受験戦争の果てに

<受験戦争の果てに>

マスター:Koh


 薄暗い進学塾の教室に少年が一人。使い慣れた席に座り、俯いて、震えていた。
 彼の口元には自嘲気味な笑み。
 ここは教室なんかじゃない。戦場だと今更思う。
「……僕に未来なんか、ない」
 呟きが終るか否か、彼は手にしていたハサミを自らの喉につきつけていた。
 滴り落ちる暖かい血。
 まるで絡みつく鎖のように血は椅子を伝った。

 夕方の美術準備室で、王子・団十郎(高校生運命予報士)は待っていた。
「あぁ、よくきたな。少し狭いが我慢してくれ」
 勧めた椅子に集まった生徒たちが腰掛けるのを確認し、彼はふむと頷いた。
「今のところ命に関わる事件じゃないんだが、俺達にとっては人事でもない」
 と、彼はとある進学塾の椅子について話した。
「その椅子に座ると、どんな生徒でも必ず悪い点をとる。原因は昔その塾で成績不振を苦にして自殺した少年の地縛霊だ」
 現状の被害は、椅子にかけられた呪いによって酷い点をとる生徒がいるということだけ。けれど王子はぽりぽりと頭をかいた。
「しかし、進学塾に通っている学生は皆真剣だ。いつかまた彼と同じように自殺者が出るということも考えられる。その前になんとかしてもらいたい」
 一呼吸の後、王子は進学塾のパンフレットと共に体験入学案内を取り出す。
「この体験入学で学力試験を受けることができるんだ。当日、うまくその椅子に座って試験を受け、呪いに打ち勝って好成績を取れば、霊は怒って姿を見せるだろう」
 試験を行う教室は一つ。塾内ではすでにジンクスとして椅子の噂が流れているから、椅子の特定さえできれば、試験時に仲間がバラバラになることはない。
 あとは呪いに打ち勝つ幸運と好成績をとる学力さえあれば、地縛霊を呼び出すのは難しくないだろう。試験後すぐに解答と解説が配布され、生徒同士で答え合わせもできる。好成績を取った事をアピールできれば、少年霊は姿を見せるだろうから、工夫してみるといいと王子は言った。
「テリトリーは塾の建物だが、戦闘はその椅子のある教室内でということになる。机や椅子を飛ばす遠距離攻撃と大きなハサミを使った近距離攻撃を使ってくる。もちろん油断は禁物だ」
 体験入学の手続きはしておくからと言った後、王子は少し間を置いて。
「他の生徒がいる間に霊が姿を見せれば巻き込むことになってしまう。万一そうなったら、今度こそ命に関わるだろう。生徒が一人でも命を落とせば失敗だと思ってくれ。それでは、皆、健闘を祈る」


<参加キャラクターリスト>

このシナリオに参加しているキャラクターは下記の8名です。

●参加キャラクター名
梓透・鵠卯(高校生魔剣士・b04625)
御厨・モニカ(中学生魔弾術士・b06381)
港・凛音(中学生魔弾術士・b02203)
瞬騎・蓼羽(中学生ゾンビハンター・b02051)
上坂・輪舞(高校生フリッカースペード・b00336)
須田・司郎(高校生ゾンビハンター・b02431)
大友・麟(中学生魔弾術士・b04599)
緋埜中・まひる(小学生青龍拳士・b02103)




<リプレイ>


●進学塾というところ
 その日は土曜日だというのに、建物の中には驚くほど人がいた。
 夏の日中、エアコンの効いた塾内は確かに過ごしやすく、しばらく出たくないなと思える環境だった。しかし、そんな気分もすぐに消え去ることになる。
 廊下を歩く塾生たちの中には、楽しそうに談笑している姿もちらほらあったものの、大多数が休憩時間にも関わらず机に向かっていた。
(「私も受験が近くなったらああやって必死になるのかな……」)
 案内の塾講師の後を歩いていた瞬騎・蓼羽(中学生ゾンビハンター・b02051)は唖然とする。だが、今はそんなことよりもゴースト退治だ、彼女は少し緊張する胸を抑えつつ講師の背中に視線を戻した。

●呪われた椅子
 体験塾生は学年別にそれぞれの教室で塾生に混じり、一時間の授業体験の後、別室で試験ということだった。十五分ほどの休憩を置いて試験をすると聞かされ、八人はさっそく教室へと向かう。体験した授業についての感想などを話しながら、須田・司郎(高校生ゾンビハンター・b02431)はいよいよだなとぐっと気合を入れた。
「失礼します」
 御厨・モニカ(中学生魔弾術士・b06381)が丁寧に挨拶しドアを開けると、教室にはすでに数人の生徒の姿があった。普段は補習や自習に使うらしいその小さめの教室には六列四段からなる二十四席の机と椅子が並べられている。まずは問題の椅子を探さねばならない。
 梓透・鵠卯(高校生魔剣士・b04625)は辺りを見回し、緊張して参考書を眺めている者を避け、談笑している数人のグループに声をかけた。幾人かに声をかけ、挨拶を交わす鵠卯はどの生徒にも好印象だったらしく、能力者グループが同じ学校の友人同士だというのも、うまく信じてもらえたようだった。
「そうだ、この塾のジンクスってのを知ってるか?」
 頃合をみて訊ねると、彼らは一度だけ顔を見合わせて頷いた。
「うん、知ってる。呪いの椅子だろ。成績落ちるんだよな」
 どの席かわかるかと問えば、すぐに別の生徒が答えた。
「確か……窓際の後ろから二番目、じゃなかったか」
 誰も座りたがらないから普段使わないこの教室に放り出され、あまり使わない位置に移動したのだとか。もともとその場所で何かがあったのだとか。噂はやはり噂であるようだったが、椅子の特定は出来た。体験塾生でも友人伝いに知っている者も多いらしく、確かにその一角に生徒の姿はなかった。
 鵠卯がその隣の席に座ると、大友・麟(中学生魔弾術士・b04599)が問題の席に腰を下ろす。鵠卯と同じく隣に座るつもりだった港・凛音(中学生魔弾術士・b02203)は窓際だから無理だねと言って麟の前の席に座った。

●試験
 休憩時間が終わり、後方出入り口に近い席についた緋埜中・まひる(小学生青龍拳士・b02103)は、そっと教室の様子をうかがう。
 前方出入り口近くにはモニカの姿があり、れいの椅子には麟が、後の仲間はその周りを取り囲む位置にいた。残りの生徒はそこそこに散らばり、席数と人数に大差がないおかげで空席は少なかった。
 やがて塾講師が答案用紙を配り始めた。受け取る生徒たちは皆、緊張しているように見えた。能力者たちの中にはいざ試験となって、どこかしらうんざりした顔をしている者もいたようだが……。
「では、試験開始!」
 塾講師の合図と共に、教室にはいっせいに用紙をめくる音とカツカツと解答を書き込む音が響いた。

(「自分の勉強不足を棚に上げて化けて出るなんて愚かしいにもほどがあるわ」)
 麟はそう心の中で呟いていた。上手くいかないのは努力をしたつもりになっているだけだからだと、その椅子にまとわりつく少年に対し、ぐっと眉をよせる。彼女もまた、この進学塾に通う生徒たちとよく似ていた。だからこそ腹が立つのだろうか。当然のごとく、狙うのは満点のみ。
(「そもそも試験は集中力よ、他人なんて存在すら無視……」)
 最初の問題を読み、少し目を細めた。
 鉛筆を握った手にぐっと力が入る。
 彼女の手は動かない。
 それは決して金縛りの類ではなかった。彼女に難しすぎる問題でもなかった。ただ、一度読んだはずの文章が頭に残らずにもう一度読み返す、何度かそれを繰り返し、彼女は一度目を閉じた。問題に集中ができないということこそが霊の干渉であったことを彼女は気付いただろうか、あるいはそのことに集中して気付かなかっただろうか。
 ともかく彼女は心の中で繰り返す。
(「イライラしない。集中よ」)
 そして、ゆっくりと目を開く。

 そんな麟の様子に、斜め後ろの席から様子を窺っていた上坂・輪舞(高校生フリッカースペード・b00336)が気付いた。自分の答案用紙には適当に答えを書き込みつつ、内心ハラハラと麟を見守る。隣の司郎は自分の問題に集中しているようだし、席の都合上、おそらく麟の様子に気付いたのは輪舞一人だったろう。
 上手くいきますようにと思うことしか彼女にはできなかった。

●マル
 そこまでという塾講師の声を聞いて、一気に緊張の糸を解いた生徒たちがざわめいた。配られた解答でさっそく答えあわせをする生徒も多く見られる。逆にすぐ席を立ち、帰宅していくものも数人だがいたようだった。
 地縛霊をおびき出す作戦は生徒たちが帰ってからのつもりだ。モニカは時間を潰すために麟の席の方へと移動し、仲間たちと他愛ない会話を始め、鵠卯は試験前の好印象のせいか、数人に声をかけられた。一緒に答えあわせをしないかと言われて、鵠卯は帰るそぶりを見せ、彼らを帰宅させる。
 三十分ほど粘ったところで、十人程度の一般生徒はほとんどいなくなった。一人、二人、まだ姿は見えたが、すでに帰り支度をしているようだ。
 様子を見ていた蓼羽が腰を上げる。
「大友さん、どうでした? 私は全然ダメ」
 凛音やモニカと話していた麟は小さな微笑を返す。それを合図にモニカはまだ残っている生徒に注意しながら自分の席に戻っていった。
「ねぇ、答え合わせしようか」
 凛音の声を背に、一人の生徒が教室のドアを閉める音がした。残る生徒はあと一人、もう間もなく退室するだろう。
 さっそく赤ペンを片手に麟の答案用紙を広げた凛音は一瞬ぽかんとする。中学一年生の彼女には三年生の麟の試験内容がまるで理解できない。とりあえず配られた解答と見比べながら採点を始めた。
「お……おお? 凄いよ! 何かマルしかない!」
 もともと答えが合っていようが間違っていようがマルをつけるつもりだったのだが、そんな心配はいらなかった。事実、彼女の解答は完璧であったのだ。ただすごいということしかできない凛音の横から、高校生である司郎が自分の中学時代、これらの問題に苦戦したことを語り、一同はおおと感嘆の声を上げた。
 当然だわといわんばかりに麟は得意げな微笑を浮かべる。集中できずに焦ったのはホンの数十秒くらいだった。見事、麟はその幸運で呪いを退け、自らの学力で好成績を得たのである。
 黙ってその様子を見守っていた輪舞は褒めることより、辺りの警戒に集中していた。
 だからこそ最初に気付いた。
 さっきまでいなかったはずの学生の姿があることに。そして、最後の生徒がまだそこにいることにも。幸いまだ霊には気付いていない。輪舞はすかさずカードを掲げてイグニッションと叫んだ。
 そして、想いをこめた歌を歌う。
「もう日が暮れますよ〜♪」
 穏やかな声。けれど彼女のコトダマヴォイスは彼に訴える。
 はやく、そのまま、振り返らずに、帰りましょう。
 パタンとドアの閉まる音。
 輪舞に続いてイグニッションした仲間たちは、すでに席を立ち霊に向かっていた。

●言葉にならない
 音もなく、ほんの瞬き程度の間に、地縛霊は現れた。
 麟の席の列の一番前。こちら向きに立っている制服姿の少年が一人。
 一見すればただの俯いた陰気な生徒に見えたかもしれない。
 しかしその少年は、右手に刃渡り五十センチもあろうかというほど大きなハサミを持っていた。足元に垂れ下がった鎖は彼の首に巻きつき、その隙間から血が滲み出している。
 ゆっくりと顔を上げる少年。
 紫に近い顔色と真っ赤に血走った目。ぎりぎりと歯軋りする口元……。
「がああああぁぁぁぁぁっ!!!!!」
 霊が突然カッと目を見開いて大声を上げれば、鎖の隙間から血がいっそう噴出した。そこから流れる血は彼にとってダメージではないようだ。あふれ出す想いの全てが、叫び声とその血に込められている。
「未来……な、んて……」
 麟を指差した少年霊の側にあった机がガタリと音を立てて浮き上がった。
 すぐさま全員が持ち場へと移動。狙われた麟の盾となるべく鵠卯と司郎が前に出る。机は鵠卯に向かって飛び、避けきれず一撃を受けた。そこへ蓼羽とまひるも加わり、四人は霊に近付いていく。霊は両手で握ったハサミを大きく開き、わめき散らしながら蓼羽を襲った。
「ひひ、寝るのも食うのも遊ぶのも、無駄無駄っ」
 辛うじて蓼羽が攻撃を避けたところへ、後方から麟の放った炎の魔弾が霊を直撃した。
「貴方に共感なんてしないわ。失せなさい」
「おぁぁっ!! 笑う暇があるかぁぁ!! クズに……未来なんてなぁいぃいっ!」
 麟の攻撃に逆上したらしい霊は再び彼女を標的とした。教室のどこからか机や椅子が彼女に向かって飛んでくる。全ては避けきれない。すかさず黒影のオーラを纏った鵠卯が霊を切りつけ、麟への攻撃は止んだ。それに続いて、司郎がロケットスマッシュを放つ。
「成績で全ての未来が決まるわけじゃないでしょ」
 蓼羽の振り上げたハンマーがロケット噴射の勢いにのってさらに霊を打つ。続いて炎の魔弾を放ったのは凛音。
「そうよ! 勉強だけが全てじゃないんだからっ!」
「あああぅううああぁっ!」
 立て続けに攻撃を受けた霊の叫びはすでに言葉ではなかった。耐え続けることが出来ずに死んだはずなのに、それでも尚溜まりきった不満は言葉にならないほど深い。
「これ以上、生きてる人の足を引っ張らせたりはしません……!」
 たとえ彼の気持ちをわかってやれたとしても、彼にはもう未来がない。自分でそれを奪ってしまったのだから。モニカの放った大きな炎が、叫ぶ霊の肩口からその横顔を焦がす。叫び声が止むかわりに霊の顔つきはいっそう仰々しく怒りに満ちた。それに負けじとモニカは霊を睨みつける。歪んだ恨みと根性を叩きなおしてやるためにここにきた、彼女の決意は固い。
 モニカの一撃で痛手を負った霊の手元を狙ってヌンチャクを構えたまひるはしかし、思った以上に素早い霊の動きを見て取り、本体部への攻撃へと転じる。たとえどんな理由があるにせよ、他人を攻撃するのは赦せない。音を立てて孤を描きヌンチャクは霊の腹を打ち据えた。
 ぽたぽたと滴る血。
 霊がニヤリと笑みを浮かべた。
「おま……未来……俺、に」
「きゃあ」
 ハサミに切りつけられ、まひるの小さな体が少しよろめくと、彼女を庇うように司郎が二撃目を繰り出し、後方から再びモニカの炎の魔弾が飛ぶ。
 凛音の使役するモーラットが彼女の願いどおり、傷ついたまひるの傷をペロペロと舐めた。おかげで傷は癒えたが、霊のハサミに真っ二つに裂かれ、モーラットは姿を消した。
 けれどその攻撃はモーラットだったから上手くいったのかもしれない。霊はもう叫ぶことすらできずにひゅーひゅーと息が喉を抜けるような音がするだけだった。あまりに哀れな姿に輪舞は叫ぶ。
「もう止めて下さいっ」
 せめて最後くらいは安らかに、彼女はそんな思いでブラストヴォイスを放った。
 二度の衝撃を受け、首に巻かれた鎖からこれまでにないほどの血が噴出し、霊は崩れ落ちる。
「ああぁ……どうし……うして、一度……でいい、認め……んばっ……のに……」
 言葉はそれで終わった。
 霊の姿は跡形もなく消え、司郎は死人の臭いはなくなったよと呟いた。
 しんとなった教室はいつの間にか薄暗く、窓から見える空は夕焼けを少し過ぎたころだった。

●空飛ぶアレ
 夏の日が落ちるのは早い。灯りをつけた教室からガタガタと音がする。霊が飛ばしてばらばらになった机や椅子を元通りに並べ直しているのだ。
「どうかしましたか?」
 まひるの声にはっとした蓼羽はニコリと笑って見せた。
「うん、終わったなと思ったら安心しちゃって気が抜けたみたい。少し疲れちゃったかな」
「初めてのお仕事ですから、上手くいってよかったですよね」
 モニカも微笑み、三人はあらかた片付け終えた辺りを見回した。
 すると、ガラリとドアが開き。
「あれ、君達まだいたのか?」
 灯りがついているので様子を見に来た塾講師。最後の机を運ぼうとしていた凛音は、じっと見つめられて慌てて言った。
「あ、あの、空飛ぶゴキ……が居まして、それでつい必死になってしまいましたっ」
 ……。
「あはは、それは災難だったね。遅くならないように早く帰りなさい。もう戸締りしてしまうよ」
 塾講師が去ってから、すっかり緊張の解けた八人は誰ともなく笑い出す。
 ただ一つ、全ての受験生たちに未来があることを願いながら、初依頼の成功を改めて噛みしめるのだった。