心の代償

<心の代償>

マスター:卯月瀬蓮


 夕暮れに染まる学校の屋上。本来出入りを禁止されているため、普段は人影のないその場所に、少年はうずくまっていた。
 顔や半袖の腕にアザができ、制服の白シャツに血が滲んでいる。呼吸する度に身を強張らせるのは、それだけで体中が悲鳴を上げるからだ。
 そんな彼の上に、取り囲んだ3人の男子生徒たちの嘲笑が降り注ぐ。
 ドッと、背中に固い衝撃を受け、少年の息が詰まった。ズボンのポケットが乱暴に探られ、薄い財布が抜き出される。
「チッ、これだけか」
「また持って来いよー」
 笑い声が、遠退いて行く。
 咳き込みながら体を起こした少年の目に、床に投げ出されたままの鉄パイプが映った。さっきの衝撃は、コレだったのだろう。
「もう、嫌だ。アイツら……っ」
 握り締めた拳が、怒りと悔しさに震えた。少年の心が、ひとつの言葉に埋め尽くされていく。
 『赦サナイ』

「今日も暑いねぇ……。でも、お仕事、頑張ろうねっ」
 残暑というには厳し過ぎる太陽の下、にっこりと笑ったのは長谷川・千春(中学生運命予報士)。屋上に集った能力者たちを、屋上の出口の影に出来た貴重な日陰に集めた彼女は、では早速、とメモ帳を取り出した。
「えっとね。ある中学校に、少年のリビングデッドが出たの」
 ゴーストとなったのは、その学校に通う生徒だった少年。数日前に自室で首を吊った彼は、遺書にいじめを受けていたことと、その恨みを書き残していた。少年を苛めていたクラスメイト3人組のうち2人は既に殺され、その死は自殺した少年の呪いだ、などという噂も立っているという。
「前の2人は部活や委員会で遅くなった夕方、教室で1人になったところを狙われてる。それまでは、学校のどこかに隠れているみたい」
 残るいじめっ子も日直当番が近いので、その日が危ないだろう、と千春が付け足した。日直の日誌や戸締りなど、遅くなる理由はいくらでもある。
「攻撃手段は手に持った1mくらいの鉄パイプと、足技。苛められてた時にされたことを、仕返ししようとしているんだよ……。怨みが込もった攻撃は凄く強力だから、気をつけてね」
 哀しげに項垂れた千春は、息をひとつ吐いて表情を改めた。しっかりと顔を上げ、能力者たちの一人ひとりの顔を真摯に見つめて。
「彼の悔しさも分かるけど、このまま放ってはおけないよ。それが、私たちの使命だもの」
 だから、彼の無念ごと救ってあげてね――。
 そう締めくくって、少女は頭を下げた。


<参加キャラクターリスト>

このシナリオに参加しているキャラクターは下記の8名です。

●参加キャラクター名
キヨ・ソルフィージュ(中学生魔剣士・b03074)
ゼクンド・アンガス(小学生ファイアフォックス・b03509)
銀河・流星(高校生魔剣士・b00213)
高城・紫月(中学生ゾンビハンター・b02065)
国後・弘一(高校生ゾンビハンター・b02947)
秋山・佐代子(高校生ゾンビハンター・b01057)
小金井・馨(高校生フリッカースペード・b06722)
北靈院・雪儺(中学生霊媒士・b00032)




<リプレイ>


●護るべき囮
 放課を知らせるチャイムが響き、生徒たちが次々と教室を出て行く。
 闇纏いを使用して、銀河・流星(高校生魔剣士・b00213)は件の中学校内に潜入していた。普通の生徒の目には映らずとも、校内のどこかでいじめっ子を狙っているだろうゴーストに見つかる可能性がある。そのため、物陰に身を潜めつつ、いじめっ子の様子を伺う彼の視線の先で、
「よぉ!今時間ある〜?」
 キヨ・ソルフィージュ(中学生魔剣士・b03074)が、いじめっ子に声をかけた。少年は、同年代ではあるものの見慣れない顔に警戒したらしく、不審げな表情を浮かべている。
「いや、これから部活だから……」
 言い置いて足早に去って行くいじめっ子の後を追い、流星はゆっくりと歩き出した。横を通り過ぎる彼に頷いたキヨも、周囲に視線を走らせて人目のないことを確認すると、イグニッションカードを取り出す。
 闇を纏った2人の少年たちは、部活に向かう少年の背を追った。リビングデッドに気づかれぬよう、結果的に囮となる少年をもしもの時にはすぐ助けられるよう、慎重に距離と物陰を選んで。

●死の記憶
 人影がまばらになった廊下で、高城・紫月(中学生ゾンビハンター・b02065)は足を止めた。開いたままの戸口から漂う、微かな花の香りに気づいたのだ。教室内に並んだ四十程の机のうち三つに、白い花を生けた花瓶がそれぞれ飾られていた。ここが、事件の発端となったいじめのあったクラスであることは間違いなさそうだ。
 紫月の隣を歩いていた北靈院・雪儺(中学生霊媒士・b00032)が、教室内に入り一枚のカードを掲げた。
 しばし、集中。
「……起動!」
 呟きと共に現れた風水盤を手に、教壇に近寄る。いじめっ子の死因を新聞で調べるうち、1人はこの教壇の側に倒れていたということが分かったのだ。頭に打撲の後があったことから、転倒による事故死ということにされたらしい。だが、真実は……。雪儺はそれを知るために、更に精神を集中して断末魔の瞳を発動させた。
 ゴーストに変わり果てた少年の歪んだ笑みと、振り上げられた鉄パイプがぼんやりと像を結ぶ。震える手が頭を庇うように視界を覆った瞬間――、一瞬の衝撃と共に映像が途切れる。頭蓋骨を割る程の脳天への痛烈な一撃が、いじめっ子の1人の命を奪ったのだ。
 息を吐いた雪儺の腕を、ハンマーを片手にした紫月が叩く。ゾンビハンターの能力が、ゴーストが近いことを知らせていた。一気に緊張を増した2人の背に、少年の声がかかる。
「……お前ら、誰?」
 振り向いた2人を、訝しげに見つめる少年。それは、今回ゴーストに狙われている、いじめっ子の最後の1人だった。

●それぞれの想い
 一方その頃。
 西陽に照らされた校舎の長く伸びた影に潜む者たちがあった。中学校内に同年代以外が策もなく入り込むのは目立つということで、待機することになった4人の能力者たちである。
「素性が可哀相なリビングデッドですが放っては置けませんね」
 ぽつりと呟いて、秋山・佐代子(高校生ゾンビハンター・b01057)は、そっと目を伏せた。少年の無念に同情はするが、能力者としてゴーストは全力で排除しなくてはならない。決意を込めてハンマーを握り、少女は校舎の方から感じるゴーストの気配に重い溜め息を吐いた。
 国後・弘一(高校生ゾンビハンター・b02947)も又すっきりしない気分で、校舎の――件の教室がある辺りの窓を見上げていた。自ら団長を務める結社の名に懸けて依頼はきっちり成功させたいところだが、リビングデッドとなった少年のことを考えると、色々と思う所があるのだ。それでも。
「……出来ることをやるだけだね」
 彼らと少し離れた校舎の壁に、小金井・馨(高校生フリッカースペード・b06722)は寄り掛かるようにして座っていた。手はギターの手入れをするために動いていたが、表情は精彩を欠いている。リビングデッドとなってまで恨みを晴らそうとしている少年に過去の自分が重なり、気に掛かっていたのだ。これ以上彼に罪を犯させないため、心を取り戻してやりたい――。
「……恨みは、恨みしか生まない。そうですよね、師匠(センセイ)……」
 亡き師に問いかけた呟きに、返る答えは勿論、ない。
 4人の間に満ちた沈黙を、ゼクンド・アンガス(小学生ファイアフォックス・b03509)が握り締めた携帯電話の着信音が破った。校内に潜入した仲間たちからの、リビングデッドの出現を知らせる電話だ。液晶画面に流星の名を確認するや否や、着信ボタンを押すのももどかしく走り出す。先導するように走る彼を追い、一同は校舎玄関に向かった。
 仲間に加勢するため。狙われているいじめっ子を助けるため。何よりも、ゴーストを偽りの生から解放するために。

●想いの行方
 ゴ……ッ、と風を切る音と共に、教室の戸が吹き飛んだ。
 広くなった戸口から姿を現したのは、ヒョロリと頼りなさげな少年。しかし、その手には1m程の鉄パイプが握られており、制服に包まれた脹脛辺りには異常な程の筋肉が見てとれる。いじめられっ子の成れの果て――、リビングデッドだ。
 ドロリと濁った視線に射抜かれ、いじめっ子が後ずさった。足が震えて上手く動けない彼を仕留めようと、リビングデッドが教室内に飛び込んで来る。その目の前に、いじめっ子を庇うように紫月が立ちはだかった。
「御前の気持ちはわかんなくもないけど、さ……。そんな姿になってまでするコトじゃないだろ」
 言葉と共に振り下ろされたハンマーを鉄パイプで受けて、ゴーストが低く唸る。いじめっ子に気をとられていた上、廊下からは死角になっていたせいで、他に人がいることに気づかなかったのか酷く驚いたようだ。
 化け物と化した身を他人に見られることを厭い、その場から逃げだそうとするリビングデッドの進路を、2つの人影が遮った。いじめっ子の後を密かに追跡していた、流星とキヨである。
「お前の気持ちも分からないでも無いが、手段が悪すぎたな。悪いが倒させてもらう。今度こそ迷わず成仏するんだぞ」
 流星の言葉に、傍らのキヨも小さく頷く。
「本当は戦いたくないけどな……」
 リビングデッドになってしまった少年を助けたい――。凶行を止める方法がこれしかないなら、と、手にした長剣を構え直す。その背後から、校舎外で待機していた4人が駆けて来た。
「お前さんには悪いがここがお前の墓だ。……起動!」
「……コホン、それじゃ清掃開始といこうか。……イグニッション!」
 ゼクンドと弘一がイグニッションカードを掲げたのが合図だったように、リビングデッドが鉄パイプを閃かせた。

 リビングデッドを仲間たちが包囲するのを確認した雪儺は、ほぼ腰を抜かしかけていたいじめっ子の腕を掴んだ。安全な場所へ逃そうとするものの、突然のことに驚いた少年はヘナヘナと膝を着いてしまった。変わり果てた元クラスメイトに虚ろな目を向け、「これは夢だ」と繰り返す姿はいっそ哀れですらあったが、能力者たちに同情はない。
「ほらそこ。ぼっとしてないでこっちに来なさい」
 言うが早いか、雪儺が掴んでいるのと反対の腕を、佐代子が持ち上げた。少女2人に両側から付き添われる形で、少年はやっとの様子で腰を上げる。けれど。
「危ない!」
 仲間からの警告に動いた佐代子が、素早くハンマーを振るった。リビングデッドが投じた鉄パイプが、甲高い音を立てて床に転がる。
「……ったく、どっちもどっちよね」
 鉄パイプと、声もなく気絶した少年を見下ろして、佐代子が溜め息を吐いた。

 宙を飛んだ鉄パイプに能力者たちの気が反れているうちに、などという知恵が、リビングデッドの頭にあったのだろうか。それでも確かに、その策は成った。
 退路を塞いでいた魔剣士たちを、凄まじいスピードの蹴りが襲う。いじめっ子の無事に気を取られていた2人は、腹に重い一撃を喰らって後ろに飛んだ。更にそれを追おうとするゴーストの前に、馨が飛び出した。
「やめろ!」
 ギターの音に、気持ちを込めた声を乗せる。――恨みは恨みしか生まないことを、憎しみは新たな憎しみしか生まないことを。教えてやりたい。
 馨の真摯な歌声に、リビングデッドは一瞬戸惑ったように動きを止めた。
 だが。
『じゃあ、僕の恨みはどうすれば晴れるんだ!!』
 吼えるように叫んだゴーストの手から、にょきりと鉄パイプが生えた。馨に打ちかかるのを、すっと飛び出た紫月のハンマーが受け流す。教室の床に、鉄パイプの先がめり込んだ。一瞬がら空きになったゴーストの背に、弘一のロケットスマッシュが打ち込まれる。
『ぐわぁぁぁ!』
 ヒットしたものの、吹き飛ばすには至らない。それでも痛みにのたうつ隙をついて、気を失った少年の両脇を抱えた少女たちが教室から出て行った。少しでも、安全なところへ――。
 いじめっ子の行方に気づき身を起こそうとするリビングデッドに、ゼクンドが放ったフレイムキャノンが襲う。魔法の炎に包まれた体が、床を転がり回った。肉の焦げる異臭が漂う中、ゆらりと立ち上る闇のオーラ。
 キヨと流星の黒影剣を受け、リビングデッドと化したいじめられっ子の少年は、動かなくなった。

●恨みの終焉
 ふっと意識を取り戻した少年は、酷く嫌な気分で目を開けた。
 日誌を書くために自分の教室に戻ったはずだったのに、何故遠く離れた屋上にいるのだろう。夕日に染まる風景の中、知らない少女が2人、床に倒れたままの少年を見下ろしている。
 分からないことだらけで、心が緊張している。まるで、怖い夢を見た時のように――。
「幽霊だの祟りだのを信じているか?」
 雪儺の問いかけに、それまで呆けていたいじめっ子の顔色が変わった。いじめていた少年が自殺してから、彼の周りで不幸が続いた。偶然だと強がってはいたものの、他の生徒たちの間で囁かれている祟りだという噂を、密かに気にしているのを指摘されたと思ったのだ。
 少年の内心に構うことなく、少女は続ける。
「呪いで死んだ等と噂がたっているらしいが……フンッ、どうせ迷信だ。この時代に呪いなんて非科学的な事があるある訳無かろうが。貴様……呪われる様な後ろめたい事でもあるのだろう?  清廉潔白を自負出来ぬから疑心暗鬼に駆られるのだ阿呆が」
 容赦のない言葉に打たれ、少年は救いを求めるように佐代子のほうを見た。が、赤い瞳に宿る厳しい眼光に射抜かれ、項垂れる。無言のうちに、自分のしたことを責められている気がして、直視出来なかった。
「其れが嫌なら少しは清く生きてみせろ。……2人の分までな」
 ぼそりと付け足された語尾に、少年の肩が震えた。

「お前さんには俺達を倒せねーさ。俺達は生きている者を守るために戦ってるんだから」
 破壊された教室に、ゼクンドの呟きが転がった。声をかけられたリビングデッドの姿が、普通の少年の姿――普通の少年の遺体に、変わっていく。
 流星と弘一が遺体の肩の辺りと膝裏を支え、半壊した教室の中央に寝かせた。乱れた服装を馨が整え、胸の上で手を組ませる。その手に十字架を持たせようとして、
「……ごめんな」
 キヨが震える声で呟いた。両目からボロボロと零れ落ちる涙もそのままに、遺体の頭を抱いて謝罪を繰り返す。彼に並んで花を備え、紫月が瞑目する。
「次の生ではもっと長く、もっと楽しく生きられるよう……」
 遺体の表情は、心なしか穏やかに、見えた。