鏡の少女と捕らわれた少年

<鏡の少女と捕らわれた少年>

マスター:永瀬晶


 月明かりひとつしかない薄暗い中、遠目に人を見つけた気がして、少年は鏡に近づいた。
「どうしたの?」
 少年は、鏡の中にうつった影に話しかける。下を向いて、足をおさえている……長い髪からして、少女だろうか。
「足を挫いて……動けな……手を……」
 迷うことなく、少年は手を差し伸べた。相手は顔を伏せたまま、小さな両手で差し伸べられた手を取った。
「嬉……しい。私、……寂し……。ずっと……一緒」
 鏡の中の影が顔を上げると……そこにいたのは、血まみれの顔に五センチ近い大きな傷のある、少女のようなもの、だった。
「…………!?」
 必死で逃げようとした、が……何故だか身体が動かなかった。逃げられない。そう思った途端、彼は銀の壁で閉じ込められた空間へと移動していた。

「とある学校の一階と二階の階段の間の踊り場に、全身が映るほど大きな鏡が置いてある。この鏡が地縛霊の住む異空間への出入り口となっているらしく、忘れ物を取りに夜の学校へ向かった一人の少年が捕らえられている」
 王子・団十郎(高校生運命予報士)は集まった者たちの顔を一通り見回すと、説明を始める。
「地縛霊は少女の霊で、遊び相手が欲しかったんだろうが……このまま鏡に閉じ込められていたら、少年は餓死してしまう」
 落ち着いた手つきで校舎の見取り図を取り出すと、フェンスの一部とその踊り場に赤ペンで印をつける。フェンスの低い箇所を乗り越えて、夜の学校に忍び込んでの仕事だ。
「この地縛霊を倒し、少年を救ってほしい……廊下は暗いから、踊り場まで行くのに懐中電灯の一つ位はあったら便利かもな。セキュリティシステムは古いから問題ないが、なるべく音も光も窓から漏らさないようにしてくれ」
 能力者の一人に見取り図と学校周辺の地図を渡す団十郎の口調は、静かではあったが、その心境は決して穏やかではなく。
「鏡の中の異空間へ侵入する方法は、夜に鏡に話しかける事……彼女好みの者が話し掛ければ、姿をあらわして、鏡の中の空間へと引きずりこんでくる。一人が鏡に入った後、三十秒程度のうちに鏡に触れれば、誰でも鏡の中に入れる。ちなみに鏡の中で戦闘する事になるが、そこは十分に明るいから明かりは不要だ」
 この地縛霊の少女は、生前から遊び相手の居ない少女であった。階段から落ちた際、ここに置いてあった鏡で顔に大怪我をして、その残った傷がショックで自殺したとの事だった。
 敵は鏡の欠片を飛ばしてくる遠距離攻撃と、遊び相手を逃がさない為に、一時的にその手を握ったものを麻痺状態にする能力を持っている。ただし、麻痺は能力者であれば影響の無い可能性が高い、弱いものだ。また、少年は彼女の「遊び相手」だから、彼に危害を加える事は無いだろうし、彼を助けようとしたり逆に攻撃しようとした場合、少年に敵を近づけない方向で動く。
「そういうわけで、気をつけて……少年を宜しく頼む」
 団十郎はそう告げると、言葉を切った。


<参加キャラクターリスト>

このシナリオに参加しているキャラクターは下記の8名です。

●参加キャラクター名
アルフィーネ・ナイン(高校生魔剣士・b04090)
伊勢橘・命(中学生符術士・b01303)
橘・若菜(高校生ゾンビハンター・b01193)
高来・天藍(中学生魔剣士・b06917)
桜都・姫花(中学生魔弾術士・b06511)
深紅月・燐(高校生魔弾術士・b01051)
水瀬・桐花(高校生魔弾術士・b01667)
兎月・亞美(小学生魔弾術士・b03603)




<リプレイ>


●少年を助けに
 暗い校舎に足を踏み入れると、深紅月・燐(高校生魔弾術士・b01051)は小さな懐中電灯の電気をつける。窓から所々月光がはいってくる他は、全ての電気が消えた状態の為、殆ど光は無かった。
「さて、とーー……頑張ろうか?」
 高来・天藍(中学生魔剣士・b06917)とアルフィーネ・ナイン(高校生魔剣士・b04090)の二人が念のため、闇纏いを使用して事前に学校へと乗り込んで調査していたこともあり、校舎内への進入はあっけなく成功した。
 先生や職員、生徒が帰宅した後の暗い学校は、不気味なほど静かだった。
 初めての学校だからと、橘・若菜(高校生ゾンビハンター・b01193)はゴーストの場所を探す為、意識を研ぎ澄ます。このあたりに、確かにゴーストの気配がある……しかし、近すぎるからか、ゴーストが居る事は感じられるが、その位置までは判らなかった。
「……ちょっと待って」
 天藍が制服のポケットから、折りたたんだ紙を取り出した。運命予報士から受け取った校舎の見取り図に、確か鏡の場所に印を付けてもらっていたから、と。
「……こっち、だね。大丈夫、間違えはないよ。」
 地図と現在位置を確認して、若菜は階段のほうを指差した。
「夜の学校は……は、なんだか……ちょっと、恐いね……」
 足音を立てないように歩きながら、桜都・姫花(中学生魔弾術士・b06511)が隣を歩いていた水瀬・桐花(高校生魔弾術士・b01667)の腕にしがみつこうとした。
「お腹すくと思って……、お弁当もってきた……」
 確かに、終わるころには、お腹がすく人も居るかもしれない。そう思ってお手製弁当を差し出した姫花の足元で、アメリカンショートヘアーの猫に変身している兎月・亞美(小学生魔弾術士・b03603)がにゃー、と鳴く。
 ちなみに伊勢橘・命(中学生符術士・b01303)はコンビニで数人の食料を調達して来ているが……こちらは自分たちのお腹がすくからではなく、捕らわれたままの少年の飢餓を心配しての事だった。
 今回の目的は、「少年を救うこと」だ。ただ、ここに集まった者には、少年だけでなく、鏡の中に棲む地縛霊の少女も救いたい、との思いを持つものが多かった。
 くだんの鏡までは、光を漏らさぬよう、足音を立てないように歩いても、なんの苦もなくたどり着いた。

●鏡の国の……
 夜の学校で、その大きな鏡は月明かりを反射して不気味な光を放っていた。昼の学校では、主に女学生が立ち止まって身だしなみを整えたりするのに使われている鏡だが、静かな夜の学校では全てが昼とは違って見える。
 最初に鏡の前に立ったのは燐だった。
「こんばんわ、一緒に遊びましょう?」
 猫に変身した亞美を抱えて、鏡に話しかけてみるが、反応は無い。
「一人は……寂しいもんね。ずっとずっとひとりで……寂しかったんだ……よね? だけどね……、その人は……ダメなの。その人は……返してあげて……欲しいの。それで……出てきて一緒にあそぼ?」
 次に姫花が。彼女は幼い頃より何度も引越しを重ねていたので、友達の居ない寂しさは良く判ったから。やっと仲良くなった友達と離れて、一人別の学校に転校するのは、寂しいものだったから。
 しかし、鏡の中に棲むという地縛霊の少女は姿すらも見せない。
「……出てくるのが恐いなら……その人離して……姫とあそぼ?」
 暫く待って変化が無いのを見て、次に鏡の前に立ったのは命。
 少年が捕らわれた時の話を聞いていたから、同じ事をすれば出てきてくれるかな、と思い、遠めから鏡に話しかけてみる。
 ……ぞくっ、とそこに居る者たちに寒気が走った。
 鏡にうっすら、浮かんだ影。それが何であるかは、確かに遠目からは判別が付かなかった。
「……じ様」
 それはぼそぼそとした小さな声で、聞き取ることはできなかったが、彼女が命に興味を持っている事だけは判った。命は一歩、二歩と近づいてみる。
「どうしたの?」
 地縛霊の少女の姿が、はっきりと実体化する。足を押さえる動作をすると、先ほどよりは少しは聞き取りやすい声で、少女は手を差し出した。
「足を挫いて……動けな……手を……」
 うまくいったみたいだね、と仲間に合図をすると、命はその手を取った。僅かに身体が痺れるような感覚を覚えたが、本当に一瞬だけで、すぐに動けるようになる。
「王……、一緒……」
 少女が命の手を引っ張り、鏡の中へと引きずり込んだ。
 彼の姿だけが、そこから綺麗に消えていた。鏡には傷ひとつないが、鏡の表面は水面のように僅かに波打っている。
 少しの間の後、相次いで、七人の姿が鏡の中へと消えた。

「……」
 広さ五メートル四方程度の、不思議な空間。一面が、銀色の壁に囲まれている。よく見ると、四面全てに、中の様子が映っているのが判る。遊園地のミラーハウスの大きいの、といった感じが正しいだろうか。
「嬉しい……王子様、二人」
 連れられて来た命の他、そこに居るのは顔に大きな傷のある地縛霊の少女と、命の反対側にはあはあと荒い息をしている少年の二人。
「私は伊勢橘・命です……あなたは?」
 丁寧に自己紹介をし、少女に名前を尋ねる命。名前を尋ねられたのははじめてだったからか、少女が一瞬、首を傾げる。

 その時。
 空間の歪み。鏡が水面のように歪んで、一人づつ、順番に鏡に飛び込んだ仲間たちが姿を現した。
「…………!」
 最後に天藍が移動してきて、すぐに全員が揃う。少女は七人の姿を確認し、少年の近くへと動いた。
「物語ではあるまいし、まさか鏡の中に入ることになるとは思わなかったね」
 夢の中の世界で、鏡を通り抜けて冒険する少女の物語を思い出し、アルフィーネが周囲の様子を確認すると、ぼそりと呟いた。
(「本当に寂しかったんだね……」)
 猫の姿のまま、亞美は少年に近づこうとする。狭い鏡の中の世界で、ずっと一人だった……、その孤独感のようなものが感じられた気がして。
「ねぇ、そんなさびしそうな顔しないで、私たちと遊ばない? トランプとか持ってきてるんだけど!」
 トランプを取り出すと、少女に見せようとした桐花。少女の遊び相手になって、楽しい思い出みたいなものを作ってあげられれば満足して少年を帰してくれそうな気がしていたからだった。
 しかし、暫くは驚きを隠しきれない表情をしていた少女だが……
「ここ、王子様と私……世界……他の人………ない……」
 そう、小さく呟くと、捕らわれていた少年の方を見やる。よく見ると、少年の足や腕には、小さな切り傷のようなものがあった。血の付いた腕を、八人の方に伸ばす少年。
「…………けて」
「………………サナイ!!」
 ここに来て少年を助けに来た、という事に気が付いたのだろう。更に、少年がその手を伸ばして八人に助けを求めた事が、決定的だった。彼を取られると思った少女は、少年に近づこうとした亞美にガラスの欠片を放った。猫の姿の彼女に欠片がかすり、人間の姿へと戻る。
「亞美もね、小さかった頃はお兄ちゃんが学校にいる間ずっと寂しかったんだ。一緒に遊んでくれる人もいなくて一人ぼっちみたいな気がしてたの」
 一歩、二歩と、改めて少年に近づきながら。
「寂しくっても 彼のこと考えてあげなきゃ……優しくて遊んでくれる人かもしれないけど、貴女と彼は全然違うんだよっ」
 それでもめげず、少女に対して少年を解放するよう、説得を続けようとする亞美だが……、少女は話を聞く様子も見せなかった。
「遊び相手がいなかったんでしょう?なら、わたしたちと……!」
 続いて、少女は桐花に欠片を放つ。彼女の手に持っていた四角い小さな箱が手を離れて落ち、かたんと音を立てる。中に入っていたトランプが地面へとばらばらと散らばった。
 攻撃をされても攻撃を仕返さなければ少しは心を開いてくれるような気がする……、そう感じていた若菜は、なんとなく彼女に攻撃する事ができなかった。鏡の少女は命と少年以外の相手に無差別にガラスの欠片を放ち続ける。
 少年の傷を心配して、彼をモーラットのももちゃんで回復させようと、姫花は少年に近づこうとする。彼女の手を離れ、少年の側に行くと、傷をぺろぺろ舐めだした。安心したのか、少年ががくり、意識を失う。
「……口では、判っていただけないでしょうか?」
 最初にガンナイフを出し、反撃の用意をしたのは命だった。自分には攻撃は来ていないものの……、仲間の傷は少しづつ増えていた。燐と天藍の二人も、武器を構える。
 本気で倒す気で少女に向かっていれば、恐らくもう倒れていただろう。敵は一人、こちらは八人。どうしても、説得をと試みていた為か、他の仲間も武器を取ってはいたが、彼女にとって致命傷にはなっていなかったのだ。
 最初の仕事であるからか、説得で成仏して貰おう、という作戦には、実は重大な欠陥があった。地縛霊を説得だけで成仏させる事は不可能だったから。ゴーストはあくまで、団十郎が彼らに頼んだように、退治し、倒すものなのだから。
 ……この均衡を破ったのは、意外なことに少女の側だった。
 
●一緒に、逝くの
 敵わない……、そう、思ったのだろうか。
 少女は一人。相手は八人。完全に、能力者達が押していた。
「……イヤ……!」
 死ぬのは、イヤ。一人は嫌。
 地縛霊の少女の瞳に写ったのは、「王子様」たち。
 二人のうち、一人はダウンしたまま……もう一人は、強い。
 ならば。答えはひとつだった。

「一緒……!!」
 大きな鏡の欠片が、少女の手から放たれる。
 その先には……捕らわれて衰弱している、少年。その場に居た誰もが、予測していなかった事だった。一番近くに居た姫花が、とっさにそれに気がついて、両手を広げて少年の前に立ちはだかる。もともと、ゴースト退治より、彼を救出する事にウェイトを置いていた事がこの場は幸いした。
 ガラスの欠片が、彼女の右のわき腹を切り裂く。もし、少年が受けていたら、即死していたかもしれない。
「だいじょうぶ……だよ」
 心配そうに見つめる七人に、微笑んでみせる姫花。彼女の側に動いたももちゃんと、桐花のモーラットが、姫花の傷をぺろぺろ舐めて少しづつ癒していく。
「ありがとう」
「姫花くん、下がって! 皆、援護宜しくお願いするよ」
 その様子を見て、アルフィーネは剣を構えなおす。今までは、説得できるかも、と思っていた、が……こうなっては、もう少女を説得するのは無理なように思えたから。改めて、間合いを詰める。
 一人で死にたくないからと……、少年を連れて逝こうとした、少女へと剣を向けると一気に切りかかる。
「独りは、寂しいよね。寂しくて、寂しくて……だから、之で終りにしようか」
 命の呪殺符、若菜のロケットスマッシュ、桐花の炎の魔弾の援護を受け、一気に接近するアルフィーネ。同じ前衛の天藍とも協力して、二人で闇のオーラを纏った長剣を少女に向ける。
「それではお休み、良い夢を」
「…………!!」
 二人の放った黒影剣を受けて、地縛霊の少女の姿は霧かかすみのように、かき消えた。
 その最後の一瞬、少女の表情に苦しみの表情は無かった……すくなくとも、そう見えた。

「来世というのがあるならば友達作りもやり直すことが出来ますよ」
 命が、心からそうであるようにと呟いた。

●全ては夢の中に
 地縛霊の少女とともに鏡の中の空間が消えた為、少年と能力者たちは、気がついたら鏡の前に立っていた。少年は意識を失ったまま、すやすやと寝息を立てていた。張り詰めた緊張感から開放されて眠っているらしかった……かえって、好都合ではあったけれど。
「……ごめんね。やさしくない、おねーさんで」
 若菜が少年を揺らさないよう、そっと鏡の前に自然な姿勢で横たえながら、ぽつり、と寂しそうにこぼす。
「……少年にとっても、私たちにとっても……貴重な体験だったのかしら、ね」
 そう呟いたのは燐。目が覚めれば、少年は家に帰って、いつもどおりの生活を送るのだろう。怖い思いをした記憶が、暫くは少しは残ってしまうかもしれない。でも、世界結界の影響で、直ぐに悪い夢を見たと思うだろう。手足に残っていた小さな傷も、もう消えている事でもあるし。
「もう、寂しくない……?」
 鏡をちらりと見やる亞美。説得には失敗したけれども、少女が最後、苦しんでいなかった事と、少年を助けられた事の二つが救いになっていた。
「じゃあ、気づかれないうちに、帰ろうか?」
 誰からとなく出された提案に、皆はうなずき、侵入経路を戻っていく。燐の懐中電灯のわずかな灯りが、一同を先導する。
「ぼろぼろーー。結社の仲間が、待ってるかなぁ。待ってるだろうなぁ。気合っ!」
 自分を待っているであろう親しい者を思い、若菜はぎゅっと拳を握り締めた。

 ……月明かりを浴び、先ほどまで不気味に見えた鏡は、今はただ静かに光を放っていた。