衣通姫−ソトオリヒメ−



<オープニング>


 太陽が沈むまで狩りを続けていた猟師がその場所に立ち寄ったのは、ほんの気紛れからだった。毎年この時期に満開であろう山桜を一枝手折って持ち帰り、家で待つ妻子に見せてやろうと。大輪の花は見事で、薄紅色の花弁も美しい。家族もきっと喜ぶ筈だ。
 ……しかし、彼は二度と妻子に会えなかったのだ。
 大樹の下には、世にも美しく恐ろしい一輪の華。
 月光に照らされ舞い踊るひとつの影。
 緩やかなステップを踏むごとに漆黒の髪が跳ね、白い肌を舐めるように包む薄絹がゆらゆらと付き従う。
 一目見た瞬間に体内を突き抜けた衝撃に抗えず、彼は一歩、また一歩と近付いていった。
 咲き誇る桜花を背に踊り続ける妖女は男に向かって手を伸ばす。
 深紅の瞳が輝きを増し、血色も鮮やかな唇が半月に吊り上がり。
 風に揺れていたはずの衣がいつの間にか己の体に巻きつく感触も夢心地のまま。
 刹那……男の体は無残に切り刻まれ、大地に転がる。
 血が薄絹の衣を鮮やかに染めて……
 花弁がひとひら、哀れな犠牲者の白く変色した指先に落ちた。


「依頼です。ある村に程近い山中に、モンスターが現れました。退治をお願いします」
 数は二体。
 妖艶な美女の姿で人を惑わし、演舞の如き体術にて引き裂くモンスター。
「こちらは仮に……そうですね、『踊り子』と呼びましょうか。魅了と武道家に通じる特殊能力を有します。特に、優美な舞いに見せかけた強靭な蹴り技が脅威となるでしょう。厄介な事に自己回復能力も併せ持つようです」
 もう一体は『踊り子』に纏いつくように寄り添う薄絹の衣。変幻自在に伸びるそれは犠牲者の体に巻きついて動きを封じると同時に切り刻み、血を吸って赤く色付く。
「こちらは『衣』としましょう。『衣』は広範囲に渡って自在に伸び、動きを封じると同時に斬り裂き血を吸います。拘束と吸血は同時に行われ、吸血によって『衣』は回復するでしょう。その斬り口は鋭く、運が悪ければ一瞬で首を切断される恐れがあります。覚えておいて下さい、力は視界内全てに行き届きますよ」
 モンスターは山中、殺害された猟師が発見した場所に今もいるという。
「桜を好む習性があるようです。しかし、花が散れば何処かに姿を移してしまうでしょう」
 出現した場所が山中であった事が唯一の僥倖であった。もし桜が村の中にあったとしたら……。不吉な可能性を頭の隅に追いやり、霊査士は言葉を続ける。
「山中を西に深く分け入った先、猟師ですら滅多に踏み入らない場所ですが、僅かに残る獣道が一本、そこへ続いています。近くまで行けば薄紅色の花が鮮やかに見えてきますので、迷う心配もないでしょう。
 それよりも懸念点はその場所が緩やかな斜面になっている事と、周囲にある木々です。場合によっては戦いの邪魔になるかも知れませんから…… 僕が言えるのはこれだけですね」
 どうかお気をつけて。
 鈍く光る黒鎖に触れた青年は静かに頭を下げた。

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参加者
ブランネージュ・エルシエーラ(a00853)
蒼天の幻想・トゥバン(a01283)
焔銅の凶剣・シン(a02227)
剣舞姫・カチェア(a02558)
想唄の日晴猫・ファミリア(a03208)
紋章姫・サティア(a10545)
魔竜月吼・ナハト(a12353)
夜明けの紋章術士・エンドリード(a12607)
蒼き稲妻・ロバート(a32221)
蒼光の欠片・ニクス(a36070)


<リプレイ>


 夕暮れになって漸く山桜の一部が見えて来た。慣れぬ山道を重装備で登った者には疲労の色が濃く、ブランネージュ・エルシエーラ(a00853)の胸に一抹の不安が過ぎる。
「皆さん、少し休まれた方が……」
 白銀の髪が一際強い春風にあおられ、彼女は言葉を止めた。まるで嵐のようですね――。淑やかな仕種で乱れた髪を直す彼女の呟きに、蒼の想唄・ファミリア(a03208)が硬い表情で頷く。
「モンスターは花が散ったら姿を消す……だったよね?」
「ああ、俺達には時間が無い。この風でいつまで花がもつか」
 答えた焔銅の凶剣・シン(a02227)も苦い微笑。タイムリミットが近い事に、二人は気付いていた。逃がす訳にはいかない――ならば。
「急ぐしかないッスね。俺らはこっちから迂回するッス」
 鬱蒼と覆い茂る草木を指し示し、蒼き稲妻・ロバート(a32221)が言う。獣道――それすらも本当に僅かな道標だというのに。そこから外れる意味を、その危うさを解ってはいるが……これも勝つための布石である。
「皆さん、武運を祈ります……お互いに、ですが」
「奇襲、きっと成功させるから……頑張って」
 互いの無事を祈る言葉を掛け、エルシエーラとファミリアがロバートの後を追う。次第に薄暗くなっていく景色の中に三人の姿が溶け込むように消えると、後に残った者たちは獣道を辿り始めた。


 目に飛び込んできた光景は一面の『赤』――
 夕日が世界を赤く染め上げ、後から後から舞い落ちる花びらもまた、真紅に彩られている。桜の大樹を背後に控え、薄衣を風に遊ばせ舞い踊る妖女の足元には花弁の絨毯。白い素足が踏みしめ、舞い上げ……まるで、血の海のようだ。
 半月に嗤う唇が網膜に焼きつく。おいでと手招く指の動きすら官能的で。
「これが魅了の力か…… 拙い」
 苦もなく振り払い、魔狼月吼・ナハト(a12353)は一対の剣を構え、木々の隙間を縫うように駆け登る。煌く二条の銀光が振り下ろされ――刹那、薄衣が空を走った。
 ――速い……!
 木を盾にしようにも、軌道すら読めない。痛烈な舌打ちを洩らし、蒼天の幻想・トゥバン(a01283)がせめてもと振り抜いた剣先をものともせず。フワリと彼を包んだ柔らかな感触は一瞬で激痛に変わった。
 踊り子の身体に一部を残し蜘蛛の巣状に伸びたそれは、禍々しき毒花のようで。
「散れ!」
 我が身を引き裂き朱に染まった衣を剣戟で跳ね除け、剣舞姫・カチェア(a02558)はイリュージョンステップの構えを取る。
「痛い……ですね。あなた、邪魔です」
 鮮血の跳ねた杖を一振り、衣の束縛を一蹴して。金の炎と白い魔氷を纏った夜明けの紋章術士・エンドリード(a12607)の指先が紋章を描いた。出現した無数の木の葉は彼の意思に従って風に逆らい、渦を巻いて衣に集結する……緑の束縛。
「……っ、今、回復を……」
 動きを止めた衣。一拍の隙に拘束から抜け出した蒼光の欠片・ニクス(a36070)が傷の痛みを堪えて高らかな凱歌を歌う。戦場に響き渡る歌声が傷を癒し、食い込む刃を全て退けた。
「服が血まみれですわね……美女が台無しですわ」
 引き結んだ口元に僅かな微笑を浮かべ、紋章姫・サティア(a10545)はクリスタルインセクトを召喚した。意図して衣と踊り子を分断させるのはさすがに無理だが、前衛を助ける一手にはなるだろう。水晶の蟲は赤く輝きながらモンスターへ襲い掛かっていった。


 辛い戦いになった。ニクスが回復に徹しているからこそ生まれている僅かな拮抗。何かひとつ躓けば全てが瓦解してしまうほど脆く危うい、綱渡りのような戦いだ。
 積極的に向かってくる剣士は二人しかおらず、防御を主としたナハトの牽制攻撃は悠々と舞い踊るモンスターを捉えられずにいた。後衛から届く炎葉の乱舞も、紋章から撃ち出された輝く銀狼も、舞い踊る異形を制するに能わず。唯一苛烈な攻撃で追い込むシンの刻んだ傷も瞬く間に消え去って。
 それでも攻撃をかわすうちにジリジリと桜から離されてはいる。……獣道の横へと誘い込むなら今しかない。カチェアが視線だけで語りかけた。互いの位置を保ちながら戦う彼女にトゥバンも無言で頷き返す。
 幾度目かの緑の束縛を振り切った衣が数条の閃光となって再び虚空を走る。一撃の痛みに耐え、軽やかな脚捌きで束縛をすり抜けるカチェア。
 ふと――肩に置かれた手の重みにトゥバンは気付いた。忍びやかな笑い声が耳元を掠め――
「しまっ……!」
「トゥバン!!」
 気付いた時には踊り子が至近距離に居た。舞いに乗せて繰り出された蹴りが光の軌跡となって身体に吸い込まれ――
 ――ハラハラと頭上に降る……赤い雪。
 その光景を見たのを最後に視界も意識も途切れた。昏倒し、傾斜を転がり落ちていく男を追う踊り子。死出の旅に送ろうと……
「させぬ!」
 夢中で振り抜いた太刀から放たれた衝撃波は薄紅色の破片を蹴散らし、花吹雪を巻き上げながら襲い掛かった。無形の刃が踊り子の胴体を斜めに切り裂くのも見届けず、カチェアはトゥバンを助けに走る。次いでサティアが生成した木の葉の嵐――緑の衝撃が追い縋ろうとする踊り子の足を止めた。
 振り返った真紅の瞳に浮かぶ嘲笑……青白い指先が塞がった傷口を撫で、演舞は再開される。
 ――これで前衛は大きく瓦解した。剣士二人で戦線の維持は不可能…… ナハトは必殺の一撃を放つ時機を逸したのを知る。
 踊り子、衣、共に健在。ダメージは蓄積されず、分散した攻撃はどれも決定打に至らなかった。
「間に合わなかったか……」
 苦い呟きを零して、撤退を考え始めた時だった。
 追い風が、吹く――


 リィ……ン……
 微かに聞こえた涼やかな音色は飛来したチャクラムの音だった。優美な銀光を描いて去った後に残されたのは、踊り子の肩に命中している――鮫牙の矢!
 同時に二の矢が衣にも突き立っている。木々に隠れて姿は見えないが、サティアにも判った。これは、エルシエーラとファミリアが放った矢だ。
「悪いけど、不幸になってもらうッスよ!」
 更に猛然と駆けてきたロバートが戦列に加わると、不吉な絵柄のカードを手元に生み出し素早く投じた。
「ロバートさん……!」
「……遅いですよ」
「遅すぎなかったってことで、勘弁ッス」
 思わず安堵の吐息を零すニクスとエンドリードに笑い掛け、明るい茶の瞳が前方を見据える。布石は整った。
「さあ、反撃ッスよ!」
「……言われるまでもない。ここからは本気で行かせて貰う……!!」
 応えたナハトの動きが一変した。エンドリードが最後の緑の束縛で踊り子を拘束し、作り出した一拍の間。それで十分だった。
「援護します……!」
「合わせるよ!」
 エルシエーラのチャクラムが玲瓏な音色を響かせ空を切る。ファミリアも息を合わせ、想唄の銀月弓に番えた矢を解き放った。
 同時に穿たれた二本の矢が、衣の回復力を奪う。乱舞する薄絹の射線が冒険者を切り裂いたが、それ以上朱に染まれずに……
「もうこれ以上の犠牲は、それだけは……!」
 強い想いを託して。ニクスが歌う高らかな凱歌が仲間を癒し、衣の呪縛を破ると。
「お行きなさい……」
 サティアの指先が七色に揺らめく炎の悪魔を撃ち出した。業火に抱かれ、もがくように波うち広がる血染めの衣。更に別方向から届いた衝撃波……カチェアのソニックウェーブ奥義が追い討ちをかけ、ナハトは鞘に納まった剣の柄を握り直す。
「その命、我が一撃にて冥府へと堕ちよ……!!」
 抜き放たれた雷撃の剣、電刃居合い斬り奥義――抜けば冥府へ叩き込む必滅の一撃に打たれ、幾多の血を吸い続けていたモンスターは、千切れて消えた。その様はまるで……花吹雪のようだった。
「もう、休んで欲しいッスよ……」
 静かに呟いたロバートが投じたカードは踊り子の脚を黒く染める。バッドラックシュートに侵食され、回復は望めず、衣は失った。逃げる背に突き立つ矢、穿たれる炎の穴、そして――
「どこに行く。花はまだ……咲いてるぜ?」
 眼前に立ち塞がった紫暗の戦士……シン。 性懲りも無く舞う華が繰り出した蹴りが弧を描き……彼はあえて避けずに受けた。鈍い音を立てて食い込んだ脚を無造作に片手で掴む。
「……そろそろ、終幕だ」
 剣に凝縮された闘気が烈風を孕み。それを、ただ、一閃――。
 ――華は散り、骸にかえされた。


 ハラリ……ハラリ……
 落ちた花びらが頬をかすめ、彼は薄っすら目を開いた。温かな手が額を撫ぜている。
「気が付いたか?」
「…………」
 問い掛けに、視線で答える。それだけでカチェアはトゥバンが何を言いたいのか直ぐに解った。
「ああ、ちゃんと戦ったとも」
 ――そうか。漆黒の瞳が柔らかくなるのを嬉しく思った。舞い落ちる花吹雪を暫く見ていた彼が零す、擦れた呟きに耳を寄せ。
「馬鹿者が……」
 いつものように、耳を引っ張る。そうして彼が眠りに落ちるまで傍にいた。

「無事完了ですね……♪」
 戦いは終わった。エルシエーラは張り詰めていた緊張を解すように四肢を伸ばすと、大樹に背を預けて頭上を仰ぐ。
 ……大輪の見事な桜。こんなに綺麗なのは、いつしか昇った月に照らされているからだろうか。
 蒼い光が優しくナハトにも降り注ぐ…… 月下の花を飽くことなく眺め続けている彼の耳に届くファミリアの微かな歌声は、月に濡れた、涙歌――。

 花残月に衣通姫
 春霞をともに舞う
 はかなき優美な散華の桜舞
 眠りの中で桜と踊り続ける

「……いい歌だ」
 月夜に溶けてゆく歌声を聴きながら、シンはここに居ない誰かを想う。狂おしいほどに――それでも。
「つーかなぁ……酒が無いのが残念だ」
 苦笑をひとつ零して、それだけで。想いは胸に閉じ込めた。

 咲き誇り、散り急ぐ――だからこそ、花は美しいのかも知れない。
 それぞれに休息を取る冒険者たちは暫しの間、花吹雪の輪舞に抱かれていた――

■終■


マスター:有馬悠 紹介ページ
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