●狐娘は始まらなかった恋の夢を見るか?
「うん? 何やろ」
いなりはふと机の上に置いてある封筒に目を留めた。見覚えのない封筒には赤い封蝋で封がしてあり、宛名はいなり宛になっている。
「これ……」
封を切って中を読めば、あるはずのない内容でいなりの顔が僅かながら驚愕で固まった。内容から察するにそれはもう会えるはずのない人からの……。
「次も守ってくれる?」
「む。約束しよう」
何時か、ゴーストタウンで知り合った時のやりとりがふと甦る。いなりの言葉にそう約束してくれた男性。だが、それも気がつけば半年以上前の出来事、随分昔の記憶でもあった。彼の人は名も告げず、ただ律儀に約束を守って逝った。
「せや、差出人は……」
我に返ったいなりが開いたまま放り出された封筒を裏返そうとした瞬間、部屋のドアがノックされた。
「は!? ちょっと待ってーなー」
慌てて封筒をおき、ドアを開ける。
「う……そ」
「メリークリスマス」
ドアの前にはもう会えないはずの人が微笑んでいた。
「お暇かな? 良ければ、一緒にイルミネーションでも。お嬢さん」
あっけにとられているいなりへ畳み掛けるように少し戯けて理は言葉を続けた。よく見ればロングコートを羽織り既に外出の準備は万全という服装だ。
「ちょ、急いで準備せぇへんと」
慌てて外出の準備を始めるいなり。
「待っとってなー」
「ふむ、了解だ」
ドタバタと言う音に混じって聞こえてきた声に、何処か苦笑気味の返事が返る。
「お待たせ、堪忍なぁ」
「む、問題ない」
理は首を小さく左右に振るとようやく準備を終えたいなりへすっと腕を差し出す。
「うわ、流石にそれは照れるわぁ」
「む。だとすれば……」
「嘘嘘。ほな出発や」
差し出された理の腕に自分の腕を絡めていなりは歩き出した。
「わぁ」
「ふむ」
クリスマスという時期だけあってか商店街も住宅地も街中は至る所が電飾で彩られていた。
「どちらに行こうか」
「うーん、あっちがええと思うわぁ。ほら、あそこの露店のアクセサリーペアものもあるで」
いつの間にか主導権を奪い去っていなりが理を引っ張って露店の前へと連れて行く。買い物も一人でするのと二人でするのではだいぶ違う。買い物の間もいなりは組んだ腕が決してほどけないように、ずっと腕を組んでいた。まるで腕を組んだ相手が何処へも行ってしまわないよう願うように。
「楽しいなぁ」
「うむ」
だが、楽しい時間というものはたいてい終わりがあるものだ。
「ではな」
「……あ、うん」
別れの時、何処か憮然としながらいなりは頷く。組んでいた腕もいつの間にか解かれほのかな温もりだけが残っている。
「あ……」
去りゆく背に一瞬相手の名を呼ぼうとしていなりは躊躇した。呼ぼうとしたのに呼べない。理の背中は段々と小さくなって行く。
「……ん」
気がつけば目の前には木製の机が広がっていた。どうやらこれに突っ伏して眠っていたらしい。
「いややわ、化かす方が化かされてもたわ。ほんま、いややわぁ」
何処か力なくいなりは呟きを漏らす。ただ、彼女が机の上に置かれた手紙を再発見するのはもう少し後のことになるようだ。
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