狙いを定めて

<狙いを定めて>

マスター:瀬河茅穂


 急カーブを繰り返す道は、山ひとつを越えて隣町へ続く。以前は隣町への唯一の経路で、多くの車が利用していたこの峠道も、今は寂れた様子を見せている。
 峠道に車を走らせながら、視界の先にもバックミラーにも車が映ることがない。他の車は、きっと最近できた有料道路を走っているのだろう。
 トンネルばかりの新しい道より、片側一車線で電灯もまばらな峠道が彼は好きだった。木々の隙間から不意に見える街並み、遠く広がる海。運転の合い間の瞬間の楽しみだ。
 今の時刻なら夕焼けに染まる海が見えはしないか、と谷の側へ意識をやりながら、彼は車の速度を僅かに落とした。次のカーブが迫っている。
 ハンドルを大きく右へきり、遠心力を感じながら山肌を登っていく。見えていなかった道の続きが視界に広がって――対向車だ、と彼は思った。
 車の右側に大きな猪がぶつかるまでは。
 はね飛ばされたのは車の方だった。ガードレールにしたたかに打ち付けられて、彼は意識を失う。
 車をはねて自らの勢いを殺した猪は、車を通り越して一度止まる。そしてそのままの体勢から、ふたたび車を目がけて走った。

 教室の扉が開く音がして、長谷川・千春(中学生運命予報士)は手元のメモ帳から顔を上げた。入ってきた数人に向かって笑顔を零す。
「ん。ようこそだよ。それじゃ詳しく話すよ」
 適当に座るよう付け加えて、千春はメモ帳の一ページを見せた。サツマイモに手足が生えたようなイラストが描かれている。そのサツマイモのとがった両端をペンで示し、
「猪だよ。こっちと、こっちと、両方に顔があるみたい」
 後ろが見えるって便利そうだよねと軽く笑って、前にも後ろにも好きに動けるのだと告げる。
「でも、まぁそれだけかな」
 軽自動車ほどの身体で、ほとんど真っ直ぐに突き進んで、行く手にあるものをはね飛ばす。避けられればすぐに反対方向に走り出して、はね飛ばす。
 ただし、と千春は付け加える。はね飛ばされれば、無事ではすまない。
「この猪の妖獣が、次に車を狙うのは一週間後のお昼過ぎ。二時ごろかな。状況は前の時と全く一緒だよ」
 通る車はたった一台。カーブの内側の茂みから、運転席側を狙って猪は飛び出してくる。車を無事に通過させるのが、一番大切なこと。
「二人目の犠牲者を出さないようによろしくだよ。……でも、ちょっとね」
 木立に日差しを遮られて暗い中、低木に紛れる猪を先に探すのは困難だと千春は難しい顔をする。
 車道の脇に低木の少ない場所があるから、そこで待ち伏せるのが良いかもね、と言った。
「あんまり広い場所じゃないけど、きっとなんとかなるよ」
 ぱたんと音を立ててメモ帳を閉じる。
「あとは、怒った猪に突き飛ばされないように気をつけるだけだからね」
 くれぐれもだよと念を押して千春は、軽く頭をさげた。


<参加キャラクターリスト>

このシナリオに参加しているキャラクターは下記の8名です。

●参加キャラクター名
プリム・エウレーン(高校生霊媒士・b05033)
葦原・淳(中学生ファイアフォックス・b02155)
黒峰・君彦(高校生魔弾術士・b00610)
左門字・獅鬼(高校生ファイアフォックス・b01331)
仙狐胤・雪那(高校生ファイアフォックス・b04822)
凪湖・煉也(高校生ファイアフォックス・b00366)
二階堂・魅那美(中学生ファイアフォックス・b03397)
御乃森・雪音(高校生フリッカースペード・b01185)




<リプレイ>


 射すほどの眩しさは失われたものの、まだ強さを残す太陽がかかっていた。気温がじりじりと上がっている。
 アスファルトの車道を踏む靴の裏側に熱を感じながら、黒峰・君彦(高校生魔弾術士・b00610)はぐるりと周囲を見まわした。光の届く車道と、陽射しを求めて広げられた樹木の枝葉が隠す山肌。くすんだガードレールの白が抜けるほど、明るさの違いがみえる。
「得られるものがあるか分からないけどね」
 道はゆるりと登りながら、折れるように右に曲がって緑の中に進む。曲線の中間に立って、プリム・エウレーン(高校生霊媒士・b05033)は断末魔の瞳で景色を見ていた。
 フロントガラス越しに見る景色は、闇にのまれる前の夕刻。
 夕暮れの朱を帯びた木々と低木の中から、猪が躍り出るのを視界の端に捉えていた。教室で運命予報士が示した場所を横切り、対向車線を突っ切って、眼前に迫った。その勢いにためらいなどありはしない。
 瞬間に、視界は大きく揺らいで、ふつりと途切れてしまった。穏やかな青い昼を映している。
「――何か見えたか?」
 唇を結んだまま立ち尽くすような彼女に凪湖・煉也(高校生ファイアフォックス・b00366)は尋ね、その声にプリムは小さく頷いて答えた。カーブを曲がり終える手前の、示されていた場所のさらに奥に立つ木を指さす。
「……あの木の、こちら側から来るみたいね」
 車道をそれて煉也は低木の少ない草地に入ったが、目的の木にたどり着く手前で密集した低木に阻まれた。しかたなくその場から身を乗り出した。
 言われて見てみれば、他よりずっと折れた枝が多い気がする。幹にも何かがこすれた跡が残っていた。低木も潰されかけたのを持ちこたえて、夏の陽射しと、夕立の恵みで再び上を目指し始めたという風だった。
 影の落ちる奥に目を凝らしたが、あいにく妖獣らしいものは見当たらない。
「出現位置が特定できた以上、完璧な伏撃が可能であります」
 左門字・獅鬼(高校生ファイアフォックス・b01331)は告げると、自らが潜む場所を考えて周辺を観察し始めた。彼に言わせれば、入念な準備と下調べ無くして勝利はないのだ。
 どの位置からが狙いやすいか、動きやすいか。それぞれに思う場所を、けっして広くない草地に探す。御乃森・雪音(高校生フリッカースペード・b01185)も同じようにして、待つ場所を決めた。
「さて……あとはうまく迎え撃てるかだな」
「狙いは違えないよ。絶対に」
 詠唱ガトリングガンを構えた煉也がぽそりと零したのを拾って、葦原・淳(中学生ファイアフォックス・b02155)は力強く言った。妖獣を許せないからねと続けられたのに、仙狐胤・雪那(高校生ファイアフォックス・b04822)は頷いた。
「……これ以上、被害を拡大させるわけにはいかない……必ず仕留める……」
 言って視線を向けた先で、陽射しを受けた緑が揺れていた。
「二時だって言ってたわね」
 三人からやや離れた位置にしゃがみ込んで、二階堂・魅那美(中学生ファイアフォックス・b03397)は軽く空を見上げる。あと、どのくらいだろうか。
 詠唱兵器に添えていた掌を開いて握りなおし、視線を茂みに戻すと、自然に笑みが浮かんだ。
「うふふ、ぞくぞくするわ。化け猪、早く出てこないかしら」
 全員が草地での迎撃についたのを確認しながら、獅鬼は初めての事件に多少の緊張を感じていた。
「……高等学部生が動じてはいけませんな」
 自らを律する言葉を誰にも届かないよう口にして、狙いを定めた。

 さわ、と風に葉の鳴る音がしていた。鳥の声と虫の音に混じって、やがて遠くからエンジン音が風で運ばれてくる。
 午後二時。一日のうちで気温が一番高くなる時間が、近付いていた。
 登ってくる車に背を向けるかたちで陣取った雪那は、詠唱ガトリングガンを構えなおした。車の位置が見えなければ、妖獣が出現するタイミングも計りづらい。音に集中して、いつでも攻撃できる心積もりでいた。
 同じように武器を構え、やや丈のある草に潜むのは煉也だ。静かな呼吸を繰り返して、なすべきことを心中に繰り返す。重要なのは車を無事に通過させること、そのために妖獣を一瞬間でも止めること。
 ふたつ下のカーブを鮮やかな赤のボディが曲がり終えるのを確認して、君彦は腰を低くする。ツーリングを楽しみたいと思う。それには道路の安全が不可欠で、だから早く倒してしまいたい。
 タイヤが路面を蹴る音が近付いて、一度遠ざかった。この音を、どこかに潜む妖獣も聞いているのだろうか。
 突進を武器とし、車をも跳ね飛ばす妖獣。それだけだと運命予報士は告げたが、そんな妖獣に辺り構わず走り回られたのでは、こちらが攻撃しづらい。
 無理はしないよ、でも――。唇をきゅっと結んで、淳は考えを巡らせる。
 プリムは妖獣の出現地点に一番近い茂みに身を置いていて、その音に最初に気付いたのも彼女だった。
 メキッと木の軋む鈍い音に続いて、沈むような感覚があった。全員が注視している木立の奥に現れた妖獣の、足音だとわかる。
「合図と共に射撃を開始する」
 側にいる君彦とプリムとでタイミングを合わせれば。獅鬼はひとつ下のカーブを曲がってくる車を視界の端に捉えて、自身の動くきっかけを伝えた。
 暗い影の中から、焦げ茶色が現れたのはその直後。重い音と共に木立から飛び出した妖獣は、まっすぐに獲物と定めた車へと巨体を突き動かす。
 十分に狙える位置まで来るのを待って、獅鬼は声を上げた。
「ファイア!!」
「今よ、アタック!」
 ほとんど同時に、妖獣を挟んで逆にいる魅那美の声が響く。それは念入りに打ち合わされた号令ではなかったが、全員の息を合わせるには十分だった。
 フレイムキャノンと炎の魔弾で、山の緑が赤く照った。打ち出された炎が茶色の体へ降り、雪那があえて地面へ向けた炎の弾は足元をすくう。
「……貴様の相手は、私達だ……」
 左右から浴びせられた衝撃に加えあおられては、スピードを保つことも、方向を定めることもままならない。背面からも軌道をそらすように雑霊弾が打ち込まれ、巨体はすでに、走り来た車に定められた狙いを狂わせていた。
「早く行けっ」
 煉也は車に向けて叫んだが、その影を確認している状況ではない。ただ、気にせずにはいられなかったのだ。

 巻き上げられた砂埃が、薄く赤に見えた。妖獣の体をなめる炎の色だ。
 獲物を逃した怒りにか絶えず襲う痛みにか、狂った唸り声が両の口から響く。やがて虚ろな目が近くに新たな獲物を捉え、妖獣は猛る。
「あの突進くらうのだけは、避けなきゃいけないわよね」
 落ち着きたくて声にして、プリムは風水盤に手をかざしたままで距離を取った。雑霊弾の残数は三。無駄にはできない。
 誰に向けられたでもなく落とされた言葉にそうね、と呟き返して、雪音は肺に空気を送る。奏でられた短い歌は、鼻面を僅かに下げて走り出そうとする妖獣を衝いた。
 突き抜ける衝撃に動きを止めたところへ魔弾がはじけた。体を焦がす痛みを振り払うように妖獣は身震いして、再び巨体を走らせる。
 その鼻先は、草地を突っ切ってプリムと雪音に向けられた。構えた武器の照準を軌道上に合わせて獅鬼は言い放つ。
「弾幕は剣にして盾、それをお忘れなきよう!」
 足元の草葉が舞うのもお構いなしに、妖獣は少女たちに迫る。
 その姿が、断末魔の瞳で垣間見た姿とダブった。何のためらいもない突進。跳ね飛ばされて回る視界。逃げ出そうとする足を、プリムはその場に踏みとどめる。見据えた視線の隅に白く抜ける剣を捉えて、僅かなゆとりが生まれた。
 引きつけるだけそうして、横っ飛びに少女たちは軌道上から離れた。飛びのき様に放った雑霊弾は、しかし妖獣の後ろを通り過ぎ、遠くの木々に消えた。スケルトンが携えた白い刃は赤茶とすれ違って、プリムの側に戻る。
 炎を浴びせられた挙句にふたりを仕留めそこなった妖獣は、後ろに重心を置いて勢いを自ら殺した。そして、背後だったその方を前面に変えると、三度、獲物を狙って駆ける。
 君彦と獅鬼が迎撃すべく構える中へ突っ込んでいく妖獣に、魅那美は笑う。化け猪ね、と後ろに見える顔を嘲笑って、飛び込むように走るその側面に、炎の弾を叩き込んだ。
「面白いじゃない。いいわ、あたしがやっつけてあげる」
 まるでその言葉が聞こえたように後ろ顔の目が魅那美を捉え、炎に巻かれた巨体が彼女を目指す。
 妖獣の真正面を避けて魅那美は走る。側近くにいた淳と煉也、雪那も散開して、それぞれが走りながら詠唱ガトリングガンを構えた。
「蜂の巣になりなさい――このキモ猪!! 瞬獄烈火っ!」
 四箇所からの炎の弾に、妖獣の巨体が揺らぐ。足元に着弾したのを越えるように、土を蹴った。
「囮ならボクがなるよ!」
 前へ駆けるのを止めたのを見計らって淳は妖獣の後ろ、次には正面になる場所へ飛び出した。誰かひとりが狙われれば、他は横手に回りこんでの攻撃に専念できる。無理はしない。でも、仲間が危険に晒されるのをただ見てもいられない。
 向かい来るのに見舞った炎が妖獣の顔面を焼いた。自然スピードが落ちて、まともに受けた横手からの衝撃に、体を歪ませる。なかば惰性で進む前から、淳は離脱を図った。
 黒に近い茶色の体表は、今は燃えて赤い。それでも妖獣は狙いを定めて突き進んでくる。側面からの衝撃に軌道を失い、正面からの攻撃にあおられて、巨体は炎に包まれよろめいた。
 ゆらり、と再び動いた妖獣に、静かな強さを宿した言葉がかけられた。
「……これで……終わりだ……!」
 同時に妖獣を襲う青龍の力。雪那が間近から叩き込んだ一撃に、妖獣はようやく大きな体を地に付ける。
 弱くいなないて土をかくのを、気の塊が貫いて――。
 それで、最後だった。
「笑える姿ながら、てこずらせてくれたもんね」
 短く息を吐いてプリムは倒れたままの妖獣を見やる。その輪郭は少しずつ失われ、なおさら教室で見せられたサツマイモ。
「猪鍋は無理でありましたか」
 ぽつりと漏らされた獅鬼の呟きが、妖獣に向けられた最後の言葉になった。

 昼下がりの緩んだ風でさえ、心地良かった。揺れる葉が小さく鳴って、遠く微かに煌めく海を眺めていれば、細波と変わらない。
 交通事故とみなされていたのだろうか。被害者の車がぶつかったガードレールは、修理されてはいたが、凹んだままの箇所も残っていた。木々の傷跡も深い。
 痛々しいなと煉也は思う。今度手向けの花を持ってこようと決めた。
「(……安らかに眠ってくれ……)」
 妖獣の討伐を心のうちで報告して、雪那は黙祷を捧げる。眠るには、この静けさは丁度いいだろう。
 ピイィィィ、と空の高い所を舞う鳥が啼いた。長く長く尾を引く声は、まるで旅立ちを告げる笛の音。