赤と白の哺乳瓶

<赤と白の哺乳瓶>

マスター:九部明


「今ミルクを作ってあげるからね」
 人肌に暖めたミルクを哺乳瓶に注ぎ終わると、母親は自らの指先を傷つけ、流れ出た血を哺乳瓶へと落とす。
 猟奇的なその光景の意味を知ってか知らずか、赤ん坊がきゃっきゃと笑う。
 いや、違う。赤ん坊はその光景の意味を知って、満面の笑みを浮かべていた。
 ひんやりと冷たいその肌を温める事の出来る至高の味を待ち望んでいるのだ。
 なぜなら赤ん坊はすでにリビングデッドと化しているのだから……。

 昼休みの理科準備室。食欲を減退させる物に事欠かないゆえに近づく者がいないその場所で藤崎・志穂(高校生運命予報士)は待っていた。
「依頼はリビングデッドの事件です。強敵ではありません。ただ……」
 志穂は少し戸惑った後に言葉を続ける。
「相手は赤ちゃんの姿をしています。三年前に死亡した事実を誤魔化し、いまだに母親の庇護を受けていますが、三年間も成長しないために、徐々に周囲に違和感を持たれています」
「ふむ。やりにくいといえばやりにくいな。ゴーストである以上倒す。だが、その姿に戸惑いは感じるか」
 一人の能力者の言葉に志穂も頷く。
「ですが、惑わされるわけにはいかないんです。相手は最近父親を殺害して家の中に隠し……少しずつ食べています」
 世界結界の影響で母親は出張に行ったと思い込んでいるようだと一言付け加えながら、志穂はその光景を思い出したのか眉根を寄せる。
「そのうえ母親は、二人目の子供を授かっています。リビングデッドはこの子も生まれたなら食べる気です」
 さらなる言葉に小さくざわめきが起こる。
「リビングデッドはとある住宅街の何処かに潜んでいます。地区は特定できましたが、どの家にいるのかは情報を集める必要があります。ただ、事件解決後、赤ちゃんの死亡が何らかの事件として認識されると思います。変装やアリバイの用意はしておいてください」
 志穂は地図を広げて、絞り込んだ範囲を説明する。
「居場所が特定できたら母親を巻き込まないようにしてください。理想は家にいない事だと思います」
 志穂は母親とお腹の赤ちゃんの事を気遣って念を押す。
「後は家屋内に侵入して対決となると思います。一般家屋の室内だと、中で戦えるのは四人程度と思います。相手は1m程度の蜘蛛の足を背中から出して移動と攻撃を行うので油断だけはしないでください」
 情報を伝え終え、最後に志穂は能力者を激励する。
「皆さんどうかご無事で!」


<参加キャラクターリスト>

このシナリオに参加しているキャラクターは下記の8名です。

●参加キャラクター名
七津・森羅(高校生ゾンビハンター・b00630)
上野・浩二(高校生魔剣士・b03774)
上條・彼岸(高校生符術士・b06909)
聖都・修吾(高校生フリッカースペード・b03633)
田中・太郎(高校生魔剣士・b01759)
楠手馬・鹿菜子(高校生ファイアフォックス・b02861)
柳堂・嵐(高校生符術士・b05625)
日和・翼(高校生魔弾術士・b06630)




<リプレイ>


●明日の平和のため
「ここからだと東の方だな」
 イグニッションを解除して七津・森羅(高校生ゾンビハンター・b00630)は感じ取ったゴーストの気配を伝える。
「なるほど。大分絞り込めたな。そろそろ情報収集に動こう」
 手に持ったこの辺りの地図に赤ペンで線を引きながら日和・翼(高校生魔弾術士・b06630)が言う。
「もっとはっきりと分かればいいんだが、死人嗅ぎじゃこれ以上は無理だしな。こっからは地道な作業ってわけだ」
 森羅は翼の言葉に頷くと、仲間達を見回す。それぞれ手に持った地図に翼同様に印を入れ終わった今回の仕事のメンバー達は、心得たとばかりにそれぞれの分担のために駆け出していく。
「まずは、敵の居所を掴み、母親の行動を把握しないといけないというのは面倒だぜ」
「そう言うなよ翼。地道な活動こそが明日の平和を守るんだぜ? じゃ、俺達も行こう」
 ぼやく翼を促して森羅も仲間たちに続いて駆け出していた。
 その頃、先に駆け出していた聖都・修吾(高校生フリッカースペード・b03633) 達は早速、地味な上に気遣いが欠かせない仕事に取り掛かっていた。
「へー。ボランティアでベビーシッターを? 感心な子供達ねえ」
 犬を抱き上げた品の良さそうなご婦人の笑顔に修吾達は、作戦の第一歩の成功を内心で喜びながら話を続ける。
「それほどの事ではありません。学生時代によりよい人格形成のために努力するのは当然なので。と言うことで奥様、どちらかに人手が足りなくて赤ん坊の世話に困っている方などいらっしゃいませんか?」
 服装と普段の包帯ぐるぐる巻きをやめてしまえば人当たりのよい若者で通りそうな修吾が捕まえたご婦人に、今度は優等生風の柳堂・嵐(高校生符術士・b05625)が聞く。
 婦人はその問いに少し考えてから、何人か思い当たる知人の名を上げてくれる。
「あ、赤ん坊の成長ってのは個人差が大きくてすごく苦労する場合もある。そういう人の力になれば、よりよい経験が得られると先公、じゃなくて先生に聞かされてます。そんな方はいますか?」
 慣れない喋り方でつっかえながらも、メイクを落としできるだけ地味にしてきた楠手馬・鹿菜子(高校生ファイアフォックス・b02861)が聞くと婦人は笑って答える。
「子育ってってのはどれもこれも大変よ。まあ、貴女にはまだ先の話でしょうけれどもね。でも、特に大変と言う事なら発育が遅いお子さんのいらっしゃるお宅があるわね」
 その言葉に三人は目で合図する。運命予報士の言葉から考えて間違いないだろうと。
「それは苦労しているのでしょうね。是非とも訪ねてみたいと思います。詳しいお話をお願いできますか?」
 修吾は注意深く言葉を選びながら、婦人から話を聞きだしたのだった。
「あんた普段はあたしと大差ない格好や口調のくせによくあんなにすらすら喋れるね」
 婦人と別れ、堅苦しい口調から開放されて鹿菜子は開口一番修吾に言い放つ。
「様々な女性と仲良くするには必須な技じゃん。出来て当然だぜ。あのご婦人は趣味じゃなかったけどな。あ、なんならてめぇにも囁いてやろうか? 愛の言葉ってヤツ」
「任務中だ。軽口は慎むべきだと思うが?」
「はいはい。分かってますよ。次は産婦人科だっけ? 検診のスケジュールを調べないとだな。じゃ、真面目顔になるか」
 嵐の言葉に従って修吾は表情を引き締めるのだった。

●決戦の日
「周辺の地形等については説明した通りだ。俺と浩二が前回の情報収集中に闇纏いを使って、人様の家の庭まで含めて調べたもんだ。戦闘班の侵入撤退はこのルートって事で……」
 田中・太郎(高校生魔剣士・b01759)の言葉に仲間達がそれぞれの行動を再確認する。
「そろそろ母親が病院に出かける時間が近いのう。偽身符を用意するとしようかの」
 時刻を確認して上條・彼岸(高校生符術士・b06909)は嵐と協力して仲間達の偽者を作り出していく。
「偽身符で作った者達は自動的に日常生活を送る。適当に寄り道でもして帰るだろうからアリバイの手助けくらいにはなるだろう」
 去っていく偽者を見送って嵐が言うと、戦闘担当の一人である上野・浩二(高校生魔剣士・b03774)がイグニッションカードを取り出す。
「では、作戦開始といこうじゃないか!」
 その言葉に仲間達は互いの拳を合わせて作戦の成功を祈ると行動を開始した。
「少々強引だが、ここが一番手っ取り早い」
 奥まった庭に面した窓ガラスを突破して太郎は部屋に踏み込んでいく、テレビやソファーが置かれたリビングは何処か寂れた風情をかもし出している。
 続いて上がってきた仲間がそれぞれ別の部屋へ散っていくと、すぐに森羅が二階に上がる階段の上に、幼児の転落防止用柵が設えてあるのを発見する。
「上か…… イグニッション!」
 翼がその能力を開放したのに続いて、太郎以外の四人が階段を駆け上がり決戦への扉を開く。
 青いよだれかけをした赤ん坊は屈託のない笑顔を浮かべていた。
 たがそれは異常な光景だった。赤ん坊の背中からは薄汚れた白い蜘蛛の如き足が生え、先ほどまで横たわっていたベビーベットや家具を足場に天井近くまでその身体を持ち上げているのだ。
「パパ…… ママ……」
 リビングデッドの口が意味を持たない言葉を紡ぐ。だが、人である能力者達にとってその言葉が無意味である事こそが最も許せなかった。
「その姿でまだそんな事をいうのかい!」
 突っ込んでいく森羅、浩二を援護するように鹿菜子が構えたガトリングガンのトリガーを引く。動力炉の回転と発射の衝撃が鹿菜子の血をたぎらせる。
 弾丸を避けるためにリビングデッドは体を下ろし、迫ってきた二人に向けて二本ずつ蜘蛛の足を突き出してくる。
「はん! 残り四本でちゃんと身体を支えられるのかよ! 徹底的に始末してやるぜ! 翼、足から潰すぞ!」
 突き出された足をかわして肉薄すると浩二の長剣が閃き、体勢を維持していた方の足が二本切り離される。
 同時に翼の撃ち込んだ炎の魔弾が一本の足を炎上させ、リビングデッドはどさりと床に転がる。
「三年か。たいしたもんだ。だが、正しい形に還るべき時間だ。死体は死体にな」
 完全に間合いを詰めた森羅は振り上げたハンマーを容赦なく打ち下ろす。
 リビングデッドの背中に残った五本の足はその衝撃に根元から叩き折られ、その小さな本体の肉と骨を完全に砕く。
「終わったようだな」
 遅れてきた太郎の声に森羅が振り返って頷いた。
「そっちも旦那さん見つけたのか?」
「ああ、床板引っぺがしてな。1/3くらい食われてた。何処かの山か海かに葬ってやるしかないな。見つからなければ失踪。見つかっても、事件か事故として世間は納得する」
「こっちの赤ん坊についても同様にするしかないね。リビングデッドってのは本当に許しがたいよ」
 太郎が持っている黒い袋と床に転がった哀れな赤子の骸を交互に見て、鹿菜子が口の端を歪める。
「これも世界結界を守るためだ。力に目覚めた俺達がやらなきゃならない。それにあの奥さんの新しい命のためにもな」
 トンっと鹿菜子の肩を叩いて浩二は赤子の骸を袋に詰め始めた。
 そう、仕方ない事なのだ。消えた命は甦らないし、世界結界を守りきらなければ、同じような悲しみを抱えた事件が増えていくだけなのだから。
「死んでなお生者を糧に生きるなんざ許されない。これでよかったんだ」
 太郎はサングラスの位置を直すとそれ以上は何も言わずに階段を降りて行った。

●終止符の悲しみ
「予想以上にお時間をお取りして申し訳ない」
 嵐が頭を下げるとその女性は「顔を上げてください」と慌てて言う。
「いえ、急に話しかけたにも関わらず、ちゃんと聞いていただけたのにすっかり話し込んでしもうて、時間にもちゃんと気をつけるべきだったのですじゃ」
 彼岸も申し訳ないと思いながら頭を下げる。
 たがその気持ちは、彼女の時間を奪った事にではなく、これから彼女を悲しませる事に対してだ。
 彼女はこれから数十分後には赤ちゃんを失う悲しみに苛まれる。
「本当に真面目な学生さんたちですね。でも、あなた達のような人がいて私はうれしいんですよ」
 やつれた顔で笑いかけ彼女は自分のお腹を優しくなでる。
「子供を育てる事に関心を持ってくれる人が増えてくれる事が……」
「命を育てる事は立派な事だ。だからどんな事にも負けないで欲しいと考えて、ベビーシッターの研修をする事にしました。少しでも手伝えるように」
 修吾が真剣な表情で答えると彼女はさらに喜んだ。だが、修吾達は見えてきた彼女の家に視線を向けて、口元を引き結んでいた。
 彼女が家に着き、割られた窓を発見し、戦闘によって荒らされた屋内と消えた赤ん坊に気付いてからは、慌しく時間が流れた。
 偶然居合わせた立場として嵐達は錯乱した彼女を支え、彼女と共に警察の事情聴取を受け、一足先に開放された。
「一応って感じじゃな。疑われた様子もないようじゃしの。彼女も多少は落ち着いてきておったし、二人目の子供は安全に育つじゃろう」
 いまだ警察署内に残ったリビングデッドの母親がいるであろう部屋を振り返り彼岸が呟く。
「俺、ちゃんと慰めてやれたかな」
 警察に来るまでの間、ずっと母親に話しかけ続けていた修吾も、彼岸同様に心配げな表情で振り返り立ち止まる。
 そんな二人に嵐は歩くように促した。このままここに立ち止まっていても目立つだけだと。
「任務は完了だ。戦闘班も心配しているだろうから、帰るぞ」
「少しくらい感傷に浸るのもよかろう?」
「否定はしない。だが我々は目立つわけにはいかないだろう。行くぞ」
 降り出した雨にかまわず、一度も振り返らなかった嵐に続いて修吾と彼岸も歩き出す。
 同じ雨に濡れながら待つであろう仲間達の元に向かって……。