<リプレイ>
●下水道探訪
その日は朝から風が強く、見上げると、空を駆るように雲が流れていった。
よく晴れ上がっていて、日差しはいく筋も街を横切る。
しかし地下にある下水道に天候など関係なかった。ここはいつもと同じ湿気と臭いが篭っている。
「オー! この学園に来て初めての依頼ネー! 頑張ってオカルティックモンスターを退治するネー!」
「これが初陣ですのね…わたくしも仇敵の退治に燃えてますわっ!」
初めての依頼に気合を入れるスティーブ・タナカ(高校生魔剣士・b01807)と湧き上がる怒りを紛らわすため、おしゃべりになるジュゼッピーナ・カミノギ(中学生青龍拳士・b03926)。彼女はあの時のお弁当によくも…! とぶつぶつ呟いている。食べ物の恨みは恐ろしい。
「ようやく力を使う時が来たってか。相手はアレだけどよ」
杉山・謙一郎(高校生青龍拳士・b06772) が言った。そして、目を伏せて考えた。汚れ仕事には違いないが、細かいことを気にすることがない。雑念を頭から振り払う。よけいなことは考えるな。
能力者たちの足音が長い通路に響く。下水道は外よりも闇が濃く、何処から敵が現れるかわからない。だがぐずぐずしていても、仕方がない。
「こんな事もアロウかと思っテ、準備してきまシター」
スティーブはすぐに懐中電灯を取り出して、スイッチを入れた。譲葉・雪月(中学生霊媒士・b00454)も懐中電灯を手にして、辺りを照らす。すると、悠是・鋼志朗(高校生ゾンビハンター・b05075)が声をかけた。
「俺なりにこの下水道の構造を調べてみたんだ」
鋼志朗は持っていたメモ用紙を雪月に手渡した。
「細かいところまではわからなかったから、修正などがあれば任せる」
「ありがとうございます。参考にさせてもらいますね」
雪月は素直に礼を言った。
チカチカする蛍光灯がコンクリートに固められた空間を冷たく照らしている。辺りには人影も、妖獣らしい気配もない。
能力者たちは壁に印をつけて、警戒しながら奥へ進む。時々、前を歩く人の肩をポンと叩いた轟・一平(小学生ファイアフォックス・b02029)が、懐中電灯の光を自分の顎から上にあて、
「う〜ら〜め〜し〜や〜」
と脅かしてみせた。不謹慎にも、仲間が驚くと嬉しく思ったが、すぐに、
「皆さんの背後は、俺が守ってるので安心して下さい!」
と、一平は自分の胸を拳で叩いて、にっこり笑った。
「しっかし……臭いは我慢できるが……この暗さはどうにか出来んのか……出来んよな……」
相崎・陣(高校生魔剣士・b00080)はぼそっとつぶやいた。
「う〜…ほんっとうに臭いよね〜……さすが下水道〜」
時雨・瑪瑙(小学生霊媒士・b04895)も頷く。
「……ふえっ! この音はっ! 先輩も聞こえましたか!?」
横でいきなり水のはねる音がして、ジュゼッピーナは飛び上がった。
恐る恐る上を見上げると、頭上には水を滴らせているパイプが通っている。
もう一度、辺りの気配をうかがってから、短棍を握り締める。脈打つ鼓動が狂ったように乱打する。
今度はガサガサっと音がした。動物か物が動いている。
「妖獣かっ!?」
鋼志朗が鋭い声を飛ばす。だが、通路へ目をやると、ドブネズミが姿をあらわしていた。
馬鹿も休み休みにしろ。ネズミに驚いてびくついていては話にならない。
鋼志朗は行く手をふさぐネズミを追い払った。そのネズミは血まみれの物体をかじっていた。小動物のものらしい小さな足が見えたが、すぐさま目を逸らすと、前方を見据えた。道が左右に分かれている。どちらも距離がありそうだ。
「また分岐点か」
肩をすぼめて、謙一郎は言った。
濃くなる闇の中で、足を止めた謙一郎はこれほど面倒なことになるとは思わなかった。彼は笑いにならない笑みを浮かべた。
「できるだけ早く駆除しちまいたいが…こいつは時間がかかりそうだぜ」
雪月は暫くの間、地図と道を見比べていたが、やがて顔をあげた。
「こっちに行ってみましょう」
「もう、さっさと終わらせたいのに……ごーきさ〜ん、出てきて〜」
瑪瑙が言った時だった。突然、ほんの数十メートル先からブーンという音が聞こえた。彼らは警戒して身体を固くした。項がピクつく。水の滴る音が絶え間なく耳を突く中で、音がハッキリと聞こえた。
「ニンジャがカタナを担いだら注意スルネー」
耳をすますと、音は右側の通路から聞こえてくる。それは確かだった。スティーブはじっと目を凝らして見つめた。
「これは何の音?」
雪月は息をはずませながらたずねた。
「翅の音に聞こえます」
一平は言った。
「それもかなり大きい!」
一平は奮い立つようにしてガトリングガンを手にした。
「みぃ〜つけたぁ!」
瑪瑙が言ったように、いまや能力者たちは闇にうごめく妖獣の姿をほぼ見分けることができた。黒々とした影。そして、身も凍るようなカサカサっという音……。
水柱が立ち上り、能力者たちに降りかかった。ジュゼッピーナはびっくりして、迫ってくる妖獣の姿を見つめた。
「はわわ……思ったより大きいですわ」
●下水道をむしばむ妖獣
能力者たちに気づいた妖獣は興奮した荒々しい動きで、一目散に逃げだした。
わずかに光を残す天井を背景に、厚板のような腹部を盛り上がらせた姿が、目に入った。
妖獣は上空を飛んで、素早く走り去っていく。
「って、でっか〜! …あ、じゃなくて!」
雄たけびも、挑んでくる様子もなく、ただ逃げるだけの妖獣に彼らは戸惑った。だが、敵であれば、やることはただ一つ。
気を落ち着かせると、能力者たちは縦横無尽に作られた通路を飛び越えて、妖獣を追い詰めてく。
妖獣は壁へよじ登ってくると、飛んだり跳ねたりしながら、右手にあった傾斜路に向かった。
事前に調べていた地図を見たときにその先は袋小路になっているのを確認していた。能力者たちは、追跡を開始する。
最初はかなり引き離されたが、その距離はじわじわと縮まっていった。
鋼志朗は仲間たちに向かって、叫んだ。
「俺と相崎、カミノギは左から、タナカと杉山は右から囲い込むぞ! 譲葉、時雨、轟は援護を頼む!」
どんなに素早い相手でも、逃げられない状況に追い込んでしまえば良い。単純にそう考えた鋼志朗は、包囲することで妖獣に対抗することにした。
袋小路に追い詰められた妖獣が、突然ぐるりと向きを変えた。
嫌な予感がする。雪月は急に震え声になって言った。
「お願い…もう飛ばないで!」
擦れ合うような耳障りな翅の音。妖獣は猫のように背中を震わせていた。
「逃がさないから!」
瑪瑙が雑霊弾を立て続けに叩き込む。雑霊弾は身体に命中することはなかったが、翅をこっぱみじんにふきとばした。
「さて、そろそろ始めようか……?」
陣は剣の柄に手をかけた。すっと細められた青い目が、妖獣を見据える。
ゴキブリの形をした妖獣。しかしここで怯む能力者たちではない。
先陣を切る鋼志朗の突撃が妖獣の注意を逸らし、そこをスティーブが死角から強襲する。その背後にはジュゼッピーナの姿があった。
「素早いっ! でも、逃がしませんわっ!!」
次は外さないとばかり、ジュゼッピーナは跳躍して、無数の拳を叩き込む。
「その図体で飛ぶんじゃねえ! 気色悪い!!」
一瞥すると、謙一郎が叫び声を上げながら、妖獣目がけて突進する。
妖獣がのしかかってくると、謙一郎は後方へよろめいてしまった。見るからに恐ろしい。大きな身体が、ぴくつき、うごめいて、油と水で光っている。触角が右に左に荒々しく振られた。
妖獣の胴体に目をやると、どろどろの粘膜が糸を引くように流れ出している。
謙一郎は悲鳴を押し殺すと、棍棒で殴りつけた。
彼らの戦いぶりを見て、一平と雪月も、遺憾なく力を発揮した。
「いけ! 必殺のゴキ…じゃなくてフレイムキャノン!!」
「いつの間にか台所にいるんだから…! ゴキなんて…ゴキなんてー!」
下水道の中にいくつもの火柱があがった。
二人の放つフレイムキャノンがさらに激しさを増す。炎の勢いに、妖獣が怯んだ。
その機を逃さず、陣は剣を繰り出す。だが妖獣は剣先が触れる寸前、後ろに飛びのいた。そのまま至近距離で激しい剣戟が行われるが、次第に妖獣が圧され始めた。
逃げ場もなく、後ろに下がることもできないため、妖獣は間合いを取ることもできない。
「害虫はさっさと駆除するに限る!」
他の能力者たちも妖獣に逃げる隙を与えぬよう、一気に攻め立てた。
「へーイ! 覚悟するネー!」
スティーブが剣を一閃すると、妖獣の身体が泳いだ。それを見逃すことなく、陣は猛然と突っ込んだ。
「くらえよっ!!」
剣先が巨大な身体をものの見事に貫いた。陣が剣を引き抜くと、妖獣は二、三歩踏み出した後、コンクリートの床の上に倒れ伏した。足がガクガクと震えている。
靴の先でつついてみたが、やがてピクリとも動かなくなった。
●能力者たちの帰還
雪月はもう狼狽えることはなかった。ひどく落ち着いている自分を感じた。何度、台所に現れたゴキブリの姿を思い出しただろう。放っといたら、間違いなく大変なことになっていた。
死んだ。間違いなく、あの巨大な妖獣は死んだ。
懐中電灯の明かりがちらちらと通路を照らす様を見つめていた雪月は顔をあげた。横目で一瞥すると、ジュゼッピーナがブロンドの髪を耳の後ろに払った。髪がまた落ちてくると、それをそっと耳の後ろに撫で付けた。彼女は唇を舐めると、意味深な笑みを浮かべる。
「ふぅ…これで部費のことも考えてくださるかもしれませんわね」
誰に言うわけでもなくつぶやいた。どうやら、食べ物の恨みだけが目的ではなかったらしい。
ジュゼッピーナは前にいるため、後ろを歩く仲間たちの会話に気づかなかった。彼女から少し離れた場所では瑪瑙と謙一郎が話していた。
「うわぁ〜ん、汚いよ〜! 汚れるし、臭いはつくし、もう最悪〜!!」
謙一郎が小首をかしげるようにして、言った。
「それは予報士が言ってたじゃないか。イグニッションを解けば、平気だって」
「イグニッション解けば大丈夫とかの問題じゃなくて!」
瑪瑙は怒鳴った。
「気分! 気分が汚い!」
事もなげに肩を竦めた謙一郎は、鋼志朗をちらりと見た。
「地上に戻るまでがミッションですよ、イグニッションはまだ解かないように」
鋼志朗はふざけた口調になって言った。視界に隅に陣の姿を捉えた。彼は制服についた臭いに顔を歪めている。
「さっさとこんな所からオサラバして風呂に入りたいよ」
とても不機嫌な声だった。眉をひそめて、舌打ちする。
瑪瑙の言うとおりだ。イグニッションを解くまでは、このままなのだから、不快な気分になる。まったく胸くその悪い。
陣は大きなため息をついた。
仲間たちと他愛もない話で笑いながらも、出口に向かう一平は、ある感情が込み上げてきていることに気づいた。
(「オイラは、街の平和の為に貢献することができたんだ」)
一平の顔にはこぼれんばかりの笑みが浮かんでいた。
「出口だ!」
一番最初に下水道を出た謙一郎が声を上げた。
瑪瑙は急に活気づいて、駆け出した。そして、振り返ると仲間たちに手をふった。
「ほら、早く帰ろうよ〜!」
通路を抜けると、ふわりとした感触があった。日差しが真正面から照りつけ、その眩しさに目を細める。
頭上には信じられないほど美しい青空が広がり、新鮮な風が吹いていた。風が髪をなびかせる。
終わったのだ。何もかも。
能力者たちはそのことを強く感じた。
足が早くなる。そして、いつか走り出していた。
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