月、雲に隠れし頃

<月、雲に隠れし頃>

マスター:ナギ


 高い靴音を響かせ、一人の女性が帰路を急いでいた。
 久しぶりに会った古い友人。互いの近況報告など、積もる話が山とあったので、女性は友人と食事をし、気がつけばすっかり遅くなってしまっていた。
 星は見えないものの、夜空には煌々と月が輝く。
 女性のハイヒールが線路を跨ごうとしたその時。女性は何かに足を掴まれる感触を感じた。
 ――恐る恐る足元を見れば、紛れもない、人の腕が足に絡み付いている。相当の力が掛かっているのか、足はぴくりとも動かせず、五本の指が生々しく足首の上あたりに食い込んできている。
 遮断機が電車の接近を告げる。危険信号が頭の中に響き渡る。
 声を上げた所で、今頃間に合うはずもない――
 女性が死の直前見たのは、迫り来る電車と、夜空に浮かぶ月が、いつの間にか雲に覆われてしまっている姿だった。

「ふー、今日も暑いな」
 王子・団十郎(高校生運命予報士)は持っていたハンカチで額の汗を拭った。
 外の気温は三十度を越えていて、ただでさえ暑いというのに、能力者の集った空き教室は窓一つ空けられていない。室内にむしむしとした空気が淀み、団十郎が窓を開けると五月蠅いくらい蝉の鳴き声が聞こえてくる。――夏真っ盛りであった。
「暑いから涼しくなる話を一つ」
 そう言って前置きした団十郎の話は、一つの噂話だった。

 都心に近い某駅付近、一つの踏み切りがある。
 昼間は人通りが多く、車や通行人の往来も激しい。そんな踏み切りも夜になると人通りが減り、九時以降には誰も通らなくなるという。
 ――十年程昔、その踏み切りで人身事故により死亡した者が居た。列車事故の遺体の多くがそうであるように、その事故の遺体は損傷が激しく、遺体の一部は最後まで発見されなかったという。
 その事故の死者が霊となって失った身体の部分を求め、踏み切りを渡る人間から代わりを奪い取ろうとする。
 月が雲に隠れる頃、最終電車が通る時間、踏み切りを渡る者には死が訪れる――

「……そんなただの怪談話だったんだが、最近話と全く同じ最終電車が通る時間帯、何者かに足を掴まれた女性が一人、列車に轢かれて死亡しているんだ」
 勿論、偶然などではなく、踏み切りに残っていた残留思念が地縛霊となり、噂話のような犯行に及んだ、というのが真相である。
 この地縛霊は、最終電車が通る直前に踏み切りを渡ろうとする女性の足を捕まえて、電車に轢かせようとする。
 腕の力は強く、普通の女性では振り解く事は困難で、たとえ振り解けたとしても、地縛霊のテリトリーである踏切の中から出る事はできない。
「地縛霊は遮断機と遮断機の間に現れる。初め腕は一本しか現れないが、攻撃すればもう一本の腕が出てくる。両腕を同時に攻撃すると本体の地縛霊が現れるという仕掛けだ。あとは、地縛霊は最初に足を掴んだ女性を執拗に狙ってくる性質があるくらいか」
 本体の地縛霊は女性の姿で平均的な身長。長く伸びる腕で踏み切り内のどこにでも攻撃する事ができるが、攻撃力は殆ど無い。
「腕に捕まれば振り解くには仲間の助けが必要で、十秒は掛かる。おまけに、最初に腕が現れてから電車が来る迄は、六十秒しかない」
 つまり、六十秒の間に地縛霊を倒さなければ、皆電車に轢かれてしまうというのだ。
「この地縛霊の攻撃力は低いが、なかなかにしぶといから……攻撃を躊躇ったら間に合わない可能性もある。全員で協力して、必ず時間内に倒すようにな。頼んだぞ」
 そう言って団十郎は話を締め括った。
 次に地縛霊が踏み切りに現れるのは、四日後の夜。月が雲に隠れる頃、最終電車が通る時間――十二時五十分。


<参加キャラクターリスト>

このシナリオに参加しているキャラクターは下記の8名です。

●参加キャラクター名
絢凪・瞬(高校生魔剣士・b02264)
皆川・霞彗(中学生符術士・b00475)
月乃・紅(高校生ファイアフォックス・b01117)
榊・織姫(高校生魔剣士・b04829)
相場・総一郎(中学生ファイアフォックス・b04518)
姫木・霞(高校生水練忍者・b05901)
竜胆・螢(中学生魔剣士・b02371)
儚奏・昴(中学生ゾンビハンター・b05564)




<リプレイ>


●十五分前
 ――午前零時三十五分。
 人気のない周囲は月明かりに晒され、蒸し暑さだけが占める夜。踏み切り周辺に一人、二人、能力者達の影が集い始める。
 姫木・霞(高校生水練忍者・b05901)は地形を探る為に巡らせていた視線をもとの踏み切りに戻した。
「ったく、メーワクな地縛霊だなァ。さっさと片付けて、ゆっくり休むタメにも頑張りましョーか」
 伸びをして、気合いを入れ直していたのは儚奏・昴(中学生ゾンビハンター・b05564)。口調は乱暴だったが可愛らしい外見から、女性と知れる。
「これ以上同じ事を繰り返させるわけにはいかないな」
 決意と共に竜胆・螢(中学生魔剣士・b02371)が立ち位置を決める。年齢以上に精悍な体躯でぴんと背筋を伸ばし、金色の瞳が油断無く踏み切りを見据える。地縛霊のみならず、六十秒しかないタイムリミットも手強い敵と認識している絢凪・瞬(高校生魔剣士・b02264)が同意するように頷いた。
「えっと……が、頑張りましょうね!」
 皆川・霞彗(中学生符術士・b00475)が握り拳を作ると皆を励ますように見回し、所定の位置に着いた榊・織姫(高校生魔剣士・b04829)がモーラットをその場に待機させた。丸っこい体のモーラットはパートナーを円らな瞳で見上げると、側で大人しく待機している姿から織姫に良く懐いているように見えた。
 月乃・紅(高校生ファイアフォックス・b01117)がお気に入りの制服のスカートを翻らせ踏み切り前に到着する。だが、その赤い瞳には既に闘志が宿っていた。
「姫木先輩、危険になったら直ぐ言って下さいね? ……無茶しないで下さい」
 霞彗の気遣いに霞は無言で頷く。辺りの静けさだけが集中力を高めていくようだった。
 電車の到来を告げる遮断機の音と、ほどなくして能力者達の前を駆け抜ける騒音――最終電車より、一つ前の電車が踏み切りを通過していく。
 電車の窓から漏れる光が、引き締められた能力者達の顔を照らしていった。

●六十秒の攻防
 ――午前零時五十分。
 天上の月が雲に覆われ、辺りが闇に包まれていく。だが、近くのビルのネオンの光や、街灯のおかげで完全な暗闇とはならない。
「作戦時間は一分。きっちりと片付けます……」
 宣告と共にイグニッション済みの霞が踏み切り内に足を踏み入れていく。忍びの性質か足音一つ立てない。落ち着き払った足取りに女の子を囮にする事を複雑に思う瞬が身構える。ここから先は一瞬たりとも気が抜けない事を知っているが故に、全員が霞を注視する。特に、織姫と昴は互いのタイミングを計っていた。
 霞の足が線路を踏み越え、渡ろうとした瞬間――音もなく下から現れた女性の白い腕が霞の足を捕らえる。
 生々しく絡み付いた女性の左腕に向かい、霞が鋼糸を放つ。鋼糸伝いに霞に微かな手応えが伝わり、左腕は霞の足を掴んだまま、右腕が出現する。身動きの取れない霞に代わって駆けつけた織姫が左腕を、昴が右腕を攻撃する。
 ――ここまで僅か七秒。
 長い前髪の隙間から呻き声を発した地縛霊の本体が現れる。地中から伸び上がるようにして出現した女性地縛霊は右足から鎖を絡め、――左足を失っていた。
 地縛霊はそこから動かず、本体出現と同時に踏切内に飛び込んでいた瞬が勢いに乗ったままロケットスマッシュを放つ。上体に当たり、地縛霊の体勢が傾いたのを確認すると瞬は地縛霊から離れた。そこを埋めるように踏み切りの外にいた霞彗がガンナイフで攻撃するも地縛霊は片足だけで上体を反らし、避けた。今度こそ不安定な体勢になった地縛霊に接近した螢が長剣に闇を纏わせ、背後から地縛霊に斬り掛かった。
「速攻で仕留める!」
 本体に回避させる隙を与えず、紅のガトリングガンが追撃を行う。――地縛霊はその場から動けない代わりに、腕が自在に伸びるらしかった。距離を取っていた瞬に左腕を伸ばすと、顔を引っ掻くように腕を振り下ろす。
 ――残りあと四十秒。
 上方から、相場・総一郎(中学生ファイアフォックス・b04518)のフレイムキャノンが地縛霊の右腕に向かって放たれた。
『――っ!』
 着弾した炎の弾が地縛霊の右腕を燃え上がらせると、拘束の解けていた霞がその場から離れる。
 踏み切り付近の建物に位置していた総一郎がいつの間にか迫っていた右腕の接近を知らせると共に、援護射撃を行ったのだった。
 総一郎は再び囮が拘束されるのを阻止する為、地縛霊と仲間との距離も視野に入れて次弾の準備をする。燃えたまま伸ばされた右腕に霞は何かを払う動作をすると掌から放たれた水流が鋭い刃物となり、放物線を描いて右腕に命中した。水が弾けると同時に地縛霊の右腕には裂傷が出来、じゅっと音を立てて右腕の炎が収まる。
 振り下ろされた右腕を避けた瞬が更にその場を離れ、本体を叩くべく織姫が走る。
 駆け抜ける動きに追随するかのように赤いリボンとポニーテールが揺れた。
 地縛霊が怒りの表情を織姫に向けるのと、織姫が地縛霊の懐に入り込むのは同時だった。
 下から黒影剣で斬り上げ、払いきったところで地縛霊と目が合う。
 ――合った、と織姫は思った。だが地縛霊の視線は織姫を通り越し霞を追っていた。霞彗同様、踏み切りの外にいた紅が本体近くにいる仲間を上手く避けながらガトリングガンで攻撃する。踏み切りに敷かれた砂利が音を立てた。
 地縛霊の視線を遮断するかのように、放たれた炎の弾が地縛霊の前を通過していく。
 仰け反ってそれを回避した地縛霊は左腕を戻し、本体近くにいる能力者達を牽制するように両腕を払った。
 螢が両腕の間隙を縫うようにフレイムキャノンを放ち、炎に包み込まれた地縛霊は悲鳴を上げるも動きは止まらない。その後、続けて本体に攻撃が打ち込まれる中、微々たるものではあったが地縛霊は魔炎によって徐々に体力を奪われていっているようだった。動きが鈍くなり始め、能力者達の攻撃が確実にヒットしていくようになる。
 もう一息だと、誰かが鼓舞した。

 ――踏み込みにより砂利が音を立て、闇の中、長剣が鋭い軌跡を描く。踏み切りの外と上方から、遠距離狙撃により地縛霊の背中が撃たれ、衝撃に震える。
 背中を、腕を、次々と能力者達の攻撃が地縛霊に当たっていく。だが敵は倒れず、迫る刻限に能力者達は全力で攻撃する。一秒一秒が長く短く、焦りを感じれば感じる程能力者達の攻撃は強さと鋭さを増していく。
 地縛霊は本体に攻撃が集中するのも構わず、霞に向かって両腕を伸ばした。霞彗が力ある歌声を響かせるが、歌声の衝撃を受けながらも地縛霊の動きは鈍らず霞に両腕が迫る。咄嗟に伸ばされた織姫の長剣が左腕を掠めるも止まらず、踏み切り一杯まで伸ばされた右腕は再び上方からの総一郎のフレイムキャノンによって焼かれた。
 ――残り二十九秒。
 電車の警鐘が鳴り始める。電車の到来方向から能力者達に向かい、前方照明が迫っていた。警鐘はそのまま焦燥となって能力者達の間を伝播する。
 迫る電車の存在に能力者達の間に一瞬の隙が生まれた。霞を追い、左腕が能力者達の隙間を縫うようにして通り過ぎる。中空を浮き進んでいた左腕は、霞の元まで来ると足を狙って急降下した。
 ――闇を纏わせた剣が、地縛霊の左腕を貫通する。
 螢が霞の前に立ちはだかると、長剣で地縛霊の左腕を踏み切りの砂利に縫い止めていた。
「俺等もいるってコト、忘れちゃダメっしョ?」
 にっこりと笑った昴が容赦のない豪速の一撃を左腕に叩き込む。それに呼応するかのように霞彗が本体に呪符を投げつけ、瞬のロケットスマッシュの斬り下ろしが地縛霊の本体を頭上から断ち切った。
 ――残り十五秒。
 悲鳴のような絶叫が鳴り響く警鐘と重なり、地縛霊は尚、霞に腕を伸ばした。――伸ばした指先から、夜の闇に解けるようにして女性地縛霊は消えていく。
 ――電車の前方照明が踏み切り内を照らしきり、騒音と共に高速の電車が通り過ぎた。

「……六十秒なんてシビアな戦い、もう懲り懲りだぜ」
 全員の心境を代弁するかのように、踏み切りの外で螢が零した。
 電車の窓から漏れる照明が、踏み切りから避難していた能力者達を照らして行く。
 それぞれが、どこも大した怪我を負っていない事を確認していた。
「……はぁ、無事に終わってよかったです。皆さん、ありがとうございました」
「こちらこそ」
「みんな強かったぜ」
 霞彗の挨拶を皮切りに緊張から解放された能力者達はお互いの健闘を讃え合う。
「もう、苦しまなくてもいいんだよ。哀しみも、恨みもないところで眠って」
 モーラットの頭を撫でながら、織姫が囁いた。

 ――午前零時五十三分。
 電車が通過しきった後、ゆっくりと上がる遮断機の先に晴れていく夜空と月があった。

●三時間後には日常生活が始まる
 ――午前六時五分。
 会社に向かう人、学校に行く人。夜の静かさとは正反対の賑やかさで翌朝の踏み切りを様々な人間が渡っていく。
 遮断機の警鐘の側で何人かの能力者が佇んでいた。
「あの地縛霊が失った体の一部とは左足だったんですね」
 怪談の、霊が失った体の部分が気になっていた総一郎は地縛霊の姿を思い出して目を伏せる。
「事故で死んでしまった事は可哀相な事かもしれませんが、其れで他人を道連れにしていい理由にはなりません」
 紅のはっきりした言葉に、織姫が頷く。素っ気なくではあったが、霞が花束を警鐘機の側に置いた。
 手向けられた花束は踏み切りを渡る電車の風に激しく吹かれ、舞い上がるようにして散った花びらが静かに踏み切りを渡っていった。