下水道を塞ぐナメクジ妖獣

<下水道を塞ぐナメクジ妖獣>

マスター:カヒラススム


 暗い下水道の中を、何かがゆっくりと進んでいる。
 妖獣は2メートル四方の下水道を塞いでしまうほど大きかった。
 ところどころ、もろくなったコンクリートを剥ぎ取りながらゆっくり進んで行く。

 ――――ドオン

 時に尻尾で壁を打ち、落ちて来た虫や蝙蝠を遠慮なく轢いて行く。
 みちみちみち。むりゅ。ぷち。
 妖獣が動くとちょろちょろと、壁と体の隙間から水が漏れる。そこは緩やかな下り傾斜の途中。妖獣の背後には塞き止められた水が溜まっているのだ。
 ぴちょん、と前方で水滴が落ちる。
 巨大な妖獣は、顔全体から生えた触手とその先についた目玉を、いっせいに音の方角に向けた。

「じゃあ、そろそろはじめるね」
 と長谷川・千春(中学生運命予報士)は言った。彼らは放課後の校舎裏に集まっていた。
「下水道をおっきな妖獣が塞いじゃってるから、退治して欲しいの。妖獣は長さ5メートル、直径2メートルのナメクジ!」
 千春は背伸びをしたり、しゃがんだり、地面に「ここから、ここまでね」としるしを付けたりしながら、なめくじ妖獣のサイズを説明した。胸にかけたカメラが弾む。
「下水道に入るマンホールは、妖獣より前方20メートルと後方15メートルに1個ずつあるんだよ。一本道ね。でも後ろ側は、塞き止められた水が天井近くまで溜まっちゃってるの。マンホール下りたら、もう水だもん」
 ほとんどが雨水だけど、と言いながら千春は20メートル走り出そうとした。しかし能力者のひとりが「このへんだよね」と先回りした。千春はこくこくと頷いて、15メートル後ろにダッシュした。「後ろはこのへーん」元気だなあ。
「ナメクジ妖獣は危険を感じると、ぬるぬるした粘液を飛ばしてくるよ。踏んじゃうとすっごく滑るから気をつけて。
 体全体がすごく柔らかいから、衝撃を吸収しちゃうかも知れない。でも大丈夫、皆でかかれば何とかなるよ」
 そして言い忘れたことはないかと手帳を開く。能力者たちも引き込まれるように覗き込む。けれどそれはぱっと閉じられて、代わりに千春の笑顔がつき出された。
「残念だけど今回のナメクジ妖獣に塩はきかないみたい。
 妖獣を倒したら、後ろには水がいっぱい溜まってるわけだから……気をつけてね? イグニッションを解けば下水道の汚れや匂いは残らないから、そこは大丈夫だよー」
 千春は楽しそうに微笑んだ。
「それじゃ、頑張ってね」


<参加キャラクターリスト>

このシナリオに参加しているキャラクターは下記の8名です。

●参加キャラクター名
一色・玲迦(高校生魔剣士・b03923)
海神・彰紋(高校生青龍拳士・b05086)
御藤・ちはる(中学生白燐蟲使い・b03934)
砕牙・光太郎(高校生ファイアフォックス・b03301)
市川・聡(中学生青龍拳士・b00102)
谷好・みはら(中学生霊媒士・b00871)
有坂・サリア(高校生フリッカースペード・b00347)
神崎・涼希(中学生青龍拳士・b04211)




<リプレイ>


●マンホールの上で
 夏の夜、彼らの他に人影のない路上。
 谷好・みはら(中学生霊媒士・b00871)はぽつんぽつんと道路にパイロンを並べる。
「工事中のふりですなの」
 こうしておけば、誤って一般人が落ちることもないだろうし。月と街灯に照らされて、パイロンは花のような影を広げている。
 うんしょうんしょと『工事中』の看板を掲げてくるのは御藤・ちはる(中学生白燐蟲使い・b03934)。
 一色・玲迦(高校生魔剣士・b03923)がそれを手伝う。
「これでよし、と。後は早いとこ片付けてしまわないとね」
 と玲迦が言えば、
「下水道のお仕事……正直ちょっとヤダけど」
 とちはるが舌を出した。
 件のマンホールの蓋をずらすと、解放されたというように、羽虫が数匹、月に向かって飛び立つ。縦穴は深く、底が見えない。
 海神・彰紋(高校生青龍拳士・b05086)はポケットに手を突っ込んだまま、鼻をうごめかせる。
「……やっぱりにおうな」
「そうですか?」
 と彰紋を見上げた市川・聡(中学生青龍拳士・b00102)の鼻には洗濯バサミが止まっている。聡の表情は大真面目だ。そして持って来た荷物はやけに大きい。
 マンホールの側に全員で集まり、回りに誰もいないことを確認する。大丈夫、すっかり夜。お月様だけが見ている。
「ちょっと緊張しますけども……イグニッション」
 有坂・サリア(高校生フリッカースペード・b00347)の言葉を合図にみんなでカードを掲げてイグニッション。命綱を腰にベルトにそれぞれ結わえ、玲迦はヘッドライトを、みはらは軍手を装備して、順番に下水道へと入って行く。

●マンホールの下で
 下水道では音が響く。幾つもの足音が、鉄製の梯子を踏んで闇へと下りる。足元は乾いており、傾いてでもいるのか向かって右側の端にだけちょろちょろと川が流れている。空気は不思議と冷たいのに、コンクリートは温い。神崎・涼希(中学生青龍拳士・b04211)はじっと闇に向かって目を凝らしていた。
 最後に下りて来たちはるが、胸の前で両手を構える。白燐光だ。ふわ、とちはるの両手の中で何かが光る。しかし光源を捕えることはできない。ちはるが愛しい者に手を差し伸べるように、両手を前方に伸ばす。優雅に指先が伸びきる。すると、その指先を中心に、まるで闇を光に塗り替えるというように、下水道の中が明るく変化する。
 そして探すまでもなく、その光の先に、いた。
 巨大なナメクジ妖獣が、無数の触手と飛び出した目玉を、うりゅうりゅと全方位に蠢かせている。光と影を得たその姿はグロテスクだった。それに、色がすごい。濃い紫色に黒い斑点。目玉は黄色。
「うわー」
 溜め息のような声を漏らしたのは聡だったか。しかし嫌悪こそすれ、ひるむはずもない。

 まず玲迦が、長剣を下に構えて、ナメクジの間合いまで飛び込んだ。ナメクジが鈍くそちらに顔を向ける中、無駄のない動きで切り上げる。ぐ、と深く刃を飲み込む柔らかさ。しかしある一点から手応えが変化し、ナメクジの肉を断つ感触に変わる。
 ナメクジは風のような声で鳴いた。身を捩り、背後の水がなだらかな肩を越えてくる。幾つか細い滝が流れる。妖獣が口をすぼめ、粘液を飛ばす。玲迦は背後に跳んで避ける。
 涼希が武術短棍で攻撃する、が、いまいましい肉質は柔らかく押し返してくる。
「声も吸収できるかどうか、やってみます」
 言って、サリアは大きく息を吸い込むと、今出せるすべての力を込めて歌い始めた。それはとても美しい歌声で、コンクリートに反響して見事な合唱となった。ナメクジの全身が震えるように波打つ。ぷつ、ぷつ、ところどころ皮膚が千切れる。
 効いているみたいだ。
「よっしゃあ、俺にもやらせてくれっ」
 砕牙・光太郎(高校生ファイアフォックス・b03301)が気持ちいいほどガドリングガンをぶっ放す。これほど簡単な標的はない。パパパパパパ、ナメクジの表面は激しく波打っている。幾つかの弾丸は確実にナメクジの内部へとねじ込まれて行く。ナメクジは怒りと痛みからか尻尾を大きく振り回した。下水道が揺れる。
 どろり、振動で地に落ちた粘液がコンクリートの上を滑り始める。
 弾丸の後に、彰紋が素早く駆け出して行く。さきほどまで寡黙だった彼。しかし今やその口元は微笑んでいる。嬉しいのだ。敵が。力が。右手に力が集中しはじめている。
「でかけりゃいいってもんじゃないぜ」
 ナメクジの蠢く触手と目玉を、龍顎拳で攻撃した。一瞬、すべての力が、柔らかさの中に飲み込まれるかと思った。しかし手応えは遅れてやってきた。ぐしゃ、と幾つか目玉が潰れた。壁に向かって何かが飛沫く。
 彰紋が着地する。そこへナメクジが首を捻って粘液を吹き付ける。彰紋は避け損ない膝下に食らう。動けば、そう靴の裏にびっしょりと。
「うわあ」
 ――――ドオン。
 ナメクジは尻尾で壁を叩き付けた。水が溢れる。彰紋は耐えきれず転ぶ。そして手をついたところにまた粘液があるのだからたまらない。
 ナメクジはぬるぬると前進しながら、下水道すべてを塗りつぶさんと、粘液を撒き散らしはじめた。びしゃ、べしゃ、地面に壁に、粘液が広がる。それはぬるぬると重力に従って垂れ下がって行く。

「ちょーーー、粘液勘弁してーーー」
 聡はくるりと身を翻し、避けた。庭で花に水をやっていた時、肩にぴとっとくっついたあの小さなナメクジの感触が忘れられないのだ。ぴとっと……ぴとっと……生温くてぬめぬめして、吸着しようときゅっとすぼまるあのナメクジの裏っかわ。思い出しただけでトリハダが立つ。
「行きますなの!」
 前衛に当たらぬよう声をかけて、みはらが雑霊弾を放つ。掲げた風水盤から飛び出した、気の塊がナメクジに命中する。
「塩の効かないナメクジなんて外道ですなの」
 ナメクジが前進する度、みはらはきっちりと同じ分だけ後退する。
(「20m近く離れていてもぬるぬる飛んでくるのかしら……」)
 不安になっても勿論、試す気はない。
「そういえばナメクジに塩ふると溶けるっていうの、あれ、水分が抜けるだけなんで、砂糖やコショウでも同じようにできるって話だ」
 と聡が人差し指を立てて説明したが、目線はナメクジの口から離さない。絶対に避けきってやるという執念が感じられる。
 聡と背中合わせに入れ替わり、玲迦が再び斬りつける。ナメクジは唸りながら触手を伸ばしてくるが届かない。
 ずるり、前進し、粘液を飛ばす。
 涼希は粘液を踏んで滑った。思わずがくんと膝をつく。
「大丈夫ですなの」
 みはらが助け起こそうと駆け寄った。勿論粘液は絶対に踏まないように気をつけて。そう、多分一度も踏まないことが大事なのだ。
「ありがとう」
 涼希はみはらの手を借りて慎重に立ち上がった。
 
 ちはるが炎の魔弾を打ち出す。ちはるの手元で膨らんだ魔炎は、下水道の中央を突っ切って、ナメクジの顔面へと飛び込んで行く。ナメクジの全身を舐めるように魔炎が回る。そのぬるぬるした体表にひとつ、ふたつ、焼け焦げた穴が開いて行く。
「みんなでタコ殴りにするしかないよね」
 ナメクジは狂ったように粘液を飛ばし、前進している。速度が上がっているようだ。
 ――――ドオン、ドオオン。
 じりじりと前衛も下がり始める。前面に広がる濃い紫は、奇妙な圧迫感があった。突然、ナメクジは顔を大きく横に振り、反動をつけて粘液を連射した。
 ブ・ブ・ブ・ブ・ブ!
「きゃあ!」
 咄嗟に、玲迦が後ろを庇おうと、長剣で粘液を受け止める。振り払えば地面には粘液の花。
「肉を切らせて骨を断つ!」
 あえて避けない光太郎。男らしい。べちゃっと頭から粘液を被る。粘液がどろりと重力に従う。彼はまるで溶けていく蝋人形のように見えた。そのあまりの惨状に、みはらも出した手を思わずひっこめる。そしてとびっきりの笑顔で言った。
「光太郎さん、ドンマイ」
 光太郎も親指を立てて応えようとしたが、次の揺れで派手に転んだ。

 下水道内はほとんどぬるぬるにまみれていた。
 サリアは粘液を踏まないように気をつけていたが……もう彼女のつま先まで、厚みのある水たまりが広がって来ていた。じりじり靴の裏に入り込もうとしている。振り返って、彼女は動かないことを選択した。
 後方から、粘液にも動じず、全体を見渡していた光太郎が真っ先に気づいた。
(「大きく……なってないか?」)
 そしてすぐに知る。
「おい、滑ってきてるぞ、ナメクジが!」
 光太郎の言葉に応えるように、ずずい、ずりずり、と目に見えてナメクジが動く。背後の水が、ナメクジを押しているのだ。むしろナメクジの方は、流されまいと耐えているようにも見えた。
 しかしもう、それほどの力が残っていない。

「じゃあそろそろ終わりにしようぜ」
 聡は器用に粘液の切れ間を踏み、聡はナメクジの顔に龍顎拳をぶち込んだ。触手がわなわなと蠢く。聡は二の腕まで深くナメクジの中へと埋まっていた。肌全体がぬめぬめを伝えてくる。全身が泡立つ。
 ナメクジは断末魔の叫びを上げた。その声は長く下水道に反響した。
「くるわよ!」
 サリアが注意を呼びかけた。そして大きく息を吸い込んで待つ。
 それぞれが命綱を握って、押し寄せてくる水に耐えた。
 ナメクジが、消滅した。
 障害物を失った水は一気に下水道を駆け下りる。自由を叫び、解放を喜び、水が諸手を上げて流れ出す。
 彰紋が水に足元をすくわれたが、聡に肘を掴まれた。滑りそうになった涼希の手を光太郎が取った。命綱を握って耐える時間は、そう長くはなかった。水はすぐに勢いを失い、下水道はその機能を取り戻した。

●再びマンホールの上で
 マンホールの上は、変わることなく静かだった。競うようにイグニッションを解き、やっとほっと息をつく。
 もう匂いも汚れもぬるぬるもない。
「うーん」
 皆せいいっぱいに伸びをして、夜の空気を吸い込んだ。夏のにおいも清々しい、やっぱり外がいい。月も見事だ。

 玲迦はガラガラとマンホールの蓋を引き寄せる。月が欠けるように、下水道が見えなくなって行く。さよなら。バタン。再び下水道は闇に包まれる。今度は静かで、平安な闇だ。
「わかってはいるけど、気分的に帰ったら即風呂って感じだねー」
 玲迦が言うと、そうですね、と同意しながらサリアがお気に入りの香水を控えめに、胸元にふきつけた。
 もくもくと看板とパイロンを片付ける彰紋。ふと見れば聡が巨大なリュックから焼きそばパンと牛乳を取り出している。
「勝利の後の焼きそばパンはうまい!」
 それをちょっぴり羨ましそうにちはるが見ている。

「あらまあ、サリアさん水着着てるですなの」
 みはらが弾んだ声を上げる。
「ああっ、かわいい」
 女性陣の賑やかな声に、光太郎も思わずそちらを見る。
「大人しい方なんですよ、これ……」
 サリアが頬を染めながら答えている。
 そうだよね、どうせ水ならプールが良かったと言いながら笑った。