渚の誘惑

<渚の誘惑>

マスター:雪月花


 その青年は、波打ち際で黄昏ていた。
 格好良くサーフィンをしているところを見せ、可愛い女の子と仲良くなろうという目論見は、生憎穏やかだった波のせいか、彼の段取りが悪かったのか失敗に終わってしまったのだ。
 海ではしゃぐ子供達の声も、今の彼には惨めな気持ちに追い討ちを掛けるばかり。
 体育座りで肩を落とす青年に、ふいに影が差した。顔を上げると、日傘を差した女性が佇んでいる。
 整ってはいるが血色の悪い顔をした女性は、青年を見つめて何処か暗い笑みを浮かべた。
 太陽の照りつける夏の海にはそぐわぬ薄気味悪い女性の様相に、彼はそそくさと立ち上がってその場を離れようとする。
 が、女性が青年の手を取り、自分の豊満な胸へと導く方が早かった。
 服の上からでも感じられる豊かな感触に、彼の目は釘付けになる。先程感じた不気味さも忘れ、青年は女性に誘われるまま近くの岩場へ歩いて行った。
 夕日が海を染める頃、青年はげっそりとやつれた様子で戻って来た。
 帰り道でも元気がなく、数日寝込んでしまったのだが、仲間達は海ではしゃいで疲れから風邪でもひいたのだろう程度にしか思わなかった。

「みんな、集まってくれてありがとう。じゃ、説明を始めるね!」
 校舎の影で、長谷川・千春(中学生運命予報士)は暑さも吹き飛ばすような元気な笑顔で能力者達を迎えた。
 海水浴場に現れる女性型リビングデッドを倒すのが、今回の依頼だ。
「そのリビングデッドは、すんごいナイスバディなの。若い男の人を誘惑して岩陰で精気を吸って姿を保ってるんだよ。イヤッ、不潔!」
 そう言って大袈裟に顔を覆う千春。
「今のところ、被害に遭った人の命に別状はないよ。でもいつ死者が出ちゃうかわからないし、何より風紀の乱れはダメだもん。青少年の健全の為に絶対退治しなきゃね!」
 びしっと人差し指を立て、千春はメモ帳に目を落とした。
「このリビングデッドはね、何処かに潜んでて、ナンパに失敗してがっかりしてるような男の人を狙って現れるよ。戦闘になると鋭い爪で攻撃してくるし、体力を吸い取ったりもするから気をつけてね。浜辺の近くには岩場があって、足場が不安定で危ないから立ち入り禁止になってるの。日陰が多くて人気がないから、リビングデッドが男の人を誘い込む場所にしてるんだけど、そこで戦えば海に来ている人達のことを心配しなくていいよね」
 顔を上げた少女は、少し悪戯っぽく笑う。
「作戦で誘われた振りをするのはいいけど、ナイスバディの誘惑に乗っちゃダメだからね! それじゃ、頑張ってね〜!」
 能力者達に釘を刺し、千春は元気に手を振って見送った。


<参加キャラクターリスト>

このシナリオに参加しているキャラクターは下記の8名です。

●参加キャラクター名
ファブニール・クリューガー(高校生魔弾術士・b03149)
久峩・亜弥音(高校生符術士・b04140)
剣乃・麻衣(高校生魔剣士・b04878)
桜・楼心(高校生魔剣士・b01574)
小鳥川・琴里(高校生フリッカースペード・b06843)
緋月・終(高校生ファイアフォックス・b00061)
蘭・梗也(高校生ファイアフォックス・b00967)
雹嘩・焔(高校生水練忍者・b01591)




<リプレイ>


●朝の海
 初夏の頃と比べれば流石に日の出は遅くなっていたが、一行が始発に乗り込み件の海についた頃には既に周囲は明るくなっていた。
 まだ低い位置にある太陽の光を受け、海面がキラキラと眩しい光を瞬かせている。
 時間帯のせいか浜辺に人影は殆どなく、時折地元の住人が海辺を走っていたり散歩している姿を見掛けるくらいだった。
「大体、目星は付いたよ」
 きっと裸足で歩いても気持ちが良いだろう、さらさらとした砂を踏みしめて小鳥川・琴里(高校生フリッカースペード・b06843)が集まっていた数人の能力者達の許へ駆け寄った。
 この近辺で立ち入り禁止になっている岩場はひとつ。広さこそあるが侵入出来るポイントは限られている。
「ふむ……待ち伏せ班は、入り口付近を張るのがいいだろうな」
 眩しい陽光に紫の目を細めながら、ファブニール・クリューガー(高校生魔弾術士・b03149)は別行動で下見をしている仲間へ連絡する為に、携帯電話を取り出した。
「身体で誘惑しないと誘えないなんて……情けないわね。本当に魅力があるなら黙っていても寄ってくるのに……」
 倒すべき相手の特徴を思い出し、久峩・亜弥音(高校生符術士・b04140)は抑揚なく呟いたが、そこには嫌悪が込められている。
 彼らの戦いはもう始まっていた。

●ギリギリ大作戦
「やぁ、そこの可愛い彼女! 一緒に遊ばない?」
 陽が高くなると、浜辺は次第に海水浴客で賑わい始める。そんな中、水着の上に白いパーカーを羽織った桜・楼心(高校生魔剣士・b01574)が付近を歩く少女に爽やかに声を掛けた。
 長い髪をなびかせて振り向いたのは、琴里だ。楼心の誘いにまんざらでもなさそうに会話を弾ませている。
 2人は暫くそうして話をした後、連れ立って岩場の方へと歩き出した。
 少し離れた場所では、緋月・終(高校生ファイアフォックス・b00061)が慣れない様子で亜弥音に声を掛けていた。
 見るからにクールそうな終の表情は何処か固く、対する亜弥音の表情はずっと日本人形のように変わらない。お互い口数は少ないが、逆に気が合うのだろうか。
 そんな風に離れた場所で二組の男女を眺めていたのは、剣乃・麻衣(高校生魔剣士・b04878)だ。彼女は海水浴客に紛れて浜辺を見回っている。
 連絡役としての役目を果たすべく、携帯電話の入ったパーカーのポケットを撫でる手は少し緊張していた。同時に日傘を差したリビングデッドの姿を探してはみたものの、今のところはそれらしき姿は見当たらない。
 時間が早いのか、あるいは何処かに隠れて虎視眈々と獲物が現れるのを待っているのか。
 ともあれ、振られたフリをする男子を囮にしてリビングデッドを誘き寄せる『ギリギリサービス大作戦』の火蓋は切って落とされた。

「お、来たな」
 岩場の入り口の近く、丁度人が隠れることの出来る窪みに身を潜ませていた蘭・梗也(高校生ファイアフォックス・b00967)がやって来た楼心と琴里を確認して小さく呟いた。
 すぐ側にはファブニールが魔弾術士の能力で猫に姿を変え、小さな岩陰に隠れているし、雹嘩・焔(高校生水練忍者・b01591)は既に起動して近くの海中に身を潜ませている。待ち伏せ班の準備は万全だ。
「誘われるのは歓迎だけど、精気を吸われるのは勘弁して欲しいね」
 梗也はナイスバディと称されたリビングデッドを想像して、ぽつりと零す。
 もっともだと思ったファブニールだったが、口を開いたところで今は喋れないので黙っている。
 焔も水の中では返事をすることもままならないし、ちょっと寂しい空気が漂う。だが、全ては依頼を成功させる為と待ち伏せに専念した。
「何するの! この変態っ、ケダモノっ!」
 作戦通りにキスをようとした楼心に、琴里の平手が飛ぶ。
 頬を打つ小気味良い音と罵声が響き、岩場から走り去る少女。なかなか真に迫った演技だ。
 がっくりと膝を付く楼心。浜辺へ走る琴里と入れ替わりに、人目を忍ぶように終と亜弥音がやって来た。
 ぎこちなくもなんとなくいい雰囲気を醸していた2人だったが、突然亜弥音が終に殴り掛かった。結構本気のパンチで、終も思わず仰け反る。
(「作戦とはいえ、テンション下がるよなぁ……」)
 項垂れながら士気が下がっていくのを感じる終、傍からは振られてがっくりときているように見える。
「いい感じなんだけど……なかなか釣れないなぁ」
 岩陰から眺めていた梗也は首を傾げた。リビングデッドらしき女性が姿を現す気配はまだない。
 タイミングもあるのだろう、そんなことを思いながら楼心と終は別々に浜辺へと戻った。
 失敗前提のナンパを繰り返す為に。
(「やっぱり、テンション下がるよなぁ……」)
 終は何処か遠くを見つめて心の中でぼやいた。

 正午を前に、海水浴場は盛況を見せている。
 きつい日差しから逃れるようにパラソルの下に陣取った麻衣は、砂浜を行き交う人々を真剣に観察していた。
 彼女の視界に、見覚えのある姿が飛び込んできた。
 丁度、楼心が女の子にナンパを仕掛けているところだ。
 彼はこういったことに慣れているのか、相手をしている女の子も乗り気だ。しかし、肝心なところで地雷を踏む。
 それはもう、鮮やかに。
 今まで笑顔だった女の子は急に不機嫌そうな顔をして、楼心を冷たくあしらって何処かへ行ってしまった。
 その後も楼心はナンパをしては振られを繰り返し、仕舞いには人のあまりいない波打ち際の隅っこの方にしょんぼりと佇んでいた。
(「上手いわ……」)
 思わず口に出してしまいそうになった麻衣だったが、離れた場所で楼心の様子を見ていた琴里も同じ気持ちだった。
「……どうしたの?」
 唐突に声を掛けられて、楼心は振り返った。
 そこに佇むのは、白い日傘を差した女性。
 もしや――そう思うまでもなく、楼心は確信した。
 豊かな胸に括れた腰、肉感的な身体のラインがはっきりとわかるような白のワンピースを纏った彼女は、造詣のいい顔を優しく綻ばせているものの、その顔色は悪い。
 青黒いと言ってもいいくらいの肌は、幾ら世界結界の影響で生きた人間と同じように見えたとしても気味のいいものではない。
 彼女がナンパに失敗した男性を標的にするのは、可愛い女の子とすぐ仲良くなれてしまうような男性からは、相手にされないからなのだろう。
 自棄になって女の子だったら誰でもいい、そんな風に考える男性なら、自分にも簡単になびいてくれるのだと。
「可哀想ね……そんな見る目のない子達なんて忘れて、私と遊びましょうよ」
 女性は暗く、何処か悲しげに笑った。楼心の手を取ると、岩場へと導く。
 ひやりとした感触が、やはり彼女が生きた人間ではないということを証明していた。

●白いパラソル
「……すぐに行くわ」
 麻衣からの連絡を受けた亜弥音は、携帯電話を仕舞いながら岩場へと急いだ。
 他の能力者達にも、リビングデッドらしき人物が現れ、楼心と共に岩場へ向かっていることが既に知らされている。急に電波が悪くなって伝達が遅くなったが、幸い作戦に影響する程ではない。
 岩場に現れた楼心と女性は、息を潜めて見張っていた梗也達の前を通り過ぎ、背の高い岩に囲まれた一角に向かう。
「ちょっと、お姉さん。こんなところで何するの……わっ」
 女性は楼心に向き直るが早いか、その身を押し付けてきた。胸板に柔らかくも弾力のある何かが当たっている。
 これは拙い。
 色々な意味で危険を感じた楼心は、パーカーに忍ばせていたカードを掲げた。
 同時に、待ち伏せ班の面々も動き出す。
「な、何? あなた達……」
 突如現れた長剣を構えた楼心に、驚いて後退った女性だったが、その背後にやはり重火器のようなものを携えた梗也が立っているのを見て戦慄した。
 自分を狩る存在と本能的に察したのか、2人の気を逸らすように日傘を振り回しながら逃げ出した。
 だが、女性が岩場の出入り口に向かおうとした時、岩陰から飛び出した猫が見る間に人間へと姿を変え、彼女の前に立ちはだかった。
「聞きしに勝るナイスバディだな。だが、見逃す訳にはいかない……!」
 飄々と言ってのけたファブニールだったが、彼もまた既に臨戦態勢だ。詠唱兵器である箒を構え、女性を射抜くように睨み据える。
「くぅっ……」
 逃げ場を失った女性は、ついにリビングデッドの本性を現す。
 優しげだった表情は、狩猟動物のような険しいものへと変わり、鋭く伸びた爪をナイフのように振り回してファブニールへと飛び掛ったのだ。
 ファブニールは攻撃を受けながらも、箒を払う動作と共に術式の編み込まれた炎の弾を繰り出す。
 全身に広がった炎にうめくリビングデッド。その背後に海に潜んでいた焔が飛び出して来た。
「もうお前の勝手にはさせないよっ」
 長い銀の髪から海水を滴らせながら、水流が象る手裏剣を放つ焔。
「喰らいなさい……シャアッ!」
 続いて楼心が黒き影を纏わせた剣を振るい、安定した場所に陣取った梗也が構えたガトリングガンから炎が噴出し、次々にリビングデッドへ命中した。
 更に別の方向から炎の弾がリビングデッドに襲い掛かり、その身を包む炎は消える気配がない。
「援護する……とは言っても、腕は保障出来ないが」
 弾の飛んで来た方を見やれば、既に起動してガトリングガンを携えた終の姿があった。
「間に合ったみたいね」
「今、行くわ!」
 浜辺にいた少女達も次々に集まり、起動して詠唱兵器を身に着けた姿になる。
(「世の中って不公平だわ……」)
 スレンダーな麻衣は、リビングデッドの豊満なスタイルを見て思わず世の無常を感じてしまったが、すぐ気を取り直し前に出て剣を振るった。
 琴里と亜弥音は後方で、それぞれ得意のアビリティで援護を行う。亜弥音の放った呪いの符が触れるなり、リビングデッドは大きな衝撃と共に膝を付いた。
 人数にも勝る能力者達が相手では、最早リビングデッドに勝機はなかった。
 鋭い爪で体力を吸収しても焼け石に水。
 次々に繰り出される攻撃に、彼女は追い詰められていく。
 そして、梗也の放った業火がリビングデッドの身を打ち、焼き尽くした。
「俺がいつかそちらに行ったら……相手してやるよ」
 残ったのは、ボロボロの白いワンピースを纏った、もう動くことのない死体だけ。
 潮風に吹かれ、白い日傘が岩場をカラカラと転がっていた。

 人目を避けるように砂浜へ戻った能力者達は、まだ陽も高いこともあって海を楽しんでから帰ることにした。
「さぁて、ナンパはしないけど楽しいお付き合いくらい、したいよねぇ……。そんなことしたら風紀が乱れるって、千春ちゃんに怒られちゃうかなぁ」
「ねぇ、琴里ちゃん達はどうするの? よかったら一緒に遊ばない?」
 ブツブツと自分に言い聞かせるよう呟いていた焔の背後で、楼心が早速女の子達を誘う声が聞こえる。
「ん、久峩は泳がないのか?」
「……お茶」
「え、あぁそうか……俺も一緒にお茶してもいいか?」
 ファブニールの問いに返さず、さっさと海の家を目指して歩き出した亜弥音は、どうやら好きなお茶を制覇しようと意気込んでいるようだ。ファブニールも後を追って行く。
 梗也と終はといえば、海の家のパラソルの下で仕事の後の一杯、とジュースを飲むことにしたようだ。
 自分だけ取り残されたような気がしてぽかんとしていた焔だったが、
「焔く〜ん、どうしたの? 折角なんだから、一緒に泳ごうよ〜」
 琴里達が誘う声がして、ぱっと顔を上げて振り返る。その瞬間、彼の表情はこの日一番輝いていた。
 仲間達と健全に海を楽しむのなら、千春もきっと許してくれるだろう。

 楼心とファブニールのナンパが成功したかどうかは、また別のお話。
 海水浴場の平和を守った能力者達は、夏の終わりを惜しむようにそれぞれの時間を満喫した。