桜神帝・華凛 & 南雲・紅羽

●Twilight Waltz ――この温もりを消させはしない――

「っと」
 紅羽の足運びは珍しいことに微かに狂った。ダンスの心得はあったと言うのに。
「ごめんね」
「……いいえ」
 ワルツを踊る足を狂わせたのは自分自身。目の前に華凛が居ること、手を触れ一緒に踊っているという現実が逆に夢のようで、紅羽を浮ついた気持ちにさせていたのだ。もっとも、先ほどの小さなピンチと華凛の声は、そのまま飛んで行きかけた紅羽の心を地に引き戻すのに十分だったが。
(「……華凛さん」)
 手を取っていて呼吸すら感じ取れるほど近くにいるのに、紅羽の目に映る華凛は美しいのと同時に儚げでもあった。華凛の瞳はこちらを見ているはずだというのに、まるで何処か別の場所を見ているかのようにどこか虚ろで。
(「雪那……」)
 二人のワルツは先ほどの僅かなアクシデントを覗除けば完璧だったにもかかわらず、心は互いを見ていないようで。華凛がチラリと視線を向けた先にあるのはホールの硝子窓。窓の外には中庭が見え、視線を上に持っていけば幾らかの夜空も窓からは見ることができる。僅かなよそ見の真意を紅羽は何処まで理解できただろうか。ただ、瞳に宿っていたのは何処か寂しげな色に思えて。もちろんただ一色でなく、同時に大切なものを見、案じるような色でもあったように見えたけれど。視線を戻した華凛の表情には僅かな陰りがあった。俯きがちの顔は、肌の白さとあわせて陽炎のように消えてしまうかのよう。
「……華凛さん」
「きゃ……」
 曲通りならここから離れて行く華凛の身体を紅羽は強く抱き寄せた。自分からまた離れてしまいそうで……手の届かぬ所へ消えてしまいそうで。ダンスの動作なのだからそんなことはないのに。
「何」
「……消えないで。俺を……置いて行かないで」
 上げかけた戸惑う華凛の声も、ダンスが止まってしまったことも気に留めない。無論、周囲の目さえ。
(「……普段は鈍いくせに、どうしてこんな時は」)
 肩と腰に回された手は簡単に払えそうもない、と言うよりも払えないと言うのが正しいか。頭の何処で冷静にそんな分析をしながらも別の何処で先ほどの不意打ちに驚嘆しつつ、華凛はただ抱きしめられていた。
「俺の熱をすべて奪っていいから……」
 続く紅羽の一言に、華凛の身体がびくりと震える。剥き出しの肩に触れる紅羽の手が温かくて。いや、手だけでなく密着した身体のあちこちから暖かな体温が伝わってくる。頭を押し当てられた胸からは、鼓動さえ直接に聞けそうだった。
「……華凛さん」
 抱く人の名を呼びながら紅羽は目を閉じていた。だからこそ知らない、一筋の涙が華凛の頬を伝ったことも。




イラストレーター名:緋烏