高田・瀬良 & 西古佐・吠示

●― ありがとう ―

 ライトアップされたステージ。ピアノ、ドラム、ベースと言った楽器達の余韻。余韻だけがステージを占めた時間は僅かで、観客の歓声や演奏者の声などが会場の主役を奪い取る。たった今バンド【crime-clime】の演奏が終わった所だった。興奮冷めやらぬ観客の海に、バンドメンバーの1人が飛び込んで最前列がざわついても、次のバンドがステージにたてば大半の観客は新たな奏者と歌手へ注意を移すだろう。
(「……瀬良ちゃん」)
 吠示は観客の波を泳いでただひたすら真っ直ぐ進む。そこにいる女は次のバンドではなく自分を見ていてくれるはずだ。観客が作る最後の波をかき分けた観客席にその人は……瀬良は居た。
「せ、瀬良ちゃん! お、俺、どうだった?! 噛まなかった?!」
「……大丈夫だよ。頑張ったな、吠示」
 緊張で息が止まりそうだった、とまくしたてる吠示を瀬良は微笑みと共に迎え、恋人が落ち着くのを笑顔で見守る。先ほどまで観客の視線が集まるステージ上にいたのだ。落ち着くのに些少時間がかかっても仕方ない。ステージの方では次のバンドが演奏の準備をしているようだったが、観客の注意がそちらに移ったのは重畳かも知れなかった。かき分けられたすぐ後ろの観客も、前方へと注意を移している。
「……ここでの演奏も、もうこれが最後になるんだな」
 いよいよ演奏が始まるのだろう。前から順に観客席が騒がしくなり、喧騒に包まれる中で瀬良が譜と呟いた。視線の先には【crime-clime】以外のバンドの姿があったが、瀬良の見ているのはバンドではなく下にあるステージだ。喧騒にもかかわらず、吠示には瀬良の声がハッキリと聞こえた。耳に届いた言葉を反芻して、ステージを眺める恋人の顔を見ながら。吠示はポケットに入れていた小さな指輪を取り出す。
「あ、あのさ。卒業しても、俺はずっと、瀬良ちゃんの見てるトコで歌うからね……!」
 顔から火を吹きそうになる自身の言葉に耐えながら、吠示がとったのは瀬良の左手。

 二人で買いにいったペアのピンキーリング。モダンなデザインの指輪にはぺリドットが嵌め込まれ、明るい緑をした宝石はミラーボールの光に輝いた。ぺリドットは二人にとって、幼き日の約束の石である。

 そっと小指に嵌められた指輪の輝きに、瀬良の脳裏を遠く幼い頃の記憶が掠める。夢のような記憶。
「……ありがとう」
 約束を吠示が覚えているかはわからない。いや、もう覚えていないだろう。
(「あの日、この人を好きになって、本当に良かった」)
 それでも、ただこらえきれなかった涙を隠すように。瀬良は静かに吠示の胸へと頭を預けた。




イラストレーター名:topi