しく懐かしい風だ。しかし古くからの友人と戯れるには熾烈すぎる痛撃をトンファーに纏わせ、イドは仮借なくそれをねじりこむ。
「忠犬(ジャック)よ生まれ変われ! 一・撃・必・生ッッ!!」
 イドは謳う。嗄れた詠唱、覚悟の戦歌。泥土を引っ叩くようなおぼつかない圧覚が、一抹の間、神経を抜けた。些少の不愉快には眉もひそめず、イドはただ次の攻撃の完遂だけを無欲に思考し、践行する。払い、打ち付け、また避わす。
 舞踊にも似た激突のさなか、理緒と星月夜はドアを押さえていた。星月夜はできればイグニッションしないですませたかったが――しかし、現実はそれを不可とする。いくら能力者とてイグニッションしなければゴーストに抗戦できるほどの身体能力は持ち得ない、畢竟、こうして入り口を近接したゴーストから堅守するだけのことすらイグニッションあってのものだ。「兄さん」と慕うスケルトンが、戛戛と骨を鳴らして剣を振るのを、星月夜は遠い心持ちで見やる。
「とりさん、もっと強くドアをおさえていてください」
 理緒のシャーマンズゴーストの力も借りる。きっと家内では、コウスケの両親がコウスケを出さないよう、取りはからっているのだろう。
「コウスケさん、聞いてください。ここにいるのはジャックさんじゃないんです、ジャックさんはもっと遠い国へ行ってしまったんです」
「そう。……あれは……私達が探していた狂犬ですよ」
 ――その狂犬は、今まさに、朽ち果てようとしていた。ひゅうひゅう、と、息なき息を吐き出すそれへ戦鎚をかざしながら、紅星は、かつん、と、近付く。
「替わってやろうか?」
 大樹の申し出を片手で払い、紅星は二度、かつん、と、踏み出す。
「いらねぇ。俺だってゾンビハンターだ」
 これは、もう、ジャックじゃないから。アンデッドの淘汰に迷いがあるものか――しかし、それを語る少年の輪郭はどこかが寂びて、物悲しい。
 ――消えて、なくなれ。
 叶うはずのない願い事をつぶやくように、紅星は白燐拡散弾の炸裂を欲した。
「行くべき場所に逝け。コウスケが追ってきても、もう二度と見られないように」
 蟲の解放――たったひとつの願い事が充たされる刹那、もしかすると紅星はなにかに祈ったのかもしれない。しかし、まるではじめから何もなかったかのように、言葉は誰の元へも届かなかった。

●ジャック、おかえりなさい。
 力なく投げ出される死骸――二度めの可動を絶たれた、文字どおりの負け犬だ。紅星がせめてもの手向けに、と、持ち込みの応急セットから包帯を巻き付ければ、流血ではなく肉漿が清潔な部分を汚してゆく。しかし天藍が、動物が嫌いでない天藍がそれに送るまなざしは、おそろしく冷ややかに透徹していた。
「えぇ、これは俺たちが『処分』しますから」
 別の犬だと断じた手前、このまま押し付けるわけにもゆくまい。少しも気負ったところのない風情で話をまとめると、コウスケとの両親の談話の結びに、天藍はふと息をつき、事務をはからうときとはあきらかに異なる口調で言い足す。
「コウスケ君はお二人のお子さんです。だからコウスケ君が今、何を望んでいるか……お二人なら分かるでしょう?」
 コウスケは、ただひたすら啜り泣いている。能力者らがジャックを連れ去ろうとする傍で、持って行っちゃイヤだ、と、ぐずっている。だから、理緒はずっと彼の頭を撫で付けていた。
「泣かないでください。これはジャックさんじゃないんですから」
 ――偽装を真実にすりかえる、罪悪感。きりきりと心を締め付ける痛みに耐えながら理緒は、せめてジャックをほんとうに天国に近い場所に葬ってやろうと、ひっそり誓う。政宗が、「わたくしのお庭からお花を持ってきてさしあげますわ。とてもすばらしいお花ですのよ」と慰めるのを、せめてもの救いとして。
「きっとジャックさんは、コウスケさんの優しさと涙をいっぱい受け取って、すごく心配しながら天国で見てると思うんです。だから、コウスケさんはジャックさんを安心させてあげなきゃ」
「えぇ……ただ優しいジャックの姿を覚えていれば良いのです」
 肉体は、なくとも。
 からっぽの柩にも、きっと何かが残っている。スケルトンを綴じ込んだカードを、星月夜はそっと仕舞い込んだ。……コウスケに、カードは、なかったから。物言わぬ骨となろうと、彼の『兄』は、ここに、いた。我が手に還った恋人を抱くように、やさしく愛して、縛した。
「私の兄も亡くなりましたが……いつも傍にいてくれると感じています。ジャックもきっと、君を見守ってくれている筈です」
「そうですわよ。あんまり泣きじゃくってますと、ジャックさんもおちおち眠っておられません。ジャックさんのためにも、コウスケさんはずるっと一皮剥けるべきだと思いますわ!」
「僕は分かってたんだ……。でも、ジャックだと思ったから。ジャックによく似てたから。なにかの幻だって、でも、でも」
 嗚咽するコウスケを遠眼に、忠臣はふと瞑想した。死んだモノは決して戻らない――それを理解した少年は、不幸なのか幸福なのか?
「……いや」
 きっと、それを理解した最果てに、幸も不幸も潜むのだろう。
 空を見上げる。
 書き割りそっくりの月が、夜天をぼんやり漂っていた。