西方プーカ領を求めて〜獅子を憐れむ歌



<オープニング>


 岩が、動いていた。
 近付いてみれば――無論、そんなものに一体誰が近付くだろう――その岩はいびつな人の形を取っていることに気付いただろう。
 もっと近付いて見ればいい。右の豪腕は肉厚の剣と化し、左の豪腕は鉄壁の盾と化し。巨岩の兵の前にあって、二つにならないものなどない。体表にいくつも走る岩の裂け目からは生々しい乱杭歯が無数に覗く。命の形は違えども、それは確かに生きているのだと。其の内には確かに血が通っているのだと、まるで誇示するかのように。
 その巨岩の後ろにぴったり張り付くように浮かんでいるものは、一抱えほどもある、ふわふわと長い白毛を垂らした毛玉。その長い毛の間から発せらるる、軽やかに織り重なる歌声は人を狂わせ、旋風が辺りを巻けば石も矢もみな持ち主に跳ね返る。
 巨岩に比べて小さい為か、常に巨岩に隠れている為か。はたまた、彼らに近付き過ぎて生きて帰った者は存在しないからか? 毛玉に関する噂はここで終わりだ。
 ここに至るまでの彼らの行動を要約すれば。
 人を狂わせて、斬る。ということ。
 街道沿いに現れたこの二匹の魔物は、幾つもの血の海を街道にこしらえたであろう、呪われた脅威の一つなのだった。

「そんなもんにウロつかれてちゃ、オチオチ道歩けねぇよ」
 集めた噂を書き連ねた紙切れが視界の下方に移動すると、遥か前方の荒野をこちらに向かって歩む岩塊が見えた。と言っても、目測でもう徒歩五分とかからぬ距離だ。
 片手で紙切れを懐に仕舞い込み、もう片手は得物を探る。背後からも同じく、各々の得物に確認の目を走らせる気配がした。
 輪廻の蛇・アトリ(a29374)は静かに前を見据え、思考を一瞬振り払う。
 ちびちび街道整えてくんはちと焦れっけど、出来ることはちゃっちゃとやっときてぇな。
 一つずつ片付けてく時間があるうちに――
 灰の瞳を伏せ、短い息をついた。トントンと靴を鳴らして調子を確かめる。おっし、良好。
「行ってみるとしよーぜ。暗くなる前になんとかしねーとな」
 浅黒の肌をしたエルフは、仲間達を振り返り、ニカッと笑って見せた。

 荒れた大地を彷徨い続ける二匹の魔物を包む旋律は、まるで神へ奉げるために歌われるがごとく美しい。そうして、嗚呼。
 それは言葉に表せない程に、とても――とても、哀しいものだったと。

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参加者
トラブルメーカー・メイナ(a22036)
華麗なる恋の求道者・ノア(a22669)
エンジェルの医術士・ヴィオレッタ(a26131)
昼梟の劔・シンジュ(a26205)
蒼翠弓・ハジ(a26881)
朱の蛇・アトリ(a29374)
鮮紅を纏いし者・ファーラ(a34245)
昏冥に漂いし魂離る夢魔・シルフィー(a38136)
NPC:深淵樹海・ザキ(a90254)



<リプレイ>

●邂逅
 薄らとした霧のように聴こえてくるのは何の音だろう。
 言葉のようで、しかし意味を成さない何か。
 かすかな地鳴りのようなものを纏って歩む岩の巨兵。その姿は未だ遠く、件の毛玉の姿は見えない。
 立ち止まれば、そのまま足が地から離れなくなってしまうだろうと、エンジェルの医術士・ヴィオレッタ(a26131)は思った。心臓が縮むようだ。
「あの毛玉をもふもふしたら気持ちよさそうだよね!」
 トラブルメーカー・メイナ(a22036)の明るい声。もう、毛玉が見えたらしかった。近付いてきている。
 霧がその手を伸ばすように、幽かな旋律は厚くなる。それに合わせるように、周囲の歩みが速くなった。神の慈悲を請い、この世の悲哀を謳い、救いを求めるような声。素晴らしい世界を歌い、こちらへと手を伸ばしてくるような、儚い旋律。巨岩はもう見上げる位置にある。地響きが足の裏を浚う。
 ……戦うのは怖いし、苦手だけど、……でも。
「んじゃ、声掛け合っていきますかぁ!」
 輪廻の蛇・アトリ(a29374)の張りのある声が響く。
 巨岩の姿が視界の中で大きくなる程、美しい旋律がはっきりと聴き取れるようになる。二重奏、三重奏、四重、いやもっと――幾重にも幾重にも取り巻く旋律が。
 一歩一歩、確実に踏み締めて疾駆する。
 ヴィオレッタ。純白のケープの裾を握り締めた少女。
 怖がってばっかりじゃ、駄目だとおもうから。

●声を射抜く
「…………………」
 それは遠目に見るより、あまりに大きい。口をあんぐり開けてメイナはそれを実感していた。
 巨岩の兵は、その頭の方まで見上げようとすれば、メイナの背丈ではひっくり返ってしまいそうになるくらい大きい。
「我が翼に、朱炎よ纏え」
 言葉と共に、鮮紅を纏いし者・ファーラ(a34245)は己の得物を強化する。
 各々の召喚獣が姿を現し、体勢が整う。
 数少ない前衛には、歯車の劔・シンジュ(a26205)、ファーラが配置された。
 シンジュは岩塊の左足に、ファーラは右足に。それぞれ取り組むことになる。
 蒼翠弓・ハジ(a26881)と、深淵樹海・ザキ(a90254)、それにアトリが別行動班として動く。彼らは足早に、剣を持つ岩塊の右側面へと回り込んでいた。理由は一つ。歌う毛玉の撃破だった。
「ヴィオレッタのことは任せなよ」
 昏冥に漂う魂離る夢魔・シルフィー(a38136)がそう言って後ろを見遣る。最も体力に不安のあるヴィオレッタは最後方に置かれていた。
 ――中々厄介な奴らな。さぞかし強い戦士だったんだと、思う。
 ……こうなってしまう前に、是非お手合わせ願いたかった、かな。
「……浸ってる場合でもない、か」
 シンジュは静かに伏せていた目を開き、眼前の敵を見据え。漆黒の刃を抜き払った。
「私の大切な仲間たちを傷つけさせるわけにはいかないよ」
 華麗なる恋の求道者・ノア(a22669)の指は優雅にハープを爪弾く。
「魔物よ! その美しくも禍々しい旋律を打ち砕くのは、真の友情の歌だと知るがいい。いざ!!」
 朗朗と響くノアの呼びかけに、顔の無い巨岩の頭部が僅かに傾いだように見えた。
 そうして、青天を突く高揚に包まれた荒地は、血飛沫踊る、ひとつの戦場と化したのだった。
 剣と化した右腕が大きく振り被られる。最初の標的は、右足周辺にいたファーラ。
 圧倒的な質量をもって振り抜かれた刃を受け流し、横に飛んでかわす。すぐさま立て直し、
「これ以上、無辜の民に犠牲が出ぬよう。討たせてもらうよ」
 電刃衝を叩き込む。手応えは硬かった。
 今回の依頼の大きな問題として、毛玉と巨岩を取り巻く旋風があった。これがアビリティを反射するかどうかで、戦局は大きく変わってくる。ハジが試射としてホーミングアローを放つ。側頭に命中した。鋭い音を立てて岩の鎧に阻まれたが、跳ね返ってくる様子はない。
 どうやら取り巻く旋風にアビリティの力を弾く力はないようだ。ハジはすぐ戦闘に戻った。これを確かめることが、後衛が動き出す条件だった。
 シンジュ、ファーラの前衛陣が、再び刃と化した右腕に薙ぎ払われる。
「一人の怪我人も出しはしないさ」
 決意を込めて、高らかに歌い上げるノア。
 黒炎を纏ったシルフィーがブラックフレイムを放った次の瞬間、敵の周囲を旋風が吹き荒れた。攻撃力を強化した自らの一撃をまともに受け、ぐ、と呻いた。足元がぐらつく。シルフィーは今撃ったブラックフレイムが、厳密にはアビリティではないということを失念していた。
 すぐに後方から暖かな癒しの波が届く。
「私の癒しの力……弱くてごめんなさい……」
 ヴィオレッタのか細い声に、シルフィーは思わず苦笑を漏らした。
 ハジの赤く透き通る矢が飛ぶ。熱と爆音が撒き散らされ、歌う毛玉の姿はかき消される。
 どこかの声が軋んでいるようだった。毛玉の完璧な歌には狂いが生じていた。
 哀しい歌。大きな一撃を受け、歌は一層の悲哀を含んでいた。
 駄目です。これ以上歌わせるわけにはいかない。
「アトリ」
 言い終わらぬ間に、束縛の木の葉が毛玉に向かって吸い込まれた。
 短い悲鳴ののち、場に沈黙が生まれた。歌が止まる。
 ハジ、ザキの二つの雷光が、空を切った。
 毛玉からひときわ大きな悲鳴が二つ上がった。
 二つ射抜いた。そう思った。実際、再び歌い始めた彼の声は、明らかにいくつかのコーラスを欠いていた。
 ふと首筋に何かを感じ、ハジが振り向いた。そこにいたのはザキだった。針を突いたような瞳孔でハジを見つめ、弦を引いていた。
 咄嗟に上体をひねった。矢が掠めた。冷たい切っ先が右頬の皮膚を刻んだ。牙狩人の位置にまで、静謐の祈りは届かない。
 血が滴る暇もなく、強力な癒しが皮膚を修復していた。
 毛玉の旋律にも負けない、力強い歌がアトリの力を治癒に変え、瞬きする間に狂気を払いのけた。

●岩鎧
 それはシンジュが何度目かの電刃衝を、岩壁のような左足に叩き付けた時に起こった。
 ほとんど狙いを変えずに攻撃を当てていたためだろう、岩の表面に亀裂が走ったのだった。
 それを視界の端に捉えた瞬間、シンジュは悟った。
 ――いける。
「メイナ!」
 叫んだのはこの場において最大の破壊力を有する者の名。
 熱した鉄の塊のような巨大な火球がシンジュの鼻先を掠めた。
 エンブレムノヴァの火球が亀裂の中心にめり込む。
 咆哮が、巨兵の全身に開いた口から轟いた。激しい痛みを訴えて泣き叫ぶ声。毛玉の歌うものとは違う、空気を震わせる轟音。
 火球の消え去った穴からぶすぶすと煙が上がっている。
 いやな臭い。肉の焦げる生々しい臭いだ。岩壁の大穴から爛れた赤い肉が覗いている。
 巨岩の兵はその岩鎧の下にやわらかい肉を隠していた。シンジュの集中攻撃がそれを暴いたのだ。
 シルフィーが悪魔の黒炎を放つと召喚獣は一体化して虹色を纏った。炎が、大きく口を開けた傷口に吸い込まれた。内部を焼き尽くさんと追い討ちをかける。
 巨岩がよろめく。倒れない。
 ならばもう一撃くれてやろうと得物をしごいたファーラの耳に、柔らかな美しい旋律が触れた。
 唐突に訪れた錯乱に皆の瞳が惑うのを待たず、目に見えない祈りが場を浚う。
 狂わされた心をこちらに引き戻す祈りが、ヴィオレッタを芯にして、あたりに満ち満ちていた。
 視界の端で輝く雷光が空を横切り、爆炎が熱風を運ぶたび、歌声がひとつずつ死んでいく。
 終焉に命の悲鳴はなかった。最後の声が尾を引いて消えた。歌が消える。
 白い歌唱者は長い尾をなびかせ、彗星のように地に落ちた。
「鮮紅に沈め!」
 ファーラの渾身の居合いが電撃を纏い、岩塊の表面を大破させる。
 その体を支える足を失った巨人は、大きな影を落とし傾き始めた。壮大な音を立て、その姿が大地に沈んだ。
 幾度となく刃を突き立てていたシンジュも、露わになった肉塊に走る脈が失われていくのを見、手を止めた。
 数瞬の静寂ののち、緊張の糸が切れた。
 辺りには、崩れ落ちるようにへたり込んだヴィオレッタのすすり泣きが聞こえるばかりだった。

●終劇
 固い地べたに転がった毛玉の方へ、メイナが歩いていく。
 紅の武人は物憂げに、朱の柄に手をかけ巨岩の亡骸に背もたれた。
 これで少しでも、プーカ領へ近づけたのだろうか。レルヴァ大遠征で、先に旅立ってしまったあのヒトの為になっただろうか。
 自らの背後を見遣った。これもあるいは、レルヴァで正しい生の姿を奪われた者達なのだろうか。
「にしても、勇ましい獅子サマがあんななっちまうとはなー……。モタモタやってりゃ明日は我が身だけどよ」
 アトリが岩の残骸に腰掛けてぼやく。本当に元がソルレオンであるかどうかは定かではないが、その可能性は低いとは言えない。聞いていなかったメイナが、
「この二匹ってなんだったんだろうね〜」
 触ってみると、上質の羽毛のようにやわらかい。
 もふっ
 勢いをつけて抱きついてみると、球体は意外な弾力で応えてきた。中身はお肉かな、と思った矢先。大量のどす黒いものが眼前を舞った。
「わわっ」
 思いもしなかった展開に驚いたメイナが慌てて身を引き離す。毛玉のそこかしこから太い水流が幾つも噴出し、あっという間に赤黒い水溜りを広げていく。
 嗅ぎ慣れた匂いに気付いた幾人かは既に顔を逸らしていた。
 激しい血臭。
 ちょうど、水の入った皮袋に針で穴を開け、手で押し潰したようになってしぼんでいく白い毛玉を、メイナは唖然と見つめていた。抱きついたときにまともに受けた黒血が服にべったりついている。
 最後のひと噴きまで出尽くして、自らの血溜まりの中で毛皮だけになった皮袋を恐る恐る持ち上げる。勢いを失って残留したものが穴からぼたぼたとこぼれ落ちた。白毛は水を弾く構造になっているのだろうか。玉になった血が点々と付着しているくらいで、実に綺麗なものだった。
 一陣の風が吹き抜けた。巨岩が、乾いた粘土のようになって崩れ落ちていく。広大な赤黒の水溜りも、メイナが被った血も急速に乾き、崩れて砂塵と化した。
 風はきらきらと陽光を映す命を乗せて。冒険者らは去りゆく者達を、ただ、見送った。


マスター:紫蟷螂 紹介ページ
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参加者:8人
作成日:2006/05/26
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冒険結果:成功!
重傷者:なし
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