紺碧の子爵〜薔薇の道のり〜



<オープニング>


●セイレーンの美青年
 琥珀の寵姫に関する一件を解決した同盟冒険者を、南方セイレーン王国を統べるウェヌス女王は高く評価した。そこで、これまでは殆ど酒場に齎されることの無かった、多くの利害が絡む商業に携わる依頼も、同盟冒険者にならば任せるに足ると考えてくれたのだ。
 南方セイレーン王国の商業に関する依頼を同盟冒険者に斡旋する役目を担うのは、とあるセイレーンの美青年である。彼は前回、「ウェヌス女王は同盟冒険者を甚く信頼なさっているようですが、私は未だ、君らについての殆どを知らない。名乗れるほど信用も出来ない」と述べて同盟冒険者を試すような依頼を持ち込んだ。その依頼を冒険者たちが難なく成功させたことに改めて触れ、美青年は飄々とした口調で言って除ける。
「お茶の相手くらいは出来ないと困りますから」
 仕草は相変わらず優雅なもの。ルックスもイケメンだ。
「しかし、依頼の成功には私の名を明かすことも添え、同盟の冒険者諸君を惜しみなく称えよう」
 白手袋を嵌めた右手を胸元に軽く当て、畏まった仕草を取る。きらりと小指の銀が煌いた。気品漂う純白の衣装を纏う右肩を蒼い外套の縁から覗かせた男は、伏せがちの瞳を持ち上げることもせず、唇に三日月を思わせる弧だけを描く。朗々とした声がセイレーンの美青年の唇から洩れた。
「私の名前は紺碧の子爵・ロラン。イケメン家の当主を務めている」
 ウェヌス女王とは古くからの友人と言ったところだ、と彼は身分以上に女王と親しい存在であるらしい事柄まで明かす。商業に関わる依頼を冒険者に直接斡旋出来る立場は、何よりも実力が評価されての抜擢なのだろう。何処か酷薄な笑みを浮かべたまま、ロランは軽く両手を広げ語るのだ。
「同盟冒険者諸君。今後、諸君に多く依頼することになるだろう、南方セイレーン王国の商業と関わる上で最もオーソドックスな依頼を幾つか、私の方で用意した。これを完遂してくれたまえ」

 ひとつめは、商品の運搬に携わるものだ。
 宝飾品など価値の高い品を運ぶ際、襲い来る危機を退ける護衛を中心しとした依頼になるだろう。

 ふたつめは、冒険者の武力を求めるものだ。
 盗賊やグドン、果てはモンスターなどを退治することに重きを置いた依頼になるだろう。

 みっつめは、少々特殊なものになる。
 最も簡単で、しかしある意味で最も困難な、セイレーンからのセイレーンらしい要望が篭められた依頼たちだ。一般的な依頼よりも、厄介な条件が付与されているに違いない。

「全てを成功させた暁には、今後の取り引きを御約束しよう」
 紺碧の子爵・ロランは表情を変えること無く、依頼の内容を語り始めた。

●薔薇の道のり
 諸君にはこの依頼を、と青年は深緋色の蝋で封をされたままの書状を取り出してみせる。封蝋には当然の如く精緻な紋章の印が押されており、その依頼が上流に属する階級から齎されたものであることを窺わせた。
 青年は白手袋を外すことなく書状を開き、冒険者達の前に翳す。
 中を見ずとも内容は心得ているらしかった。
「君らには、誕生日を迎える愛らしい令嬢のもとへ、美しく咲き初めた薔薇を運んで頂きたい」
 欠伸が出てしまう程簡単なことだろう?
 口の端を軽く擡げて青年は笑んだが、流石にこの期に及んで彼の言葉を額面どおりに受け取る者はいない。口を噤んだまま彼の話の続きを待つ冒険者達の様子に面白味を感じたのか、青年は僅かばかり眉を上げ、暫し間を置いてから依頼の詳細を語り始めた。
 あるセイレーン貴族お抱えの庭師が、祝宴に飾るための薔薇を本邸の温室で育てていたのだが、その祝宴が本邸ではなく別荘で開かれることが急遽決まったのだという。祝宴は貴族の令嬢の誕生日を祝う物であり、当の令嬢が別荘での祝宴を望んだのだから、会場の変更も当然のことであったのだが……問題は祝宴に飾る薔薇であった。
 宴の主役たる御令嬢が「祝宴に飾る薔薇は本邸の薔薇でなければイヤ」とのたもうたのである。
 しかも「きちんと咲いてから切った薔薇でないとダメ」との仰せだ。
 だが、その薔薇が咲くのは祝宴当日の朝であるという。
 別荘というからには当然本邸から離れた場所にあるわけで、普通の人間やノソリンの足ではどんなに急いでも、朝切った薔薇を祝宴の準備が調う夕刻までに運ぶことは不可能だ。
 それを可能にするのは、冒険者の足だけである。
 つまり「祝宴を飾る大量の薔薇を背負って駆けろ」と、この紺碧の子爵様は仰っているわけだ。
 本邸と別荘は一本の街道で結ばれており、道に迷う心配はないとのことだが、青年はご丁寧にも霊査士に道中の霊査を頼んでおいたらしい。霊査士が言っていたけれどねとの前置きの後に、更に説明が続いた。
「街道には二つの障害があるらしい。まずは盗賊。二十人程度の盗賊団が本邸から別荘へ運ばれる物を狙って襲ってくるそうだ。高価な贈り物が運ばれるとでも思っているのだろう。そして次は、鹿の群れだ。その貴族が鹿狩りのために繁殖させているらしくてね、かなり大きな群れが街道を横切るようにして移動するらしい。しかも移動が酷くゆっくりだと言うから……通り過ぎるのを待っていれば日が暮れてしまうだろうね」
 ちなみに盗賊よりも鹿の方が余程厄介な相手らしい。比較的大柄な種でかなりの数がいる上、近隣の人々が「貴族様の鹿だから」と丁重に扱うせいで、人間より自分達の方が偉いと思っているようなのだ。なお、好物は花らしい。
 けれど君らには些細な問題だろう、と青年は薄く笑み、思い出したように言葉を重ねる。
「そうそう、御令嬢からは『盗賊はどうだっていいけど、ちょっとでも鹿が傷ついたら許さないんだからね』とのお言葉を頂戴しているよ。それともうひとつ。グランスティード……だったかな、素晴らしい力を得たそうだが、御令嬢にその話をしたところ『そんなの使うなんて卑怯だわ』と仰せになった。今回はその力の利用は控えてくれたまえ」
 少女らしい純真なお願いだと思わないかいと紺碧の子爵様は楽しげに瞳を細め、何処か芝居がかった仕草でこれで話は仕舞いだとばかりにで蒼の外套を翻した。

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参加者
朱陰の皓月・カガリ(a01401)
浄火の紋章術師・グレイ(a04597)
殲姫・アリシア(a13284)
清閑たる紅玉の獣・レーダ(a21626)
デタラメフォーチュンテラー・ネミン(a22040)
笑顔を振りまく向日葵娘・リウナ(a32759)
奇爵・レーニッシュ(a35906)
風任せの術士・ローシュン(a58607)


<リプレイ>

●薔薇の咲く朝
 淡藤色に透きとおる空には雲ひとつなく、彼方から射し込める清冽な曙光が庭木の緑に包まれた館を照らし出している。上品な白練色に塗られた館の壁は眩く照り映え、これから始まる一日が晴天に恵まれるだろうことを暗示しているかのようだ。朝から夕まで雨の中を駆けるのは幾らなんでも御免蒙りたいから、これは有難いことだった。さわりと庭木をそよがせる風は流石に冷たかったが、実に清々しい朝だと風任せの術士・ローシュン(a58607)は大きく息を吸い込んだ。
 そう、実に清々しく爽やかな朝である。
 仲間達より早く館に入っておこうと意気込んでやって来た所、自分と同じヒト族である門衛に「約束の刻限より早い上、一人で来るとは怪しい。本当に依頼を受けた冒険者なのか」と詰問されてしまったが、そんなのは些細なことだ。長い間セイレーンの奉仕種族であった門衛は『セイレーン以外の種族の冒険者』という存在にまだ慣れていないのだろう。そもそも今回の依頼自体が、今後南方セイレーン王国での依頼を同盟冒険者に任せるか否かの試金石となる物なのだから。
 兎に角きっちりと成功させねばなと一人頷きながら門衛に教えられた方角へ向かえば、風に乗って薔薇の香りが漂ってくる。荷となる薔薇の重量を皆の到着前に確かめるべく角を曲がったローシュンの視界に飛び込んできたのは、甘やかなオペラピンクに咲き初めた大輪の薔薇達と――
「ふむ。鮮やかかつ濃厚でありながらも上品な香り……実に素晴らしい薔薇であるな」
「恐れ入ります」
 ここの執事らしい壮年のエルフ男性を従え優雅に朝の散歩を楽しんでいる、奇爵・レーニッシュ(a35906)の姿だった。
 どうやら事前に街道に罠を仕掛けようと考えていたレーニッシュ、前日の内に本邸を訪れ使用人達に話を訊き罠設置は難しいかと諦めはしたものの、セイレーンである彼が『卿』を名乗ったせいか、本邸の者達に下にも置かぬ扱いを受け、気がついたら客として一泊することになっていたらしい。卿というのは自称っぽいが、この館、セイレーンに対しては非常にユルいようだ。ローシュンは釈然としないものを感じたが、そもそも南方セイレーン王国とは大なり小なりそういう所なのかもしれない。
「うぁ〜……」
 朝起き抜けの不機嫌さにも似た感情を滲ませた声に振り返ってみれば、殲姫・アリシア(a13284)ら同じ依頼を受けた仲間達が到着したところだった。ちなみに彼らが運ぶべき薔薇の準備は今ようやく整ったところである。薔薇が咲くのがこの朝のことであり、『きちんと咲いてから切った薔薇』という御令嬢からの指定がある以上、早目に来て荷の確認をするというのは少々難があったらしい。
「庭師さん達、籠の工夫を有難う……だから私達も頑張るよ……」
 内に柔らかな詰め物をし、花が傷まぬよう細心の注意を払った薄布の覆いを掛けられた、大量の薔薇を詰め込んだ背負い籠。よいしょと二人がかりでそれを背負わせてくれた庭師達に微笑で応えはしたものの、何だかアリシアは既に疲れた風情だった。御令嬢もロランもなんつー我儘、と思っていたところに、レーニッシュの優雅な散歩っぷりが拍車をかけたらしい。
 まぁ彼の件に関しては、奉仕種族体質が抜けてない使用人達の方に問題がある気がするが。
 でもセイレーンだからって一括りにはしたくないんだよね、と複雑な表情で呟いているアリシアの気を晴らそうとしてか、デタラメフォーチュンテラー・ネミン(a22040)が溌剌とした笑顔を見せる。
「御令嬢の望みを叶えてあげられるのは冒険者だけ、めいっぱいお手伝いするですよ! ……でもどっか腑に落ちないのは何故でしょう……や、死ぬ気で走るデスケドネ!」
 が、ネミンもネミンで色々複雑らしい。
「素敵な人を見かけると、後ろに薔薇が咲いとるように見えるって聞くもんな♪」
 文字通り薔薇を背負うのも素敵やー、と華やかな薔薇の香りにうっとりしていた朱陰の皓月・カガリ(a01401)も、庭師達に薔薇の籠を背負わせてもらった途端、「ん」と軽く眉を顰めた。冒険者にはどうってことはない重量だが、冒険者といえど重さを感じないわけではない。
 走りやすいように選んだブーツの紐を確かめてから籠を背負わせてもらった清閑たる紅玉の獣・レーダ(a21626)は、肩に感じた籠の重みと肩越しに届く薔薇の香りに表情を引き締める。薔薇園を見れば庭師達がどれほど丹精込めて薔薇を咲かせたのかはよく理解できた。南方セイレーン王国との今後も大事だし、依頼を完遂するためには常に全力を尽くす。そして何よりも、庭師達の苦労の結晶である薔薇を傷つけないように精一杯努めようと奮起した。
 笑顔を振りまく向日葵娘・リウナ(a32759)も冬の中見事に咲いた薔薇に顔を綻ばせ、籠を背負わせてくれた庭師達に笑顔で振り返る。
「この立派に、美しく咲き誇る薔薇を背負い……走ります!」
 この薔薇は誰にも触らせないのです、とリウナが気勢を上げれば、皆からも頷きが返った。
 大輪の薔薇を数多背負った冒険者達は、御令嬢の待つ別荘を目指して駆け出していく。
 花から零れた朝露が舞い、薔薇の香りを散らしつつ――曙光の中に眩く煌いた。

●薔薇と盗賊と冒険者
 樫の木の緑が視界の端を規則正しく流れていく。
 旅人が木陰で休憩することを想定してか街道の両脇には等間隔に大きな樫の木が植えられており、それが走るペースを一定に保とうとしている冒険者達の役に立っている。
 街道が南へ向かって真直ぐに伸びていることも、浄火の紋章術師・グレイ(a04597)には有難かった。彼は南天へ向けゆるゆると昇っていく太陽を目の端に捉え、その位置から現在の時刻を把握できるよう常に気を配っているのだ。
 まぁ最初の内は、鎖帷子を背中の籠を覆う形に変化させていたレーニッシュが鎧進化の効果が切れるたびに掛け直していた為、それで時間を計ることもできていたのだが――最後の一回を残して術が尽きた今は、グレイのように太陽の位置を測ることでしか現在時刻を計る術はない。
「予定より少し早く進めているようですね、今のところは」
「……不測の事態がないとも限らないし、ちょっと前倒しする位で丁度いいと思う」
 足を緩めぬまま呼吸を乱さぬよう簡潔に告げたグレイに、並んで駆けていたレーダが小さく笑みを返す。視線を前方へ戻せば、吹きつけてくる冷たい風が孕む薔薇の香りがひときわ強くなったように感じられた。彼らの先を行くのは最初に遭遇する盗賊達への対応を担う班である。先行する彼らが街道の異変に気づいたのは、それからすぐのことだった。
 首から提げていた水筒の水を一口飲んだアリシアが、前方に複数の人影を認めて瞳を眇めた。人影達は街道に立ち塞がり何か長い物を掲げて振っている。きらりと光を反射するアレは……もしかしなくても剣だろうか。一瞬でそこまで見て取れば、前方から耳障りな訛み声が響いてきた。
「おいお前らー! 命が惜しければその荷物を置いていけー!!」
 …………。
 そう言えば、『あまり頭は良くなさそう』って聞いてたような。
「悪いけどっ、あんたら構ってる暇なんてこれっぽっちもないんだよねっ!」
「ぐはあっ!?」
 はぁと嘆息したアリシアが腕を一閃すれば、溢れる蜘蛛の糸が正面の盗賊達を一気に絡め取る。
「先手必勝! 盗賊さんをお相手する時間はないのです!!」
「むぎゃっ!?」
 右側面に気配を感じたリウナが振り向きざまに掌を突き出し、こちらも鮮やかに蜘蛛糸を降らせて木陰から飛び出してきた盗賊達を絡め取った。左の木陰から飛び出してきた盗賊へはレーニッシュが蜘蛛糸を放ち、術の範囲外にいた盗賊へはローシュンが光り輝く魔力の槍を容赦なく撃ち込んだ。
「こんな手荒なやり方は本意ではないのだが、こちらにも依頼主との約束があるのでね。遅れるわけにはいかんのだよ」
 一撃でダウンした盗賊を見下ろし、蜘蛛糸に絡まり転がっている盗賊達へ「死にはせんからに安心しろ」と言い置いて、ローシュンは再び街道の先へと駆け出した。確かに慈悲の聖槍では死なないし、御令嬢も「盗賊はどうだっていい」と仰せだった訳だから、まぁこれはこれでいいだろう。
「っていうか、私らの荷物薔薇だし。あんたらも薔薇を強奪したって仕方ないでしょ」
 盗賊達が切なくなるような台詞を残してアリシアも駆けていく。
 念のため盗賊の人数を確認したリウナも、ぐっと拳を握って街道の先へと目を向けた。
「気は抜きません! 頑張って届けるのですー!!」
 おーと声を上げ軽やかに駆けていくリウナ。
 街道に転がる盗賊達は、物悲しい眼差しで彼女の背中を見送ることしか出来なかった。

●薔薇と鹿様と冒険者
 然程時間をかけることなく第一の障害をクリアした冒険者達は、前後の班を入れ替えたまま駆け続けていた。今度は第二の障害である鹿の群れに対応する班が先行している。元より行程前倒しを心掛けて走っていたこと、それにグレイがきっちり時間を確かめていたことにより、一行は予定よりも早いペースで街道を進んでいた。鹿の対応に時間を取られなければ余裕で間に合いそうである。
 淡い色の空を行く太陽が天頂を越えた頃、冒険者達は街道が森の中へ入っていく地点へと差し掛かった。それから暫し進んだ辺りで、遠眼鏡を覗いていたカガリが声を上げる。
「前方! 鹿が出てきたんよー!!」
 言われて見れば、遠眼鏡なしでも街道の前方を塞いでいる影が見えた。
 街道脇の森から現れた数十頭の鹿がのんびりと街道を横切っていく。事前に聞いていたとおり大柄な種であるらしく、森の中に見える影や地面を伝わってくる振動からすると相当の数がいるようだ。
「一旦停止……だな」
 速度を緩めたレーダが確認するかのように同じ班の者達を見回した。グレイは既に木陰で薔薇の籠を下ろし鹿対応の準備に入っているし、足を止めたネミンも素早く呼吸を整え「鹿が出ましたよー!」と後続の仲間達に向け手を振っている。事前に対応手順をすり合わせていた甲斐あって、鹿対応班の動きに無駄はない。ふ、と薄い笑みを浮かべたグレイが、籠から数本の薔薇を抜き出した。
「ウェンブリンでは同盟屈指の司令塔と言われた私です。たとえ鹿相手でも、心理戦で後れを取るわけには行きません」
 黒衣の裾を鮮やかに捌き、鹿達へ向け颯爽と歩き出すグレイ。
 咄嗟の時に対応できるよう粘り蜘蛛糸の準備を整えたレーダが後からついてくるのを確認したグレイは――思い切り腰を低くして鹿達に挨拶の言葉を歌いかけた。それに気づいた一頭の鹿が短く鳴けば、群れ全体の歩みが止まる。
 余に何用であるか――とでも言いたげな眼差しをくれた立派な角の鹿へ恭しく薔薇を差し出せば、『人間にしては殊勝な心がけであるな』と実に偉そうな返事が返り、未だ朝露を抱いたままの初々しいピンクの薔薇がもしゃもしゃと食べられた。笑顔を崩さずに言葉を続けるグレイ。
『あちらにこの薔薇が沢山咲いていました。ほら、私の体から薔薇の香りがするでしょう?』
『ほう?』
 偉そうな鹿がグレイへ顔を近づけ鼻を鳴らす。
 そこへネミンが駆け寄ってきて、思い切り愛想良く歌いかけた。
『とっておきの薔薇なのです、鹿さんにぜひ知らせようと思って頑張って走って来たのです♪』
『ほほう、そちもなかなか良い心掛けであるな』
 鹿が満足気に瞳を細めたところで、木陰を伝ってこっそり鹿達に近づいていたカガリがあらぬ方角へと矢を射掛ける。森の奥で矢に括り付けられた薔薇の香水がぱりんと割れ、強い花の香りが風に乗って流れてきた。
『ああっ、あっちに素敵なお花がぎょーさん咲いてるんよ〜!!』
 更にカガリが歌いかければ『おお、確かに』と鹿達が一斉にその方角へ鼻を向ける。そこへグレイが『早く行かないと他の鹿に食べられてしまうかもしれませんよ』と畳み掛ければ、『なら急がねばな』と偉そうな鹿が群れへ声をかけた。軽く頭を下げるレーダの様子にも気を良くしたらしく、『そち達には礼を述べておこう』との言葉を残し、鹿達は揃って香りのする方角へと向かう。
 この隙に後続の仲間へも合図を送り、冒険者達は鹿のいる一帯を全力で駆け抜けた。
 鹿を突破すれば、後はただひたすら走り続けるだけである。

●薔薇の夕べ
「折角のお誕生会ですもの、やっぱり望みは全て叶えたいですよねっ」
 息を弾ませながら楽しげにネミンが言う。
 念のためにとペースアップを提案したネミンの意見を容れ、一行は速度を上げていた。前倒しで来ているからまだ多少は余裕があるが、早く到着するに越したことはない。
「女の子やったら綺麗な御花でお祝いしたいもんな♪ 頑張るんよー☆」
 多少疲労が滲み始めているものの、カガリの声も何処か明るかった。
 盗賊も鹿も突破した以上、もうこの先に憂いはない。華やかな薔薇の香りに包まれながら街道を真直ぐに走るのは、なかなか爽快な心地だった。
 空の彼方が僅かに薔薇色を帯び始めてきた頃、緩く下っていく街道の先に眩く煌く何かを認め、レーダが瞳を眇めた。きらきらと光を弾くそれは、どうやら小さな湖らしい。微かな橙を帯びる淡い金の色に染まった湖のほとりには――瀟洒な館が建てられている。
「別荘……だ」
 レーダの声に冒険者達は一様に顔を綻ばせ、皆で一気に下りの街道を駆け下りた。
 門の前で止まり門衛に到着を告げれば、その声を聞きつけてか別荘の中から12、3と見えるセイレーンの少女が駆けて来た。水面の波紋を映す青い髪を華やかに結い上げた少女は、冒険者らの背にある薔薇と同じ色のドレスを纏っている。間違いない、この少女が件の御令嬢なのだ。
「お誕生日おめでとう御座います。レディ。本邸の薔薇の美しさにも目を惹かれましたが、令嬢の美しさには叶いませんな」
 ラスト一回の鎧進化で即座に身なりを整えたレーニッシュが、胸に手を当て一礼する。まぁと微笑んだ令嬢の前に薔薇を差し出して、グレイも礼儀正しく口上を述べた。ちなみに此方は庭の茂みで予備の衣装に早着替えを済ませている。
「見事な薔薇ですね。お嬢様の誕生日を祝うかのように咲き誇っています。その美しさをお届けする一助となれたこと、大変光栄に思います」
 令嬢は綺麗に整った笑みを浮かべ「薔薇を届けて下さったこと、大変嬉しく思います」と淑やかな答えを返した。だが、
「おめでとうございます」
 ただそれだけの祝辞を述べ、リウナが衒いのない満面の笑みを浮かべれば、令嬢の笑顔も年相応の明るいものになる。
「ありがとう! 同盟の冒険者様達も……とっても素敵な人達なのね!」
 声を弾ませ、セイレーンの少女が屈託のない笑みを見せる。
 甘やかなオペラピンクに咲いた、薔薇そのもののような笑顔。
 この日誕生日を迎えた少女の笑顔が、まるで明るい未来そのもののように感じられた。


マスター:藍鳶カナン 紹介ページ
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