<リプレイ>
●血に沈む しとしと。 ……しとしと。 …………死と死と。 「……うっわー」 降りしきる雨の音が、黄金の羅針盤・ナシャ(a21210)の鼓膜を穿つ。雨音さえ死を歌う世界に視線を彷徨わせ、夜空より舞い降りし蒼月・リク(a24953)は額にもたれかかる髪を掻き上げた。 「血の池……なんて、まるで地獄みてぇだな」 「ああ、随分と胸糞悪い景観を作り出してくれたものだ……」 ピースメーカー・ナサローク(a58851)の前に広がる沼は、敵にとっての食卓なのだろう。食い散らした骸と、刻一刻と水辺を広げていく血。一枚絵とするにはあまりに陰惨な光景に、宵の紫露・グレイス(a45417)も防水の眼鏡『ヴィアグラス』越しの瞳を細める。 「……随分と、見苦しい食事風景だなぁ〜ん……?」 「きもちわる……。いかにも血に染まったって感じの水だね……」 言葉を零しながら、己が相棒たる携帯5連ピアノを抱え上げた。まずは家の柱を崩して屋根を足場代わりにする為、関西私鉄の守護神・スルット(a25483)は靴の爪先を沼に浸す。 ──敵の世界に入った。 肌を伝わる感覚の主は悪寒。安らぎを求めし森の守り人・リーゼ(a04066)は、村中央に近い二軒の家を見据え、濡れそぼった花の髪を梳いた。まだ碧の視界に囚われてはくれない敵を睨みながら。 「出来る限り隠密を取りつつ行きたい所ですが……」 「ここは相手の手の上、気付かないという保障は何処にも無い、よな」
一輪の花を護る巨龍・カイル(a10226)の一人言と同じタイミング、惨劇の中心にて。 惨状の母たるモンスター『緋水』が黄金の瞳を開いたのは、冒険者の手で建物が崩される震動が水面を伝わってきたせいか。 カイル達が事前に鎧聖の加護を得て戦いに挑むように、緋水もまた冒険者達を歓迎する為に水面を撫で始める。そして、インセクトの瞳越しに姿を盗み見ている者たちへと、三日月を描く唇を開いて笑いかけた──
「……インセクトの偵察に気付かれてる。下僕を出し始めてるね」 村の東、家々の狭間。 伝説の巨大剣の使い手を目指す・チヨ(a14014)の駆るグランスティードの背から飛び降りたナシャを見て、七色の尾を引くほうき星・パティ(a09068)とスルットが口を開く。 「下僕の数が多かったら、ナパームでど〜んと始末しちゃうほうがいいかな☆」 「とりあえずこっちもクリスタルインセクト偵察型、出発進行ー。……これで下僕魚の足止めできるといいけど」 崩れた屋根によじ上るスルットの言葉を背に、チヨはグランスティードの駆ける速度そのままに隣家の大黒柱を薙ぎ払った。「突貫工事なぁ〜ん」と続いてグレイスが斬鉄の一足を見舞う度に、瓦礫が水面に描く波紋が互いを打ち消し合っていく。 しばし。冒険者達全員が、最も村中央に近い家の屋根を足場に円陣を組んだ時──冒険者の動きを察知した緋水は、既にリク達の視界から姿を消していた。 「うっわ、どっかに隠れちまったみてぇだな」 「しかし、血肉が望みなれば……あちらから出向いてくるはず、なぁ〜ん……?」
●雨、雨 地の惨状を嘆く涙は、未だ止まず。それが地獄の水かさを増そうとする行為だと知らずに、雲はただただ悲しみの涙を流し続けていた。 無理矢理低くした屋根の上はリーゼの軽い体でさえ時折受け止めかね、体重をかける度に軋む。 お世辞にも良いとは言えない即席の足場だが、敵の領域である水中よりマシか。形を変じた愛弓メテオ☆インパクトに矢をつがえるパティの横で、降りしきる雨がカイルの黒き龍鱗を叩いている。 「まず、敵を水の外へ誘導するように攻撃にゃ☆」 「だが、予想より下僕の数は多そうだな。……鎧聖が切れる前に決着をつけたいが」 「……いっそ本体を叩いて魚にさっさと帰ってもらいたいところだ」 血と泥で濁った村の中央を視線で撫でるナサロークを嘲笑うように、『緋水』と呼ぶべきモンスターの姿は無い。 「どこから来るかわからないって、ちょっとわくわくしてくるね」 「皆、円陣を、なぁ〜ん……」 ナシャとグレイスの裡より黒炎が盛る。 水面は静寂、跳ねるは雨音ばかり。だが……スルットの二年以上になる冒険者としての経験が「敵が近い」と告げていた。 首筋を撫でられたかのような怖気に耐えながら、グレイスが灰の眼光を走らせる。 ……『その時』は。 「さっさと姿を現せ……!」 吐き捨てるリクの声と同時にやってきた。 ばしゃん! 突如。 雨音を突き破る勢いで、全身が口と見紛うばかりの怪魚が一斉に水面で跳ねる。 そちらに視線を向け、戻すまでの一瞬にも満たない隙。魚達と反対から躍り出た人面魚身の怪物・緋水は──魚が宙の獲物を捕えるように、ナサロークの眼前へと迫っていた。 乱れる髪の隙間から漏れる光は金色。長い長い下半身は、魚とも水蛇ともつかない。 「来たか……!」 目を合わせるべきでない──との一瞬の迷いごと、青年の腕の肉は半ばまで食い千切られた。そのままの勢いで再び水中へと逃げ込む怪物を、スルットの視線が追う。 「っ、思ったより素早いかも……」 グリモアを失い解き放たれた心の内の獣。獣を纏いて人を捨てた者……モンスター。 魂の回廊を抜けて解き放った心の内の獣。召喚獣を纏って人を守る者……冒険者。 両者が水のカーテンを隔てて対峙した。 「その失われた理性、グリモアの元へ送り届けてみせます!」 リーゼの目の前で、秋の虫のように一斉に鳴き出したインセクトと怪魚が矛を交える耳障りな声、そしてナサロークの傷を癒すナシャの歌声が水に波紋を広げていく。 「インセクトうるさいかもだけど勘弁してね!」 ……そして、続けて響く足下を揺るがす震動。 「足場を崩しに来たか! どの道出向くつもりだ、是非もない……!」 行くぞ、チヨ……ともう一人の前衛に声を掛けたカイルが、龍槍を携えて水中へと駆ける。次いで飛び込んだナシャの黒衣、リクの聖衣が等しく真紅に染まっていった。 「うー、びしょびしょ……濡れるのヤだあー」 「水の中だと戦いにくくてしょーがねぇ……遠距離に徹したいが、前衛の少ないこの編成だとなかなか難しいか」 服がいやに重く感じられる。普段なら気にならない事すら気に掛かるのは、その差ですら生死を分ける一因になりかねないからか。 「背中のフォローはボクに任せて! 気をつけてねっ☆」 「ドボンと……行きまーす!」 パティの誓いの言葉に背を押され、最後にスルット達が水中へと飛び込む。 ……その際、グレイスは僅かに迷ったようだった。個人的には水中へ入るのは可能な限り避けたいところだったが── 「全体の意志の統一を優先すべき、かなぁ〜ん」 迷った末に身を滑らせれば、出迎えたのは体温を奪う不快な低温と、インセクトとの戦いにあぶれた魚達。ナサロークの儀礼剣『バレルストライク』に宿る炎が世界を睨みつける。 「不意打ちの礼はさせてもらう……」 隣の屋根に飛び退いたパティだけを屋根の上に残し、前衛も後衛も関係なく身を沼に沈めた冒険者達の手で、この地に新たな血の蓮が咲いた。
●吸血〜スイゲツ〜 歌いながら、水と踊りながら戦場を見据えるリーゼの瞳の中、不透明な水の間を見え隠れする人面魚身。そして、視認し難き流水の魚。 水中を走る軌跡だけが、その動きを示していた。 「かわせぬなら耐えるのみ……下僕如きなら、攻め落とされるような堅さでは……!」 喰い付いてきた魚達を力任せに振り払って、カイルは槍に両手を添える。 敵の動きは速く、刃でその身を捉えるだけでも容易ではない。緑の突風を攻撃の軸として携える紋章術士の三人は、緋水を地上へと打ち上げる為に足場との位置関係を計算しなければならないから尚更だ。 それに── (「皆の動き、何か変にゃ……」) 初春の水による体温低下の影響……それもある。 水を吸った装備のせいで、うまく動けない……それもある。 だがそれ以上に──パティには、目に見えて水中にいる仲間の動きが鈍く感じられた。 「あーもう! 避けるなっ!」 凱歌の響く中、ナシャが水の中なお冷たい紫の剥片を構えた手を突き出す。 吹き荒れる突風の穿った道。それを追って走らせた三頭の炎が敵を掠めたのを見届け、グレイスは荒い息をついた。 「動きが鈍い……これは、水面の血のせいなぁ〜ん……?」 「厄介なもんを用意してくれてたみてぇだな……」 幾何学模様を描く水面の血が、リク達の手を掴んでいた。足を掴んでいた。身に絡み付いていた。犠牲者達が、仲間を増やそうと生者を淵に引きずり込むかの如く。 だから、見えているはずの攻撃がかわせない。 轟音と共に振るわれた尾の一撃は、グレイスの全身を歪ませるほどの威力だった。水面で一度だけバウンドして、吹き飛ぶ勢いのまま彼女は半壊した家壁に叩きつけられる。 「何とか、こいつを水の外に……!」 しかし、ある程度知能も高いのか、岸にさほど近寄ろうとしない緋水を単発の突風で水の外へと押し出そうとしても届かない。かといって血の沼に絡みつかれては、二人がかりで連続で吹き飛ばすのも容易では無い。 一分、二分。己の血が流れる度、動きの鈍い冒険者達の血を啜るモンスター。刃と突風が交錯する戦場で緋水の尾に身を絡め取られたスルットが、唇を噛んで言葉を吐き出した。 「生存者ゼロ……このフィールドがその理由ってわけだね……」 確かに、並の人間ではこの領域に捕えられたが最後、誰一人逃げ切ることは適わないだろう。敵の動きを著しく阻害する血の網……自分の名前通りにスルッと抜け出す、というわけにはなかなか行かないようだ。 ──水中で魚に勝てるものか。と緋水の唇から勝ち誇ったような、水面を叩くような嬌声が漏れた。尾で締めつけられたスルットに合わせ、傷を共有するパティも膝をついて口の端から血を滴らせる。 「このままだとまずいな……」 ナサロークが届ける癒しの光に身を晒しながら、グレイスは手で己の傷口に癒しの光を押し当てた。……思うように手は動いてくれなかったが。 「なかなかこの敵は厳しい……なぁ〜ん……」 流れ出る血に比例して、全員の脳裏を諦めがよぎる。 ──勝てない? いや、それより最悪なのは。 ──逃げることすら難しい……! 敵の速度、不利な地形。この状況で、戦えない仲間を担いで上手く逃げ出せるだろうか。 カイルは苦々しさを槍に込めて残った魚を屠りつつ、術に備えて伝説の巨大剣を構えるチヨを見て眉根を寄せた。 「背水の陣、か。なんとか我々で盾になるしかないが、二人でどれだけ足止めできるかだな」 「時間稼ぎぐらいなら、何とかなりますなぁ〜ん……!」 「いざとなれば……僕も、命を捨てる覚悟は出来てる」 戦の最中に舞い散った紅は、ナシャの頬と瞳に血の河引いて、その様は紅酒の瞳が零れ出したかのよう。 ぞっとする程冷たい言葉の雫を唇から滴らせていたのは一瞬。一転して表情を転ばせると、少年は戦いの歌を歌い始めた。 「ま、でもまだ負けと決まったわけじゃないし? ほらほら、挫折禁止!」 「そうですね……まだ」 その通りです、とつぶやくリーゼも一角の杖にもたれかかるのが精一杯。だが、全身から血と水を滴らせながらも、目の光は消えてはいない。
転機は、戦えなくなった仲間達を庇うカイル達がじりじりと退がる最中に訪れた。 水中で戦いを挑む皆が不利なら、自分が当てるしかない──ブレる視界をナサロークの送り出した癒しの聖女の手で補正して、パティが弦を引き絞る。 「敵の攻撃と動き、この矢で阻害するにゃ!」 敵が魚だというなら、打ち破る一矢もまた魚──鮫の牙は、射手本人の予想を超える程の見事な螺旋を描いて、緋水の喉元を耳障りな笑いごと貫いた。 『!!』 嬌声を絶叫に無理矢理変換されて、緋水が呪詛の叫びを挙げる。水を走り、失われた血を補うかのように金の瞳を光らせてリクへと飛び掛かった。 そしてそのまま、がちがちと歯を鳴らして首筋に牙を立てようとするものの──刺さったままの矢は牙を突き立てることを許さず、リクの首筋を血塗れの唇で濡らすばかり。 「貴様にくれてやる血なんて……一滴も! ねぇんだよ!」 リクの手は鉤爪のように。振るわれた五本の指先は、敵に到達した時点で銀狼の牙と化して喰らいつく。手から実体化した狼が、敵を組み伏せようと吼えた。 吸血で他人の命を奪う分、今まで戦ったモンスターに比べて耐久力に欠けるところがあるのだろう。 明らかに動きを鈍らせつつもリクを水面に叩き付けた緋水へと、音速の刃で水面を斬り飛ばすようにカイルが龍牙槍を薙ぎ払う。 「狙うは常に、……乾坤一擲」 ──水を裂いた。 人の上半身と獣の下半身を切り離すように、一筋の紅がモンスターの腹部に走る。真成ニ一擲、乾坤ヲ賭ス──カイルが口の中の言葉を穂先に伝えた瞬間。 ──血が咲いた。 ばしゃん、と仰向けになって水面に落ちた緋水へ、ナシャは緋色の眼光を向けた。 上半身だけを見れば人間にも見える魔物は、全身を痙攣させながらも、近付くナシャに濁った金色の視線で牙を剥く。例え手を差し伸べようとその唇は感謝を紡がず、牙を立てる為にしか存在しない。 だから…… そっとミレナリィドールを撫でて虹色の光を掬い取り、それを紋章に変えてナシャは腕を振り上げる。 この地最後の血の雨は、全てこのモンスターの身に還る為に降り注いだ。
●獣を装(マト)いて 瞳をキャンバスに光景を焼き付けるグレイスの耳に、雨の中、湿った音が響いている。 もう何度繰り返しただろう。重ねてきた数多くの冒険、犠牲者が出る度に、リーゼはハープを奏でてきた。飽きるほどに鎮魂の歌を歌ってきた。 それでも慣れる事などなく、心揺らがぬ事などなく、ただいつものように音に身を委ねる。 「もう悲劇は繰り返されないよね……?」 この雨へ同意を求めるようにつぶやいたスルットの言葉に、答える者は無い。 無言のまま遺体を引き揚げていたナサロークもまた、奴の生を止めた事で犠牲者の慰めになったのだろうか、と自問しながら天につぶやく。 「村人の遺体、放置するのもあまりに可哀想過ぎるな……」 「できる限り埋葬するけど、遺体を埋葬する前にこっちがばた〜んと倒れそうにゃ……」 「オツカレサマ、なぁ〜ん……」 冷たい雨を拭うパティを見つつ、グレイスは気を抜けば倒れそうになりながら、軋む身を崩れた家に預ける。 叶うなら可能な限り埋葬してやりたい。だが、冒険者達の被害も甚大だった。 「とりあえず……早く帰って風呂入りたいよー」 リクの言葉を背にリーゼが視線を巡らせれば、そこには半身を獣に変じたモンスターの骸。 己の装う召喚獣の姿へと視線を流しながら、リーゼはいつしか手を止めていた弦を再び爪弾いた。

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